だいすけ
学園は灼熱の炎に包まれていた。
その中では、かつては笑顔で学園で通っていたであろう生徒の死体が、息を吹き返し彷徨っていた。
「く、くるなぁ、くるなぁぁあ―ッ!」
「逃げるんだ、つるみちゃん!」
容赦なく襲い掛かる動く屍たちから救い出したくて、俺は思わず手を伸ばしていた。
伸ばした手のひらは虚空を掴む。
この手は届かない…。
俺の愛する人が咀嚼される音が響き渡る。
バキボキッ
なんて言葉にすると陳腐な音が、こんなにも残酷な響きを発するだなんて思いもしなかった。
こんなはずじゃなかった…
壊れた世界で大変な思いをしてきた仲間たちが、だからこそ出会えたかけがえのない人たちが
まるでボードゲームの駒の如く、有無を言わさず、何の感慨も残さず、指でつまんではじき出す程度の容易さで
あっという間に数十分のうちにみんな消えていなくなった。
分かっていた。
世界は壊れていたんだって、ちゃんとわかっていたんだ。
・・・でも、夢ぐらいみたっていいじゃないか
「・・・ぁ」
僅かにこぼれたうめき声ともとれる微かな声。
俺の思い人、天野河鶴魅はプツンと糸が切れたかのように動かなくなった。
見開かれた瞳の奥には何の感情も感じさせない暗い色をしていた。
・・・どうして
なんでみんな死んじゃうだ!
どうして殺されなくてはならないんだ!!
俺は怒った。
何が何だか分からなかったから、駄々をこねる子供のように床を叩き、当たり散らした。
いや、本当は分かりたくなかっただけなんだ。
もう終わってしまう ということを。
つらくもあり、しかし楽しかったあの日々が終わってしまうことを。
俺は分かりたくなかっただけだった。
終わる世界の残酷さに唇を噛みしめていると、無残な姿になった愛しき人が蘇っていた。
生気を感じさせない瞳でこちらを見つめている。
「畜生、せめて・・・せめて五郎丸だけでも」
そういって我らが『学園生活同好会』のマスコットキャラクター、柴犬の五郎丸へ目を向ける。
しかし犬の五郎丸ではこの異常事態に感じる不気味な光景に何も感じえなかったのか、
いつも通りに、しかし普段とは決定的に違えてしまった現実を無視するかの如く、
それはもう当たり前のように、変わり果ててしまった飼い主たちの元へ小走りで足を進みいれた。
行くんじゃない!
― しかしその手は届かない
「あ・・・」
そんな嗚咽が漏れた。
ダメだった。
終わってしまった。
砕け散ったよ、俺の希望が。
みんな・・・みんな死んでしまったのだ。
思わず両目に涙が浮かんでしまい、景色がぼやける。
どうせ食べられてしまうのだろう。
せめて五郎丸の最期を、見送ろうと涙をぬぐうと―
「・・・え?」
五郎丸は、優しくなでられていた。
腕の肉が歯形に削がれ、目玉が半分飛び出していても彼女はかつてのように優しく五郎丸を撫でていた。
お、おい
逃げるぞ五郎丸
もう鶴魅は死んじまってんだよ
頼むよ、お前までいなくなっちまったら・・・
でもこれは一体、でも鶴魅
いつ食べられてもおかしくないのに、なんで?
どうしちまったんだ?
まさか、俺たちのことまだ覚えて―
― そんな幻想を胸に彼女を見つめていたら
ギラリと光る眼光は最早、獰猛な獣のような、決して分かり合うことのできない衝動が込められていた。
そして刹那のうちに彼女が血で染まった牙をむき、襲い掛かった。
(あっ、とうとう終わってしまった。)
そんな間の抜けたことを思った。
どうやら俺が最後の人間になっちまったらしい。
ごめんな五郎丸、俺はお前の事忘れて食べちゃうかもしれないけど
お前は俺の事忘れないで、生き延びてくれたらうれしい。
こんなイカレタ状況でも、五郎丸の瞳は綺麗な輝きをしていた。
それはまるで、まるで変わりのない、あの頃の日常を映しているかのような、曇りのない輝きだった。
・・・変わりのないあの頃の日常?
そういえばリンさんが五郎丸を撫でながら語っていた言葉を思い出した。
『ねえ、知ってるツルミ。
犬が見ている世界と人間が見ている世界って違うんですって。
犬はね―』
『そっか、五郎丸はもしかしたら私は違う感じでこの世界を見てるのかもな。
道理でユキヤも五郎丸みたいに落ち着きがないわけだよ。
実は同じものが見えてるんじゃないか?』
『え~、ひどいや!
ちゃんとみんなと一緒だよ』
― あはははは
五郎丸の瞳の中にはいつもと代わりのない自分と、ツルミさんが映っていた
ああ、そうか。
そうだったのか。
伸ばした手の先には・・・
この腐った手のひらから、皮膚が剥がれ落ちていた ―
俺、とっくに死んでたんだな。
ごめんな、五郎丸
― ガブリ
いやぁぁぁぁぁああああああ― つるみちゃーん!
やだぁぁぁあああああああ― リンさーん!!
ざまぁぁぁあああぁぁああ! ユキヤくーん(笑)
ぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!
つーか、なんだよこのアニメ!
まったりほわほわ日常枠かと思えばゾンビサバイバルだったじゃん!
最後サスペンスホラーじゃん、俺の中でこの夏一番の事件になりそうだよ!
大体なんだよ、『実はみんなすでにゾンビでした☆彡』って
「日常枠じゃなかったけど、みんな仲良く協力して厳しい世界を生き抜く彼らにほっこりしました。」
「というよりハーレム展開とか普段よりいい暮らししてるんじゃないか?主人公もげろ」
「つるみちゃんみたいな健やかスポーツ少女のようなキッパリとした子が、
お風呂のときちょっと恥ずかしがってるところが、堪りませんでした!」
なーんてウキウキしてみてたの全部、ゾンビとゾンビの絡み合いだったのか。
回を重ねるごとに聞こえてくるゾンビっぽいSEは意味不明だったが実はゾンビだったからとでも言うのか?
まさか『ゾンビは生前の行動をなぞって活動する』という伏線がここで働いているとはだれも思うまい。
あの羨ましい青春の学園生活は、美少女たちの絡みに飢えた浅ましい視聴者が見ていた幻覚とでも言いたいのか。
畜生、脚本家および製作スタッフどもめ!まんまと騙されおったわ!
おかげで精神に甚大な被害を負ってしまった。
今日は部屋を暗くして一人で落ち込んでしまおう。
ああ、働きたくないよぉ~
癒しが欲しい・・・
ささくれた心の傷をいやす為に新たなアニメDVDを俺は物色し始めた。
いや~、しかし俺の生活もだいぶ充実してきたもんだ。
この家に引っ越すまでの苦労が蘇る。
最初は、原付で食べ物を漁りながら街をさまよう生活を行っていたのだが、
今年の冬は去年の教訓を活かしたいと思い、拠点探しもボチボチ行っていたのだ。
そうしてようやく腰を据えて落ち着けそうな、少し街を外れたところにある山の裾で一軒の民家を見つけた。
建売住宅が目立つこの地域では珍しい日本家屋だ。
武家屋敷然とした家の周囲は土壁の塀で囲われて、落ち着いて周囲を警戒できそうだ。
特に文化財チックなところがないので、大方前のオーナーの趣味か別荘として使われていたのだろう。
鍵屋で盗んだ道具と教本を参考にピッキングして侵入したところ、慌てて逃げだしたような、
散らかった形跡がなく、少し掃除をしてしまえばそのまま使えそうな設備であった。
いい物件じゃないかと気分上々で家の内部を散策していたら、
ありがたいことに風呂は五右衛門風呂で、近くには井戸まで構えてあった。
久しぶりにゆっくりつかれるお風呂である。
素晴らしい、最高じゃないか!
夢のマイホームはここに決めたぜ!
独身生活、ばんざー
「プラチナ、お風呂お願い」
― い・・・
そうだ、同行者の存在を忘れていた。
「はぁ?何で俺が ―
は、はいすぐに準備いたします!」
頼むからその拳銃をしまってくれ。
「うふふふふ~、よろしくねっ!」
悪魔的な可愛さによる悪魔的な冷たい微笑みを向けられて、思わず開いてはいけない扉が開かれてしまいそうだよ、ママン・・・。
一時は命を救われたとはいえ、見事に尻に敷かれているのな、俺。
ゾンビに囲われてもうダメかと思われた俺さんであったが、
彼女の救出により無事九死に一生を得たまでは良かった。
そのあと、箱バンに積んでいた積荷の半分を強奪されたとさ・・・
しかも、あんなことやこんなことまでさせられるだなんて・・・
おお勇者よ、死んでしまうとは情けない。
有り金半分取られて途中からやり直しをさせられる勇者の気持ちが少しわかった気がしたよ。
それから何やかんやで1か月の間に立て続けに行く先来る先で遭遇して、食べ物を融通し合ったり
時には一緒にゾンビの群れを追い払ったりと、波乱万丈な一か月であったが
いつの間にか行動を共にしていたというわけである。
まあ俺はこき使われてばっかりだが。
桶に水を張り、とりあえず風呂をまず掃除しておく。
「ほら、見張ってあげるんだからちゃんと働きなさいよね!」
はいお嬢様!
生足が素晴らしいですお嬢様
もっと罵ってください!
窓際に腰かけてくつろいでおられながら、ワタクシめの働きぶりを蔑んだ目で監視していただきどうもありがとう。
無事目眩く官能の世界に足を踏み入れられそうです。
ざっくりと掃除をした後は風呂に水を張り、お湯を沸かす大仕事である。
産業革命以前の人々の逞しさが凄いと思える仕事である。
薪割りとかもしてたからこれだけで半日つぶれてしまったよ。
おかげでクタクタだ。
「ふんふ~ん♪」
ご機嫌な響きが風呂場の方から聞こえてくるが、覗いてしまえば最後あの世行だろうな。
季節は7月も半ば
飛んで火に居る夏の虫を地で行くように、炭火になった焚火目がけて突っ込む虫さんたち一同。
痒いのは嫌なので長袖で作業しているのだが、暑さも本格的になり夜でも蒸し暑く、俺の疲労は加速する。
明日は電源周りの復旧をしてくれってさ。
全く無茶を仰います・・・
まあなんだかんだで最近は俺から離れたがらないのか、ちょこちょこくっ付いて行動してくるのが可愛いところなんだが。
おっと、だいぶ彼女にやられてしまっているな、俺。
油断をするな、気を抜くな、敵はいつも自分の近くにいる!
当然ながら俺がゾンビ化していることは彼女に説明していない。
しかし彼女も訳ありなのか、集まり以前と同じ生活を取り戻しつつある生き残り集団のところへは行く気配を見せない。
当面は彼女と俺の二人でゾンビや生存者に警戒をしながら生活をすることになりそうだ。
食料も1年分ぐらいは確保できた。
拠点は住む分には結構快適そうだ。
しかしだね、しかし俺としてはそろそろ溜まりに溜まった欲求を解放したいわけで・・・
具体的にはこっそりと集めた薄い本とかDVDとかを鑑賞したい!
それ以外にも映画とかゲームとかはもちろんとして、今年の夏はエアコンとかも欲しいよね!
となるとやはり電気は必要となるわけで・・・
まあ屋敷には電線は通っていたが、当然というべきか残念ながら電気は使えなかった。
発電所に人がいなくなって1年は過ぎているからな。
原発の管理がどうなっているか不安ではあるが俺にはどうしようもないことだ。
となると、自前で調達しなければならない訳だが・・・
一番良いのは適当なところから発電機をちょろまかしてくるのが簡単だろうが、いかんせん燃料系統は
だいぶ枯渇しかかってるのもあるしだいぶ劣化して今後は使えなくなる可能性が高い。
となると、ソーラーやら風力やらの自然エネルギーを使うことになるのだが、あれ単体では運用が難しいのがネックだな。
コンセントから電気が使えなくなって1年余りがたち、その間いろいろと調べてみた結果、
まず作り出した電気を制御装置などで安定化させてバッテリーに充電し
そこからさらに直流交流変換器で家庭用電源になおして使用しなければならないみたいだ。
内燃機関の発電機だとそれが勝手に100Vの交流電源で電気が作られるから一発OKで楽だったんだけどな。
そのうえバッテリーにも寿命があって重たい上、実用的な発電量を生み出そうとするとどうしても設備が大掛かりになるから拠点ができない事にはどうしようもなかったんだ。
だがそれも今日で終わりだ。
既にカーバッテリー、MPPTチャージコントローラーにDC-ACインバータを確保して町のはずれの工場倉庫に隠してある。
パネルについては既に業者が屋敷の近所に設営している発電設備から電気をちょろまかして使おうと考えている。
その意味でもこの拠点の立地は非常に素晴らしく実用的だったわけだ。
防衛用の塀に後ろの森から安定供給可能な水とたきぎ
畑を耕して電気の供給を行えれば正しくここは鉄壁の要塞
最後の楽園を俺たちは手に入れたというわけか。
ヒキコモリ生活が捗りますね。
まあそんなこんなで家を掃除し畑を耕し電気を復旧させ今に至るというわけだ。
電気の方は発電設備の配線がチンプンカンプンで電気をひったくるのに苦労したり
畑の方では草を刈るのが大変だったり虫がたくさんついて作物の生育を阻害していたり
問題はまだまだ山済みだがどうにかうまい事行きそうなところだ。
とはいえ電気関係については逆流防止のダイオードが吹き飛んで危うく感電死するところだったりと
危ない橋をいくつかわたっている。
今は何とか動いているがもし故障してしまったらと考えると冷や汗ものだ。
うまくいかない事ばかりだが、ようやくこうして腰を落ち着けてアニメを鑑賞できて喜ばしく思う所存。
「プラチナ、ご飯作ったからさっさと食べなさいよね」
そうして次のアニメシリーズをどれにしようか考えていた時に彼女が夕食の話を持ってきた。
「ああ、今行く」
扉からこちらを覗いて待つ彼女の姿に、先ほどアニメに傷つけられた俺の心が少しいやされた気がした。
一緒に行動を共にする仲間がいるということは心強いということだろう。
だがあのゾンビアニメであった出来事がいつ起こらないとも限らないだろう。
なんたって実際にゾンビが発生してしまったんだ、アニメを作ったヤツも思いもよらなかっただろうな。
奴らが考えたシナリオがいつ起こってもおかしくない。
その時俺たちはどうすればいいんだろうな、ダイア。