第一章6 『半分だけの同意』
なにが起きている。
目の前では驚愕を露わにして俺のことをを心配する友人の顔が見える。
髪に触れてみれば、滅多に使わないワックスの粘着質な感覚と今し方かけられた水が相まった、気持ちの悪い感触が手に伝わってくる。
ふと横目に確認してみれば、自分のもう一人の親友もまた、自分ほどではないにせよ水をかぶった状態でこっちを見ている。
その目にはまだ、何の理解も示されていない。自分と全く同じように、なにが起こったのか把握できない目。
その状況を把握するために、俺は後ろを向いて――
◆ ◆ ◆
「なんでコウタに――俺の友達に水なんかかけてくれてんだよ」
コウタに水をかけたどこか不機嫌そうな様子の男たちに、ケイは明確な敵意を込めてそう低く唸った。
「なんで、ってなぁ? もしかしたら兄ちゃんも、薄々気がついてんじゃねぇの? そっちの、バカな兄ちゃんとは違ってさ」
自分の友人をさらっと貶したことに言いようのない怒りがケイの心中に沸き上がってくるが、それをぐっと押しとどめて更に言葉を重ねる。
「どういう意味なんだよ、それ」
「そらまずは、そっちの兄ちゃんにも話きいてもらわねぇとな」
そう言った男はコウタの方へ振り返り、声音を変えて話を再開する。
「……で、そっちのさっきから黙ってる兄ちゃん。お前さぁ、さっきからその甲高い声で脱出がどーのだの諦めたくないだの言ってるけど。正直、うぜぇんだわ。寝言は寝て言えっつーか」
その言葉に、俯いたままのコウタの肩がぴくりと動く。
「日本に帰りたいだって? ママー助けてぇーって、オフクロに泣きつきたいのかよ? んなことできるわけがねぇって、今ここにいるお前以外の全員が理解してんだよ。多分、てめぇのお友達もな」
「…………っ!」
そのことは、思っていたことを見抜かれて思わず息を吸い込んだコウタ自身も薄々理解していたことだった。
ケイやサクラがどうのという以前に、おそらくここに助けがくることはなく、そしてここから脱出することが不可能であろうということは、コウタにもとっくにわかっていることだった。
――だが、それではダメだ。
コウタには、日本にやり残したことがある。自分の理想の人とゴールインし、幸せな家庭を築く。日本にいればまだ可能性はあったであろうことが、ここへ来て不可能に近くなってしまっている。
諦められる、はずもない。
「――はっきり状況を受け入れろよ。さっさとあきらめて、環境に適応しろっての。っつか兄ちゃんさぁ、さっきからイライラしてるみたいだけど――」
「テメェなんかに、俺のなにがわかるっ! お、俺には、日本にやり残したことが……っ!」
気づけばコウタは、そう叫んでいた。
後半はすでに言葉にならなかったが、前半は血でも吐くようにそう叫んでいた。自分と相手を隔絶して思考の海に浸るために、コウタはそう叫び――
「俺たちゃ一人、ダチ殺されてんだけど? そりゃ、こっちの台詞だろが!」
その防壁は、向こう側が突きつけた事実によってあっけなく崩壊したのだった。
「――――――っ!!」
その言葉を聞いたコウタの喉が干上がる音をケイははっきりとその耳で聞き、ついで今し方男が口にした言葉に記憶を巡らせる。
さすがにケイたちがこの世界に来てからまだ一日目ということもあり、現在日本人の死者は一人しか出ていない。
その一人というのは、ケイたち日本人がここへ連れてこられた時に、奴隷へのデモンストレーションとしてルージェスに殺された青年――
そこまで考えたとき、ケイは思わず呻くように自分の思考をつぶやいていた。
「まさかアンタら、あの人の友達なのか……?」
「あぁ、そゆこと。あんだけ派手にいなくなったんだからよ、いくらなんでも忘れたとは言わせねぇぞ?」
「……っ」
自分の友人を失うということがどういうことなのか、コウタには全く検討がつかない。
というのも、まだサクラもケイもありがたいことに五体満足でこの世に生きているからであり、その『事実』はまだコウタからすれば『空想』の域をでることはないからだ。
「……それなら、アンタたちはここから出たいとは思わないのか」
押し黙ってしまったコウタに変わってケイが静かな声でそう尋ねると、男はそれに対して静かに首を振ってみせた。
「話し合ったさ。でもこっちゃもう諦めるって決めたんだよ」
「なんで……っ!」
「一時はさ? 俺も、そこのあいつと同じ考えだったよ。でも、マトモに考えたら、勝てるわけねぇ。向こうには、俺のダチを殺した『魔法』があるんだよ。人数が少なくったってお構いなしだ。あんなもんぶつけられたんなら、人間が何人いたってクズと同じだ」
男が言っていたことは、どうしようもなく正論だった。その事実に気がついたケイは思わず歯を食いしばりながらも、反論の言葉という名のいちゃもんをつけられずにいたのだった。
「な? わかったろ? 俺たちだって、諦めたくて諦めてるわけじゃねぇんだわ。正気なやつだったら、諦めるしかないんだよ、この状況は」
そこまで言い切った男は、ケイからコウタへ視線を転じ、すっと目を細めて残酷にコウタを突き放した。
「じゃぁ兄ちゃん、水かけられて冷えた頭でよく考えてみろ? 脱出は可能か? 下手したら連帯責任で処罰されるかもしれない多数の人間を見捨ててまで、この訳わからん世界に飛び出すってのか、え?」
「…………………うっせぇっ!」
それに対するコウタの返答は、食事もそのままに席から立ち上がり、そのままふらふらと宛もなく移動し始めることだった。
「どこ行こうってんだ? 下手に動いたら脱出の意思ありっつって殺されて、それこそ脱出もなんもできなくなるかもしれないんだぜ?」
「…………」
コウタはその言葉に一瞬足を止めたが、しばらくしないうちにまた歩き始め、やがてケイたちの視界から消えてしまった。
「ん? 兄ちゃん、あいつを探しには行かねぇのかよ」
「言われなくたってもう行く。あんたのせいで死なれたらたまったもんじゃないからな」
「おーおー、根性もない友達を持つと楽じゃないね」
「水をかけたアンタも、アンタだと思うんだがな」
言外に『お前を許すつもりはない』と静かな怒りを込めて言い放ったケイに、男は悪びれる様子もなく肩をすくめてため息をついてみせた。
「こっちの兄ちゃんは手厳しいこった。まあせいぜい、この奴隷生活に慣れてくれよ。俺だって、『頭冷やせ』って水をかけるのに後悔がないわけじゃねぇんだから」
そう言った男は残りの二人に声をかけ、すでに食べ終わっていたらしい食べ物のプレートを返しに行ってしまった。
「あれ……?」
「ん? どした、サクラ」
「いや、ほら、あそこ」
そう言うサクラに示されるがままに視線を転じたケイの視界に、人混みの中からこっちに向かって歩いてくるコウタの姿が映った。
「コウタ? 戻ってきたのか?」
「そうみたい。……コウターっ! こっちーっ!」
ケイの独り言に相づちを打ったサクラはコウタの方に手を振りながら駆けていく。
どこかふてくされた様子のコウタの元にサクラがたどり着いたのを確認したケイは思わずほっと胸をなで下ろし、そしてふと視界の隅に珍しいものを見た気がして眉をひそめた。
視界の隅、人混みに紛れるようにして立つその男は。
「……ルージェス、だよな」
コウタがやってきたその人混みの中、ネズミ色に統一された囚人服のなかで軍服を着込んだルージェスの姿は非常に目に付く。
どうやらルージェスはこっちに気がつく素振りもないらしく、ケイの方ではない誰かをじっと無表情で見つめているように見えた。
その視線の先には、心配そうな様子のサクラと会話をするコウタ。
(――まさか、脱走しようとしたのをとがめられた? ……いや、それにしてはコウタの表情に変わるところもないし……)
そしてケイがコウタの様子を見て内心首を傾げている間に、いつの間にかルージェスはその場から消え去ってしまっていた。
「ケイっ! コウタは無事だよーっ!」
「…………わり、心配かけた」
結局、ずっと棒立ちになっていたケイの元にサクラたちが戻ってきたことにより、ルージェスの視線の意味するところは解らないままになってしまったのだった。
◆ ◆ ◆
――この『異世界』の季節というのは、そのだいたいが日本に準拠している。いわゆる四季が存在するこの世界では、『春』である今の時期だと夜の気温はそれなりに冷えこむのだった。
慣れない臭いのするごわごわとした布団にくるまり、同じく由来の解らない布が敷かれた床に雑魚寝していたとしても、布団の中で縮こまっていないと手先から序々に体温が奪われていく。
どこか肌寒いような雰囲気がこの部屋に漂うのは、なにもその気温のみに原因があるというわけでもないだろう。
「…………っくしゅ!」
鼻の奥がむずむずすると思った次の瞬間には放たれたくしゃみに、周りの人間からひんしゅくを買いはしなかったかと怯えるケイもまた、その雰囲気になじめず寝付けない人間の一人だった。
それなりに静かな部屋の中に反響したくしゃみに反応を返す人間がいないことを確認したケイは少しだけ体を起こし、周りの様子を確認する。
だいたい、四方に二十メートル、縦に五メートル。壁には無機質な白系の塗料が塗られ、どこか圧力を放っているようにも思われる。そんな部屋が、ケイたちが現在雑魚寝させられている空間だった。
夕食時間の終了後、命じられるがままにこの部屋にかれこれ五分ほどかかって連れてこられたケイたちの多くは、壁際に積み上げられた布団を回収して適当な場所に布団を敷くや否や眠りについてしまった。
一部の人間は消灯後も何かを話し合っているようではあったが、それもしばらくしないうちに日中の作業の疲れからか静かになり、跡に残ったのは不慣れな環境で寝ることのできない繊細な神経の持ち主たちだった。
かといってケイは、別段神経質な性質ではない。むしろかなり神経が図太いケイからすれば、昼間の仕事に疲れを覚えて早々にリタイアしてもおかしくない。
そんなケイが眠たいのを推してまでわざわざ起きているのも、
「…………なぁコウタ、起きてるか?」
サクラと分かれた後からずっと喋らなくなった、コウタのフォローのためだった。
「……あぁ、全く寝付けねぇよ。引っ越しの時に床で寝たのを思い出すな」
こうやって話しかければ確かに反応は返ってくるものの、その声音はどこか落ち込んでおり、普段の陽気さには欠けるのだった。
だからこそケイは、自分こそこの愛すべき馬鹿の機嫌をなんとかして直したいと思っている。が、ケイも別段エスパーではないし、人の感情なんて推し量れようはずもない。
結果として不器用なケイは、さっきのようにひとまずコウタが寝ていないかの確認をした後でふと会話が続かず苦労する、といったやきもきとした状況をさっきから繰り返しているのだった。
(会話……会話……っ! 何話せばいいんだよっ……!)
そして今回もケイはまた、そんな感じの状況を作り出そうとしていた。
「…………なぁケイ。俺たちさ、脱出できると思う?」
だから、そのコウタから唐突にそう話題を振ってきたとき、ケイの思考は一瞬硬直を余儀なくされたのだった。
そして硬直が解けたケイの思考が、今のコウタの言葉を咀嚼した後、やや時間をあけてから冷えた思考でケイはこう口にした。
「……はっきり言えば、きつい。あの人が言ったことにも、一理はあると思う。…………でも、諦めたくは、ない」
最後の一言は、本音が半分、コウタの考え方に自分が完全に反対しているのではないということを伝えたかったのが半分といった思いで付け足し、ケイはコウタの反応を待った。
「……俺も、諦めたくはねぇよ」
「…………」
黙ったままのケイにさらに畳みかけるように、コウタは続けて言葉を紡いだ。
「クリアしてないゲームだってある。読みたい新刊のラノベだってある。……彼女だって、欲しいし……」
ぼそぼそとしたながらも、ケイの耳に染みるような口調でコウタはそう告げる。
――だがそれは、どうしてもケイの心に入ってきてはくれない。
(……無理だ)
はっきりと、もしかしたら夕食の時にコウタの言葉に文字通り冷や水を浴びせたあの男よりも確信的に、ケイはそう実感していた。
連中は『魔法』という、こちらの知らない概念を使える。そのことを思い出すたび、ケイの思考から『脱出』という可能性の風船が縮ませられていくような錯覚に襲われるのだ。
だが、もう一方でケイにはコウタの言うようなことも理解できる。
結局、理屈で納得ができても人間は感情で動きやすい生き物だ。ケイにだって、日本にかえってやりたいことぐらいはいくらでもある。
どこかあっさりと諦めてしまってはいるが、わざわざこの世界で奴隷として使役され続けるなんてケイはごめんだった。
そんな矛盾した感情を抱いたままのケイは、コウタの言葉に半分しか共感できないでいたのかもしれない。
「…………脱出、絶対すんぞ」
「……おう」
だからこそ、そう言ったケイの言葉の重さも、眠さのせいではないレベルで空虚に響いたように感じられたのだった。




