第一章2 『○○として』
「――…………ぅ、寒っ」
半袖の裾からでた二の腕をかすめる寒風に意識を揺さぶられ、ケイは目を覚ました。
寒いのはどうやら気温だけではなく、自分が今横になっているつるりとしたなめらかな白い床も冷たく、ケイの体温を時間とともに奪っているようだった。
「――――ここ、どこだよ」
その床に手をついて上半身を起こすと、ケイの視界にはあり得ないものが広がっていた。
端的に状況だけを説明するのなら、それは『超巨大な神殿に大量の人が寝かされている』という状態か。
ケイが今いるここは、広い円形の広間のような場所の外周付近に、等間隔で華麗な装飾が施された白い柱が上へと伸びている。その柱の行く先をたどって上を見上げてみても、そこにあるのはこれまた流麗な装飾のなされた同じく白い天蓋のようなもの――
つまりケイの知識では『神殿』以外に形容できないこの場所には、ついさっきまでいたはずの、『ガルサームホール』の原型の影すらどこにも見あたらなかった。
そもそもで言えば、その柱の隙間から覗ける外の光景もケイの見慣れないものだ。
どうやら建物の周りを取り囲むようにして湖のようなものが広がっているらしく、ある程度の距離まで進むとそこから先は霧に覆われていてよく見ることができない。
気温がやけに低いことも含めて、こんな場所はあの『ハイドランパーク』の中のどこにも無かったはずだ。
「あ、そうだ、携帯…………げっ、なんだこれっ? 文字化けしてんのか?」
ケイがふと思いついてズボンのポケットから引っ張りだしてきたスマホは、ロック画面を出してみると完全に文字化けしたような謎の文章が羅列されているだけだった。
つい一ヶ月前に買い換えたばかりなのだが、もうこのスマホはあきらめる他ないだろう。
「はぁ…………って、あれ? 俺、よく考えたらなんかすっげぇ高い場所から落下してきたんじゃ……」
ふと大事なことを考え逃していたケイの思考が、ようやくその大事なことのしっぽをつかんだ。
意識が覚醒する直前のケイの記憶には、あの『ガルサームホール』がルージェスとかいう男の声とともに変形し、その中央に空いた穴に落ちていった時の様子がありありと焼き付いている。
あんな高所から落下なんてしようものなら、どうみても助かるはずもない。万が一生きていたとしても、とんでもない重傷を負っているはずだ。
そのはずなのに、今のケイの身体にはいっさいの異常は見あたらない。傷はおろか、服にも汚れ一つついてはいなかった。
「ってことはもしかして…………俺、死んだのか……?」
ケイの中で、今の状況に一つの解が見いだされる。これは、死んだ後の世界だと。
死因は高所落下。おそらく頭から落ちただろうから、一瞬にして脊椎がへし折られ、痛みを感じるまもなく死に至っただろう。このへんてこな場所も、話には聞いていたあの世というところならば、無傷なのもまぁ納得も行く。
「これが異世界転生ものだったらな、ここで神サマがでてきたりして『実はかくかくしかじかで……』なんて話でもするシーンなんだろうけどな……」
そう呟いてから自分の発言の馬鹿さ加減に気づき、誰も聞いていないにも関わらず恥ずかしくなってガシガシと頭をかくケイ。
「っと、そうだ、コウタとサクラも起こさなきゃ……」
そこまで言ってから、ようやくケイの傍らで眠る二人の友人に意識が行ったらしい。
「おい、コウタ、サクラ、起きろって……」
二人を揺さぶってみるが、なかなか二人が起き出すような様子も見られない。一つため息をついたケイが意を決してコウタにビンタをかますと、それでようやくコウタは目を覚ました。
「…………んぁ、ケイ……? 今、何時だ……? 俺、毎週欠かさず見てたアニメがあるんだよ……」
「なんで録画しないんだよ……。ってか、時刻はわからない。まず、ぶっちゃけここがどこかもわからないような状況だ」
「ふぁ? なにそれ、ここはどこ、私は誰? ってか……」
「私は誰? はねぇだろ。とりあえずまぁ、身体起こしてみろって」
「ん、ぁあ……」
そう言ったコウタはゆっくり身体を起こし、しばらく眠そうな表情で頭をがしがし掻いてから目を二、三度しばたかせ、そしてようやくその目を最大限にかっぴらいた。
「え…………なに、これ?」
「わからない。もしかしたら俺たち、もう死んでるかも」
コウタはしばらくへたりこんだままケイがそうしたように周囲の光景を見つめていたが、やがてとたんに情けない顔になるとケイの方に向きなおり、今にも泣き出しそうな声を上げた。
「ケイ……どうしよ……俺のパソコンに取り残したDが一個足りない女の子が……女の子が…………お袋に見つかったらどうしたら……」
「……なんで真っ先にゲームの心配ができるんだよ、お前は」
寝起き早々なにを言い出すかと思えばとため息をついたケイだが、普段通りと言えばあまりにも普段通りなその会話を経たおかげで思考がやっと通常運転を再開し始めた。
「ってかこれ、どんだけ人がいるんだよ……?」
「もしかしたら、あんときあのホールにいた人間、全員いるかもしんないな」
神殿の地面になっている円は、だいたいの半径がガルサームホールより一回り小さいくらいだろう。かなりの人口密度を誇るその地面には、確かにあのドームにいただけと思えるような数の人が寝そべっていた。
「――って、あ、そうだ、サクラを起こさなきゃ」
「うん? なんだ、サクラもまだ寝てんのか」
「っつか、俺達以外の人間はまだ誰も目を覚ましてないっていう方が正しいかな」
その言葉に軽く驚きを覚えたのか、コウタはあたり一面を見渡して今まで何気なく目に留めていた人たちがまだ目を覚ましていない事実に気づき、「マジかよ……」と息をのんだ。
「これって、まさか、みんな死んで――――」
「いや、呼吸音が聞こえるからそれは多分ない。何人かはわからないけれど、少なくとも生きている人はいる」
「――――っ、サクラはっ!?」
そう叫んだコウタはあたりを見渡し、すぐに自分達がそうだったように群衆の中でほかの人間と同じように床に寝そべるサクラを発見して慌てて駆け寄った。
「――サクラ! サクラっ!」
「コウタ、あんまり揺らすなって!」
そういってサクラを揺さぶるコウタの元にケイが駆け寄って忠告すると、コウタはそれで我に返ったのかはっとなってケイの方に振り返った。
「わ、悪ぃ、俺…………」
「――――…………け、い? こう、た?」
「サクラっ!?」
空気に溶けるようにして消えかかっていたコウタの語尾を継ぐようにして、サクラがうめく。
「サクラ、大丈夫か……?」
「う、ん、まぁ、なんとか。……って、私、あれ?」
コウタの腕に抱き抱えられている。その事実をサクラが把握するのに、サクラが意識の焦点を合わせるためにかかった時間はさほど長くはなかった。
「こ、こ、こっ……」
「こっ? 鶏かなんかのモノマネ?」
……間抜けにもそう返したコウタの顎は、その次の瞬間に盛大に打ち抜かれることになる。
「コウタっ、なにどさくさ紛れに私をだっこしてんのよっ!?」
「いや待て、俺はただおまえが無事か確かめたくて――っ」
「問答無用っ! とっとと死ねぇえええっ!」
「だから俺はッぶがごっ!?」
コウタの腕に抱えられたサクラの華奢な腕から放たれた見とれるほど綺麗なストレートは、両手がふさがっているせいで防御のすべを持たないコウタの顎を吹き飛ばし、かくてその意識を刈り取ることに成功したのだった。
コウタは何も悪くない。強いて言うのなら『どうせならちょっと意識している人に抱き抱えられたかった』というサクラの乙女心を理解できなかったのがまずかったのだ。
「サクラ、おまえ相変わらずだな……」
そしてそのサクラの心情を理解しないもう一人の鈍感男がそうあきれた口調で告げると、サクラは「やっちゃったっ!」と二重の意味で顔を赤らめてその場に崩れ落ちたのだった。
◆ ◆ ◆
「私たちは死んで、ここが死後の世界ね。まぁ確かに、そうなのかもしれないけれど……」
「しれないけどって、なんか気になるところでもあんのかよ?」
熱でもあるのではというくらいに赤面して混乱していたサクラが落ち着いてから数分後。
意識を取り戻したコウタを交えてだいたいの現状の推測を聞いたサクラは、コウタとは違ってやや懐疑的な反応を見せたのだった。
「ここは死後の世界っていうとこがね。覚えてるかはわからないけどさ、さっき話していた男……あいつ、一番最初の演目って言って『異世界旅行』なんて言ってたじゃない。覚えてる?」
「異世界旅行……?」
「そ。ケイはなんかあわててたみたいで聞き逃したかもしれないけど、あのオッサンはそんなこと言ってたのよ。だからこれ、もしかして死んだ訳じゃなくてさ、いつもコウタがうるさくしゃべってる『異世界モノ』ってやつなんじゃないの?」
「え!? なに、じゃここ異世界なの!?」
「や、そりゃねぇだろ……」
ここが異世界。その可能性は今さっきケイも軽く検討し、そして真っ先に切り捨てたものだ。あれはフィクションの話であり、空想世界の産物。そんなものを自分達が実際に経験するなど、あまり考えにくい。
「あれは話の中のことだって? でもさ、そっから言ったらここがあの世だって可能性も、どこにも否定できない要素があるわけじゃないよ?」
「うーん、そうかな……」
そう言って眉値を寄せるケイ。ケイからすれば、確かに異世界という都合のいい世界は楽しくとも、それが現実にあるものだとはとうてい思えないのだった。
「まぁまぁ、んなこたどうだっていいじゃん! だって考えてみろよ、異世界だぞ!? トリップ、召喚、転生だ! ここから俺らの輝かしい異世界ライフが始まるんだろ!?」
「いいねぇコウタは、ほんとお気楽で」
「俺もこんなに楽天的になれたらいいんだけどなぁ」
やや皮肉げにそう告げる二人の声も、テンションがハイになった今のコウタには届かない。さらに声を張り上げ、自分の考えを熱弁していく。
「異世界っつったら、あれだろ? 妖精がいる、エルフもいる、ケモ耳っ娘もいる、魔法と剣の世界だろ! そんなのがこれから始まるかもしれないってのに、テンション下げてられっか!」
「異世界にもいろいろあるって言ったの、アンタじゃない」
「じゃ、俺たちはさしずめチート全開の勇者サマってか? じゃそろそろ、そのチート能力をくださる神様にご登場願いたいものだな」
いよいよ歯止めの利かなくなってきたコウタを制するようにサクラが半眼で冷ややかにツッコミを入れ、ケイがいよいよ皮肉全開でそう告げた。
――――その、瞬間だった。
『――神様、か。確かに君たちからすれば、私はそんな存在に見えるかもしれないかな』
「――――ッ!?」
拡声機器のようなものは周囲には見あたらないのに、突如虚空から降り注いだその冷徹な声はケイ達の鼓膜をビリビリとふるわせた。
『まぁこんな殺風景な場所だ、死後の世界と思ってしまうのも無理のない話だろう。だが安心したまえよ、いずれ君たちはすぐにでもそこへ行くことができるだろうからね』
「お、お前は――――っ!」
その声に含まれる、無限の狂気。底なし沼にも似たそれに記憶を触発されたケイがそう声を絞り出すと同時、ケイ達のいる神殿に暴風が吹き荒れ始めた。
『手荒い歓迎であったことは自覚しているが、まぁなんだ、これから私の僕になるモノ達には話もあるしな。うん、面倒だが起こすことにしようか』
そして暴風はケイ達からやや離れたところにある、とある一点に収束していく。
その中心に、ドームで記憶が途切れる寸前に見たものと同じ魔法陣のような光の筋を見たと思った瞬間、神殿内を轟音を伴って雷光が駆け抜けた。
「うわあああああっ!?」
「うぐううううううっ!?」
「なに、これっ!?」
蛇のように神殿の床を駆け抜けたそれは床に倒れ伏していた人間を残さず襲い、悲鳴を上げさせてその意識を強引にたたき起こす。
ケイ達にも当然降り懸かったその雷に打たれて全身を痺れさせるケイ達がうずくまると、それを見届けたように神殿内に吹き荒れる風と雷がなりを収める。
さっきまでの沈黙にうってかわって数千人のうめき声が支配する神殿の中に、コツコツと硬質なブーツの音が反響した。
痺れる体を懸命に起こしてケイがその音の出もとを見れば、そこにたたずんでいた人物が、今度は肉声でケイ達に向かって言葉を発した。
「衝撃はあってもダメージはないよう、威力は調整してある。さぁ歓迎しよう異世界人、我らが剣と魔法の世界へ。――――奴隷として、ね」
その言葉に、コウタが口にしていたほどの魅力的な響きなどありはしない。直後に続けられた文章がすべてを打ち消しにしているからだ。
『奴隷として異世界に迎える』。その言葉の意味も分からないほど、ケイも異世界小説を読んでいなかったわけではない。
「この、野郎……っ!」
満足に回らない舌でそれだけなんとか紡ぎ、ケイはスーツに身を包んだ狂人――――『ハイドランパーク』責任者、ルージェス・ハイドランを睨みつけた。




