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「サイテーですね」
私が話を終えた途端、彼女は冷たくそう言った。
私が「サイテーだよ、本当に」と自嘲気味に笑うと、彼女はもう一度「サイテーですね」と先ほどと同じ口調で言った。
私は前を向いて遠くの空へ目をやった。やっぱり青空しかなかった。
たぶん私と彼女しかいない世界。二人が黙ると本当に静かで、話しているときに気が付いたのだが足音は私のところからしかしていなかった。たぶん彼女がホログラムなのだからだろう。風も吹かず足音しかしないのどかな世界。それでも脳みそはこの静けさを嫌うようで、私の頭の中にはいつの間にか音楽が流れていた。― 小さい秋、小さい秋、小さい秋見つけた…… ―
「で、その後どうしたんですか?」
音楽は止まり、私は彼女の方を向いた。彼女と私の間には約三歩分のすき間があったのに、視線を合わせて話すことが辛くなって、私は顔を青空の方へ戻した。
「どうもしない。あの話で終わり」
「謝らなかったんですか?」
私は「そう」とだけ言った。彼女は「ええ!?」と驚くとすぐに声を怒らせて言った。
「どうして謝らないんですか!? 謝らないといけないことですよ、それは」
そんなこと言われなくても分かっている、と私は言い返したくなった。言われなくても分かってる。けれどもそれが出来なかった。
「そうだよな」と私は息を一つ吐いた。
「今すぐにあなたは謝るべきです。あなたは」
「もう十年以上も過ぎていることだよ」
「電話を貸してあげますから、今すぐ謝りましょう」
彼女はどこから出したのか分からないが、いつの間にか右手に携帯電話を持っていた。
「はい、一昨日やっと手に入れたんですよ!」
黒い小さな携帯電話を渡された私は、PHSと液晶画面の左上に小さく書かれているのを発見して「これが携帯?」と彼女に言った。
「最新ですよ」と彼女は自慢したそうに言ったので私は否定することはせず、それを彼女に返そうした。彼女は受け取ろうとせずに、不思議そうに私を見つめた。
「何で返すんですか。ほら、謝らないと」
「いや、彼女の電話番号を知らないんだ」
「何ですか、それは!」
本当のことだった。ミニ四駆を壊してしまった翌週に彼女は転校してしまったのだから。その頃は携帯電話なんて小学生が持てるものではなかったし、PHSが未だに主流でもあった。
「あのですね! そんなことを続けていたら見えるモノも見えなくなってしまいますからね! 知ってますか!? 本当は目が良かったのに穴ぐらの中にずっといたから目が見えなくなってしまったモグラの話を!」
いつの間にか私の手元からPHSが無くなっていた。落としたかと思って足元を見て、後ろも振り返ったが落ちている物は何も見えなかった。
「なに後ろを向いているんですか」
「いや、君の携帯がなくなった」
「ええ!? なにしているんですかあ!!」
叫んだ彼女は一瞬だけ動きがストップした。
「まあ、いいです」そう言って何もなかったかのように彼女は歩きだした。
「え?」私は驚いて「いいの?」と聞いた。
「いいです、いいです。それよりも解決すべきことは、あなたが見てしまった色盲検診のバグについてですから」と言って笑顔を見せた。
私が「いいのか?」と言うと、顔の前で「いいです、いいです」というふうに手を左右に振った。
「ホログラムですから。優先順位は大切に、っていう思考をしてしまうのですね。
はい、それよりもモグラの話、でしたね。知ってますか?」
「知らない」というと、彼女は「ではお話いたしましょう」と言って咳払いを一つした。
そして彼女は話をし始めたのだが、一言目から言葉が分からなかった。どうやら日本語ではなかった。英語でもない。聞いたことの無い言葉、ついに彼女が壊れたかと思った。全く分からないということを伝えようとした私だったが、表情豊かに話す彼女にそのことを伝えても、どうせ彼女とはこの先二度と会わないだろうし、入院中のジジババ共に死の宣告をするような行為にも思えて気の毒に思ってしまったので、私はそのまま彼女に話させることにした。彼女はテンポよく話すので、それがまた妙に心地よかった。
BGMのようなものに彼女はなった。
私はそのBGMを聞き流しながら、私はあの時のことを思い返していた。
どうして私は謝らなかったのか。いや、その理由はなんとなく分かっている。怖かったからだ。全ての責任を押しつけられることではなく、二度と彼女が私に振り向いてくれなくなるのではと思ってしまったから。ちょっとの損傷だったら、彼女はそれを修復できる腕もあったし、私は謝っていたのかもしれない。
そう、修復不能まで壊した誰かがいたせいで、私は謝れなかったのだ。
でも、じゃあ誰がミニ四駆をあんなにぐしゃぐしゃにしたのだろう。ぐしゃぐしゃになっていなかったら、私はいつか、いやすぐに謝りに行くつもりだったのに。
でも、謝れば済む問題だったのだろうか。
いまから謝ってももう遅い。彼女がいなくなったその日、学校の図書室で犯罪事件の時効成立の期間を調べようとして結局分からずじまいになり、『人の噂も七十五日』ということわざを信じたあの頃が懐かしい。
確かに七十五日経てば誰もミニ四駆のことは言わなくなった。代わりにカードゲームが流行った。カードゲームで遊んでいるときはあの時のことは忘れられたけど、遊び終わって一人になると、急にはっと思いだすことがあった。そして思った。彼女も七十五日経ったので忘れたのだろうか、と。
でも、私のことを忘れられるのは嫌だった。都合の良いことだけ忘れてほしい。
そんなことを考えては一人で落ち込んだあの頃が懐かしい。今ではもう、思い出しては笑うしかないような思い出になってしまっている気がした。




