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脳内パンク寸前  作者: 朝比奈和咲
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10月2日 誤字修正致しました。

ご指摘して下さった方、ありがとうございました。

 たった数分だけ歩いた私は、新鮮で奇妙な体験をした。

 まず、誰にも会わない。車も自転車も、三輪車に跨っている誰かにも会わなかった。遠くにそのようなものも見えず、何度か振り返ってみたけどやっぱりいなかった。こんなこと都会では絶対にありえない。その静けさが心地よかった。

 けれども、草原で蝶が飛んでいるのが見えた。私はその蝶を捕まえに行こうかと思い、そっちへ走りだそうとした。すると、その蝶は、まるで私がそっちに行きたかったのを知ったかのように、というより私がアスファルトの道からそれないように、見えた、だから、その蝶はすぐに私が進むべき道の方へ飛んで行った。

 それを見たとき、私はその蝶を追うことを止めて、その蝶もまるで私が追うことを止めたのを知ったかのようにユウユウとヒラヒラと舞いながらアスファルトの先へ飛んで行ったり来たりした。その蝶はとても不思議な羽を持っていて、左側の羽が赤色で右側の羽が緑色だった。使い古したクレヨンのような、黒ずんだ赤色と緑色の羽で、真っ白な蝶の塗り絵に子どもが僕の好きな赤と緑のクレヨンを使ってきちんと塗りつぶした、そんな感じだった。

 一度だけ蝶が私の鼻の頭に触れるのではないかと思うぐらいのところまで飛んで来た。そこで私はこの蝶の羽にも模様があることを知った。『◎』の模様が黒色の極太マジックで書かれたように、左右の羽に大きく一つついていた。その模様を見て、僕は、中学の頃に胸を締め付けられた、あのヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』という小説を思い出した。

 主人公の少年は小学生の私だと思った。少年が友人から盗んで壊してしまったものは蝶の羽ではなくミニ四駆だったけど、やったことは少年とたいして変わらなかった。もう一つ、違うことを言うとすれば、思いだしたくもない、私が未だにこのことを隠しているということだ。そして、その友人は私の初恋だったということ。


 友人が公園にミニ四駆を持って来たのが間違いだったとすれば、あの事件の最初の犯人は私だけど、原因を作ったのは私ではなく、ミニ四駆を壊された友人だとも思った。限定品のミニ四駆を見せびらかしたくて公園に持って来た友人が馬鹿なのだと思い込んだ。そんな理由であのとき、私は私から逃げた。自分の思う理想的な私から、誰もが楽に憧れる自分へと逃げた気がして、それは山の上流から流れて来た水が、いつの間にか中流付近で他の排水溝からの汚れた水と混じり合って、やがて全てを混ぜ込んだうやむやなまま、全てを見ずに、水に流そうとした。こんなつまらないシャレを子どものころは思い付くこともなかった。子どもの頃は、このことを忘れたくて、いつも腹と股の間らへんをモジモジさせていた。そして、意外と忘れることは早く、全てはうやむやになった。誰もミニ四駆に興味を示さなくなり、代わりにカードゲームが流行った。

 私はその友人をヤモと呼んでいた。ヤモが大事そうに持って来たそのミニ四駆を、私は公園の広場で友人たちと鬼ごっこで遊び始めたときに、ヤモがそのミニ四駆をベンチの上に置いたから、私は少し脅かしてやるつもりだったんだ。そのミニ四駆を持ち去り、僕は鬼から逃げるために草むらへ隠れようと向かった。けれども、目印に黄色い帽子をかぶっていた鬼が思ったより私を見つけるのが早かった。私は鬼から逃げるため以外の理由もあって力の限り逃げた。けれども、鬼は早い。それでも私は逃げ切った。息を切らしながらミニ四駆を見たら、フレームの尖っていた部分が欠けていた。それがこのミニ四駆の特にかっこいいところだった。

 両手から汗が滴り落ちて、背中には寒い感じを受けた。切らしていた息が止まりそうになって、必死で呼吸を抑えようとした私がいた。太ももぐらいの高さまであった公園の草木の中にしゃがんで隠れて、鬼のことなど忘れていた。その場所は草木が生い茂る中に細い道ができているところもある場所で、細い道を上手に選べば子どもなら通れるところもあった。私は、そのミニ四駆を生い茂る草木のところに投げ捨てた。草木は堅く、ミニ四駆は見えるところで引っかかり、私は神さまを呪う言葉を吐いた。別に神さまを信じていたつもりはなく、腹痛のときにトイレで神さまに許しを請うくらいの信仰心だった。けれどもこのときは、自分の不運と同時に神さまを呪いたくなった。

 私は枝葉を膝やふくろはぎにくい込ませながらもそのミニ四駆のところまで行って、何度か痛い思いをしたのだけど、そんなのどうだって良かった。ミニ四駆のところまでやって来ると、遠くの背後から誰かが私を見つけた声が聞こえた。振り向いたら黄色い帽子をかぶっていて鬼だと分かり、しかもそれはヤモだった。ヤモに見付かったとき、言いようも無い恐怖が私を襲った。全てを失いそうな気がした。もしミニ四駆のことがばれたら、私はヤモに嫌われたくなかった。

 私はそのミニ四駆を手に取ってさらに遠くへ投げ捨ててから、そして私はそのミニ四駆が見えないところに落ちたのを確認して、このときばかり自分の悪運を祝ったことはない、あとで私は車にひかれても死なないのは私のような人間なんだ、と考えてしまったくらい、そして私はさっさと、細い道を上手に通って行って、さっきよりは快活な気分で鈍足な彼女から必死で逃げ切ったのだった。

 ヤモの悲痛な泣き声が聞こえたのはそれからもう少し経ってからだった。胸にその泣き声が刺さった。

 もちろん、私は鬼ごっこのときにミニ四駆のことを忘れてはいなかった。あのミニ四駆が永久に、いやとりあえずみんなが帰るまでは見付からないでほしいと思っていた。誰かに盗まれたことにしてほしかった。そして、私はしばらくあの場所に近付かないように、鬼ごっこを楽しんだ。走っていたときしか、忘れる事ができなかった。だから、楽しめなかったのかもしれないし、けれどもあんな気分はあの時以来、もう味わうことも無い気がする。

 ヤモの泣き声が聞こえたとき、私は一目散に彼女の元へ走って行った。そこはちょうど私があれを投げ捨てたところだった。そこは草木があまり生い茂っていない乾いた黒土の地面がよく見える場所だった。

 ヤモのところへ着くと、彼女はバラバラにグシャグシャに踏みつぶされたミニ四駆を見て泣いていた。セミの鳴き声が全てかき消されるほどの大きさで、黒土の地面は彼女の涙によって湿って変色していた。両目から流れる涙を腕で拭う彼女は、はっきり言ってかわいそうだったけど、でも私は彼女に声をかけることが出来た。たぶん、普段だったら声をかけなかったかもしれない。私は彼女に起きた不幸を予め知っていたから、だから声をかけられたのかもしれない。

 ヤモは何も語らずに私を見てさらに声をあげて泣き叫び続けた。やがて追いついたみんなも泣き喚く彼女を見て戸惑ってばかりだった。私が彼女をとりあえずそこから連れ出そうと手を引っ張ると、彼女はそれに素直に従って、まるで逮捕された犯人のように目頭を抑えながら首をうなだれて私について来た。

 置き去りにされたミニ四駆には初めはだれも触ろうとはしなかった。犯行現場はそのまま残す、という暗黙のルールにみんなが従っているわけではない、誰もが何かを考えていた。そのミニ四駆に何があったのか、私は確信していた。私だけでなく、他の誰かも、このミニ四駆にイタズラをしようとしたのだ。その結果、― 私より残酷に破壊した! ― 共犯ではなく仲間がいると私は思った。私はこの時、ヤモに詫びることではなく、隠し通すことが今は賢明なのだと勘違いをした。それが、とりあえず私と彼女の友情を守る、嫌われずに済む方法なのだと思った、思いたかった、そう信じようと手に汗を握った。

 もし、誰かが彼女に謝ったら、または犯人が捕まったら、その時にでも私も謝ることにしようとした。公園には私たちしかいなかったのだから、私以外の誰かが無残にも破壊したのだと私は確信していた。

 しかし、その後になっても誰も名乗り出なかった。私は、なぜか犯人が恨めしく思うも内心同情もした。やがて彼女以外の私たちは一団となって彼女を慰め合った。それは美しい友情のようにも見えた。彼女もすぐにミニ四駆について喋らなくなった。ミニ四駆のことは彼女の前で話さないという暗黙のルールが出来た。私を除く全てのみんなが、犯人に対して怒りをあらわにしていたけど、誰も犯人だとは名乗らなかった。

 ミニ四駆は埋葬された。穴を積極的に掘ったのは私だった。ヤモはベンチでうなだれていた。ヤモの隣に二人いた。ヤモに告白されたという友達と、ヤモと仲の良い女の友達。二人とも、ヤモのことを慰めているようだった。

 私はそれを遠くから見ていることしか出来なかった。

 月日が過ぎて、気が付いたらみんな新しく発売されたカードゲームに夢中になっていた。わたしもそうだった。ミニ四駆は忘れ去られていた。

 私が希少なカードを失くしたときに、私は泣いた。泣きながら家に帰ったとき、お父さんに「失くす方が悪いんだ」と言われた。それ以来、私は、何か夢中になって集めることがバカバカしくなって、そんな物にお金を払うことを止めた。

 それから六年後、中学三年生のときに私は国語の教科書で『少年の日の思い出』に出会った。先生が授業中にこの小説を音読する。

 当時の記憶が鮮やかに蘇っていった。何やってんだよ、少年、盗んですぐに謝れば良かったじゃないか。私が心で思った言葉がそのまま私の胸に響いた。

 胸が苦しくなった。先生は私のことなど知らず淡々と読み進めて行く。

 その教室に彼女の姿はなかった。

 彼女は犯人を知らぬまま事件当日の翌週になって急に遠い何処かへ家族と共に引っ越しした。

 私には一言も残さずに、あんなに仲が良かったのに何も言わずに消えてしまった。

 学校から転校したとき、もしかして、私が盗んだということを彼女は知っていたのではないかと思った。二度と私と口を聞かないと彼女が心に決めて去ったのではないかと想像して目の前が真っ暗になり、誰にでもいいから自分のしてしまったことを打ち明けたくなった。けれども、それも怖くて出来なかった。嫌われるに決まってる。全く知らない人でもいいから、私の話を聞いてほしいと何度も願った。そして答えでも慰めでもなんでもいいから欲しかった。

 六年経っても思い出は消えなかった。まるでヤモに呪われたような気がして、でもヤモのことを憎めない。私がやっぱり悪かったのだから。盗まなければ良かっただけ。バラバラにした奴は未だにその記憶を覚えているのだろうか。そうだとしたら私と同じように苦しんでいるのだろうか。それでも平然として生きているのなら、呪ってやりたい。

 もうみんなミニ四駆のことは忘れているだろう。覚えているのはたぶん私だけだ。

 そう思うと、いつまでも過去を気にする自分が馬鹿らしくなって悲しくもなった。でもせめて彼女だけはミニ四駆の思い出を忘れていてほしい。いつか再会したときに、私も彼女もそのことを忘れて話が出来ているといいなと願っていながら、いつの間にか授業は終わっていた。



 そして、私は大人になった今、私はこの蝶を見てそんな過去を思い出していた。

 私は歩き続けることにした。


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