スパイスカレーは恋の味
さぁて、いつの時代の王様の御代であったでしょうか?
遠い遠い異国のお話しです。
とにかく果てしなきウーンとウーンと遠方に、暖かくて賑やか〜
ワイワイガヤガヤ活気と交易でうんと栄えた国がありました。
たいそう美男子の徳高き王様と国1番のお美しさで誉れ高きお妃様の間には、それはもぅ愛らしくて気立ての良いお姫様〜
キラキラ夜空に輝く星の如くに、それはもぅお美しいお姫様がお一人いらっしゃいます。
お姫様の御名前は「ナジマ」〜星を意味する名前です。
王様一家が愛するナジマ姫は左大臣の子息と仲良しです。
貴公子は大層すばしっこい事から豹を意味する「ファハド」と、幼名から転じ18の成人の儀式で賑々しく盛大に改めて命名されました。
姫は、身のこなしが敏捷で美しく賢く強い幼馴染みと相思相愛、誰しもこの初々しい恋人達を温かく見守っておりました。
二人は許婚、このまま夫婦となると誰もが疑わなかった、そんなある日の事
いよいよ国中が祝福をする、待ちに待ったナジマ姫の華やかなご婚礼が控える時分に大きな悲劇が王宮を襲いました。
ナジマ姫が突如原因不明の重病におかされたのです。
姫の明日をも知れぬ重篤さに、国王夫妻は嘆き悲しみ、王宮は悲しみの涙に沈みました。
「誰か姫の病を治せる医師は居ぬのか!」
ありとあらゆる最高の医療技術が試され、高価な薬湯が浴びるように用意されましたが一向に効きません。
努力を余所に、病はアレヨアレヨと美しい姫君から生来の星の輝きを奪い去っていきました。
そんな病床のなかでした。
姫は目を潤ませしっかり手を握る片時も側を離れないファハドに向かい〜
細く切れ切れの小さな声で「ばあやのカレーが食べたいの」
か細く、ささやかなお願い事をなされました。
しかし聞いた皆はビックリ仰天、もれなく顔を引き攣らせました。
姫のいう「ばあや」というのはお母上様が、お輿入れの時も生国から付き添ったという腹心の侍女です。
とても料理上手。
調合した特製スパイスカレーを一口、口に入れれば誰しもニッコリ♡
ふわーんと気持ちがトロットロ、幸せの特別の極上カレーでした。
そのカレーは彼女でしか作れません。
皆が挙って、手取り足取り秘伝通りに〜
大理石の乳鉢でセッセと、幾ら堅いスパイスを突いて砕いて料理しても全然駄目
しかし皆が驚いたのはそこではなく、実に真っ当な、悩ましい大きな理由がありました。
「ばあやはもう引退して、確か〜
故郷の高山にある小屋に隠遁しているはずよ?
詳しくは実家の兄にアレコレ聞かなくちゃ解らないけれど……
彼女は姫がまだお小さい時にお別れしたのだけれど……
既に90を楽々越えていた筈よ?
果たしていまだ存命でおられるかどうか……」
「だから行っても無駄だ」と、大いに引き留められましたが、彼は一縷の望みに人生を賭けてみようと決心しました
「では私が姫のお願いを絶対に叶えて貰えるようにお願いしに参ります」
キリリと強い意思の瞳
王宮の皆は涙が隠せませんでした。
一番姫を愛しているのにーーー!
そんなの愛する人の最後のいまわの際の、大切なお別れに立ち会うことが出来ないに決まってます。
しかし勇敢な、姫を愛するファハドは怯みません。
「皆々様、私の旅の経過は、誉れ高き宝石の名前をつけられた優秀な伝令の六羽の鳩達に託します。
彼ら〜
ダイヤモンド号、エメラルド号、パール号、ルビー号、サファイア号、クリスタル号に我が私信を預けます。
ですから決してご心配なきよう!
姫様は私が帰ってくるまで待っていて下さいますか?」
「勿論ですわ」
「おやくそくですよ!」
二人は目と目を見合わせて、ニコッと微笑みます。
こうして恋する若者は心配する大勢の見送りの人を背に、忠実な侍従一人を従え六羽の鳩と共に国を旅立ちました。
「お坊ちゃま、ではこの客船にお乗り下さい」
「うむ」
侍従は素速く手続きをしました。
巨大で見上げるような大型帆船へ、万全に周囲へ眼を光らせながら気を配り、主を船室に案内します。
これは路銀として懐に大枚を隠し持っている以上、いつ何時、賊に襲われるやも知れないからです。
「お妃様の生国〜
『山脈の国』にはいつ到着だ?」
「今からの行程〜
先ず『海の国』に渡ります。
その後『岸の国』『熱砂の国』『平原の国』、つつがなく通過してからです」
「そうだな」
広い船室内は揺れるものの清潔で、ファハドは大切な旅の仲間である鳩達に餌と水を与えました。
「お前達が頼りだからな」
優しい微笑みと共に、指先で小さな勇者達のモフモフの羽毛をかきかきしてやりました。
すると運命を共にする六羽の鳩〜
強靱な脅威の身体能力を持つ、足が太く頑丈で逞しい筋肉の強い翼の鳥達は誇らしげに胸を反らし
「任せて下さい!」
〜クルックーと大きく喉笛を鳴らしました。
「海の国」は遠浅の湾内の泥に木杭を大量に打ち込み、人々のたゆまぬ創意工夫にて造られた海洋国家です。
喫水線の深い帆船では船底が砂と泥にめり込み座礁してしまう為、一旦は安全な沖合いに停泊致します。
ですから旅人達は皆早朝、入国の客達目当てで迎えにやって来た、形状はどちらかといえば平べったい細長い船であるゴンドラに、おっかなびっくり乗り移るのです。
朗々と心地よい舟歌を聴きながら、ファハドは故郷に残して来た、重い病の床にある恋人を思い、ついシンミリしてしまいます。
船頭の巧みなオール捌きで危なげなく、浅瀬に海流渦巻く怖い難所を越えると目を奪うロマンティックで素晴らしい風景がいきなり現れました。
朝霧がゆっくりと晴れ、次第に接近するに従い美しい海の国の表玄関の全貌がフワリ見えてきたのです。
ぱぁっと早起きのカモメたちが一斉に、白い花吹雪の様に飛び立つ様。
チカリと高い尖塔。
窓ガラスに太陽の光を弾き、えも言えぬ幻想的な情景を次第に目の前に披露し始めます。
言葉も無い程、荘厳でただ美しい光景でした。
『元気になった姫と必ず訪れよう』
この美しい光景を必ず絶対に二人で見るのだ!
ーーーーギュッと拳を握りしめ、強く心に誓ったファハドでした。
というのも、彼は海の国境を越える少し前の刻に姫に手紙をしたためたのです。
ファハドは一番身体の小さなクリスタル号の、足に結わえた金属製伝令管に丁寧に挿入しました。
末尾に「愛しているよ」
さり気なく、だが心を込めて一筆付け加えます。
「確かに高速で飛ぶことが得意、身軽なこの子でしたらば、まだここからなら、体力にも決して無理が無いでしょう」
「ああそうだ」
準備万端の先鋒一番槍、命運を託されし鳩クリスタル号
心の優しいファハドと賢き侍従が見守る中、鳩はブンッと馴れない海風に煽られながらも、勇ましく強く翼を広げ果敢に飛び立ちました。
クリスタル号はクルリと一周〜
強風せめぎ合う上空を旋回した後、真っ直ぐに高く高く懐かしい故郷目指し飛んで行きました。
ファハドと侍従達は『山脈の国』に辿り着く前に『海の国』『岸の国』『熱砂の国』『平原の国』
〜物見遊山の観光では無いので「目的」、数多のザッと十種類以上、山の如くの種類のスパイスを各国、大急ぎで買い求めました。
「どうしてか?」といいますと、生産地、鮮度、何もかもがバラバラだからでした。
当然かぶる物もありましたが、山脈の国で隠居したばあや様が如何なる品を好むかまるで解らない為、資金を出し惜しむ訳にはまいりません。
中には重量と同じ分の黄金を所望する、法外な値段を商人が求める香辛料もございました。
ファハドはそれでも交渉の後、最高の物を自分達の足で探し揃えました。
それもこれも、全ては真実の愛あればこそです。
本音では今すぐ国に帰り、恋する姫君の床に駆けつけたい気持ちでしたが必死に心の痛さ辛さに堪えました。
正に断腸の思いで、切なさと苦しさとやるせなさと涙をこらえ、粛々と冷静に各国を訪れます。
さて『岸の国』では馬車をチャーター、恐れ知らずの御者の元で、体の中身全てが掻き回され揺れる程のガタゴト荒れる街道を猛スピードで駆け抜けました。
ファハドと侍従は『熱砂の国』では砂漠、或いは表土が硬いが砂埃がモウモウと酷い土漠を行きました。
ここでの交通手段の主流は動物のラクダです。
この普段ノンビリとした生き物はイザ気分が乗り走り始めると強い生き物です。
それはもぅ馬並みに、バチバチの砂塵を長い睫毛で物ともせず、長い頑丈な四肢を蹴立て猛スピードで突き進みます。
「お客さん達凄いねぇ」
「たまげた、本当にお二人さん初めてかい?」
〜つまり辣腕のラクダ商人に目を丸くされた程の乗り手でした
主従は共に、乗り手がへぼで気に入らねばペッ!
容赦なくクッサイ唾を引っかける、気位が高く気性の荒い動物を悠々自在に乗りこなし猛然と進みました。
ですので『平原の国』の、鋼鉄の如しの強き足腰を誇る天馬を相手の騎馬など容易いことでございます。
海の如しの大草原を風の如くに疾走、丸いテント式の住居を構える平原の民である遊牧民の、点在する集落を換え馬をしながら縦断。
そしてとうとう、一応の目的地であるお妃様の生国、屏風のような山山の麓〜
彼らが未だかつて見たことも無い広大な山稜がそびえる御国へ到着致しました。
「漸くついたな」
「ええ、お坊ちゃま」
既に籠の中の頼れる鳩達は、「残り一羽」
〜最も体が大きく持久力が素晴らしい、両翼を支える筋肉が頑丈なダイヤモンド号のみでありました。
つまり王宮鳩舎選抜メンバー内でも、とっておきの翼です。
最後のこの鳩には、重大な任務が期待されています。
「急ごう」
直ぐさま、先ずは先触れをたてると、彼等もお妃様の兄者が治める王宮に足早に向かいました。
「いやよくお越し下されました」
砂まみれのご様子から、王の御前に最低限たてる恥ずかしくない身なりに手早く整えた二人は王宮に到着。
恭しく祖国の国王様からの推薦状を差し出すと、直ぐに至宝の貴重な木材で内装を埋め尽くされた宮殿深部に案内されました。
出迎えの王国の主、お妃様の兄君は目尻を下げ、大いに稀人を悦びます。
「コレへ!」
パンパン威勢良く柏手を打ち、太っ腹にも直ぐさま美食のズラリ並ぶ宴席を設けることを家来に命じます。
新たに通されし特別な大広間には、立派なぶ厚いフカフカの絨毯がビッシリ敷き詰められ、太い柱や梁には手の込んだ彫刻が優美にあしらわれています。
「素晴らしいな」
「ええ全く」
生まれて初めて目にするエキゾチックな彫刻に目が奪われます。
滑らかな身体の線が美しい天女の彫り物を見、心が締め付けられます。
「こうしては居られない……!」
愛する姫のことを思い出しグッと胸を一杯に閊えさせてしまうと、丁重に豪華な美酒美食の歓待を断りました。
「そうかーーーー」
目に見えてガッカリする国王に、自分達の使命を慇懃に腰低くお伝えすると彼はザザッと顔色を変えます。
「なんと!!
では我が愛する妹の、一粒種である宝玉が今苦しんでいると申すのか?」
「はい。
姫のお命をお救いするには、我々は偉大なる国王様のお知恵に縋るしかございませぬ」
直ぐさま王の名の下、号令一下、数多の知恵者の大臣と宮殿女官頭と侍従頭が呼び寄せられ、御前会議、対策協議が開催されます。
「しかしそのばあや様は、残念ながらもう既にこちらにも安否が伝わらぬ御方です」
「忠実なる従者と共に険しい環境の生誕地で、慎ましく隠居を決め込んでるのであろう?」
生存が解らぬ以上、兎に角行ってみるより術が無いとガヤガヤ全員一致で決まりました。
ーーーしかし問題はその場所なのです。
険しい断崖絶壁に沿った、とてつもない険しい山稜の道〜
強いヒズメを持つカモシカしか渡りが出来ないという大層厳しい山岳ルートを征く必要があるのです。
国で最も高い場所に刻まれた、天空の狭間を開く縦走路。
「山の民である我々でも行くが厳しいのに?!
遠き国より訪れし異邦人であるこの方々には必ずや大いなる試練、果たして無事、大丈夫なのであろうか?」
「ではくれぐれもお気を付けて」
ファハド達は強い心配のあまりに顔を青くする、ハラハラ顔の国王夫妻や沢山の大臣や侍従、殆ど全員と言って良い王宮勤めの家臣や召使い達総出の見送りの中、再び休む間もなく旅立ちました。
「あなた方が目指す村は自身の故郷です」
国王の付けた最も土地勘のある、万全の信頼が置ける心強いベテランガイドの案内の元、道なき道を進みいよいよ険しさを増す高山森林限界値を越えてゆきます。
ここを過ぎれば山肌には背の高い木々は一本も見られなくなり、岩肌を這う様な驚くほど背の低い植物が所々、時折目に付くのみになります。
ーーーただでさえも空気が薄いのにも関わらず、環境は酷く乾燥をしています。
更に取り巻く標高が高くなった事により、呼吸がつらく体がズッシリ、いちだんと重く感じられる様になりました。
おまけに両側とも目も眩む高き崖、逃げ場の無い危険な落石地帯も命懸けで抜けなければなりません。
ガイドの素速い体を張った制止で、ふたりは不意な風化した岩石の落下を辛くも幾度もやり過ごしました。
目の前を勢いをつけてゴロゴロ転がる、当たったら確実に死んでしまうサイズの岩岩に幾度もゾォッと肝を冷やします。
道端には白骨化した大型の獣やら何やらが、無惨な悲しい骸をさらしております。
いつ亡くなってもおかしくは無い恐怖の中、命懸けで難所を渡りきりました。
そんな中、三人と一羽は稜線に連なる峠を幾つも過ぎ、とうとうガレ場の山肌にへばり付くように造られた山村にようやく到着致します。
がーーーー既に日は傾いておりました。
大変に厳しいルートの登攀に、幾ら体力自慢のファハドといえど疲労困憊です。
「ではわたくしは、村長に到来の挨拶をしに行って参ります。
ーーーとにかく私ですら里帰りは何年かぶりで久しい為。
最近の村の事柄に詳しく新しい、ここでのあらたな案内役を村長にお願いしようと考えております故。
それまで我が実家であるこちらで逗留、尊きお体をお休め下さい。
それから守るべき注意事項としては。
既に大気が酷く薄いので、もしもここよりもいと高き場所に上がるには、安全と健康の為、必ずお体を一晩ならさなくてはなりませぬ」
「すまぬ、いらぬ手数をかける」
「!!勿体のうお言葉にございます」
礼儀正しき恐縮しきりのガイドの青年が更に恭しく、丁寧な礼の姿勢を取りました。
ガイド役の彼が、自身の実家〜
質素であるものの心地よい、滞在者が居心地の良きよう整えられた住居から退出すると、ファハドは一人でブラリ気楽に庭先に出ようと試みます
「!!危のうございます坊ちゃま!」
「では皆で新鮮な空気を吸おうではないか?」
二人と一羽は未だ旅の装束を解いてはおらず、ですから気取らず全員で、ごく気軽に外に出ました。
「これは凄いなぁ……」
「ええ本当に」
ファハド達が見下ろす眼下は文字通りの、えも言われぬ素晴らしき絶景でした。
巨大な氷河が削り取って出来たという見事な天然の路……!
自分達が今まで登ってきた険しき山岳ルートが鮮烈なパノラマでどこまでも彼方まで雄大に広がっています。
薄い冷え冷えとした清涼な大気の中、言葉も無く無言で景観を見とれて居ると、ヒュウと一陣のつむじ風が頬を撫でます。
ハッと思わずファハドが振り返ると、身分卑しからずな、品良く整えられし上等の毛皮の装束をまとう背の高い人物が忽然と立っておりました
「そちは案内役なのか?」
ははぁ、彼こそがきっと、ガイド役の青年が自身で語っていた、ばあや様の住居まで導くという新たな人物なのだと考えを巡らせました。
問いかけにコクリと頷く相手は、そのまままるで「ついてこい」といった風情で鷹揚に手招きします。
そのまま口数少なく目線のみ、一本の奇妙に平べったい山道に誘導してゆきました。
「我々に自分の後を付いてこちらへ来いという事だな?」
「その様でございますね」
「仕事が早いな、感心だ」
「ええそのようで」
ウズウズ先を急ぐ彼にとっては、この展開は実に願ってもない素速く有り難き出来事でした。
一行に示された路は、先程迄の滑落したらば確実に死ねる危険路ではありません。
切り立った断崖絶壁の、人一人すり抜けるがやっとの狭い道なりとは大違い、足場の良い緩やかな傾斜でした。
『御高齢の主が歩き易いように、彼により整えられたものだろうな……』
地表に小石ひとつ無い滑らかな地面の様子に、謎めく案内役の男の深き忠義心を察し、フムフム感心致しました。
一行が本当に最後の力を振り絞り、全力で柔らかに暮れなずむ山道を登り切ると終点には小さな広場が現れました。
彼等の視線の先にはボンヤリ灯りが灯された、外観を隈無く磨かれた石でビッシリ覆う個性的な外観、厳しい風雨に対し見るからに頑丈そうな小屋がうつりました。
そうです、きっとここが探し求めた、お妃様のばぁや様の隠遁先の住居に違いありません。
日暮れの時間的に、きっと住人の夕食時なのでしょう。
温かな夕餉の香りがゆったりと、周囲に優しい匂いを振りまいておりました。
幸福の食欲をそそる香りにグゥウウウと、ファハド達のお腹が盛大に鳴りました。
よれっよれの疲れ果てたファハドら一行は、無口な背の高い案内役のリードで温かな明るい住居に通されると温かく歓待されます。
「いらっしゃいませ、この様な遠きあばら屋まで」
ハッとファハドが顔を上げると、柔らかな微笑みを向ける美しい女性がひとり、優しい笑顔を向け立っていました。
しかしーーーー流石に深い皺をいくつか皮膚に走らすものの。
腰も決して曲がらず極上に品良く、足腰も未だしっかりさせているように見えました。
なによりも姿勢もピンと真っ直ぐ!!
驚くべき、かくしゃくとした女主人でした。
しかし伝聞では、最低でも90の齢をとっくに
ーーーいいえ実際は、計算では100歳すらをも越えているは明白です。
このお姿は、にわかには信じられません。
ファハド達はハタと顔を見合わせ、眉を寄せ困惑の色を隠せませんでした。
「お坊ちゃま、本当にこの御方が我々の目指すお方様でございましょうか?!」
「ああ、間違いないはずだ」
「いえーーーとてもとてもーーーー
ええっと、こう申してはなんですが?
わたくしめがお妃様よりお伺いしたイメージとは全くの別人、思い浮かべる想像と違い過ぎます。
ええ、私の母者よりもこのお方様の方が、うんとずっと全てがお若いでしょう。
下手をすれば今現在の我々よりも、ご壮健にさえ肉体的にもお見受け出来るのですが……?!」
「ぁあ相違ない、同意する、絶対に若いだろう。
私も実は非常に驚いているのだ。
想像するに、このような厳しい場所で逞しく従僕とだけで女一人で生き抜くと心に決めた以上、怪我や病にかからぬよう自制しておられるのだ。
予防医学として御健康には人一倍、繊細に日々気を配られているのだろう。
今のあの麗しきお姿は細心の鐵の努力の賜、結晶に相違ないのかも知れぬな」
「きっとそうでございましょうねぇ」
ファハドは強く気を取り直し、キリリと姿勢を正すと恭しく身分等々自己紹介を披露致しました。
「お初にお目に掛かります。
お姫様の為、お力添えをお願いをしに参りました。
〜我々が来ることをご存じで?」
「ええ。
だから案内役を差し向けましたのよ」
「?村長殿より御使者が?」
「そうですねぇ、マァそういう事にしておきましょうか」
?????
『ウーーーン』
……
〜なにかが少し
微妙〜〜〜に理屈として噛み合っていない気が致しましたが。
グツグツと目の前の暖炉に掛けられた大鍋からあふれ出す、美味しそうな誘惑
余りにかぐわしい良い香りが零れ落ちるように漂い出すせい!
「まいっか」……
ファハドは、不審は頭の隅に無理矢理追いやりました。
だって身分の高い子息といえど、未だ未だ食べ盛りの若者です。
疲労と空腹の頂点で、ぐぅうううとお腹と背中がくっつきそう!!
今にもバッタリ、床に倒れて死にそうなのでした。
「戸口にその様に立ちっぱなしもなんですので、こちらに座り、温かな食事でもお召しになっては如何でしょうか?
鍋で丁度、若いカモシカ肉のカレーが良いあんばいに煮上がっておりますから。
ぁあそれから籠の中の可愛らしい子にも、塩無のピーナツがございましてよ?」
「かたじけない
〜では恥ずかしながらご相伴に与ります」
「ふふふ、随分礼儀正しい御方ですこと!
わたくしは貴方様のこと、大いに気に入りました」
大きな鉢になみなみと暖炉より取り分けられた、タップリのカモシカ肉のカレーは肉がトロトロに柔らかくホクホクで堪らなく美味!
どうしたことか肉にどんな下処理がされているのか、少しもジビエにありがちな、食べにくい匂いなど致しません、唯々蕩けそうに味覚を癒やすばかり。
若君は凄い勢いで、汁にしっとり大判に焼き上げられたホカホカのナンを浸す間もなく木の匙でペロリと食べ尽くしました。
「おかわりは如何です?」
「宜しいのですか?!」
「ええ」
「では!!」
主従は噂に聞きおよぶ魔法のスパイスカレーの威力をしみじみ味わい、心の底からジーンと幸福に満たされました。
若君は故郷の辛い病の床に伏す大切な人に、是が非でも同じ味を食べさせたいと心底願ったのです。
美味しい食事後は、いよいよ本命の依頼をお願い致しました。
女性はふむふむと頷き後片付けを側付きに任せると、自らは繊細な作業に入ります。
先ずは彼等が遠い国より買い求め、遙々持参した貴重な香辛料類をテーブルの上に全部残らず並べました。
「素晴らしい鮮度の良い物ばかりですわね」
ひとつひとつ丁寧に指先で摘まむと確認し、ここで漸く幾枚かの小皿と、小さな分銅が可愛らしい極小型の天秤を戸棚より用意しました。
「カレーをお造りするには簡単なルールがございます」
「というと?」
「ザックリ云えばスパイスの入れ方として、三段階の手順を踏むのです。
最初にまず原型そのままの形〜ホールタイプの物……!
クミンシード等、油に香りを移すものをご用意下さい。
香味野菜のニンニクも焦げやすいので、まず最初に少量、タップリの油でカリリとさせたら焦げる前に取り除きます。
同じ油で分量相応スパイスをジックリと炒め、スパイシーな香りを強く引き出すのがコツです。
ニンニクはお強いのでお子様には避けた方が宜しいでしょう。
体質的にもお嫌いでしたら無くても別に構いません。
次に
代表的な乾燥粉末にした香辛料類を、お好みの食材と共に追加し煮込みます。
火を止める寸前にガラムマサラを一振り、ササッと熱を加えいよいよ完成となります」
「ガラムマサラとは?」
「幾種類ものスパイスを調合致しました万能調味料のアダナです。
各家庭それぞれーーー
門外不出の『秘伝』隠し味、特別なスパイスですね。
最終的な味が決定致します元なのです。
ですので、お姫様の仰りました『お味』は、きっと私の普段使いのスパイス配合でおよろしいかと?」
「そんな貴重な秘伝を!?」
「ええ。
ですがわたくしにも交換条件とまでは申しませんが、個人的なお願いがございましてよ?」
「それはどんな?」
ファハドは思わずドキッとし唾を飲み込みました。
しかしどんな突拍子もない奇天烈な願い事も、愛する人の命を救う為ならば、全力でお引き受けし、叶えんと心より誠実にお思いになられたのです。
するとかしこまったファハドに対し、ばあや様は照れくさげにこう言いました
「実は、お懐かしい貴方の御国の王妃様〜
大切に手塩に掛けてお育て致しました我が姫様の近況
姫様の掌中の珠であられるお嬢様の、健やかな成長を是非に聞きとうございます
勿論、お話し出来る範囲で構いませぬ故」
ファハドはニコッと微笑みました。
それだったら幾ら話しても、魅惑の話題は聖なる泉の如しで決して話し足りないでしょう。
「では今宵、随分と長い時間起きていなくてはなりませんね!」
「温かな、とっておきのバター茶をご用意致しましょう。
それとも挽き立てスパイス入りの芳醇なミルクティ〜
チャイがおよろしいかしらね?
カルダモン、シナモン、クローブ、ブラックペッパー、ジンジャー
たっぷりのシュガーを入れ煮出す甘くお疲れが取れるお紅茶ですよ?」
「それはもう、どちらも味わいたいですね!」
二人とも無事交渉成立です。
お互いに決して損をせず、望みの物を手に入れることが出来ました。
早速指示の元、クミンシードを炒めた以後の、数多のスパイスの品種と分量を記録しました。
故郷の料理人誰もが全て失敗した「秘密」、究極のガラムマサラ製作に挑みました。
ばあや様はクミンシード、コリアンダーシード、シナモンスティック、クローブ、カルダモン、フェンネルシード、ブラックペッパー、ベイリーフ等々……!
実に手際よく選び取り、天秤で正確に量っては小皿に流し込みます。
アレヨアレヨ、各国の良品より更に選び抜かれた最高かつ大量のスパイスがビッシリと真砂なす夜空の星のごとく無数に並びました。
「一度全てホールのままで炉の弱火で乾煎りし〜
素晴らしい香りを引き出した後、細かく石の乳鉢で全部すりつぶし完成です」
「!ホゥ成る程」
「『香りの王様』〜
グリーンカルダモンは鞘の皮をむいて中の種子だけを使います」
「〜〜〜!これは又頑丈な……
黒い種子を取り出すのに随分と大変ですね」
「その通り当たり前です。
煎った後、石の乳鉢でしっかり潰し挽いて粉にして下さいな!
かなり固く、ピンピンッと必ず顔を弾きますので目に入らぬようお気をつけを」
「〜〜〜!〜〜〜!」
繊細な作業は明け方まで続きました。
思い出話のお喋り付き徹夜作業が終わり、一行が暇乞いをする時がやって参りました。
出発の時間に窓から見える空は、それは美しい薄い紫色、えも言われぬ青みがかる曙の光を放っておりました。
丁寧に大切に調合したスパイスとガラムマサラの別々の包みは、先ず一つ目は細かい文字で記した手紙と共に鳩の翼で運搬します。
二種類のスパイスは正確に計量した一食分だけを薬包紙に包み、更に安全の為油紙でギッチリ巻き伝令管に密封。
最も優秀な最後の鳩ダイヤモンド号が、荒れる天候、昼夜を徹して鳥にとっても命懸けで故郷に運ぶ手筈です。
残りは主従で二分割し、保険「もしもの事」を考え、万が一、どちらに何があっても確実に、病の床で待ち望む姫に届けるよう固い意思で約束を交わします。
つまり全員、残らず責任重大でした。
「では一つだけ私からもご提案です。
夜も明け始め、後ほんのひとときで今日最初の御来光が空を彩ることでしょう。
それまではーーーー
金色の朝日が必ず差し込むまで絶対に鳩、この子をお放しにならぬようご忠告申し上げまする」
「あいわかった。
貴女様には本当に世話になった。
この借りはいつか絶対にお返しする所存です」
「いえ、もうわたくしめは充分でございます。
思い残すことはございません」
一行は背の高い無口な侍従の案内で下山、一夜の楽しい時を過ごした事を懐かしみつつ印象的な住居を何度も振り返り手を大きく振り緩やかな路を下ります。
そんなおり、集落との境目の坂登り口付近で、びゅうっと再び山肌を這う冷たい強い風が男達の髪をなぶりました。
主人と侍従は慌てて頭をしっかり押さえ、マントのフードで冷風から顔を守ります。
漸く凍える強風が凪いだ時、いつの間にか、確かに前にいた筈の背の高い立派な出で立ちの従者の姿はどこにも見当たりません。
不思議な事に足下の路も滑らかさはなく、ゴロリと角の目立つ小岩だらけ、ゴツゴツの荒い傾斜に変じておりました。
ふたりがいぶかしんで顔を見合わせているその時、サァーーーッと眩い本日初の綺羅々かな太陽の光明が、まるで連山の高き峰峰を下へ従えるかに登り始めます。
「では頼むぞダイヤモンド号、どうか無事で我が愛する姫の元に
〜きっとお前が私達の中、最もはやくに故郷に戻れるはずだからな
私はお前が誠に頼りなのだ」
そう心を込めて鳩に話しかけた、ファハド手ずからパサーーーッ
蓋を大きく開放した籠からひと息に飛びだたせた最強の翼のダイヤモンド号
鳩はしんしんと凍えかじかむ山麓の大気をまるで蹴散らすように、山岳の気難しい気流を読みました。
賢く巧妙に早朝の山肌斜面ごとの温度差で渦を巻く、もはや人智では感知出来ない微細で複雑な上昇気流を揚力として翼に捕らえます。
鳩はあっと言う間にハラハラ気を揉む主従を下界に残し、サファイアブルーの澄んだ蒼天に白い砂糖が溶けるかに消えてゆきました。
ーーーーーそれから一年後
遙々もたらされし奇跡のレシピ〜
幸せのカレーを食べ、病の床より無事回復した姫君はいよいよ煌びやかな結婚式、国中で何日も楽しい華やかなお祭りが続く幸せな披露宴を行います。
直ぐ明日に迫った幸福な前夜の事でした
「ねぇファハド、『ばあや様』の事だけれど」
「ナジマ、あのお方様はきっと天で見守ってくれているよ」
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彼等が村に戻ると、上や下への大騒ぎになっておりました。
キョトンと目の前の状況がまるで理解出来ないファハドと侍従の前に、転げる様に膝下に飛び出した村長はこんな風に訴えるのです。
「忽然といなくなり滑落したのでは?と大層心配したのですよ!!」
村中総出で松明を灯し、男衆は夜をついて危険地帯の方々探したと、ポロポロ大粒の涙を流し訴えるのです。
不審に思った主従は昨夜の心温まる素晴らしき出来事〜
坂を登った突き当たり、磨いた石造りのたいそう居心地の良い小さな家での招待を細々と彼等にお礼と共に伝えました。
すると今度は村長の方がポカンと、まるで状況が良く飲み込めないといった風情でこんな事を尋ねるのです。
「はて??仰る意味がわかりませぬ、貴方様の言う小屋などございませんよ?」
「ですから高貴なお方様。
ーーー少なくともこの百年間はずっと、今我々が居る集落が国中最も高い標高に存在しているですよ?」
「!!そんな馬鹿な」
「そんな筈は無い、では我に付いて参れ」
ファハドと侍従は、ほんの今さっきの先程ーーー
立派な毛皮付き装束をまとった背の高き無口な従者の案内の元、自分達が安全に降りたばかりの坂登り口に案内しようと試みました。
が、どうしてなのか?
どんなに二人で、いくら探しても、あの滑らかな辿った坂道は煙の如く消え見つかりませんでした。
ただこの大騒ぎの中ーーーー
村内最長老のお年寄りが突如、自身の童の頃の『伝聞』としてこんな不思議な事柄を鮮明に思い出したのです。
「冬の炉端で、当時村で最も長生きの儂のじいじより聞いたことがあった」と。
長寿者の彼の言うには、村長一族の御先祖様に『晴れがましい大役』
星読みの占星術にて王家直々の招聘、王女乳母役に大抜擢、見事な石造りの住居に住む賢女がいた事。
村に報せが届いた後、王宮への案内役として立派な毛皮の装束をまとった長身の寡黙な守り役が村を訪れた事。
飲めや謳えやの村始まって以来の素晴らしい華やかなお祭り騒ぎの宴席を設け、翌朝村中で笛太鼓で送り出し、老いも若きも全員で賢女達を見送った事。
でも都への下山途中、地形が変わる程の巨大な地滑りが発生、運悪く巻き込まれた二人は未だ消息不明だという事。
賢女は自分が誰かの役に立つ事を心より楽しみにしていた事。
「じいじは村に伝わる大切な伝承で、確か百年以上大昔の出来事だと申しておりましたかな?
イヤァ儂もすっかり頭がもうろく、イヤハヤとんと忘れておった」
遠い目をした、今語るその自身こそが村の知識の源、最長老であるお年寄りは懐かしげに、ゆっくり楽しげに問わず語りで昔々の伝承を皆に披露しました。
国中がヤンヤと喜びに沸き、語りぐさの奇跡を起こした原動力は深い真実の大きな愛あってこそ。
全て互いを強く信頼する心でした。
「愛してるよ君の事」
「ええ知ってるわ?
〜だってクリスタル号の運んでくれたお手紙の、最後に書いてくれていたでしょ?」
テラスで透き通る夜空を見上げる二人。
満天の星降る元で微笑み、尊い永遠の愛を誓う聖なるキスをしました。
<完>




