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序章

黄金の夕暮れ

「この街には、ゴミ一つ落ちていない」


山崎はバス停のベンチに座り、目の前のメインストリートを眺めていた。時刻は午後五時。西日が街全体を不自然なほど鮮やかなオレンジ色に染め上げている。


行き交う人々は皆、穏やかな笑みを浮かべていた。犬を連れた老婦人、手をつなぐ若いカップル、そして楽しそうに駆け抜ける子供たち。どこにでもある、絵に描いたような「平和な日常」だ。


だが、山崎の胸には、胃の底が冷えるような違和感がこびりついて離れない。

(……静かすぎる)


風の音も、車のエンジン音も、どこか遠い。まるで、巨大なスタジオの中に作られたセットを歩いているような、逃げ場のない閉塞感。


「お兄さん、よそから来た人?」

不意に声をかけられ、山崎は肩を跳ねさせた。

振り返ると、花屋の店主らしき男がハサミを手に、こちらをじっと見つめている。目は笑っていない。


「ええ、仕事で少し」

「そう。ここはいい街だよ。誰も争わない、誰も傷つかない。……だって、みんな『理解』してるからね」


男はそう言うと、真っ赤なバラの茎を鋭く切り落とした。山崎の視線が、その切り口から滴る赤い雫に釘付けになる。


その時、街のスピーカーからチャイムが鳴り響いた。夕焼けのメロディ。

それを合図に、街の人々が一斉に立ち止まり、西の空を仰いだ。何百という人間が、全く同じ角度で、無言のまま。

(こいつら、何を待ってるんだ……?)


山崎は逃げ出すようにその場を離れ、予約していたアパートへ向かった。

鍵を開け、暗い室内に入る。何かがおかしい。山崎は壁のスイッチを探り、明かりをつけた。

「——!」

声が出なかった。


部屋の真ん中、テーブルの上に、古びたノートが一冊置かれていた。

それは、彼が十年前に行方不明になった兄から最後に受け取った手紙と同じ、独特の筆跡で書かれていた。


『山崎へ。これを読んでいるということは、君も「選ばれた」ということだ。おめでとう。』

山崎は震える手でページをめくる。そこには、この街の地図と、住人たちの「役割」が細かく記されていた。


花屋の男。老婦人。子供たち。

そして、最後のページ。そこには、たった今このアパートに入ってきた「自分の姿」のスケッチが、完璧なディテールで描かれていた。

「……嘘だろ」


窓の外を見ると、先ほどの花屋の男が、アパートの真下でこちらを見上げていた。

男は受話器のようなものを耳に当て、口角を吊り上げて囁く。


標的ターゲットが入室しました。……計画通り、『偽の弟』は疑い始めています」

山崎はノートを握りしめ、背後のクローゼットを振り返った。

そこには、自分がここに来るために持ってきたはずの「自分の荷物」は、何一つ入っていなかった。


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