3話 抜ける棘
2005年9月下旬から10月にかけて、秋の気配が住宅街を包み始めた。
高橋健の日常は、表面上は変わらず淡々と続いていた。
大学では中間試験が近づき、講義出席率をギリギリ保つためにノートを写す日々。
コンビニの深夜シフトは週5日に増え、時給が少し上がって900円になった。
株の含み益はすでに50万円を超え、任○堂が好調でソフ○バンクもじわじわ上昇。
特許出願の優先権は確保済みで、審査請求のタイミングを待つだけ。
それでも、心のどこかに小さな棘が刺さったままだった。
鈴木あかり。
健は意識的に「様子を見る」ことにしていた。
直接話しかけるつもりはない。
ただ、近所を歩くとき、公園を通るとき、コンビニの前を通るとき。
視線を少しだけ向ける。
それで十分だと思っていた。
しかし、10月に入ると、状況は静かに、しかし確実に悪化していった。
最初は小さな変化だった。
ある朝、バイト帰りの途中の住宅街。
あかりが一人で通学している姿を見かけた。
いつもより肩が落ちていた。
後ろから見ても、明らかに元気がない。
健は足を止めず、通り過ぎた。
次は、公園。
夕方、ジョギングの帰り道。
ベンチに座るあかりの姿。
今度は一人ではなく、近くに数人の女子中学生。
声は聞こえなかったが、俯いているあかり。
周りの女子たちはひそひそとしゃべり、時折りくすくす笑いながら、あかりを指さしたり、携帯を向けたり。
健は木陰から数秒見つめ、すぐに視線を外した。
(いじめ……始まってるな)
記憶が正しければ、夏ごろから始まっているがこれはまだ序盤。
陰口、無視、持ち物を隠す。
それが徐々にエスカレートし、冬近くになると集団での暴行、そして最悪の結末。
(まだ、直接手を出す段階じゃない)
そう自分に言い聞かせた。
でも、棘は少しずつ深く刺さっていく。
10月中旬。
頼まれて代わりに入った夕方のシフト中。
午後4時過ぎ、客が途切れたタイミングで外を見ると、制服姿のあかりが店の近くの自動販売機の前に立っていた。
鞄を地面に置いて、財布を握りしめている。
健はレジから動かず、ただ見ていた。
あかりはお金を入れようとして、お金を落とし、拾い、また落とす。結局、何も買わずに立ち去った。
背中が小さく見えた。
「……」
健は深く息を吐いた。
あの子、今、何を考えてるんだろう記憶のニュースでは、あかりは親に何も言ってなかったらしい。
一人で耐えていた。
親は資産家で忙しく、娘の異変に気づかなかった。
学校も、表向きはいじめはないと認識していた。
そして、最終的に……。
(もう、見てられない)
その夜、シフトが終わった後。
健はアパートに戻らず、近所の公園へ向かった。
誰もいないベンチに座り、夜空を見上げた。
ルールを変えるわけじゃない自分のためだけに記憶を使う。
後悔しない人生も、自分のためだ。
もしこのまま何もしなければ、
数ヶ月後、あかりは死ぬ。
ニュースではぼかされていたが、ネットに上げられた事件の詳細は残酷だった。
性的暴行。
集団による陵辱。
そして、絶望の末の自殺か、事故死か。
いずれにせよ、救われなかった命。
(知ってるのに、見て見ぬふりをするのか?)
それは、40歳の自分が味わった何もできなかった後悔を思い出させる。
少しだけ……介入すると決めた。
ただし、やりすぎない。
歴史を大きく変えない範囲で。
まずは、証拠を集める。
いじめの内容を把握する。
あかりを直接助けるのではなく、いじめっ子たちを追い詰める。
それなら、俺の存在は表に出ない。
警察や学校に通報すれば済む。
健は携帯を握りしめた。
2005年の限られた機能で、何ができるか。
まず、録音。
次に、写真。
そして、タイミング。
10月下旬。健は大学とバイトの合間を縫って、行動を開始した。
学校帰りの時間帯に、住宅街を散歩するふりをして、あかりの通学路を観察。
いじめっ子たちのグループは、いつも決まったメンバー。
リーダー格の女子、名前は記憶にないが、髪を茶色に染めかけている子。
その取り巻き2人。不良っぽい男子も2人、時々合流。
彼らはあかりを待ち伏せ、強く押したり、足を引っかけたり。
健は遠くから見守り、ガラケーのカメラで証拠を撮った。
画質は悪いが、十分に状況は伝わる。
録音も、隠れてマイクを向けた。
「金持ちで生意気」
「親にチクんなよ」
「黙ってりゃいいんだよ」
そんな言葉が、鮮明に録れた。
11月に入り、事態はさらに悪化した。
あかりの登校拒否が始まった。
近所で噂になる。
「あの鈴木さんちの娘、最近あまり学校行ってないみたい」
健はそれを聞きながら、計画を詰めた。
決定的な証拠が必要だ。
いじめがただの陰湿なものから、犯罪行為に移行する瞬間。
記憶では、それが11月下旬。放課後、廃墟となった古いアパートの空き部屋に連れ込まれ、
暴行が始まる。
性的なものにまで及ぶ直前。
そこで、健は介入する。
健はカレンダーに印をつけた。
11月25日、金曜日。
記憶では、その日が事件の始まりだった。
健は準備を進めた。
まず、学校に匿名で通報する手紙を作成。
内容は、「鈴木あかりさんがクラスメートからいじめを受けています。 証拠として写真と録音があります。早急に対応してください」と、簡潔に。
証拠のコピーを同封。
もちろん、健の指紋はつけないよう注意。
次に、警察への匿名通報も準備。
110番ではなく、警察署の相談窓口に郵送。
最後に、自分が直接動くためのバックアップ。
11月25日当日。
健は大学を早退し、午後3時から張り込んだ。
場所は、記憶にある廃墟アパート。
近所の外れ、雑草が生い茂る古い建物。
まだ解体されていない頃。
健は遠くの路地から見張る。
午後4時過ぎ。
あかりが一人で歩いてくる。
鞄を強く握りしめ、俯き加減。
後ろから、いじめっ子グループが近づく。
「ちょっと来なさいよ、あかり」
リーダー格の声。
あかりは抵抗せず、引きずられるように廃墟へ。
健の心臓が激しく鳴った。
(今だ!)
健は走った。
廃墟の入り口で、深呼吸。
中に入る。
薄暗い廊下。
2階へ上がる階段。
声が聞こえる。
「脱げよ」
「誰も来ないから」
あかりの小さな悲鳴。
健は階段を駆け上がった。
部屋の扉は半開き。
中に入る。
中には5人。
女子3人、男子2人。
あかりは壁際に押し付けられ、制服のブラウスが乱れ、スカートが捲られかけている。
「やめろ!!」
健の声が響いた。
全員が振り返る。
「誰だよお前!」
男子の一人が詰め寄る。
健は冷静に、ガラケーを構えた。
「今、全部録画してる。警察呼ぶぞ」
実際は録画機能はないが、ブラフ。
「証拠はもう学校と警察に送ってある。お前ら、終わりだ」
リーダー格の女子が顔を歪めた。
「ふざけんな!」
男子が殴りかかってきた。
健は避け、逆に腕を捻り上げた。
20歳の体だが、40歳の経験の中に格闘の記憶がありは少しできる。
「動くな」
低い声で言う。
あかりは震えながら、健を見上げた。
目が合った。涙でいっぱいの瞳。
健は優しく言った。
「もう大丈夫だ」
その瞬間、外からサイレンの音。
健が事前に匿名で通報しておいた効果。
パトカーが近づいてくる。
いじめっ子たちは慌てて逃げようとしたが、健が出口を塞ぐ。
「逃がさない」
数分後、警察が到着。
全員確保され、あかりは保護された。
健も警察に同行を求められ、同行通りすがりの大学生として助けただけといい、詳しい事情は話さず、警察の調書に応じた。
助けた側であるが、そこそこの時間をとられ、帰るころには夜遅くなっていた。
健はアパートに戻り、ベッドに倒れ込んだ。
手が震えていた。
「やった……」
助けた。
歴史は変わった。
でも、それでいい。
自分のためだ。
後悔しないためだ。
翌日、ニュースはまだ出ていないが、近所では噂が広がり始めた。
「戸野倉さん家の子が捕まったって」
「不良っぽかったものね。何かやると思ってたわ」
健は静かに微笑んだ。
これで、あかりは生きる。
そして、俺の人生も、少しだけ変わった。
心の棘は、抜けた。
代わりに、新しい何かが胸に芽生えていた。
それは、まだ名前のない感情。
でも、温かかった。
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