第三十九話「剣は誇りを抱いて」
――何だよ、あれ。
と、ベルは声を漏らした。
そして巨大な影は、こちらに近づいてきた。
「――『火龍』!」
ベルが杖を抜き、白い影に向かって三体の炎の龍を召喚。
それは一直線に飛んで行ったが、
「――――ッッッッ!!!」
再び影があげた咆哮により、瞬く間に消滅した。
絶望感は、一秒ごとに強くなっていく。
エリーゼの足も、ガタガタと震えていた。
「――『蒼龍の嘶き』!」
エルシアが、二本の剣を振り抜いた。
影の咆哮に似た音が鳴り響き、空を裂きながら斬撃が飛んでいく。
しかし、エルシアの斬撃に手ごたえはなかった。
「皆さん! 時間を稼いでください!
詠唱を始めます!」
ベルがそう叫ぶと、各々が動き出した。
エルシアは剣を振り回して風の斬撃を飛ばす。
エリーゼとランスロットは距離的にできることは少ないため、
「バケモノ! こっちに来なさい!」
と、声を荒げながら走り出した。
ランスロットもエリーゼに続き、白い影の気を引いている。
「――――ッ!!」
白い影の咆哮ののち、その巨躯から霧が噴き出した。
否、それは霧ではない。
凄まじい密度の、冷気である。
「エルシア!」
「任せて!」
押し寄せる霧のような冷気を、エルシアの剣撃で一蹴。
その剣撃は、払いきれていなかった冷気もまとめて払った。
そして、その白い影の全貌が先ほどよりも鮮明に映った。
無数の鱗が月明りを反射し、その輝きが四人を照らす。
美しくも、それを目に映すだけで凍傷を負いそうなほど冷たい光。
巨大な『翼』がゆっくりと広がるたびに、冷たい空気は襲ってくる。
――その姿は、さながら神の生み出した造物であるかのようである。
黄色い瞳に睨まれ、ベルの手足が恐怖で震える。
それでも、詠唱を続ける。
「はァァァァァァァッ!」
ランスロットは雄叫びをあげながら、目の前で翼をはためかせる巨躯へ突っ込む。
槍を振り、その体に傷を付けた。
赤黒い鮮血が、ランスロットの体中に飛び散る。
「『蒼炎の雷』!」
エリーゼの剣が、紫紺の炎を纏う。
電気すら帯びているようにバチバチと音を鳴らすその剣で、
ランスロットに続いて巨躯に向かって剣を振るう。
白い影は、悲鳴に近い咆哮をあげる。
「――ッ! エリーゼ! 避けろ!」
翼を広げると、その翼にまとっていた無数の鱗がエリーゼめがけて飛んできた。
ランスロットはいち早く異変に気付き、エリーゼに向かって叫んだ。
エリーゼは身を捻りながら飛び退き、何とかその攻撃をかわした。
「止まるなァ! 走れェ!」
ランスロットはなおも叫び続ける。
エリーゼにその叫びは届き、足が勝手に動いた。
エルシアは、風龍剣を一本、背中の鞘に納めた。
ただ一本の風龍剣を握りしめ、地を蹴って走り出す。
一歩白い影に迫るごとに、剣の翠色が強くなる。
剣が翠色に光っているわけではない。
翠色の風を、まとっているのである。
「ランスロット、エリーゼ!
避けて!」
エルシアはそう叫び、足を止めた。
剣を肩まで振りかぶり、袈裟形に振り抜いた。
翠光が、空間を裂くようにして迸った。
そして――、
「すべてを斬り裂け!
――『ヴァルクルス・ヴォルト』!」
ベルの声とともに、白い影の頭上に魔法陣が出現した。
それから間もなく、一筋の稲妻が放たれた。
「――――――――」
「……効いて、ない?」
白い影は、ベルの渾身の一撃に何の反応も見せなかった。
「ゲホッ……! 嘘、でしょ……」
エリーゼの絶望感に満ちた呟きに、ベルは再び顔を青ざめた。
何でも葬り去れると思っていたベルの聖級魔術が、全く通用していない。
その事実は、エリーゼを、否、その場にいる全員を絶望させるのには十分であった。
凄まじい剣撃と魔術を食らってもなお、それをもろともしないかのように翼を広げる白い影。
――嫌だ。
――――死にたくない。
そんな感情が、ベルたちの脳内を支配する。
馬車はない。
かといって足で逃げるのは、この状況においては自殺行為だといえる。
戦おうにも、全く歯が立たない。
――逃げたい。
――逃げられない。
――ならば、どうしたらいい?
必死に思考を巡らせるベル。
こんなところで諦められない。
だが、もう為す術がない。
「嫌だ……!」
ベルの瞳が震える。
絶望に満ちたベルの姿を見て、エリーゼは走り出した。
「うあぁぁぁぁぁぁぁ!」
何の考えもなく、炎をまとった剣を振り回す。
せめて自分よりも長い時間、ベルに生きさせるために。
一秒でも長く、時間を稼ごうとやみくもに突っ込んだ。
白い影はその小さな少女の姿に気づき、ギロリとその視線を向ける。
睨まれても怯まず、エリーゼは技を出そうとする。
「――――ッ!!!」
白い影は大きな口を開けて、再び凍り付くほどの冷気を吐き出そうとする。
「エリーゼぇぇぇぇぇ!」
「――――『神威の閃刃』!」
ベルの掠れた叫び声を遮るように、紫紺の斬撃が雪雲を切り裂いた。
--- ベル視点 ---
誰の声だ。
女の声だが、俺の知っている声ではない。
「――乗れ!」
さっきの女と同じ声。
振り返ると、何頭もの地竜にまたがった人間たちがこちらに向かってきていた。
「あなた、たちは……」
「今はそんなことはどうでもいい!
逃げるのが最優先だ! 乗れ!」
肩まである淡い紫色の髪の女がそう言った。
言われるがまま、俺たちはそれぞれ別々の地竜にまたがった。
「総員! 私に続け!」
「――了!」
辺り一帯に響いた紫髪の女の声に、野太い声がいくつも呼応した。
未だ上空には、巨大な白い影がいる。
怖くて上は見れないが、地面に映る影でその存在が分かる。
やはり、地竜は速い。
顔に吹きつけてくる風と雪が冷たくて痛いが、今は我慢するしかない。
「スピードを上げる。振り落とされないよう、しっかり掴まっておけ」
「は、はい」
そう言われ、俺は紫髪の女の腰を強く抱きしめた。
何か変な気分だ。
地竜は、先ほどよりもさらに速くなった。
地面に映る影は、少しずつ月明かりに染まっていく。
あんなにデカいヤツから、逃げ切れるのか?
俺の乗る地竜、そしてそれを取り巻くようにして走る地竜の足音。
話し声も全く聞こえないこの状況が、緊迫を極めていることを物語っている。
「――――ッッッッ!!!」
逃走を図っている俺たちに怒りを覚えているのか、
金切り声に近い咆哮をあげた白い影。
その声が響いた瞬間――、
「――っ! 後ろから霧が来ます!」
「……執念深い怪物だ」
そう呟いた紫髪の女は、地竜を急ブレーキさせた。
え?
何で止まった?
逃げたほうがいいんじゃないか?
女は地竜を飛び降り、迫り来る霧の前に立つ。
そして、剣を振りかぶり、
「――『神嵐』!」
剣を抜き、霧を『切り裂いた』。
真っ二つに裂かれた霧は、俺たちの両脇を吹き抜けていった。
振り向くと、地竜たちは分かっていたかのように霧を避けながら走っていた。
……すげぇ。
女は再び俺の前にまたがり、手綱を握った。
前方を走り続ける地竜たちを追いかけるようにして、俺がまたがる地竜も走り出した。
そしてそれと同時に、影が見えなくなった。
空が晴れ、月と星がきらめく夜空が再び広がった。
俺の息が、白く照らされていた。
何とか、生き延びることができた。
---
白い影が見えなくなったところで、地竜は速度を緩めた。
「大丈夫か?」
「はい……。ありがとうございました」
俺の顔を見て、凛とした顔で口を開いた女。
蒼金の瞳に、キリッとした眉。
口元はキュッと結ばれていて、どこか威厳がある。
「私は、ラヴァニア王国近衛騎士団長のセリス・アルグレインだ」
「騎士、団長……」
ラヴァニア王国の、近衛騎士団のリーダー。
なるほど。
めちゃくちゃそれっぽいな。
エリーゼに負けないくらいよく通る声で周りに指示を出し、
迫り来る霧を迷わず切り裂いたその姿は、
まさに騎士団長という称号に相応しいものだった。
「卿らは何者だ? どうして、こんな時間に外を出歩いていた?」
「僕は、ベル・パノヴァです。
デルンポートからラヴァニア王国の王都に向けて馬車で移動していたところ、あの怪物に襲われて……」
「……ふむ」
セリスは竜車を走らせながら、考えこむような声を漏らす。
また、地竜の足音だけが俺の鼓膜を震わせる。
「卿は、あの怪物を見たことがないのか」
「はい。まったく」
「ふむ。――ならば、『白龍』という名前に聞き覚えはないか?」
「――白龍?」
記憶の中に、その響きを探す。
白龍、白龍…………。
――思い出した。
俺がエリーゼと出会うきっかけとなった、『大猿』率いる魔物の大群による襲撃。
その『大猿』と同じ、世界四大魔獣の一角を担う魔獣だ。
こんなところで、遭遇するなんて。
どこまで運が悪いんだ。
「数日前から、ラヴァニア地方で異常な冷気が観測されていた。
卿も、違和感に気づいていたはずだろう。
この季節にこの寒さ。それに加えて雪までチラついているなど、普通ではありえないことだ」
「はい。それはすごく感じてました」
「王都の方でも、その異常気象は観測されていた。
ゆえに、我ら近衛騎士団は王命で調査に派遣されたのだ。
卿らの来たデルンポートの方面まで調査に向かう道中で、白龍に襲われている卿らを見つけた」
偶然、ってことか。
この人たちが来てくれなかったらどうなっていたことか。
間違いなく、あのまま白龍に凍らされて食われていただろうな。
「白龍自体、中央大陸では何年も目撃されていなかった。
だがこの異常気象は、奴の現れる前兆として有名な話だ。
卿らは、とことん運が悪かったな」
「あ、ははは……」
ついにセリスにまで言われてしまった。
何千年に一度の隕石に巻き込まれ、
何年も現れていなかった白龍に襲われる。
俺は世界で一番運が悪い人間だと胸を張って言えるだろう。
今なら宝くじが当たる気がする。
「卿らは、王都を目指しているんだったな。
私たちも白龍の件について王国に報告せねばらならない。
このまま乗っているといい」
「いいんですか?」
「このまま卿らを見捨てて帰るなどできまい。
騎士団長の名にかけて、卿らを無事王都に送り届けることを約束しよう」
……何だこの人。
めちゃくちゃかっこいいんだけど!
凛とした声に、威厳のある雰囲気。
この人が上司なら、喜んで働きたい。
「とはいえ、私達もずっと地竜に乗りっぱなしだ。
地竜の体力も考慮して、この辺りで野営を設ける」
「はい。分かりました」
と言って、更に地竜の速度を緩めた。
流石は王国の精鋭たちというべきか、
キャンプの展開はあっという間に終わった。
エリーゼたちも一安心しつつ、いっそう疲れた表情で倒れ込んだ。
「はぁ……。今度こそ死ぬかと思ったわ……」
「まさか、こんなところで白龍に出くわすとはな」
「わたしは今までの記憶がたくさん蘇ってきたよ」
「走馬灯見てるじゃないですか」
そう言って、俺も広い平原に仰向けになる。
どうやらみんな、それぞれが乗った地竜の操縦士に、
あれが白龍であったことを聞いたようだな。
――この綺麗な夜空が、一瞬で分厚い雲に覆われた。
そしてその雲をかき分けるようにして、白龍が現れた。
何より絶望感を感じたのは、俺の渾身の雷聖級魔術が全く効かなかったことだ。
確かに、手ごたえはあったはずだ。
以前『海王』と戦ったときのように、全く手ごたえを感じなかったなんてことはなかった。
エルシアの風龍剣による剣撃は効果があったようだが。
「――ベル・パノヴァ」
と、寝転がって目を閉じたところに声をかけられた。
「こ、この人は……?」
「セリスさんです。ラヴァニア王国の騎士団長ですよ」
「ええ! すごい人だ!」
エルシアの疲れ果てた表情が一瞬にして冴えた。
エリーゼとランスロットも、セリスの方へ向き直った。
「でも、何でラヴァニア王国の騎士団がこんなところまで来たのよ?
すごく遠いはずよね」
「ああ――」
セリスは、さっき俺にしてくれた説明を繰り返した。
「とりあえず難は去ったものの、まだいつどこで遭遇するかわからない。
明日から三日かけて王都まで戻るが、引き続き警戒を怠るな」
「えっ、たったの三日で行けるの!?
地竜ってすごいね……」
「そうか。卿らは、デルンポートから馬車で王都まで移動していたんだったな。
それだと、二週間はかかるのではないか?」
よくご存じで。
やっぱり、竜車を買うべきだろうか。
これを機に検討してみてもいいかもしれない。
「白龍って、どんな魔獣なのかしら?」
「卿らはその全貌を見たかどうかわからないが、文字通り『白い龍』だ。
出現する前兆として、凄まじい冷気による異常気象が起きる。
まさに、『氷の化身』といえよう」
氷の化身……。
響きはすごくかっこいいんだが、二度と遭遇はしたくない。
まだ雪は降っているし、完全に消滅したわけではないのだろう。
なんなら、まだ近くにいる可能性すらある。
「遭遇したら、まず勝てない」
「――」
「でも、『大猿』は死んだわよ?」
「『剣帝』とその妻が撃破したというあの魔獣か。
あれと白龍は、わけが違うのだ」
セリスは、そう言い切った。
というか、大猿が誰に撃破されたかまで広まっているのか。
息子として誇らしい。
でも、わけが違うってどういうことだ。
同じ四大魔獣でも、強さに差があるというのか。
「白龍は、強さ自体は二番目、あるいは三番目だ。
しかし、討伐の難易度は四大魔獣の中で群を抜いているだろう」
「それはなぜだ?」
「卿らが経験した白龍の攻撃は、奴の一割にも満たない力だろう。
あの霧のような冷気の殺傷能力は本来、他のどの魔獣よりも高い」
「僕たちは確かに、あの冷気の攻撃を食らいました。
それなら、どうして無事で済んだんでしょうか……」
「先程の白龍は恐らく、卿らを攻撃する意図はなかったのだろう」
……は?
あれで、攻撃する意図がなかったは無理があるぞ。
まさか、俺たちと遊んでいるつもりだったってことなのか?
「まあ、今宵は安心してゆっくり休むといい。
騎士団が常に周囲を見張っている」
セリスはそう言って、俺たちの元を離れて行った。
本当に頼りになりそうな騎士団長様だ。
「もう、白龍には会いたくないわね……」
「まあまあ、前向きにいこうよ。
白龍に遭遇したおかげでセリスたちに拾ってもらえて、
おまけに地竜で王都まで行けるようになったんだよ。
すごい時間短縮になったじゃん」
「まあ……そうね」
あまり納得はいってなさそうだな。
ちょっと無理やりなのは否定できないが、エルシアの言うことにも一理ある。
たまたまセリスたちが拾ってくれたおかげで命拾いをしたし、
王都までの時間を大幅に短縮することができた。
不幸中の幸いというべきなのか、否か……。
いや、エルシアの言う通り、前向きに考えるのは大事だ。
ありがとうございます、白龍さん。
今後一切関わらないでください。
---
三日後。
もうそろそろ王都に辿り着くはずだ。
それにしても、地竜は素晴らしいな。
馬とはまったく違って、爽快感がある。
馬での旅は、のんびり旅に向いているな。
地竜の素晴らしさは身をもって体感できたのだが、
俺たちを置いて逃げ去ってしまったオルフェー〇ルが少し気掛かりだ。
もう、見つけることはできないだろうな。
ともに大陸を渡ったパーティの一員として、長い間旅を共にしてきた。
少し寂しいが、もうどうすることもできない。
「――」
俺の前でガッシリと手綱を握っているセリス。
この女は、只者ではない。
三日前に俺たちを救ってくれた、あの紫紺の一太刀。
あれは、セリスの剣から放たれたものであった。
ここでひとつ、疑問点が浮かび上がる。
――あの霧が迫ってきていたときのことである。
セリスはあのとき、地竜を飛び降りてその霧と対峙した。
そして、風属性の剣術も使っていた。
――雷剣術を使ったセリスが、直後に風剣術を使った。
そう。
セリスは、二つの属性剣術の使い手なのである。
それもなんと、雷聖級剣士でありながら風上級剣士であるらしい。
エルシアに聞いたところ、二属性の剣術を使う剣士は非常に珍しいらしく、
ましてやどちらも高い水準であることも、極めて稀らしい。
確かに、剣士は一つの属性に絞るのがメジャーなはずだ。
ルドルフも火属性剣術一筋だし、リベラも水属性剣術を極めている。
そう考えると、セリスのやっていることがいかに型破りであるかがわかるな。
「……また、肌寒くなってきたな」
セリスはそんな言葉をこぼす。
言われてみれば、確かに。
白龍の襲撃を受けたあの夜が明けると、
まるであの寒さが嘘のように蒸し暑くなった。
その日から今日にいたるまではその暑さが続いたが、
今日はまたひんやりとしている。
寒暖差で風邪を引かないか心配になるな。
……じゃなくてだな。
「……これ、もしかして」
「ああ。白龍が近づいてきているかもしれん」
やっぱりか。
……でも、
「セリスさん。白龍って、夜じゃなくても出るものなんですか?」
「ただでさえ前例が少ないから、断言はできない。
だが今までに、昼に現れたという情報はあまり聞いたことがない」
あんなデカブツが真っ昼間に現れたら、泡を吹いて倒れる自信がある。
ついでにチビるだろうな。
暗かったからはっきりと全貌は見えなかったが、
影を見た感じだととんでもない大きさだった。
しかし、どうしてセリスはこんなに白龍について詳しいのだろうか。
「卿には、話しておいてもいいかもしれんな」
「話す? 何をです?」
俺が聞き返すと、セリスはしばしの間黙り込んだ。
話してもいい、といいつつ、話すか話すまいか悩んでいるようにも見える。
いや、顔は見えないけど何となくそんな気がした。
「――あの化け物は、私の永遠の仇だ」
「――」
低く冷たい声で、セリスはそう言い放った。
未だ前を向いているため顔は見えないが、
後ろ姿を見るだけでもひしひしと怒りと憎しみの感情が伝わってくる。
「仇って、どういうことですか?」
「……私は、白龍に全てを奪われた。
家族も、友人も……そして未来も、全てな」
「――」
俺は、途端に居心地が悪くなる。
なにも、セリスの過去を聞きたくないとか、興味がないとか、そういう意味ではない。
まだ、心の準備ができていなかったんだ。
「私が生まれた集落は、憎き白龍の力によって滅ぼされた。
私だけが辛うじて生き延びたものの、行く当てもなく何日も見知らぬ土地をさまよった」
「――」
「そして、途方に暮れる私の近くに、再び白龍が出現した。
武器など当然持っていなかった私は、無様に逃げ惑うことしかできなかった。
逃げ切れないと悟って足を止め、最期の瞬間を待っていたところに、先代の騎士団長が現れた」
セリスは声色を変えず、淡々と話し続ける。
俺はどう反応していいか分からず、言葉が出なくなる。
そんな俺を気にすることなく、セリスはなおも続ける。
「颯爽と現れ、私を拾い上げて白龍から逃げ切った。
……どうだ。私の境遇は、卿らに似ているとは思わないか?」
「……確かに」
似ている。
というか、ほとんど同じだ。
もっとも、
二回も白龍と遭遇するとか、誰かを失うとか、そういう点は除いてだが。
「騎士団長に救われた日から私は、ラヴァニア王国の王都で騎士を目指して鍛錬を続けた。
他でもない、憎き悪龍を討つためにな。
その努力が運よく実を結び、私はついにラヴァニア王国近衛騎士団の副団長に任命された。
私がまだ、19のときの話だ」
「19歳で、副団長……」
それだけの実力を持っている、と認められたのだろう。
雷聖級と風上級剣術を使いこなすんだもんな。
そりゃ、貴重な戦力として重宝されるのも頷ける。
「そして、私が副団長になってから間もない頃に、奴は現れた。
ラヴァニア王国からずっと東に進むとある『フェルゼン皇国』の郊外にな」
「――」
「運悪く、白龍はその付近に数日間も居座り続けた。
そこで、ラヴァニア王国とフェルゼン皇国は手を取り合い、大規模な討伐作戦を実行した」
俺はセリスの話に夢中になる。
まるで俺がセリスになって当時の出来事を体験しているかのような、不思議な没入感がある。
「総勢およそ四百人の討伐隊で、切れる手札は全て切った。
私も文字通り死力を尽くし、その他の者も誰一人として生半可な気持ちで臨みはしなかっただろう。
……だが」
負けて、しまった。
その言葉は、セリスの口からは出てこなかった。
「命を失うことなく撤退できたのは、私を含めて20人程度だった。
無傷の人間などいるはずもなく、それは私も例外ではなかった」
「……騎士、団長さんは?」
「…………無論、だ」
声色はやはり変わらない。
しかし、その声は、その言葉は、
確かにやりきれない思いを孕んでいる。
それだけは、はっきりとわかる。
風が冷たい。
まるで俺の肌を直接刺されているかのように、
冷たい風が俺の顔に吹きつける。
……だが、セリスの声の方が、もっと冷たい。
「先代……エルド団長は、最期まで勇敢に戦い抜いた。
圧倒的な力にも屈することなく、己が道を貫き通したのだ。
私たちを逃がすために、戦場にただ一人残り、剣を振り続けた」
「――」
「……私は、何度逃げれば気が済むのだろうな。
白龍を殺し、家族や友人の仇を討つためだけに剣を振り続けたが、
結局はまた逃げて、大切な人を失うことになった。
堂々巡りも、いいところだろう」
セリスは、自嘲げにそう吐き捨てた。
口を開こうにも、考え付いた言葉がどれも間違った言葉に思えてしまって声が出ない。
「しかし、私の目的は変わっていない。
今も変わらず、私の大切なものを奪い続けた白龍を殺すために、近衛騎士団を率いている。
家族の遺志や友人の遺志、戦い抜いた騎士たちの無念、そしてエルド団長の誇り。
その全てを背負って、私はこの剣を振り続ける」
「――」
「……すまない。子供に話すようなことではなかったな」
「……いえ、そんなことは、ないです」
自分の声が震えているのがわかる。
これは没入したことによる同情からなのか、
はたまたこの人をここまで追い込んだあの龍への憤りからなのか、
俺には分からない。
ただ――、
「……たくさんの思いを抱えて、生きてらっしゃるんですね」
「――っ」
その瞬間、地竜がわずかに不安定になった。
珍しく、動揺しているみたいだな。
そんなつもりはなかったんだが……。
「ベル・パノヴァ」
「……はい」
「…………卿は、いくつだ?」
「え? 10歳ですけど」
「10……」
地竜の動きが再び安定し、セリスは俺の年齢を復唱する。
「……にわかには、信じられんな」
「えっ、どうしてですか」
「いや、まさか、私の半分にも満たない歳の子供に、
ここまで心を動かされるとは思わなかったものでな」
「……褒められたと捉えてもいいんですか?」
「もちろんだ」
こんな人に褒めてもらえるなんて光栄だな。
子供は、ささいなことで褒められる。
……俺の言葉がささいなものだったかどうかは、捉え方次第か。
「さて。もうすぐ丘を越えるぞ」
この丘を越えれば、ラヴァニア王国の王都が見えるらしい。
それから何分か下れば、もう王都の中だ。
結果的に、かなり予定は早まったと言っていいだろう。
紆余曲折ありまくりだったが、何とか王都までたどり着けそうだ。
「――おい! 全員止まれ!」
と思った矢先、俺たちの前を走っていた地竜に乗る男騎士が叫んだ。
その声に全ての地竜が速度を落とし、足を止めた。
「何事だ?」
「セリス様……! 下を……!」
「下……?」
俺たちの乗る地竜だけがゆっくりと男騎士のもとへ歩く。
下、と言われて、俺とセリスは丘の下を見た。
「――――――!」
俺は、言葉を失った。
隣にいるセリスの息が漏れ、少しずつ荒くなっていくのが聞こえる。
「どういう、ことだ……?」
セリスの言葉、表情が、全てを物語っている。
そこに王都は、なかった。
――――なかったのだ。




