第三十八話「夏に降る雪は冷たいか」
一週間後。
俺たちは、デルンポートという港町に着いた。
ついに、中央大陸に上陸したのだが……。
「――何で、雪が降ってんのよ」
夏であるはずなのに、雪が降っていた。
「寒い……。寒すぎるよぉ……」
エルシアは歯をカタカタと震わせている。
上半身に服を着ていないランスロットはなぜかなんともなさそうである。
竜人族は寒さに強いのだろうか。
それにしても、何だこの異常気象は。
月でいうと8月や9月とかのはずだ。
積もるほどの降雪ではないものの、雪が肌に触れるから寒い。
人々はあたふたとしている。
あまり人の気配はなく、ほとんどの家に明かりが灯っている。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは。
ん? 冒険者か?」
季節外れの格好をしている男。
店を畳んでいるところだろうか。
「どうして雪なんて降ってるの?」
「それが、原因が全くわからないんだよ。
一ヶ月くらい前から急に気温が下がって、雪まで降り出したんだ。
こんなこと初めてだよ」
エルシアの質問に頭を掻き、少し笑いながらそう語る男。
笑い事なのだろうか。
原因がわからないなら、なおさらヤバそうだな。
「ランスロットは何か知らないの?」
「全く見当もつかん。俺もこんなことは初めてだ」
180年生きてきたランスロットで分からないなら、誰にも分からないだろ。
すでに、旅の雲行きが怪しくなってきたな。
「とりあえず、しばらく様子を見たほうが良さそうだな」
「様子を見る?」
「すぐに出発する予定だったが、こんな異常気象の中むやみに進むのは危険だ。
数日ここに滞在して様子を見るぞ」
そして早速、予定が狂った。
---
宿を取るのに少し手こずった。
俺たち同様デュシス大陸から渡ってきた冒険者なんかで、どこも埋まっていたのだ。
かろうじて取れたのは、たったの一室だけだった。
「迷惑な話ね」
エリーゼはつまらなさそうに口を尖らせている。
そんなに尖らせるなら、指で引っ張っちゃうぞ。
「この雪、何なんだろう」
「強くならなければいいですが」
雪が強くなって、まして降り積もるなんてことがあったら面倒だな。
地竜なら雪道でも問題なく進めるが、馬はそうはいかない。
かといって、積もる前に突破しようとして豪雪に見舞われたら、
それこそもっと面倒なことになる。
まあ、数日は動けないだろうな。
「ねえ、ランスロット。本当に何もわからないの?」
「ああ。すまんが、全く経験がない」
ランスロットの言葉に、エリーゼは再びベッドに仰向けになって膝を立てる。
ありゃ、もうすぐ寝るな。
と。
「……」
「も、もう! エリーゼったらお腹鳴ってるじゃん!」
「すぴー」
エルシアの腹鳴転嫁、失敗。
エリーゼはもう深い夢の中に落ちていた。
「お腹すきましたね」
「……お恥ずかしいです」
「これ、みんなで分けて食べますか」
俺は自分の荷物から、一つの袋を取り出す。
中には、赤いベリーがたくさん入っている。
「あ、トリーベルだ!」
トリーベル。
赤いベリーを干して、それに砂糖をまぶしただけの保存食である。
これが美味いのだ。
俺は袋を開け、エルシアとランスロットを呼んだ。
エリーゼにも声をかけたが、夢から覚めることはなかった。
剣術においても睡眠においても、集中力は凄まじい物を持っている。
「ん~!」
「やはり美味いな」
このトリーベルは、船に乗っているときに入手したものだ。
かなり大きい船だったため乗客も多く、気前のいい冒険者たちが分けてくれたのだ。
初めて食べたときのあの感覚が、忘れられない。
記憶を消してもう一度あの感覚を味わいたいほどだ。
「店はほとんど閉まっていたから、食料を買い込めるか怪しいな」
「げっ。じゃあ、今持ってる分で凌ぐしかないってこと?」
「そうなるな」
それはまずい。
いや俺たちはいいんだが。
問題はエリーゼだ。
ミリアにいたときから、エリーゼの食欲が止まらない。
もうすぐ14歳になるからってのもあるんだろうが、
信じられないくらいよく食べる。
俺たちが買った分の半分くらいを、エリーゼが攫っていってしまう。
残りの半分を、俺たち三人で泣く泣く分けて食べているのだ。
だから、余計に多く買っておく必要があったんだが。
この異常気象でみんな閉じこもっているっぽいし、
食料の補充は厳しそうか。
道中で狩りをしてなんとかそれでかさ増しをするしかない。
「――ガアアアアアアア!」
「!?」
遠く――いや、割と近くで魔物の咆哮が聞こえた。
エリーゼも飛び起きて、窓の外を見る。
「魔物よ。行きましょう」
エリーゼは寝起きとは思えない冷静さで、
壁に立てかけた剣を持って部屋の外へ飛び出した。
俺たちもそれに続き、戦闘準備をしながら部屋を出た。
外に出る途中で、何人もの冒険者らしき人間と出会った。
というか、宿に泊まっている人間はほとんど冒険者だった。
「っ。結構数が多いわよ」
「なら、さっさと片を付けた方が良さそうだね!」
エルシアが先陣を切って飛び出すと、
俺たちの横に並んでいた冒険者たちも続いて飛び出した。
「はァッ!」
「『水砲』!」
魔術師たちも、続々と援護射撃をし始めた。
俺も攻撃せねば。
「『ロックショット』!」
杖先から岩の弾丸が三発。
全てが魔物の脳天を砕いた。
ドサッと音を立てて倒れる犬型の魔物。
その後ろから、絶え間なく魔物が補充されるようにして襲ってくる。
「『黒炎』!」
「はいっ! はいっ!」
エリーゼが炎の剣を振り回しているその横で、
エルシアが遠慮がちに剣を振っている。
何も唱えなくても風の斬撃が出る魔剣だから、
町なかで使うのは危ないのか。
セディウスの一件のときも宮殿の中で剣を振れないと喚いていたし、
強い魔剣もなにかと不便そうだな。
「――うわぁぁ! 助けてくれ!」
「『水球』!」
倒れている冒険者に、魔物が襲いかかろうとしていた。
俺はすかさず水魔法で魔物を葬り去り、冒険者のもとへ駆けつけた。
「大丈夫ですか?」
「怪我をしちまって、動けねえんだ……!」
「皆さん! 誰かこの方を安全な所まで運んでください!」
「分かったわ!」
俺が声をかけると、女の魔術師と男の剣士が駆け寄ってきた。
そして、足から血を流している黒髪の男を持ち上げ、宿の玄関口まで運んだ。
俺は飛びかかってくる魔物を殺しながら、それについて行く。
「傷は深いですか?」
「いや、そこまで深くはないと思うが……」
俺は黒髪の男が履いているズボンをめくる。
確かに、あまり深くはなさそうだな。
「大地の神よ、この者に癒しを。
――『ヒール』」
治癒魔法だけ、初級でも詠唱が必要なのは不便だ。
緑色の光が黒髪の男の患部を柔らかく包み、癒しの光を与えた。
「ありがとな。子供なのに治癒魔法が使えるなんて大したもんだ」
「褒めていただけて光栄ですが、今はすぐに復帰するのが先決です。
行きましょう」
「お、おう」
男が立ち上がるのを確認してから、俺は戦線に戻った。
肉の裂ける音と血しぶきが舞う音が交錯している。
これが人間のものじゃなかったらいいんだが……。
「はぁ……はぁ……」
戦闘は、終わっていた。
誰一人、倒れている者はいなかった。
ひとまず安心だ。
「エリーゼ! 大丈夫ですか?」
「ええ。大した強さじゃなかったわ」
エリーゼは涼しい顔をしている。
やっぱりエリーゼは頼りになるな。
さっきまで爆睡していた子とは別人だろうか。
「とりあえず、動ける冒険者は手分けして見回りをしろ。
民間人の命が最優先だ」
「了解」
ランスロットが指示を出すと、冒険者はそろって返事をした。
寄せ集めの冒険者たちなのに、こんなに統制が取れるのはすごいな。
流石は、名誉あるソガント族の戦士というべきだな。
---
四日が経った。
雪が弱まってきたため、俺たちは出発することにした。
このままモタモタしていても埒が明かないため、少しでも進む。
王都に行く途中で雪に見舞われたら、ラヴァニア王国の中のどこかの街にでも寄って凌げばいい。
「寒いわ!」
雪が止んだとはいえ、寒いものは寒い。
これ、農業を仕事にしてる人とかにとっては大打撃なんじゃないか。
冷害はどうしようもないだろうし、気の毒だな。
雪が弱まったことで徐々に店を開き出したため、
なんとか食料を買うことができた。
エリーゼの機嫌を損ねずに済んで安心だ。
「あっ、ベルじゃないか」
「ヘルトさん。お久しぶりです」
荷物をまとめて宿から出ると、ヘルトという黒髪の男から声をかけられた。
俺が足を治療した冒険者の男だな。
「もう旅立つのか?」
「はい。ラヴァニア王国の王都まで行く予定です」
「ラヴァニア王国か。かなり遠いんじゃないか?」
「二週間くらいですね」
「二週間か。大変だとは思うが、頑張れよ。
特に、この異常気象だから気を付けるんだぞ」
「ありがとうございます。ヘルトさんもお元気で」
ヘルトは俺の頭に手を置き、優しく撫でた。
温かい大人は大好きだ。
「ベル。出発するぞ」
「はい!」
ヘルトに別れを告げ、馬車に乗り込んだ。
ランスロットが馬の腹を軽く二回蹴ると、馬はゆっくりと歩き出した。
ここから東に進み、ラヴァニア王国の王都を目指す。
王都はラヴァニア王国の西端にあるらしい。
普通、中心部にあるものなんじゃないのか。
雪に見舞われる前に着いておきたいが、馬にはどうしても体力の限界があるからな。
地竜を借りてもよかったかもしれないが、もう今更か。
俺たちはデルンポートで、寒さに備えて防寒着を買った。
暖かそうなものを買っていたエリーゼたちだが、俺は買っていない。
いつも着ているローブがあるから大丈夫だと思っての判断だったが、
いざ外に出て馬車に揺られていると寒いのなんの。
「エリーゼ。寒いので温めてください」
「いいわよ」
おっ、珍しくツンツンが発動しなかった。
エリーゼも寒いんだろう。
お互いに温め合おうじゃないか――
「これでいいかしら?」
「何考えてるんですか! 馬車燃えますよ!」
エリーゼは剣を抜き、その剣に炎をともした。
エルシアも目ん玉をひん剥いて驚いている。
「冗談よ」
冗談が冗談になってないんだよ!
馬車が燃えたらどうするんだ。
全然温かくなかったし。
「いらっしゃい」
「わぶっ」
エリーゼは俺を抱き寄せて、顔を胸にうずめた。
また一段とお育ちになられて……。
「皆でくっつけば温かいよ。ほら」
そう言って、エルシアまでこちらにくっついてきた。
何だこの幸せな空間は。
天国って本当にあったのか。
二人の柔らかい体で、俺は挟まれている。
でも、くっついたら温かいってのはその通りだな。
ペンギンがブリザードから身を守るために群れで体を寄せ合う理由が分かった。
「エリーゼ、ちょっと胸大きくなったね。ツンツン」
「ちょっ……! やめなさいよ!」
「ひゃんっ! ごめんって!」
俺の頭の上で何がおこなわれているんだ。
気になって仕方がない。
俺を混ぜてもらうことってできたりするだろうか。
「ブェックショイ!」
「――え?」
え、今の誰のくしゃみだ?
俺ではないし、エリーゼやエルシアのくしゃみはもっと可愛い。
となると、
「今の、ランスロットのくしゃみなの?」
「……ああ」
「アッハッハ! 初めて聞いたわ、ランスロットのくしゃみ!」
エリーゼは俺から離れて転げ回っている。
ヤバい、ちょっと面白いぞ。
竜人族もくしゃみするのか。
一年半近く一緒に旅をしてきたが、くしゃみをしているのは初めて見た。
意外と人間らしい一面もあるんだな。
「お前たちは、風邪を引かないように気を付けろ」
「ランスロットさんもですよ」
「俺は免疫力が強いから風邪は引かん」
これは見栄を張っているのか、はたまた事実なのか。
ランスロットは基本的に嘘はつかないが、たまに冗談を言うことがある。
さっきくしゃみをしていた矢先だし、風邪を引かないことはないと思うが。
「それはそれとして、エリーゼ。やっぱり胸大きくなってるよね」
「そうかしら」
まだその話するのか。
何だか気恥ずかしくなってきた。
外の景色でも見るとするか。
……ん?
「また雪が降ってきたな」
さっきまで降っていなかった雪が、再び降り始めた。
運が悪いなぁ。
今なら引き返して、また何日か雪を凌げるぞ。
「エリーゼぇ。温め合おうよぉ」
「急に気持ち悪くならないで!」
「まぁまぁ、そう言わずにさぁ」
エルシアはキモおじのような喋り方で、エリーゼに抱きついた。
もう一回混ぜてもらいたい。
「温かくしておけ。
先ほどのように三人でくっついていれば、多少はマシになるだろう」
ランスロットも入れてあげたいところだが、操縦士がいなくなってしまう。
……待てよ。
「ランスロットさん。操縦、代わりましょうか?」
俺は、馬を操ることができる。
昔、散々ルドルフと一緒に練習をした。
そう。
マロンだ。
「大丈夫だ。俺は目がいいから、些細な環境の変化にも気づける。
お前たちには後ろの見張りを任せておく」
「……そうですか」
疲れているだろうと思って言ったんだが、意図は伝わっていないらしい。
まあ、そう言われたならその通りにしよう。
数時間経って、辺りはすっかり暗くなった。
日が沈み、月が出た。
綺麗な半月だ。
あれは上弦だったか、下弦だったか。
左が欠けているから、上弦だな。
そうして雪が落ちてくる夜空を見上げる俺は、未だ馬車に揺られている。
もう少ししたら、馬車を止めて休憩に入るらしい。
すでに、まぶたは若干重い。
隣にいるエルシアもウトウトしているし、
エリーゼに関しては全身で「大」を作って眠っている。
「ベルも寝てていいよぉ……。
わたしの膝においでぇ……」
「はい」
エリーゼの監視がない今しかない。
エルシアに手招きをされる前に、俺はスッとエルシアの膝に頭を預けた。
「ベルはいつも頑張ってて偉いねぇ……。
この膝枕はご褒美だぞぉ……」
最高のご褒美だ。
筋肉質だがしっかり弾力のある太もも。
今のうちに堪能しておこう――
「――ベル! 危ない!」
「ごえぇっ!」
突然、エルシアに突き飛ばされた。
馬車の壁に頭をぶつけ、馬車がグラリと激しく揺れた。
「――っ!」
頭を押さえて痛がっているところに、エルシアが息を呑む声が聞こえた。
顔をしかめて片目だけ開き、エルシアに視線を移す。
その途中で、馬車の床に何かが落ちているのが見えた。
「んあぁ……。何よ、うるさいわね……」
「これ……鳥?」
エルシアが拾い上げたのは、鳥の形をした物体。
「冷たっ!」
それは、カチコチに凍っていた。
爪で軽く叩いてみると、コツコツという音がした。
「どうかしたのか?」
「上から、凍った鳥が落ちてきたんだよ」
「……凍った鳥?」
上を見上げると、鳥が落ちてきたと思われる場所に穴が空いていた。
我らが愛馬車、初めての損傷。
こればっかりは治癒魔法でも治せないんだよな。
「ふむ。今日は、これ以上進まない方が良さそうだな」
ランスロットはそう言って、馬車を止めた。
こんな開けたところで止めて大丈夫なのだろうか。
一応寝袋は持っているが、寒いだろうな。
「嫌な予感がするな」
「鳥が凍るなんて、どうなってるの?」
ランスロットは馬から降りて、俺たちの方へ歩いてきた。
と、その瞬間、
「ヒヒーン!」
馬が立ち上がって暴れ出した。
落ち着け、オルフェー〇ル。
何に怯えているんだい――
「あっ! ちょっと!」
「馬が行っちゃうわ!」
オルフェー〇ルは、いきなり馬車ごと走り出した。
来た道を戻るように、走り去ろうとしている。
「ランスロットさん! 追いかけなくていいんですか――」
「――」
遠ざかっていく馬車を見て、振り返ってランスロットに訴えかける。
しかしその目は、もはや馬車など見ていなかった。
俺以外の全員が、夜空を見上げている。
その顔は、どれも全て青ざめていた。
全員の視線が集まる夜空を、俺も見上げる。
それを見て、俺は心臓の鼓動が一瞬にして早まっていくのを感じた。
「――何よ、あれ」
エリーゼの口からそう漏れた瞬間、辺りが霧に包まれた。
いや、これは霧なのか?
霧って冷たいっけか?
「ベル! エリーゼ! エルシア!」
「大丈夫! 今のところは!」
「あたしも生きてるわ!」
それぞれの声が聞こえる。
声の大きさ的に、近くにはいる。
「全員その場から動くな!
ベル、風魔術で少しでも霧を払えないか!?」
「やってみます!」
俺は深く息を吸い込み、呼吸を整えようとする。
しかし――、
「――ゲホッ! ゲホゲホッ!」
「ベル!? 大丈夫なの!?」
肺が、締め付けられるように痛んだ。
気道から、血の匂いがする。
「ゴホッ……!」
その血の味は、熱い液体とともに口まで押し寄せてきた。
そして、口から血を吐いた。
思わず膝をつき、再び咳き込む。
何だ、これ。
肺が裂けたのか?
比喩で使うことはあるが、実際に張り裂けることなんてあるのか?
「『久遠の乱風』!」
エルシアの声が響き、同時に凄まじい突風が吹き荒れた。
血がとめどなく流れてくる口を押えながら、前を見る。
エルシアのおかげで、視界は晴れた。
周りにみんないるのが確認できて、俺以外は全員無事だ。
しかしすぐに、今度は吹雪が俺たちの体を打ち付けた。
服の上からでも、雪がぶつかる痛みを感じる。
まるで、雪ではないかのようである。
「――」
今度こそ、空を見上げる。
そこには、先ほどのような雪のチラつく神秘的な夜空はなかった。
灰色の分厚い雲。
そしてその中から、巨大な何かが現れた。
雪雲よりも、白い影。
見上げることしかできない俺たちに――、
「――――ッッッッ!!!」
巨大な口が、咆哮をあげた。




