第三話「魔術か、剣術か」
時間の流れって、どうしてこんなに早いんだろうか。
もう俺は五歳になってしまった。
ついこの前まで二歳で、「魔法楽しいぃぃぃ!」状態だったのに。
今じゃ、あんまり興奮できなくなってしまった。
もちろん、魔法が使えるという現状に感謝はしているが。
ロトアからの教え、そして魔術教本のおかげで、俺は水、火、土の初級魔法を使えるようになった。
水特級のロトアは、息子が自分と同じ属性の魔法を覚えようとしているためか、かなり嬉しそうにしていた。
「ベル。そろそろ、剣術を教えてやろうか」
もうそんな歳になったか。
確かに、背もかなり高くなったし、ルドルフが普段使っている木剣よりも一回り小さなものくらいは握れるようになっただろう。
「実はな。前々から少しずつ、お前のために木剣を作ってたんだ。ちょっと待ってろ」
ルドルフは席を立ち上がり、自室へ歩いて行った。
木箱を持って直ぐに戻ってきたルドルフは、俺の前で木箱を開けた。
「わぁ、すごい……これ、僕のために?」
「もちろんだ。とはいっても、本格的な剣はまだお前には早いから、俺が持ってもいいと判断するまではこの木剣で我慢だ。
いいな?」
「うん! ありがとう!」
それにしても、かなり作り込まれているな。
剣の造形に詳しいわけではないが、かなり時間をかけて作られたものだということは分かる。
こんなものを、俺のために。
剣も捨てたもんじゃないな。
俺は木箱から取り出して木剣を持ってみる。
……あれ、そこまで重くないな。
「初めてだから、軽めの素材で作ったんだ。
いきなり俺のような木剣を持たせて怪我でもさせたら大変だからな」
そこまで気遣ってくれるとは、ルドルフもなかなかやるな。
よっぽど俺に剣術に興味を持って欲しいんだろう。
まあ、俺は初めて魔法を使った二歳の時からこの3年間、ひたすら魔術の練習ばかりしていたからな。
剣一筋のルドルフがロトアに嫉妬するのも無理はないか。
「試しに振ってみるか?」
「うん」
俺はルドルフに連れられて、庭へ出た。
ルドルフの口角が下がることを知らない。
気持ち悪いくらいにニッコリしている。
こいつは前々から笑顔の絶えない明るい男だが、剣のこととなると変態になってしまうのかもしれない。
「剣オタク」とでもいおうか。
「まずは俺のを見てろよ。
しっかり腰を入れて、右足を踏み出して強く地面を踏み込むと同時に、こう!」
ルドルフが剣を振ると、「ブォン」という風切り音が鳴った。
剣筋が全く見えないということは、とんでもないスピードで振っているのだろう。
魔術の時はたまたま上手くいったが、剣術はそうはいかないだろうな。
「はっ!」
「おっ、中々いいじゃないか。その調子だ」
言われた通りに木剣を振る。
これ、剣道と道理は同じなのか。
右足を踏み出して、同時に剣を振り下ろす。
実戦で使うとなると縦に振り下ろすだけじゃ戦えないだろうが、やはり基本の動きとなるとここに帰ってくるのだ。
この剣、軽くて振りやすいから振り心地がいいな。
風を切っている感覚がする。
「父さんは、お前に俺の称号を継いで欲しいんだがな……」
「称号?」
はて。
ルドルフに凄い称号があるなんて、この五年間で一度も聞いたことがないが。
彼は剣士だから、剣に関する称号だろうか。
変な称号だったら是非とも遠慮したいところだ。
「ああ。俺は、『剣帝』という称号を授かっているんだ」
な、なんだそのカッチョエエ称号は。
全身全霊で、継がせていただきます。
「なんか、かっこいいね。
すごく強そう」
本当の五歳児のような感想になってしまったが、それ以外の言葉が見つからない。
だってかっこいいし、めちゃくちゃ強そうだし。
「父さんは、世界で二番目に強い称号を授かった剣士なんだ。
『剣神』、『剣帝』、『剣聖』、『剣王』。
俺はそのうちの二番目の称号をいただいたってわけさ」
「そ、それ……相当凄くない?」
「はは、そうだろう」
いや、「はは」じゃなくて。
こいつ、かなりとんでもない人間だった。
というか、待て。
ロトアは特級魔術師で、ルドルフは世界二位の剣士。
バケモノ夫婦じゃねえか!
よもや、こんな家族の子供になってしまうとは。
そう考えると、なんか重いプレッシャーが……
「だが、どうやらお前には、魔術の方に才能があるらしい」
ルドルフは少し悲しげな表情をした。
さっきまでの変態的な笑顔はどこへやら。
三年前、ルドルフは「男の子だったら剣術を学ばせる約束だっただろう」とロトアと口論をしていた。
そういうことだったんだ。
ルドルフは俺に、自分のような立派な剣士になって欲しかったから、剣術を学ばせたかったのだ。
なんだか、申し訳ないことをした。
「ごめん、父さん」
「……なに、謝ることはないさ。
お前の人生なんだから、やりたいことはお前が選べばいい」
「……」
少しうるっときた。
もう精神年齢的にはアラサーの涙腺なんだ。
迂闊にそういう泣けることを言うんじゃない。
「だが、剣術は最低限覚えておいても損はない。
初級剣術までは、俺が教えてやる。
後は、魔術に専念するなり、やりたいようにやりなさい」
「うん、分かった。ありがとう、父さん」
「やると決めたからには、厳しく行くぞ。
俺のことは鬼族だと思え」
鬼族という種族が存在するのか否かは置いといて、鬼教師が目の前に爆誕してしまった。
やめておけばよかったな。
……いやいや、それではダメだ。
俺はこの世界で本気で生きていくと誓った。
嫌なことから逃げてばかりでは、前世の俺と変わらないじゃないか。
辛くても、逃げない・めげない・諦めない。
俺は、頑張ってみせる。
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「ベルー? どこに行った?」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……」
鬼師範爆誕から五日。
俺は物置部屋の大きな木箱の中に隠れている。
そう、俺は逃げ出したのである。
だって痛いんだもん!
魔術の練習は全く痛みを伴わないが、剣術は違う。
ルドルフは、息子である俺にも容赦なく木剣をぶつけてくるのだ。
ロトアの治癒魔法で治してもらえるから大丈夫だと言い張って、めちゃくちゃぶっ叩いてくるのだ。
治癒魔法で傷は治せるけど、痛いもんは痛いわ!
俺はこの世で痛いのが一番嫌いだ。
ゴキブリの次くらいに嫌いだ。
とてもじゃないが、あれに耐え続けられる気がしない。
助けてママ。
俺はロトアみたいな優しい先生がいいよ。
「ベル? ルドルフが呼んでるわよ?」
「『ベルは旅に出ました。どうか探さないでください』って伝えて」
「せっかく剣術教えてくれてるんだから、頑張りましょ。
ほら、頑張った後はご褒美のおやつが待ってるから」
そんなものにそそられると思っているのか。
俺はもう二十六歳児だぞ。
「もう、仕方ない子ね。
じゃあ、ご褒美にチューしてあげるわ」
「行ってきます」
しまった。
狡猾な罠を仕掛けられた。
謀ったな!
クソォ!
「そんなもんじゃ、初級剣士にすらなれないぞ!」
「そんなこと、言われたって!」
「闇雲に振り回すだけじゃダメだ!
相手の動きをよく見て、守りが緩そうなところを叩くんだ!」
「おるるぁ!」
「あぅ……」
「あっはっは! ルドルフのルドルフがっ!」
勝った。
俺は鬼教師のタマキンを蹴り上げて勝利を手にした。
「お前なぁ……それじゃ剣術とは呼べないぞ……!」
勝てばいいんですよ、勝てば。
どんな手を使ってでも貪欲に勝ちを狙うのが、勝負における真理なのだ。
「はぁ……やっぱりベルに剣術は無理か……」
「ひぃ……ひぃ……」
「いつまで笑ってんだお前は」
ロトアは悶絶するルドルフを見て抱腹絶倒している。
五歳児に急所を蹴りあげられる様は、傍から見たらさぞ滑稽だったろう。
俺もこの五日間で痛感した。
剣術よりも、魔術の方に長けていると。
初級魔法とはいえ、三年間で三種類の魔術をマスターしたのだ。
剣術も続ければ何かを掴んで上達するかもしれないが、正直な話、こんな鍛錬に耐えられる気がしない。
ルドルフには申し訳ないが、俺は魔術に専念することにしよう。
「母さん、ご褒美のチューは?」
「はぁ……はぁ……!」
無理そうだ。
某探偵アニメに出てくる死人のような格好になってまだ笑っている。
酸欠になって死ななければいいが。
「二人とも。気分転換に、出かけてみるか?」
「どうしたの?急に」
「最近、家族揃って出かけることができてなかったとふと思ってな。
どうだ?ロトア……まだ笑ってるのか。
そんなに俺のキ○タマが面白いか?
いつも見てるじゃないか」
おい、全然アウトだぞ。
ビデオ検証するまでもなく、余裕でアウトだぞ。
それが五歳児の前で言うセリフか。
この後、ロトアは三分間にも渡って断続的に笑い続けた。
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服を着替えて、出かける準備をする。
まあ、持っていくものなど何もないが。
「じゃ、行こうか」
このラニカ村は、「グレイス王国・ヒグニス領」という区分になっている。
これは当主の名前がそうなのか、はたまた当主が好んでその名前を付けたのかは不明だが、とにかく、グレイス王国の支配下にある。
位置でいうと、グレイス王国の北西部らしい。
ラニカ村は、「村」とついている割には、かなり広い領土を持っている。
人口は四千人ほどと、人々もかなり活発だ。
まだ五歳だから一人での外出は許されていないが、家族で出かけるときは必ずみんな挨拶してくれる。
人も温かくて、村自体とても大きい。
俺はいい村に転生したらしい。
「夕飯の買い出しもしなきゃだったし、ちょうどよかったわ」
「今日はなにをするの?」
「カレーでもしましょうかね」
「わーい」
この世界の食生活について、一言で言おう。
普通に美味い。
日本食に敵う料理はないということを念頭においても、かなり美味である。
それも、俺の知っている料理がいくつかあるのだ。
例えば、ロトアが今言ったカレー。
俺の思っていたものと多少違うとはいえ、日本の「カレー」と比べても遜色ない。
……厳密には、カレーは日本食ではないか。
「ベル、何か欲しいものはないか?
この俺を倒したんだ。
俺からもご褒美をやろう」
「ほんと?!」
男としての尊厳を奪ってしまったと自負していたのだが、ルドルフは柔らかな笑顔で俺に向けて微笑んだ。
でも、欲しいものと急に言われてもな……
これ、結構あるあるだと思うんだ。
「欲しい!」と思った時には「ダメ」と言われ、特に何にもないときに限って「買ってやる」と言われる。
人間として生まれた以上、この気持ちは誰しもが理解できるだろう。
せっかくだし、なにか選んで買ってもらいたいところだが……
「お、魔術師になりたいなら、杖とかどうだ?
うちは貴族ではないから、そんなに高いのは買えないが」
「いいんじゃないかしら?
あ、でも『近接型魔術師』になるならあんまり出番はないかもね」
「近接型魔術師?」
なんだなんだ、まだ戦闘知識があるのか。
数年おきに説明するんじゃなく、一度に全部説明してほしいものだ。
「魔術師は魔術師でも、『後衛型』と『近接型』に区別できるの。
後衛型は、後ろから前衛を支援するように立ち回る。
近接型はその名の通り、最前線で魔法を使って戦うの」
「確か、近接型のほうが少ないんだったよな?」
「ええ、そうよ。比率的には、近接型の人間は一、二割くらいしかいないわ」
「どうしてそんなに差があるの?」
「魔術師になりたい人の大半は、『前衛で戦うのが嫌だから』っていう理由が多いのよ」
うむ、間違いない。
前衛で戦うのはとても怖いだろうな。
俺はまだ本物の魔物と戦ったことはないが、前衛で戦うのは想像するだけで恐ろしい。
「ベルはどっちがいいんだ?」
「ルドルフ、まだこの子は五歳よ。
決めるのはもう少し大きくなってからでも……」
「父さん。僕、杖はいいよ」
ルドルフは一瞬、呆気にとられた。
無論、俺も前衛で戦うのはとても怖い。
できることなら、後ろからチクチク嫌がらせできる後衛型の魔術師がいい。
でも、それじゃなんの面白みもないじゃないか。
男なら、前に出てなんぼだ。
逃げてばかりの人生は、もうやめる。
……さっき逃げたけど。
「僕は、近接型の魔術師になるよ」
「そうか。同じ前衛担当として嬉しいぜ、ベル」
そうだ。
ロトアから魔法を教わって、前衛の動き方なんかをルドルフに教わればいいじゃないか。
最強の師匠が二人もいるのだ。弱い人間にはなりたくない。
それに、前衛で素早く動き、敵の体に魔法を撃ち込むなんて……
まさに、男のロマンってやつだ。
「なんか、森のほうが騒がしいな」
「なにかあったのかしらね」
そういうのって、村襲撃イベントのフラグになったりしかねないんじゃないか?
いやいや、せめて俺が大きくなって、中級魔法が使えるようになったくらいでお願いしますよ。
というか、そんなイベントはないに越したことはない。
まあ、大丈夫だろう。
ここ数日、何度か森のほうから鳥のざわめく音が聞こえていたし。
――ん?
なんか、すごく大きな足音がするような。
ま、まさかな。
きっと大きめの地震か何かだろう。
「――魔物の大群だー!
すぐに避難所へ逃げろ!」
「魔物?!」
……おいおい、嘘だろ。
そんな都合よく襲撃してくることがあるのか?
それに、魔物の大群?
じゃあ、この大きな地響きはなんなんだ?
「ベル。すまない。
俺とロトアは、魔物の相手をしなくちゃならないんだ。一人で行けるか?」
「えっ、でも……」
「ベル。これは村の取り決めなの。
村の騎士たちはいかなる理由があろうとも、非常事態の時には結集して対処しなければならないのよ」
そんな取り決めがあったとは。
それなら、仕方ない。
避難所まで子供を送り届けるくらいは許して欲しいものだが、取り決めを破らせるわけにはいかない。
「……分かった。
絶対、無事でいてね」
「もちろんだ」
「ベルも必ず、生きて避難所に辿り着いてね」
ロトアはそう言って、俺の額にキスをした。
そして、二人は振り返って走り出した。
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走っては歩いて、走っては歩いてを繰り返し、体感だと三十分が経過したはずだ。
俺は、道に迷ってしまった。
ただでさえ大きな村なんだ。
一人でほとんど出歩いたこともない場所だから、マップは全く埋まっていないんだぞ。
冷静になって考えてみれば、一人で避難所になんて行けるわけがない。
そもそも、場所さえ教えてくれなかったし。
魔物の唸り声、人々の悲鳴が木霊する。
家々は壊され、あちらこちらで火災が起こっている。
さっきまでの明るい村は、一転して地獄へと変貌を遂げた。
そこら中に人の死体が転がっている。
本物の死体を、初めて見た。
「……けて……」
左耳に、人の声が飛び込んだ。
咄嗟に左を見ると、瓦礫の下敷きになって動けなくなっている青年がいた。
とにかく、助けないと。
「今、助けます!」
「お前じゃ……無理だろう……!
大人の人を……!」
「今、この周りに生きている人間は僕だけです!」
俺はすぐに青年に駆け寄り、瓦礫をどけようとした。
だが、五歳の俺の力では、重たい瓦礫をどうすることも出来ない。
大人の人を呼びたいが、転がっているのは亡くなっている大人のみ。
クソ、このままではこの人が死んでしまう。
「……もう、いいから……!
逃げろ……!」
「――グルルル……」
「――っ?!」
背後から、嫌な声が聞こえた。
間違いなく、人間の声ではない。
ゆっくりと振り返るとそこには、狼のような魔物が立っていた。
これが、本物の「魔物」。
……あれ?
足が動かない。
金縛りにあったみたいに、体が全く動かない。
逃げなければ。
でも、逃げたらこの人が……
「……っ」
体の震えが止まらない。
それでも、体は動かない。
人って、死を悟ると動けなくなるのか。
まずい。
本気で生きようと決めた人生なのに。
せっかく、またチャンスを貰ったのに。
…………こんなところで、死んでしまうのか。
「ガルルァァァ!」
「――はぁぁっ!」
襲いかかってきた狼の魔物は、俺の目の前で真っ二つになった。
同時に聞こえたのは、少女の声。
「……大丈夫?」
「あ、ありがとう……ございます……」
声の震えが止まらないが、命を救ってくれた赤髪の少女にお礼を言った。
瓦礫の下敷きになっていた青年は、もう既にグッタリとしていた。
「こ、この人を助けてあげてください!
下敷きになって動けないんです!」
「……その人は、もう死んでるわ」
「――っ」
………あと一歩、間に合わなかったか。
「避難所まで連れて行くから、早く立って」
「は、はい。ありがとうございま……
っ! 後ろ!」
「えっ?」
少女は反射的に、魔物の突進を剣で防いだ。
が、剣は猪のような魔物の大きく鋭い牙によって飛ばされてしまい、運悪く燃え盛る建物の中へと消えていってしまった。
「剣がっ……!」
剣を失った少女と、何も出来ない五歳の幼児。
無力な子供が二人揃ったところで、魔物に勝てるはずがない。
どうする。
これじゃ一難去ってまた一難じゃないか。
――いや。待てよ。
何故俺は、思い付かなかったんだ。
俺は無力な少年なんかじゃない。
三年間培ってきたものが、俺にはあるじゃないか。
俺は、『魔術師』だ。
「『炎矢』!」
少女の前に立ちはだかり、猪に炎の矢を放った。
もう一つ階級が上がれば矢の本数制限がもっと増えるんだが、初級だと一本が限界だ。
しかし、その矢は見事に猪の脳天を貫いた。
燃えるように痛いであろう炎の矢をまともに食らった猪は、塵になって消えていった。




