第三十一話「森でのブレイクタイム」
「うわぁ、なんじゃこりゃ。
地面の底が全然見えなくなっちゃった」
「ジャンケンで負けた人、飛び込んでみますか?」
「バカじゃないの」
三日後。
獣族の森は、水没した。
とはいっても雨季が来たことによる集中豪雨なので、何か月かすれば元に戻る。
今の上空の雨雲レーダーが見てみたいな。
きっと果てしなく真っ赤になっていることだろう。
高台への物資の運搬は、何とか間に合った。
集落が魔物に襲撃を受けることもなく、とんとん拍子で作業が終わった。
俺は特に運搬には貢献していないが、大層感謝された。
『お前達がいなければ、間に合わなかっただろう。
心から、感謝する』
と、俺含めた一行に向けてのお礼を言われた。
オルフェンの話によれば、この雨季は一か月から三か月続くらしい。
普段から木の上で暮らしている獣族達はもう慣れっこだろうが、俺達は違う。
こんなに高い場所で生活するなんて、この先経験することはないだろう。
俺が極度の高所恐怖症とかだったら、どうなっていたことか。
高い所が得意だとは決して言えないが、パニックを起こすほどのレベルではない。
「こんな高さから落ちたら、どうなっちゃうのかしらね」
「下は水だから、死にはしないと思うよ」
「いえ、死ぬ可能性はゼロとは言い切れません。
この高さから落ちた時の水の硬さは、アスファルトくらい硬いですから」
「そうなの!?」
というのを、どこかで聞いたことがある。
何かのニュースでやっていたのをちらっと見ただけだから、本当か否かは分からない。
まあどちらにせよ、落ちないようにした方がいいのは確かだ。
と、
「ベル! まじゅつ!」
大洪水の地面を見下ろす俺達の元に、一人の健気な少女の声。
族長・オルフェンの娘、リュミナだ。
どうやら前に教えた魔術が楽しかったらしく、俺にもっと教えろとせがんでくる。
……いや、教えたのはエリーゼで、俺は何ひとつ教えていないんだが。
リュミナがまだ幼く、論理的なことを理解する能力に乏しいということもあるかもしれない。
だが、それにしてもなんだよな。
単純に、俺の言語化能力が壊滅的なのが悪い。
それと、魔術の理屈がかなり複雑であるということもあるだろう。
聖級魔術師になった今でも、完全に理解しているとは言い難い。
理屈っぽいことは嫌いだ。
俺は感覚で動くタイプなのだから。
こういうところに、ティーチング能力がない理由が詰まっているんだろうな。
『リュミナ。今日は剣術をやるって約束だろう?』
「嫌ニャ! 魔術がいいニャ!」
『今日という今日は許さんぞ』
『ニャァァァ!』
手足をジタバタとさせて必死に抵抗するもむなしく、リュミナはオルフェンに連行された。
まあ、昨日は丸一日サボっていたしな。
怒られても仕方がないというものだ。
「森も水没したことだし、水が引くまではのんびり生活できるわね!」
言い方、言い方。
状況次第では不謹慎にもほどがあるぞ。
「いいや、そういうわけでもない。
こういう気候の地域特有の魔獣もいるからな」
「えっ、そいつらも襲ってくるの?」
「はっはっは。襲ってこない魔獣なんていないよ」
「はぁ……たまにはぐうたら生活したいわ!
てかなんであんた笑ってんのよ!」
ぐうたらはまずいぞ。
俺だってできることならそうしたいけど。
堕落した生活を送ることは、何もいいことに繋がらない。
ニートだった俺が言うんだ。
誰よりも説得力があるだろう。
とはいえ、やることはないな。
こんな時に、スマホのひとつでもあればな。
雨が降っているから魔術の練習もあまりできそうにないし、
これじゃ船に乗っている時と同じじゃないか。
「頑張ってるわね、リュミナ」
「ですね」
リュミナとオルフェンの、木刀がぶつかり合う音が聞こえる。
あんなに嫌がっていたのに、やるときは一生懸命なんだな。
ややでたらめに打ち込んでいる感じはあるが、あれだけ小さいんだ。
最初はでたらめでもいいだろう。
「エリーゼも、リュミナに剣術を教えてあげたら?」
「それなら、エルシアの方が適任じゃない。
あたしよりも階級は上なんだから。
それに、免許を持ってないと教えちゃダメなんじゃないの?」
「友達同士で勉強を教え合うのに、免許なんて要らないでしょ?
人に教えることで、自分も理解を深められるものだよ」
何だか今のエルシアの言葉、ものすごく納得できた。
確かに、勉強を教え合うのに免許なんて要らないもんな。
「ちょうど退屈なんですし、行ってみたらどうですか?」
「……まあ、そうね」
俺よりもエリーゼの方が、人に教えるということに関しては向いていると思うし。
教える側も、意外と勉強になるものだ。
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「オルフェン。ちょっといいかしら」
「む? エリーゼか。それに、ベルも」
何故か、着いてこいと言われた。
エリーゼが教えるのに、俺は必要なのか?
第一、俺は剣術に関してはめっぽう弱いんだが。
身近にすごい剣士がいる時間はかなり長いから、目は肥えている方だと思う。
でも、剣術を使う側になるのは話が別だ。
俺は剣士ではないし、教えられるレベルではない。
「リュミナの動き、まったくでたらめよ」
「ニャっ?」
これまた火の玉ストレートだな。
リュミナもオルフェンも、呆気にとられたような顔をしている。
「オルフェンは、それが分かった上でリュミナに剣術を教えているの?」
「ああ、もちろんだ。
だが、まだこの子は小さいから、そこまで緻密な動きを覚えさせるのは難しいかと思ってな。
まずはでたらめでもいいから、剣を振ることに集中させている」
「なるほどね。でも、それじゃ甘いわよ」
「――」
エリーゼはそこから、ズバズバと指摘し始めた。
「まず剣の握り方から。
利き手が右なら、右手が上」
待ってくれ。
そこからなのか。
「むやみに剣を振ると、ちゃんと剣術を練習し始めた時にフォームが崩れちゃうの。
フォームの崩れは、取り戻すのにすごく時間がかかるのよ。
こうして、しっかり握って、縦に振り抜くの」
エリーゼは、リュミナの体に密着して手取り足取り教えている。
いいな。俺もあんなに密着されたい。
また剣術始めようかな。
「貸してみなさい。
……小さいわね」
「そりゃ、子供用ですから」
これなら俺でも振れそうだな。
昔、ルドルフが俺に作ってくれた木刀を思い出す。
あの時、折れずに剣術を続けていたら、俺はどうなっていただろうか。
剣術と魔術を両立する神童になっていたかもしれない。
エリーゼは俺達から少し距離をとり、縦に何回か振って見せた。
リュミナのスイングを見た後だからか、余計に速く見える。
いや、エリーゼのスイングは一流のものだろう。
なんといっても、『剣王』と『剣帝』の二人に教えてもらった経験があるんだからな。
今も聖級剣士と共に旅をしているわけだし、エリーゼは本当に環境に恵まれている。
俺がさらに魔術を磨けるようになるのは、だいぶ先の話になりそうだ。
「速いニャ!」
「ふふん。何回振ってきたと思ってんのよ」
「エリーゼ。こんなに小さな子に威張るのはみっともないですよ」
「うっ、うっさいわね!」
木刀で殴られるかと思ったが、エリーゼはすんでのところで踏みとどまった。
数年前なら殴られてたな。
いくら木刀だからって、油断してはならない。
殴られれば普通に痛いし、エリーゼのスイングスピードなら斬れないとも言い切れない。
「ベル。エリーゼはどのくらいの腕を持っているんだ?」
「先日の魔物との戦闘で、見てないんですか?」
「見てない。俺も魔物の相手で精一杯だったからな」
「なるほど。エリーゼは、火上級剣士ですよ」
「上級剣士……どうりで、動きが機敏なわけだ」
俺もオルフェンが戦っているところは見たことがない。
武装している姿は、初めて出会った時に一度目にしているが。
エリーゼは、熱心にリュミナに剣術を教えている。
あんなに勉強を嫌っていたエリーゼが……。
お母さん、泣いちゃうよ。
でも、剣術ってかっこいいよな。
前世の俺は、剣なんかよりも魔法の方が魅力的だとばかり思っていた。
今となっては、どちらにもロマンがあっていいと思う。
正直、剣術にも挑戦してみたいという意欲だけはある。
せっかくエルシアという聖級剣士もいることだし、教わってみてもいいかもしれない。
と思うだけで、結局は「魔術でいいや」ってなるんだよな。
魔術は偉大だ。
魔術があればなんでもできる。
水を飲むのも、洗顔するのも、シャワーを浴びるのも、魔術があれば解決する。
シャワーは、できればちゃんと浴びたいけど。
「ベルは、魔術師だったよな。
お前の腕は、どんなもんなんだ?」
「僕は、雷聖級魔術師です」
「聖級魔術師だと? ちなみに、歳はいくつだ?」
「この間、十歳になりました」
「十歳……!? リュミナとそう変わらないじゃないか」
リュミナは七歳だから、確かにあまり変わらないな。
実際、十歳の聖級魔術師って、世界にいるのだろうか。
これだけ広い世界なら、結構いそうだな。
「では、僕は失礼します」
「ああ。ランスロット達によろしく頼む」
エリーゼが指導に夢中になっている間に、この場を離れておこう。
このまま豪雨に打たれたままでは、風邪を引いてしまう。
なんて言っては、この三人がどうでもいいみたいな言い方になるが。
まあこの雨なんだし、そこまで長いこと外にいることはないだろう。
もう少ししたら、帰ってくるはずだ。
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そういえば、守護獣のヴォルガルムはどうなったのだろうか。
水の底に沈んだとか言わないよな。
凶暴化した時は魔物だが、普段はかなり大人しい。
顔は少し、というかだいぶ怖いが、モフモフしていてかわいい。
「クゥン」
「お、お前! 生きてたのか!
よぉしよしよしよし」
わしゃわしゃと撫でると、ヴォルガルムは嬉しそうに体をこすりつけてきた。
ちなみに、この守護獣にこれといった名前はないらしい。
名前を付けたところで誰も名前で呼ばないから、という理由だ。
「名前くらい付けてやれよな。
こんなに可愛いんだから……ぶわっ!」
優しく頭を撫でていると、俺に飛びついてきた。
ベロンベロンと顔を舐めて……うお、くっせえ!
獣の臭いすげぇ!
俺は……!
俺達は、こんなにも可愛い子を殺そうとしていたのか……。
過去の俺達を殴りたいぜ、まったく。
守護獣様はお疲れになられたのか、丸くなって眠り始めてしまった。
ちょっと、頭を預けてみよう。
突然我に返って、食い殺されたりしないよな。
魔獣は魔獣だし、割とありえるのがまた怖い。
「……良かった」
このまま、俺も眠ってしまおう。
やることがないときは、寝るに限る。
寝ている時の時間の流れの速さは異常だ。
15分の仮眠をしようとしたら二時間も経っていた、なんてことはザラにある。
右手を額に乗せ、天井を見つめる。
俺が眠りにつくときのお決まりのポーズだ。
この体勢が一番落ち着く。
「ベル、入ってもいいかな?」
「エルシア? どうぞ」
目を閉じようとした時、部屋の外からエルシアの声が聞こえた。
俺が入室を許すと、エルシアはにっこりとしながら部屋に入ってきた。
「どうかしましたか?」
「うんん、特に何の用もないけど。
暇だったから来ただけだよ」
暇なら、寝るのが一番だぞぉ。
睡眠ってのは、人生においても最も至福を感じられる時間だ。
さあ、一緒に寝るかい?エルシア。
俺の体の大きさなら、抱き枕にちょうどいいぞ。
「ほっ……暇だねぇ……」
「このまま……一緒に寝ますか……」
エルシアも、守護獣の体に頭を預けてほっと息をつく。
仰向けから体をうねらせるように動かし、顔をうずめた。
おいおい、そんなことしたら……。
「臭っ!」
ほらな、言わんこっちゃない。
この可愛くてキューティクルな見た目に反して、匂いの破壊力はすさまじい。
これ、ちゃんと洗ってあげていないな。
守護獣だとかなんとか言って崇めているのに、誰も洗わないのか。
いやでも、汚れは目立たないしな……。
「この雨、いつまで続くんだろうね」
「オルフェンさんは、一か月から三か月くらい続くと言われましたよ」
「げっ、そんなに続くの?
退屈すぎて死んじゃうよ」
「ここ以外に途中で寄れる場所もなかったですし、仕方ないですよ。
一か月なんて、意外とあっという間ですし」
「でも、三か月かかる可能性もあるんでしょ?」
「考えてもみてくださいよ。
僕達、ミリアで何か月過ごしたと思ってるんですか」
「確かに」
思えば、ミリアでかなりの時間をロスしたな。
ロスって言い方はあまりよくないけども。
復興に貢献できたとはいえ、ミリアでは十か月もの月日を復興活動に費やした。
もしミリアで何も起こらなければ、今頃は中央大陸に渡れていたかもしれない。
大切な師匠を殺し、俺達の旅までをも妨害した九星。
俺は絶対に、奴らを許しはしない。
九星の執行官は、その名の通り九人。
そのうち、ミリアで二人を撃破した。
つまり、普通に考えれば、現在は七人ということになる。
だが、一つだけ思うことがある。
――九星執行官は、補充されるのか否か。
もし九星に下部組織のようなものが存在し、
下から繰り上がりで補充されていたとしたら。
もしもそうだとしたら、かなり厄介だ。
第九位の『海王』でさえ、あの強さ。
聖級魔術師と聖級剣士が揃っても、終始圧倒されていた。
シャルロッテがいなければ、あの場で全滅していてもおかしくなかった。
やっとの思いで撃破した執行官が補充されるなんてことがあったら、本気で気狂いしてしまいそうだ。
「――ル?」
「……はい?」
「ぼーっとしてたけど、何か考えごと?」
「い、いえ。ただぼーっとしてただけです」
「わたしという美女を前にして、ぼーっとするなんてね。
もっとわたしにメロメロになってもらわないと」
「そんなキャラでしたっけ?」
「その『キャラ』ってのやめてよ!
虚しくなるじゃないか!」
否定はしない。
というか、否定はできない。
エルシアが美女だということに違いはない。
「そういえば、獣族の森を出た後の話、聞いた?」
「いえ、なにも」
「森を出た後は、『アラキア公国』って国を目指すんだって。
ここから馬車で行くなら。二週間くらいかかるらしいよ」
「二週間ですか。思ったより短いですね」
「やっぱ感覚麻痺するよね……。
でも、一ついいことを聞いてきちゃったんだ」
「いいこと?」
エルシアは、にんまりとしながらこちらを見つめてくる。
たまにこの小悪魔的な表情というか、猫のような顔をするエルシアが意外と好きだったりする。
「そのアラキア公国を出れば、ついに中央大陸に渡れるらしいんだ」
「――!」
思わず、口を開いて驚いてしまった。
聞き間違いじゃないよな、今の。
今確かに、「中央大陸」って言ったよな。
やっと、中央大陸に渡れるんだ。
長かったなぁ。
「とはいえ、まだまだ終わってないからね。
そもそもアラキア公国までは二週間かかるし、海を超えるのにも何日かかるか分からない。
それに、ラニカは中央大陸の中でも東の方でしょ?」
「た、確かに……」
少々舞い上がりすぎた。
エルシアの言う通り、旅はまだまだ終わっちゃいない。
むしろ、ようやく中間地点が見えてきたってくらいだな。
「まあ、着実にゴールは近づいてきてるってことに変わりはないし、
素直に喜んでいいんじゃないかな。
わたしも、中央大陸がどんなところなのか知らないから楽しみだよ」
「僕も、早く中央大陸の空気を吸いたいです」
「大陸によって空気が違うんだ」
「いや、冗談です……」
エルシアには、たまに冗談が通じない時がある。
今のは、分かりにくいボケをした俺が悪いか。
「んじゃ、わたしは昼寝してくるね。
それとも、隣で一緒に寝るかい?」
「寝ます」
「それでは、お隣失礼しますっ」
エルシアは。守護獣に頭を預ける俺の隣に、ゴロンと転がってきた。
俺の方に体を向け、ニコニコしながら目を閉じている。
むっ、胸が……! 見えているぞ……!
おっと、いかんいかん。
俺はあくまで十歳の少年だ。
中身がアラサーだろうが、そんなことを知っているのは俺以外に誰もいない。
こんなことで鼻の下を伸ばしていては、男としてのプライドが――、
「おっとぉ? どこを見ているのかなぁ、ベルくぅん?」
「うぐっ……! どこも見てませんけど!?」
「ベルも、しっかり男の子なんだね。
不可抗力なんだろうから仕方ないさ。
別に見られても減るもんじゃないしね。
ま、タダでホイホイ見せるわけにもいかないけど」
クソ、やられたぜ。
こいつ、絶対狙ってやがっただろ。
やはり侮れんな、この女。
俺はそっぽを向いて、目を強く閉じた。
とりあえず眠気は来ているから、このままこの眠気に任せて楽しい夢でも見よう。
---
雨季が始まって、一週間。
雨は一切止む気配がなく、無尽蔵に降り続いている。
もうそろそろ、青空が恋しくなってきたな。
やろうと思えば魔術で雨雲を一瞬で取っ払うこともできるのだが、
天候操作の類の魔術は禁忌に触れることになる。
もしそうなれば、呪いによって殺される。
ソースはロトアだ。
俺は、それはもう怠惰な生活を送っている。
まるで昔に戻ったような感じさえする。
朝……というか昼頃まで寝て、昼食をとったあとはまた昼寝。
前のように太るのは嫌だから、必ず外で運動するようにはしているが。
と考えると、前世の俺の生活とは少し違うのか。
やるべきことはやっているからな。
---
一か月が経った。
最初は堕落した生活を少し楽しんでいた自分もいたが、流石にやることがなさすぎて暇である。
魔術の練習をしようにも、外がこんな雨ではろくな練習はできないだろう。
ということで、俺は村の中を少し散策してみることにした。
高台に建物が集まっているからか、村の構造はかなり特殊だ。
歩いているだけでも、なんなら見ているだけでも興味深い。
「……わぁお」
地上を見下ろすと、前よりも水かさがかなり増していた。
……これ、大丈夫なんだろうか。
例年以上の豪雨で、高台にある建物が全て水没する、みたいなことにならないといいけど。
「――そう! その調子でもっと強く!」
「んニャ!」
ピュンという木剣が空を切る音が、吊り橋の方から聞こえてきた。
見ると、エリーゼとリュミナが剣術の稽古をしているところだった。
あれ、オルフェンはいないのか。
ついに稽古を放棄してしまったのか?
『あっ! ベルニャ!』
俺に気づいて、リュミナはこちらに走ってきた。
飛びついてきたリュミナに押し倒され、頭を強く打った。
「リュミナ! ダメでしょう!」
「ご、ごめんニャ……」
「大丈夫、大丈夫……」
少々衝撃が強かったが、生きているのでモーマンタイ。
叱りつけるエリーゼをなだめながら、立ち上がった。
「珍しいわね。この時間だと、まだ寝てる頃じゃない?」
「ちょっとダラダラしすぎたので、そろそろこの生活から脱却です」
「あら、早くないかしら? まだまだ雨季は続くのよ」
「エリーゼは僕に堕落してほしいんですか?」
落ちるとこまで落ちてしまえ、ってか。
もうあんな生活はうんざりだ。
今までの俺ならこのまま引きこもっていたかもしれないが。
「エリーゼ、よく風邪ひかないですね」
「あたしを誰だと思ってんのよ。エリーゼ先生よ」
エリーゼは得意げに胸を張った。
雨に濡れて、服が透けてますよ。
なんて指摘したら、殴り飛ばされて雨水の海にドボンだ。
恐らく、リュミナはエリーゼを慕っているんだろうな。
人から直接的に慕われることなんてなかっただろうから、いい気になってしまったってところか。
エリーゼはすぐに調子に乗るから困る。
そこがまた可愛いんだが。
「リュミナの剣の腕はどうですか?」
「この子、意外と呑み込みが早くて助かるのよ。
やっぱり、魔術よりも剣の方が才能あったんだわ」
「わたし、すごい?」
「ええ、すっごいわ! あと可愛い!」
エリーゼはリュミナを抱きしめた。
こんなに誰かを気に入るなんて珍しいな。
そこ変わってくれ、リュミナ。
いや、力が強すぎるがあまり殺されかねないからやっぱりいいや。
「では、頑張ってください、二人とも」
「どこに行くの?」
「ちょっと村を散策しようかと」
「ふーん。行ってらっしゃい」
俺はエリーゼとリュミナに別れを告げ、吊り橋を後にした。
---
少し歩くと、槍を振り回すランスロットとエルシアの姿を見つけた。
多分、魔物の討伐だろうな。
ランスロットの言った通り、見たことのない魔獣を何度も見た。
俺も何度か相手をしたが、それほど強いとは感じなかったな。
見た目はめちゃくちゃ怖かったが、見かけ倒しだった。
そういえばこの間、村の子供が橋から転落した事故が起きた。
誰かから突き落とされたというわけではなく、単純に足を滑らせたらしい。
水の中にも魔獣はいるため、かなり一刻を争う事態となったが、何とか無事に救出できた。
助け出した子供は、怯えながらも尻尾を振ってお礼を言ってくれた。
「エルシア、ランスロットさん」
「おっ、ベル。なんか、久しぶりだね」
「引きこもり生活は終わったのか?」
「今日をもって、脱却しました」
どうして、みんなして俺を引きこもり扱いするんだ。
そんなに長いこと顔を合わせていなかっただろうか。
……一か月間ほとんど外に出ていなかったから、そう思われるのも無理ないか。
「雨季が終わった後のことは、エルシアから聞いているな」
「はい。次の目的地は、アラキア公国でしたよね」
「そうだ。俺も行くのは初めてだから、少し胸が躍る」
へえ、ランスロットにもそんな感情があったのか。
喜怒哀楽を表現するのがあまり得意ではなさそうだったから、少し意外かもしれない。
「有名な所なの?」
「ああ。アラキア公国は、『黄金の国』という異名で名高い国だ」
「黄金の国……すごそうですね」
「文字通り、遠くからでも分かるほどに街の景観が黄金色に光り輝いている。
昼間は太陽に、夜は月明かりに照らされて、一日中その景観が楽しめるらしい」
「行ったことないのに、随分詳しいね」
「曲りなりにも、百年以上生きてきたのだ。
嫌でもそういった話は耳に入る」
「なるほど。やっぱり長命族ってすごいなぁ」
時々、ランスロットが百歳を超えていることを忘れそうになる。
冷静に考えて、長命族ってすごいと思う。
長生きできるのはいいことだが、きっと疲れてしまうだろう。
俺はあまり長生きしすぎるのも嫌だから、70年くらい生きたらポックリ逝きたい。
それはそうと、「黄金の国」か。
響きだけでワクワクしてくるな。
家とか建物が全部純金で出来ているとか、そんな感じだろうか。
「アラキア公国は、国にしては小さなものだ。
だが、資金力は世界的に見てもかなり上の方だろう」
「大国ってわけでもないのに、何でなの?」
「アラキア公国は、デュシス大陸と中央大陸を結ぶ船の停泊所だ。
つまり、世界で一番大きい大陸である中央大陸の国々との貿易が盛んに行われている。
それが、『黄金の国』たる所以なのだろう」
かつてのグレイス王国は、財政力がとんでもなかったと聞いたことがある。
だが、グレイス王国は間違いなく「大国」の類だっただろう。
となると、小さな国であるアラキア公国が世界で上位に食い込むというのは、
よく分からないがすごいことなんだろうな。
世界に全く興味がないもので。
こういう政治とか経済とか、難しい話は嫌いだ。
学生の時にあった「政治・経済」みたいな名前の教科は苦手だった覚えがある。
「雨季が終わったら、すぐに出ますか?」
「ああ。あと二か月ほど続くから、まだゆっくり生活できるはずだ。
今のうちに、スローライフを楽しんでおけ」
「はい。そうさせてもらいます」
ゆっくりできるのは嬉しい。
嬉しいけど、うーむ……。
暇で暇で、死んでしまいそうだ。




