間話「滅亡後のグレイス王国」
「……」
鼠色の髪の女剣士は、廃れてしまった街に立っている。
その腕にはまだ小さな金髪の幼女を抱いて、目の前に広がる光景を何となく見つめていた。
「お腹空いたよ、リベラ」
「……もう少し、我慢してくれ」
「うぅ。分かった」
そう言いながら、幼女の頭を優しく撫でる。
幼女を見る柔らかな表情は、再び目の前の光景を見ると一瞬で変わった。
生暖かい風が、女剣士の体に吹き付ける。
やけに、風通しがいい。
「大丈夫? ママ」
「……ああ。少し、昔のことを思い出してな」
「ふーん」
「ごめんな、アリス」
――アリス・パノヴァ。
ルドルフ・パノヴァとロトア・パノヴァの実の娘であり、ベルの妹にあたる。
そして、アリスを抱いているこの女剣士は、『剣王』リベラータ・アンデルだ。
――あの、転移災害の日。
ベルとエリーゼとは別の馬に乗って、まだ二歳だったアリスを抱きながら、光に飲まれた。
抱いたまま馬に乗っていたのが幸いして、二人は同じ場所に転移した。
転移先は、中央大陸南東部。
これもまた幸いなことに、グレイス王国の近くに転移したのだ。
具体的に言えば、レルス王国第二都市、スクラル。
そのスクラルの町で、リベラは約一年を過ごした。
金なんてほとんどなかったが、肉体労働で必死に金を稼ぎ、何とか食いつないだ。
まして、リベラはアリスの世話もしなければならない。
まだ幼い幼女であるため、そこまで食費はかからなかったのが救いであったが。
アリスが成長し、ある程度身の回りのことが自分でできるようになってからは、
冒険者になって魔物を狩りつくし、また金を稼いだ。
そんな生活を続けて一年弱。
リベラは、故郷に帰ることを決意した。
「アヴァン……分かってはいたが、やっぱり辛いものだな」
馬を借りて二か月ほど北上し、アヴァンに帰ってきた。
人間なんて、一人もいない。
いるはずも、ない。
ここに住んでいた人も、観光に来ていた人も、全員世界のどこかに転移してしまったのだ。
リベラはアリスを地面におろし、歩き出した。
アリスはリベラの手を握り、それに一生懸命に着いていく。
全ての建物が、ことごとく瓦礫の山となっている。
見てわかる建物なんて、一つもない。
リベラは長いことアヴァンに住んでいたため、大体の街の様子は覚えている。
だが、どれを見ても何一つ、原形が分からない。
口を噤んだまま、リベラはゆっくりと歩く。
アリスは時々リベラの顔を覗き込むが、その表情の真意はまだ三歳のアリスには理解できなかった。
「――」
リベラは足を止めた。
鮮明に、記憶が蘇る。
ここは、かつてグレイス王宮があった場所だ。
剣神道場を出てから初めて、忠誠を誓った場所。
最初は、あまりこの場所が好きではなかった。
たまたま、夜中に襲われていたテペウスとエリーゼを助けて以来、
やや強制的に王宮に仕えさせられた。
グレイス国王・コーネルは、傲慢な人間だった。
いつも命令口調で、よく癇癪を起こすし、扱いが雑だと何度も思った。
それでも、同じく仕えていたメイドや、次期国王候補の王子達はいつも、リベラによくしてくれた。
そうして、段々とグレイス家が好きになっていった。
エリーゼに剣を教えることになった時は、正直面倒に思っていた。
誰かに剣を教えるということは、道場にいた頃からやってはいた。
だが、どうも自分には「人に教える」ということが向いていなかった。
自分には簡単にできるのに、どうして教わっている側は出来ないのか。
それが、全く理解できなかった。
リベラは感覚型だった上に短気だったから、余計に向いていなかったのかもしれない。
だが、リベラは根気強く教えた。
苦手ながらも、教え方の本を買ってまで、熱心に指導をしていた。
その結果、エリーゼを中級剣士にまで育てることができた。
「――ッ」
少しでも記憶が蘇ると、芋づる式に蘇ってくる。
そして同時に、エリーゼ達のことを想う。
もう一年以上が経ったのだ。
未だに音沙汰がないから、もしかすると……なんてことを、何度も考えた。
でも、リベラは信じている。
どこかで皆、生きているということを。
二度と会えないかもしれなくても、無事に生きていてくれれば、それでいい。
願わくば再会したいが、彼女は多くは望んではいない。
長居すると、かつての記憶にやられてしまう。
そう思ったリベラは踵を返して、来た道を戻り始めた。
「リベラ?」
「アリス。今から、お前の生まれた村に行くぞ」
「生まれた村?」
「ああ。ラニカ村だ」
---
半日ほど馬で歩くと、ラニカ村に到着した。
道中で、見覚えのある道を通った。
一年前、転移隕石の光に飲まれた時に。必死に逃げていた道だ。
思い出したくもないが、よく覚えている。
そして、ラニカ村の景色も変わり果てていた。
アヴァン同様、建物なんて一つもない。
だが、アヴァンとは違う点が一つだけあった。
「リベラ、人がいるよ」
「……ああ」
疎らではあるが、人間がいた。
テントがいくつか張られており、生活の気配がする。
馬から降りて、アリスを抱きかかえる。
片手で馬を手綱で引きながら、もう片手でアリスの手を引きながら、リベラは歩く。
かつての活気などどこにも垣間見えることがなく、全体的に閑散としている。
歩いていると、テントの中でも特に大きめの、赤いテントが目に入った。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは。ここは?」
「転移災害の被災者たちの、難民キャンプです」
「難民、キャンプ……」
その後テントの中にいた女性は、こう説明した。
転移災害で世界各地に飛ばされた村民の中でも、十数人ではあるが帰還した者がいた。
その十数人でテントを張り、繋ぎではあるもののここラニカの地で生活することとなった。
今でも、リベラとアリスのように帰郷する者がたまに現れるという。
「そうか……これは?」
「行方不明者のリストです。
ここには、アヴァンの方の名前も多くあります」
「――!」
リベラは、食いつくようにしてそのリストに目を通す。
探す名前は、たくさんある。
その中でも、リベラはエリーゼの名前を探した。
「この、線が引かれているのはどういう意味なんだ?」
「生存が確認された方の名前には、こうして線を引いています」
「……なるほど」
一つ一つの名前に目を通す。
知らない名前ばかりだが、時々見覚えのある名前もある。
「――」
目を凝らして名前を探すリベラの目に、二つの名前が入った。
ルドルフの名前と、ロトアの名前があったのだ。
「アリス。お前の母親と父親の名前だ」
「ママと、パパ? 全然読めない」
アリスは、まだ字の読み書きができない。
生きていくのに精いっぱいで、読み書きの勉強などしている余裕なんてなかったのだ。
二人の名前には、どちらにも線が引かれていない。
つまり、未だに行方が分かっていないということになる。
再び目を凝らして、名前を探す。
「――!」
リベラは見つけた。
――エリーゼ・グレイス。
彼女の名前にもまた、線は引かれていない。
まだ、生存している可能性も、そして死亡している可能性も残されている。
そしてそのすぐ下に、ベルの名前もあった。
これも、線が引かれていることはなかった。
その後、続けて行方不明者のリストを探しても、エリーゼの家族の名前は見当たらなかった。
リベラは覚悟を決めて、死亡者リストに目を向けた。
――その姓は、一番上に並んでいた。
「コーネル様……!」
コーネル・グレイス。
リディア・グレイス。
ジェラルド・グレイス。
パーヴェル・グレイス。
エリーゼの家族は、四人の死亡が確認されていた。
「王族の方々は、運悪く紛争地域に転移してしまったとお聞きしました。
そこで、戦火に焼かれてお亡くなりになったそうです」
「それは、誰から聞いた?」
「テペウス様です」
「テペウスは、生きているのか!?」
「はい。行方不明者リストの名前に、線を引いてあるはずですが……」
リベラはもう一度、リストを見た。
そこに、線が引かれたテペウスの名前があった。
見落としていたようだ。
「もちろん、これから死亡者リストに名前が増えることもあるだろうな」
「はい。一人でも多くの生還を祈っております」
「……そうだな」
リベラは頷いて、アリスの顔を見る。
アリスは心配そうに、リベラを見つめていた。
「心配するな、アリス。
きっと、お前の家族は皆無事だ」
「……うん」
リベラはアリスの頭を撫でて、抱きしめた。
アリスに抱きしめ返されてたリベラは、肩を震わせて泣いた。
「――リベラータ」
「――! テペウス!」
「テペウス様!?」
抱き合う二人の背後に、テペウスが現れた。
テントの中にいる女性とリベラは思わず大きな声を上げて、勢いよく立ち上がった。
「生きていたのか……!」
「うん、何とかね。
本当に、今度こそ死ぬかと思ったけど」
「テペウスも、紛争地域に転移したのか?」
「そうだよ。僕は何とか生き延びたけど、父上も母上も兄妹も、皆死んでしまった」
テペウスは、目を伏せてそう言った。
「その子は?」
「ルドルフとロトアの娘の、アリスだ」
「そうか。こんにちは、アリス」
「こ、こんにちは」
「ちゃんと挨拶ができるのか。偉い子だね。
ところでリベラ、君の話を聞かせてくれないかな」
「ああ。分かった」
リベラは、過ごした一年を事細かに話した。
「なるほど……本当に、よく生きて帰って来たね。
それもこんな小さな子を連れて」
「テペウスは、いつ帰って来たんだ?」
「ついさっきだよ。君と大体同じタイミングだと思う」
「そうか」
テペウスが転移したのは、中央大陸の中心部、ヤルダという街の郊外だった。
中央大陸の中心部は紛争がかなり激しく、旅行客や旅人はそこを通ることはまずない。
その中でも最も激しい紛争が起こっているヤルダに、グレイス家の家族は皆転移した。
そしてそこで、テペウス以外の家族は命を落とした。
遺骨すら、持って帰ることができなかった。
「片方腕がないのに、よく生きていたな」
「本当だよ。正直、自分でも生きているという実感がまだ湧かないよ」
テペウスは軽く笑った。
片腕がないというハンデを背負いながら、テペウスは生き延びて、ラニカまで帰って来たのだ。
リベラは、改めてこの人間の凄さを実感した。
「アヴァンには行ったのか?」
「いいや、まだ行っていないよ。
でも、もう行かないかな」
「何故だ? お前の故郷だろう?」
「……故郷、だからだよ」
「――」
リベラは、やってしまったという顔をした。
自分が生まれ育った街だからこそ、テペウスは、アヴァンの惨状を見たくないのだ。
「これから、どうするんだ?」
「僕はここに残って、しばらくテント生活をするよ」
「いいのか?」
「どこにも、行くあてなんてないしね」
「……それはそうか。なら、アタシもここに残るよ」
「それが、一番得策かもしれないね。
きっと、無事な人はいずれこの地に戻ってくるはずだ」
「そうだな」
テペウスとリベラは、そう言って互いに笑った。




