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空中転生 - 落ちこぼれニート、空の上でリスポーンしました -  作者: 蜂蜜
第3章 少年期 『死を呼ぶ双星』編

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第二十五話「『ヴァルクルス・ヴォルト』」

 ――目だ。

 確かに、あいつの目が光った。

 その瞬間に、腕が四方八方に動き出した。


 俺の声に反応したのか、エルシアは素早くこっちへ戻ってきた。


「目って、どういうこと?」

「確証はありません。ですが、奴の目が光った瞬間に、腕が技を繰り出していました。

 だから、三人で奴の目を狙いましょう」

「これだけの数の腕があるのに、どうやって……くっ!」


 悠長に話し合っている余裕なんてなさそうだな。

 俺達を襲おうとした腕を、エルシアが咄嗟に剣を振るって斬った。


 僅かだが、光明は見えた。

 今だって、腕を動かす時に少しだけ目が光っている。

 ちゃんと観察していれば、もっと早く気づけたかもしれないな。

 ともあれ、次に考えるべきなのは、どうやってネプの目を潰すかだ。


 本物の龍のようにクネクネと動く、八本の腕。

 これは、エルシアが何とかしてくれるはずだ。

 シャルロッテの援護射撃をバックに、俺が接近。

 そし、て至近距離で魔術を撃つ。


 これなら、行ける。


「シャルロッテ、後ろは頼みました、よ!」

「分かりました!」

「エルシア! 行きましょう!」

「りょーかい!」


 俺が何も言わずとも、二人は俺の考えていることが分かるらしい。

 シャルロッテはまだしも、エルシアはまだ出会って間もないのによく俺の意思が汲み取れるな。


 エルシアと共に走り出し、前へ突っ込む。

 俺の横を走るエルシアは、俺達に向かってくる腕を、目にもとまらぬ早業で斬り続ける。


「貴様らッ……!」


 ネプの表情が、腕と腕の間からチラチラと見える。

 その表情は、かなり頭に血が上っているように感じられる。


 もうこれ以上、腕は増えないだろう。

 というより、増えられたらかなりまずい。


 あと少しだ。

 あと少しで、奴に最接近できる。


「――っ!」


 突然、視界が暗くなった。

 エルシアは隣にいる。

 だが、ネプの姿は見当たらない。


 何だ、これは。

 全く周りが見えない。


 ――腕だ。

 八本の腕が乱雑に絡み合い、繭のようになって俺達を包んでいる。


「――! まずい!」


 暗くなったかと思えば、今度は突然明るくなった。

 青白い、光。


 どこを見ても、龍の口が俺達の方を向いている。

 そして、その口全てが光っている。


「――ル! ――シア!」


 こもったシャルロッテの声が、後ろから聞こえる。

 このままだと、俺達はこの繭の中で大量の光線に撃たれる。


「『フレイムショット』!」


 杖を前に出し、火魔法を放つ。

 だが、全く効果がない。


 何でだ。

 龍腕には、魔術は効かないってのか?

 いや、効いていたんだとしても、分厚い繭が吸収しているんだろう。


「――任せて、ベル」


 隣にいるエルシアが、二本の大剣を構える。


「『久遠(くおん)乱風(らんぷう)』!」


 エルシアはそう唱えて、剣を振り回した。


 一気に、視界が開けた。

 あいつは多分、全ての腕を、俺達を包んで袋叩きにするために使ったのだろう。

 だから、今あいつは手薄だ。


 ――今しかない。


「『雷脚』!」


 蹴った地面が抉れ、エルシアを後ろに吹き飛ばした。

 音が遅れて、俺のいた場所から聞こえた。


 行け。

 絶好の好機だ。

 後ろから、シャルロッテの援護も飛んできている。


 恐れるな。

 怯むな。


 ――撃て!


「――『フレイムブラスト』!」


 唱え、ネプの顔面に素手で魔術を放った。


 反動で、俺の体は宙を舞った。

 エルシアが俺を抱き留めてくれなきゃ、落下死していただろう。


「……やりましたか」

「――フハハ。中々やるではないか」

「――!?」


 何となく、嫌な予感はしていた。


 ネプの笑い声が、土煙の中から聞こえた。


 目を潰したとしても、奴が死ぬわけではないことは分かっていたが。

 できれば、今の一撃で仕留めたかったな。


 砂埃が晴れ、ネプの状態が明らかに――、


「――嘘だろ」


 奴の目は、確かにつぶれていた。

 顔も大きな火傷を負ってただれており、見るに堪えない姿になっていた。

 だが――、


「――貴様が潰したのは、左目だ」


 禍々しささえ感じるほど赤く光る右目は、健在だった。


 しくじった。

 完全にしくじった。

 少し、狙いがずれたんだ。

 顔面全体を狙ったつもりだったが、運が悪かった。


「よくも、この我をコケにしてくれたな」


 クソ。

 せっかくの絶好機だったのに。

 どうして俺はいつもいつも、大事なところでやらかすんだ。


 今しかなかった。

 決めるなら、今しかなかった。

 確かに、大きなダメージは与えられたかもしれない。

 でも、ここで決めなきゃならない、これ以上ないチャンスだったんだ。


「……まだ、諦めちゃだめです」

「……え?」

「まだ、終わってません!」


 シャルロッテが、そう吼えた。

 そして、杖を構えた。

 ――いや、地面に突き刺した。


「時間を稼いでください、二人とも」

「何をする気なの?」

「――詠唱を、始めます」

「――!」


---


 ベルの目に、光が宿った。

 シャルロッテは目を閉じ、精神を統一させる。


「――天空の玉座に座す雷霆の王よ、いまこそその威光を我が手に託したまえ」


 シャルロッテの詠唱と同時に、エルシアが駆けだした。

 続いて、ベルも駆け出す。

 その速度には天と地ほどの差があるが、

 ベルは先を行くエルシアの後ろから援護射撃を行う。


「どう足掻こうとも、貴様らの敗北は決まっているのだ!」

「それは、やってみないと分からないでしょ!」


 エルシアが、風龍剣を二本、縦方向に振り抜いた。

 凄まじい威力と速度を持った風の斬撃が、大気を斬り裂きながらネプを襲う。

 転がる小石も、建物の瓦礫の欠片も全て巻き上げて、音を置き去りにする。


 龍腕を集結させ、その斬撃を防ごうとする。

 しかし、腕を全て斬り刻んでもなお、その威力は弱まることなくネプを捉える。


「クッ……!」


 ネプは真上に飛び、その斬撃を避ける。

 風の斬撃は、後ろにあった瓦礫の山を跡形もなく消し飛ばした。


 ベルは空中に浮かぶネプに、魔術を放つ。

 ネプはすぐさま龍腕を再生させ、その魔術を悠に防いだ。


「――千の咆哮を束ね、大地に裁きを刻みつけよ」

「……ハハハッ。何の真似だ?」

「――!」

「シャルロッテ!」

「――!」


 シャルロッテの目の前に、ネプは立っていた。

 息を呑んだシャルロッテだったが、

 ベルが脚を爆発させて、シャルロッテに手を出させまいと魔術を放つ。


 間一髪のところで、シャルロッテは命拾いをした。


「ハァッ!」


 ネプは龍腕を束ね、再び光線を放とうとする。

 詠唱中のシャルロッテ、雷脚の反動で体勢が崩れているベルを狙った攻撃である。


「――あぁぁぁぁぁぁぁ!」


 エルシアが、地面を抉り取るように駆け出した。

 そして、ネプの背後を取った。


「――」


 振り抜いたエルシアの剣は、空を斬った。


「んんっもう! ちょこまか動かないでよね!

 ベルはシャルロッテのそばにいて!」

「はい!」


 エルシアは踵を返し、後ろの方に飛び退いたネプを追いかける。

 足の回転を早め、まさしく風のように走るエルシア。

 八本の腕が同時に襲ってきているにも関わらず、エルシアは怯むことなく前進し続ける。


 (――速い)


 ネプはそう思うよりも先に、後ろに飛び退いた。

 エルシアから逃げるように、素早い動きで地面を駆け回る。


 常人であれば当然、目で追うことは不可能であろう。

 それでもエルシアは、あの『七神』に数えられる『剣神』のもとで、剣を学んだ。

 そして、一応ではあるが免許皆伝を与えられた一流の剣士だ。


 『剣帝』の称号を授かったルドルフや、

 『剣王』の称号を授かったリベラータには、遠く及ばないかもしれない。

 だが、仮にも『九星』の執行官とこうして渡り合えているという事実は、

 彼女をより奮い立たせるものとなっているのだ。


「――世界の理を蹂躙し」

「……?」


 ベルは、怪訝そうな顔を浮かべる。

 もう既に、シャルロッテの詠唱は終盤に差し掛かっている。

 無論、ベルは過去にこの詠唱を聞いたことはない。


 だが、このように長い詠唱を要する魔術は聖級以上でしかないことくらい、ベルにもわかる。

 だからこそ、ベルは違和感を感じていた。


 聖級以上の魔術は、どれも「大技」と呼ばれる大規模な魔法ばかりだ。

 こうした大技は、長い詠唱と共に上空に巨大な魔法陣が発生し、そこから魔法が放たれるものだ。


 しかし、何度上空を見上げても、辺りを見渡しても、

 どこにもそれらしきものは見当たらない。


「クッ……! 死ねッ!」

「はぁっ!」


 後ろに飛びながら、龍腕を操ってエルシアを攻撃するネプ。

 先ほどとは打って変わって、ネプはエルシアとの距離を一定以上に保とうとしている。


 ネプは自分が徐々に劣勢に追い込まれていることに感づいていた。

 『龍腕』という異能を持っていながら単純な戦闘能力も高いネプであるが、

 こうも長期戦になると、流石に消耗は抑えられない。


 ましてや、一人で一気に三人を相手しなければならない。

 ただの人間三人ならまだしも、聖級魔術師と聖級剣士、そして上級魔術師が一人だ。


 ネプの表情は、かなり疲弊と焦燥に満ちていた。


「はぁぁぁぁぁぁぁ!」

「――ウオオオオオオオ!」


 ネプは初めて、腹の底から咆哮を上げた。

 八本の腕を二本に戻して、接近戦に持ち込んだ。

 エルシア相手に距離を取りながら戦うのは不可能だと判断したのだ。


 エルシアの斬撃を、ネプは全て腕で受け止める。

 腕を八本に分かつことで、その耐久性も八分割される。

 八本分の腕を二本に結集させれば、その分耐久性も向上する。

 その耐久度は、『世界四大魔剣』に数えられるエルシアの剣をも弾く。


 ネプは、エルシアとの接近戦を演じながら、今度はシャルロッテとベルから距離を取ろうとしている。

 だが、エルシアは二人の元から離れないよう、大きく円を描くようにして戦っているのだ。


 当然、エルシアの消耗も激しい。

 彼女の人生の中で、この戦いは間違いなく一番苦しいものだろう。

 だが、エルシアには絶対に負けられない理由がある。


 ――初めて、自分が必要とされていると思ったから。


 この世に生を授かった時から周囲から忌み嫌われ、誰からもまともに相手にしてもらえなかった。

 両親も失い、友人など一人もいない、辛い幼少期を過ごした。

 剣神道場に弟子入りした後も、ただ淡々と剣を学ぶだけで、自分の存在価値が分からなかった。


 だが今は、今この時だけは、自分が必要であると言われている。

 そんな気がしているのだ。


 自分が死ねば、ベルとシャルロッテもすぐに殺される。

 二人ともまだ出会って間もない関係の薄い人間であるが、

 少なくともエルシアは、二人を守らなければならないと思っている。

 それが、痛くて、苦しくてたまらない彼女を突き動かしている、ただ一つの理由なのだ。


「――万象を焼き尽くす刃となって駆けろ!」


 シャルロッテの詠唱の声が、共鳴する金属音に割って入った。

 ベルは、いつネプがこちらを狙ってきても対応できるように低く構えながら、シャルロッテの顔を見る。

 紫紺に光る、彼女の眼。

 その眼には、何らかの「覚悟」が見えたような気がした。


 ベルは、妙な胸騒ぎがした。

 空を見上げても、やはり魔法陣は見当たらない。

 ベルが知らないだけで、魔法陣が不要な聖級魔術の可能性もある。

 しかし、そんなものは聞いたことがない。


「――シャルロッテ?」


 ベルは、不安げな声でシャルロッテに呼びかける。

 シャルロッテはゆっくりと目を開き、ベルの方へ微笑みかけた。


「ベル。これから私の言うことを必ず聞いてくださいね」

「な、何をするつもりなんですか……?」


 ベルがそう問いかけた途端、、シャルロッテは杖をベルに預けた。

 そして、シャルロッテの体がその眼と同じ紫紺の色に輝き始めた。

 

「しゃ、シャルロッテ?」

「――――『ライディング・ヴォルト』」

「――!?」


 轟音と共に、ベルの目前から、シャルロッテの姿が消えた。

 あまりの衝撃に、ベルは尻もちをついた。


 辺りを見回しても、シャルロッテはどこにも見つからない。

 直前までシャルロッテがいた地面には、クレーターのような穴が空いている。


「――えっ?」


 ベルの目は、ある一点に釘付けにされた。

 そして、その目を大きく見開いた。


「シャルロッテ?!」

「離れてください! エルシアさん!」

「貴様……! 何の真似を……!」


 全員が、状況を飲み込めなかった。


 シャルロッテは、自らネプに突っ込んでいった。


 ――そして、その拳をネプの腹に貫通させていた。


「『霜華(フロストブルーム)』!」

「がはッ……!」


 シャルロッテの手から、氷の華が咲いた。

 貫通した右手から、ネプの足に広がっていく冷気は、二人を地面にガッチリと固定した。


「んぐッ……! 抜けんッ……!」

「当然ですよ……。私が魔術を解かない限り、貴方は動くことはできません……!」


 固定しているのは、ネプだけではない。

 シャルロッテもまた、身動きが取れない状態である。

 彼女の顔は、ひどく歪んでいる。

 その顔は、シャルロッテの叫びに反応して飛び退いたエルシアの目にも映った。


「ねえ、ベルやばいよ!

 シャルロッテちゃん、自分ごとネプを氷漬けにしてる!」

「何か、考えがあるはずです。

 シャルロッテは、何も策がないのにあんなことするわけが――」

「――ベル! 『大技』を撃ってください!」

「――は?」


 ベルは、言葉の意味が全く分からなかった。

 大技とは即ち、聖級魔術を意味する。

 規模の大きい魔術を、今の状態のネプに撃つということだ。


「何度も練習した、あの技です!」

「あの技……?」


---


 それは、まだ天大陸にいた頃に遡る。


「師匠、どうにか一気に聖級魔術師になる方法とかないんですか?」

「地道に階級の段階を踏むのが一番ですが、なれないわけじゃないです。

 あと師匠はやめてください」

「どうやるんですか?」

「簡単な話ですよ。

 今、ベルは雷魔法は中級でしょう?

 それなら、上級魔法をすっ飛ばして、聖級魔法に挑戦すればいいんです。

 もちろん、肩書上は聖級魔術師にはなれても、上級魔法は飛ばしているわけです。

 なので、上級魔法が使えない聖級魔術師ということになりますが」

「じゃあ、やっぱり地道に積み上げたほうがいいのか……」


 ベルは顎に指をあてる。

 シャルロッテはふっと微笑み、ベルの頭を撫でた。


「別に、上級魔法が使えなくてもいいじゃないですか。

 世界を見ると、意外とそういう魔術師も少なくないものですよ」

「本当ですか?」

「ええ。そんなに聖級魔術師になりたいなら、一つ、とっておきの技を教えましょう。

 マスターできるかは分かりませんが、恐らくベルの魔力量なら平気なはずです」

「マジすか、師匠!」

「お尻を叩きますよ」

「お願いします」

「えぇ……」


 シャルロッテは杖を地面に突き刺し、空を見上げる。


「今から私が、手本を見せます。

 あのあたりに魔法陣が現れて、そこから大量の魔力が放出されます。

 こういうのを『大技』というんですよ。

 これは、大型の魔獣を相手にする時や、相手の身動きが止まっている時に使うのが効果的です。

 絶対に、開けたところでしか使ってはいけませんよ」

「はい!」


 ベルは、期待の眼差しをシャルロッテに向ける。

 シャルロッテは目を閉じ、口を開いた。


「黄昏を裂く稲妻よ、眠れる力を解き放ち、我が意志のままに(はし)れ」


 シャルロッテがそう唱えると、空気が一瞬にして変わった。

 バリバリと、そんな音が聞こえるような気さえするほどに、張り詰めるような荘厳な空気へと変わった。


「――(またた)きすら許さぬ閃光となり、その軌跡を空に刻め」


 禍々しい紫色の魔法陣が、上空に現れた。

 街の方にいる人々は何事かと、一斉に空を見上げることだろう。


 ベルの瞳に、その魔法陣がはっきりと映る。

 隣に立つシャルロッテは、神秘的なオーラさえ放っていた。


「鼓動の先を駆け抜け、すべてを斬り裂け!

 ――『ヴァルクルス・ヴォルト』!」


 魔法陣から、一筋の稲妻が放たれた。

 それは我々のよく見るそれとはかけ離れた、太く凄まじい威力のものだった。

 地面に着弾したことによる轟音は、光よりも数秒遅れて聞こえてきた。


 ベルは、開いた口が塞がらなかった。


「す、すごい……!」

「ふふん。そうでしょう。

 ダテにケントロン魔法学院を出ていませんからね」


 シャルロッテは「えっへん」とばかりに平らな胸を張る。


「さ、ベルもやってみてください。

 詠唱は、覚えましたか?」

「この一瞬で覚えられたら、それこそ天才ですよ」

「そっ、そうですよね。

 では、私の後に続いてください」


 シャルロッテはそう言って、再び詠唱を唱え始めた。

 その詠唱に続いて、ベルも一緒になって唱えてみる。


「――ヴァルクルス・ヴォルト!」


 ベルが空に手を掲げて唱えた。

 しかし、何も起こらなかった。

 魔法どころか、魔法陣が半分程度まで生成された程度であった。


「うぅ……聖級魔術師までの道のりは遠そうです……」

「初めてであそこまで魔法陣を作り上げたんですから、上出来ですよ。

 これは、私の後継者になるに相応しいですね」

「マジすか! 師範!」

「呼び方を変えて誤魔化しているのはバレバレですよ」

「あでっ」


 シャルロッテは、コツンとベルの頭を叩いた。

 ベルはその時から、シャルロッテを心から尊敬するようになった。


---


 ベルの頭の中に、かつての記憶が鮮明に蘇った。

 その時に教わって以来、二人で冒険者活動をする時には決まって一度、その魔術の練習を行っていた。

 そのため、詠唱は完全に暗記している。


「……無理です」


 だが、問題が二つ。


 まず、その魔術は一度も成功したことがない。

 一番良くて、魔法陣が八割程度完成したくらいだ。

 シャルロッテのような完璧な技とは、到底言い難い。


 それを今、ぶっつけ本番で使う。

 これは、かなりのリスクがある。

 理由としては、正確に発動されなくても、聖級魔術を一度使ったのと同じくらいの魔力を消費するためだ。


 ベルはもう、かなりの魔力を使っている。

 ベルの中に残っている魔力は、せいぜい四割といったところだ。

 それでも、これだけ魔法を使ってそれほどの魔力を残しているということは、

 ベルの魔力最大量の多さをうかがわせる。


 そして、もう一つ。


「――無理ですよ!

 あんなのを撃てば、シャルロッテも巻き込むじゃないですか!」


 あれほどの大規模な魔術を食らえば、無事では済まない。

 というより、食らった瞬間に即死だろう。


 聖級魔法の威力は、上級魔法とは比にならない。

 ネプを殺すだけならまだ分かるが、今そんな大技を放てば、大切な仲間であるシャルロッテも巻き添えになる。


「出来ます! ベルなら絶対に出来ます!」

「無理ですって!」

「お願いします! ベっ――かはっ……!」

「――シャルロッテ!」


 エルシアの声が裏返る。


 シャルロッテの腹部に、ネプの拳が貫通した。

 両者ともに、自らの拳を腹部に貫通させているのだ。


「貴様をここで殺せば、この魔術も解かれるのだろう?」

「ぐぅっ……!」

「何っ?!」


 シャルロッテは空いた左手で、ネプの右手を凍らせた。

 氷は一瞬で、シャルロッテの血に染まって赤くなる。


 ネプの怪力をもってしても、腕が抜けない。

 何度押しても引いても、ビクともしない。


 ベルの目の焦点は、もうどこにも合っていない。

 自分は今、どうするべきなのか。

 他に、何か勝つ方法があるはずだと。


 しかし、全く頭が回らない。

 ネプが身動きがとれないという現状に、

 ベルの脳が自然と気を緩めてしまったのだ。


「ベル……」

「他に方法があるはずです……!

 何か、何か……!」

「ベル! 早く!」


 ベルは選択を迫られる。

 ここで拒否し続けて、どちらも生かすか。

 ここであの大技を放ち、どちらも()()か。


「はぁ……! はぁ……!」


 動悸が激しくなる。

 究極の選択に迫られるベルを、エルシアはじっと見つめる。

 彼女もまた、他の方法を模索しようとしている。

 しかし、ベル同様、頭が上手く回転しない。


 プルプルと震える、小さな手。


「ぬぐッ……! いい加減に、放せ……!」

「放しません! あなたを殺すまでは!」


 二人の表情は、酷く歪んでいる。

 互いの腹から、大量の血が吹きこぼれる。

 血生臭い匂いで、シャルロッテは吐きそうになる。

 人間を殺したことはおろか、本気で人を殴ったことすらないシャルロッテ。

 そんな彼女にとって、今の状況は想像を絶する苦痛である。


 自らの腹部から、熱い血が流れ出ている。

 それが自分から出ている血だなんて、考えたくもない。

 無論、痛みもまた、想像を絶するものだ。


「ウオォォォォォォォ!」

「くっ……!」


 至近距離で魔物のような咆哮を聞いたシャルロッテの鼓膜が、破れる音がした。

 耳が詰まるような感覚、キーンという耳鳴りも、突如として彼女を蝕む苦痛へと加わる。


 それでも、シャルロッテは逃げられない。


 ――否、逃げない。


「――――ベルぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」


 シャルロッテの叫びが、ネプの咆哮をかき消した。

 生きていて出したこともないような大きな声は、ベルの耳にしかと届いた。


「――出来ない」


 だが、ベルは小さく、そう呟いた。

 そして、大粒の涙を流した。


 ――――ベルの頭の中に、走馬灯のように流れる、様々な記憶。


 初めて出会った、あの村。

 出会ったきっかけは、彼女の下着を不本意に身にまとっていたことだった。


 その後ともに旅を始めて、魔法を教わった。

 泥酔した彼女の膝に、頭を預けて眠った。

 何度も二人でペアになって、魔物を倒した。


 二人で一緒に、この杖も見に行った。


 次から次へと、浮かんでは消える記憶が邪魔をして、ベルを決断させてくれない。


 目の前でネプを押さえているのが全く知らない人間で、

 今突然現れて加勢してくれただけなら、ベルはこんなに迷うことはなかった。


 だが、シャルロッテは違う。

 彼女はベルにとっての仲間であり、師匠であり、()()のような存在である。


 ――シャルロッテは、どことなくロトアと似ている。


 口調や態度こそ違えど、小さなベルやエリーゼを子供のように扱うことも少なくなかった。

 魔術を教わっている時だって、何度ロトアと姿が重なったか、分からない。


 出来ない。

 シャルロッテごと焼き払うなんて、出来ない。

 出会った数か月で、あまりに濃すぎる関係になってしまった。


 ベルは、シャルロッテが好きだ。

 エリーゼに向ける好意とはまた別の、敬意を含めた好意。

 その好意もまた、ベルの決断を鈍らせる。


 しかし――、


「――ベル。撃とう」

「……は? 何言って……」

「――今撃たなきゃ、シャルロッテちゃんだけ死んじゃうよ!」

「――!」


 ベルは、エルシアの顔を見る。

 その目には、涙が浮かんでいた。


「シャルロッテちゃんは、物凄い覚悟を持って突っ込んだんだよ?

 それはもう、わたし達には想像もできないような。

 命を捨ててまで、あいつを殺そうって。

 わたしたちを、守ろうって」

「――」

「その覚悟を、無駄にしちゃうんだよ?」

「……でもっ」


 ベルはシャルロッテから預かった彼女の杖をグッと握り、下を向く。

 そしてすぐに、シャルロッテとネプの方へと視線を移す。


 ベルの目には、歯を食いしばって苦痛に耐えるシャルロッテの顔が映った。


「シャルロッテのことを、何も知らないくせに!」

「知るはずないでしょう?!

 あなたのことだって、数時間前に初めて顔を見た程度なんだよ?!」

「――っ。それは……」


 掠れた声で訴えるエルシアに、ベルは言葉に詰まる。

 何も言い返せない。

 エルシアの言っていることは、全て正しい。


「でも、あの子が決死の覚悟で戦っていることぐらい、見ればわかる!

 それとも、君には分からないの?!」

「――」


 エルシアは声を荒げる。

 涙をにじませながら、ベルの肩を揺する。


 そんなことは、ベルにだって分かっている。

 だが、シャルロッテのことを何も知らないエルシアから催促されるのが、気に入らないのだ。


「――」


 止まらない涙で視界がぼやけるベルは、その涙を腕で拭う。


「――っ!」


 そして、ベルは杖を地面に突き刺した。

 目の前で苦悶の表情を浮かべながら闘っている、師匠(シャルロッテ)のように。


「……黄昏を裂く稲妻よ。眠れる力を解き放ち、我が意志のままに(はし)れ」

「……っ!」


 ベルは震える声で、詠唱を始めた。

 エルシアはその顔を見て、大粒の涙を零した。


 ――上空の晴天が、一瞬にして変わった。


(またた)きすら許さぬ閃光となり、その軌跡を空に刻め」


 ベルの目にもまた、再び涙が浮かぶ。

 一言ずつ詠唱が進むたびに、シャルロッテとの思い出が蘇る。


 彼女の笑顔も、

 彼女の怒った顔も、

 ジャンケンに負けて悔しそうな顔も。


 優しく頭を撫でてくれた手も、

 コツンと軽く叩かれた手も。


 全部が、嫌になるほど鮮明に、ベルの頭を蝕んでいく。


 それでも、唱え続ける。

 もう、後戻りはできない。

 成功するか否かは、もうどうでもいい。


 成功させるという選択肢しか、彼には残されていないのだ。


「――鼓動の先を駆け抜け、すべてを斬り裂け」


 上空に現れた魔法陣は、完璧に完成している。

 そして、至極色の光を放ち――、


「――――――ヴァルクルス・ヴォルト」


 一筋の稲妻が、魔法陣から放出された。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 数えきれないほどの感情が入り混じった、大きな叫び。

 喉が枯れるほどの叫びと共に、

 ベルはシャルロッテの杖を握ったまま、その杖先を前へ向ける。


 落下点の先には、シャルロッテとネプ。

 今更取り消すことなど、出来ない。


「くぅぅぅッ……!」


 ネプは再び腕を八本に増やして、自分ごとシャルロッテを包み込んだ。

 ベルとシャルロッテを捉えて袋叩きにしようとしたあの繭をもう一度作り出し、その魔力を吸収しようとしているのだ。


「貴様は、この魔力を全て吸収した後に、我の手で殺す!」

「そうは、させませんよ」


 シャルロッテは意識が朦朧とするなかで、そう呟いた。


 ネプは、何故だか嫌な予感がした。

 腕が貫通しているシャルロッテの腹部から、何かが湧き上るような感覚がした。


「……あなたの敗因は、あの小さな彼を見くびったことです」

「――」

「子供だからと言って……。何もできないわけじゃ、ないんです……!」

「……何が言いたい!?」

「子供には……。無限の可能性が、秘められているのですから」

「今更説教か? 見苦しいぞ!」


 ネプは、怒りの感情を露わにする。

 しかし身動きが取れないために何もできないことが、また彼の神経を逆撫でする。


「一緒に、逝きましょう」

「まだだ……! まだ終わらせはしない!」

「……いいえ、もう終わりです」


 シャルロッテはそう言って、魔力を集中させた。


 ――――自分自身の、体に。


「――――――――『最期の(ラスト)爆発(インパクト)』」

「――――!」


 シャルロッテの体が、少しずつ膨らんでいく。


 そして――。




「――――立派に出来たじゃないですか、ベル」




 そう言って目に涙を浮かばせ、いつものように柔らかく微笑みながら、シャルロッテは目を閉じた。




 ――そして彼女の体は、ネプを巻き込んで、爆ぜた。

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