第九話「親子喧嘩」
翌朝。
速達で、グレイス王宮に手紙が届いた。
宛先は、俺だった。
誰からだろうか。
「父さんからだ」
差出人は、ルドルフだった。
速達で送ってくるということは、何かイレギュラーがあったのか。
封を開けて、中身を見てみる。
「どうしたのよ」
「父さんからの速達の手紙です」
「速達って、地竜で配達するあれよね?」
「そうなんですか?」
知らなかった。そうだったのか。
いやそんなことはどうでもいい。
早く手紙を読まなければ。
『ロトアの妊娠が分かった!
ベル、お前はお兄ちゃんになるんだ!』
「えっ……?」
「良かったじゃないベル!
弟か妹が生まれるって!」
そんなに急に?
全然、そんな感じはなかったような……。
……あ、見せてたわ。
エリーゼが寝た後、二人は何度も行為に及んでいた。
俺が幼児だった頃にできていないのが不思議なくらいだ。
でも、特に体調が悪そうな様子とかはなかった。
ルドルフはロトアが大好きだから、俺とエリーゼが出た後に体調が悪くなったロトアを急いで医者に連れて行ったのかもしれない。
そこでたまたま妊娠が発覚したとか、そんな感じだろう。
にしても、めでてえな。
俺もついにお兄ちゃんか。
男の子でも女の子でも、大切にしよう。
「手紙、まだ続きがあるわよ。
『なるべく急ぎ目で帰ってきてくれると助かる』だって」
「本当ですね……。
まあ目的は達成しましたし、早めに出発しましょう」
本来俺がここまで来た目的は、本を借りるためだった。
多少誤差はあったが、アヴァンをかなり回れたし満足だ。
コーネルに事情を説明して、早めに馬車を手配してもらおう。
---
「お父様! 元気でね!」
コーネルに伝えると、すぐに動いてくれた。
それも、馬車ではなく「地竜」。
聞いたところによると、地竜は馬とは違い、長い時間走り続けることができるらしい。
馬車が時速15キロから20キロで移動できるのに対し、
竜車は時速40から60キロほどで数時間走り続けることが可能である。
そのため、150キロほど離れているラニカまでは三時間もかからずに行ける。
ただ、馬に比べてかなり高い。
だから、あまり気軽には借りられないのだ。
だが、コーネルはわざわざお金を出してくれた。
やっぱりこの人、優しいんじゃないか。
「またいつでもおいで、ベル君」
「はい! お元気で!」
コーネルをはじめとする王族は庭まで見送ってくれた。
一日しかいなかったが、ちょっと名残惜しいな。
風呂もでかくて、ベッドも柔らかくて気持ちよかった。
夜の食事会もすごく楽しかったし、絶対また来よう。
ちなみに、今度もリベラが同伴してくれる。
わざわざすまんねぇ。
リベラは器用だな。馬も地竜も乗りこなすとは。
俺達はグレイス家に別れを告げ、アヴァンを出て急いでラニカへ向かった。
---
「おかえり、二人とも」
「ただいま」
「ただいま! ねえ、妊娠したってほんとなの?!」
「ええ。待望の一人目……ゴホン、二人目ね」
ポロッと言いかけよったぞこいつ。
別に俺が実の息子じゃないって知られたところで何もないんだけど。
「それで、男の子なの? 女の子なの?」
「女の子よ」
「わぁっ! 嬉しいわね、ベル!」
「そうですね! 今から出産が待ちきれません!」
エリーゼに負けないくらいに、俺もかなり興奮している。
前世でも俺は一人っ子だったし、兄弟ができるというのは初めての経験だ。
妹か。可愛いんだろうなぁ。
マジで待ちきれないな。
「父さんは?」
「おかえり、ベル、エリーゼ!
妹ができたぞぉぉぉぉ!」
「わぁっ!?」
「ちょっ!?」
ルドルフは俺とエリーゼを軽々持ち上げ、グルグルと回転しだした。
エリーゼはキャハキャハと笑っているが、俺は……。
「うっ……!」
「ベル?」
「オロオロオロオロ!」
「ベル!?」
俺は盛大にゲロをぶちまけた。
---
約七か月後。
妹が生まれた。
ロトアは、早産だった。
村の産婆さんによると、生まれた子供は逆子だったらしい。
出産はかなり難航し、産婆には「出産を諦めないと母子共に危ない」と言われた。
ロトアはそれでも産みたいと必死に出産を続けたため、俺も治癒魔法で微力ながら手助けをした。
そして約10時間にもわたる分娩は、無事に終わった。
エリーゼは泣いて喜び、手を握っていたルドルフも子供のように涙を流した。
そうして生まれた女の子は、「アリス」と名付けられた。
俺によく似た金髪で、ルドルフと同じエメラルドグリーンの瞳。
ほんとに俺にそっくりだな。
ロトアから産まれた時点で、俺と血縁はない。
でも、そんなことは関係ない。
俺は、誰が何と言おうと二人の子供だ。
だから、俺はこの子の兄である。
「あー!」
「可愛いわねぇ、アリス!」
俺も六年前まであんなだったのか。
頭に喋りたい言葉は浮かんでいるのに、「あー」とか「うー」とかしか言えないあのつらさと言ったら。
……まさか、アリスも俺と同じ転生者だったりする?
いや、この子はちゃんとルドルフとロトアの子だから、そんなことはありえない。
いやぁ、それにしても可愛いなぁ。
妹ができたっていう実感がまだ湧かないから、どう接していいかわからない。
なんか、違う生命体を相手にしている気分だ。
「ベルもいらっしゃい」
「……はい」
触るのが嫌だとか、そんなんじゃない。
なんか、怖いんだよな。
赤ん坊を触るのは初めてだから、どうしていいかわからないというか。
「そんなに怖がらなくてもいいのよ?」
「意外と年相応なところもあるじゃないか。
お前も可愛いなぁ」
「ほら、怖くないわよ。
アリス、お兄ちゃんでちゅよー」
「あーい」
ロトアに手を掴まれるが、抵抗はしない。
そのままゆっくりアリスに手を伸ばすと、アリスは俺の指を握った。
「かっ、可愛い……!」
「怖くないでしょ?」
「ベルはビビりなのね!」
「う、うるさいです」
ああ、やばい。
ずっと触っていられる。
大きくなったら、きっと美人になるだろう。
そもそもロトアとルドルフがどちらも美形だから、その娘が可愛くないわけがない。
エリーゼが近くにいるということで、アリスまでツンデレキャラになってしまったらどうしよう。
あまり甘やかさないようにしないと、家にエリーゼが二人いるなんてことになってしまう。
それはそれで悪くはないが、二人のエリーゼを相手するなんて、考えただけで頭が痛くなる。
大きくなるのが楽しみだな。
---
そういえば、七歳になった。
エリーゼも十歳になったということで、去年の12月、グレイス王宮に招かれて盛大な誕生日会を行った。
総勢200人以上の貴族が集まり、とても賑やかなものになった。
アリスは、すくすくと育っている。
赤ん坊は泣くのが仕事だと言われるように、それはもうよく泣いた。
それでいうと、俺は赤ん坊の頃から一切泣かなかった。
それを指摘されてギクッとしたが、結局俺は「ちょっとしたことで泣かない強い赤ちゃんだった」という結論に至った。
そんな赤ん坊存在するのかよ。
最近、ルドルフと一緒に付近の魔物を倒すのが日課となりつつある。
エリーゼもそれに参加し、今は三人でそれを毎日のように行っている。
ルドルフは、とても強い。
あいつが目をつぶりながら戦っても、敵が一瞬で消えていく。
ルドルフばかり魔物を討伐してもつまらないので、時々俺達にも手伝わせてくれた。
そのおかげもあってか、魔術が格段に上達した。
一人で黙々と練習するよりも、実戦経験を積む方が効果的なのかもしれない。
俺はついに、火上級魔術師になってしまった。
上級は、普通の魔術師が十年近く頑張らなければ習得できないレベルの階級らしい。
それをたった五年で、しかもこんな子供が習得してしまうとは。
我ながら天才だと思うんだ。
あまり天狗になりすぎるのもよくないか。
ここまで来たら、火魔術を極めようと思う。
次点で水、雷くらいの感じで。
上級にもなると、普通の魔物じゃ相手にならなくなってしまった。
この付近にいる魔物といえば、猪のような魔物『ブラックボア』と、狼のような魔物『ヴァンガードウルフ』、それと猿の魔物『マスモンキー』くらい。
上級火魔術『炎龍』で一網打尽にできる。
このフレイムドラゴンは、そこまで規模の大きい魔法ではない。
三体の炎の龍を作り出し、それを操って魔物にぶつける。
それだけ聞くと、あまり強いと感じないかもしれない。
だが、本番はここからだ。
なんとこの魔法、自分でいつでも起爆することができるのだ。
敵に触れた瞬間でも、目くらましとして使いたい場合でも、自分の好きなタイミングで爆発させることができる。
唯一の欠点は、消費魔力がかなり高いこと。
三体の龍を操るときは、常時魔力を使い続けなければならない。
故に、長時間使うことはできない。
一気にケリをつけたい時とかは、この魔法がかなり便利だ。
他にも三つの上級火魔術の技があるが、割愛させてもらう。
エリーゼの剣術の方も順調である。
エリーゼも極める剣術を火属性に限定したらしく、最近はずっと火属性剣術しか使っていない。
剣術の属性は、四種類。
火、水、雷、そして風。
ルドルフは火特級、リベラは水聖級。
そう、魔術にはある土属性の技はないのだ。
剣からどうやって土を出すんやっちゅう話なんですけどね。
エリーゼはアヴァンに行った時にテペウスに買ってもらった剣で、魔物を討伐している。
エリーゼにとってかなり使いやすいようで、楽しそうに魔物を倒している。
ルドルフが言うには、普通に大人が使うものと同じサイズらしい。
やっぱ剣才はピカイチなんだろうな。
そんなエリーゼは、火属性剣術が上級になった。
動きも以前と比べて格段に速くなり、技の精度、威力共に著しい成長が見られた。
ルドルフから上級剣士になったことを認められたと言いながら、エリーゼは俺を抱きしめてきた。
普通に力が強すぎて絞め殺されそうになった。
この一年くらいで、俺もエリーゼも飛躍的な成長を遂げた。
特に「世界を冒険したい」という願望とかはないが、もう少し大きくなったら冒険者になってみるのもありかもしれない。
もちろん、エリーゼと一緒に。
「お父さん! 遊びに行ってくるわ!」
「おう。気をつけろよ」
今日は、二人で平原の方へ遊びに行く。
……という体で、二人きりで魔物を討伐しに行く。
ルドルフ抜きでどれだけやれるかを試してみたいと思ったのだ。
俺とエリーゼは、それぞれ上級魔術師と上級剣士。
ルドルフの監視下でも全く問題なかったため、二人きりで行っても大丈夫だろう。
「さあ! たくさん倒すわよ!」
「ちょっとエリーゼ! 声が大きいです!」
俺達は、当然両親に無許可で森の方へ行く。
だって絶対許してもらえないし。
そんなに酷い傷を負わなければ俺の初級治癒魔法でも治せるし、バレないだろう。
あんな雑魚魔獣を相手に、手傷を負うわけがない。
森までは歩いて一時間弱。
森を越えると隣村であるヘコネ村があるが、そんなに深いところまでは潜らないようにしよう。
深いところほど魔物が強くなる、みたいなことはない。
程よく深いところで、何体か魔物を倒して帰ろう。
あまり遅くなりすぎても怒られるし。
談笑しながら歩くこと、四十分。
俺達は森へ入った。
「ここまで来たら、大きな音を立てて戦っても大丈夫ね」
「エリーゼはまだいいですけど、僕は使える魔法が限られますよ。
規模の大きな魔法は森を燃やしてしまいかねないですし」
上級にもなると、効果範囲が広い魔法が出てくる。
一応、上級火魔法は全て履修済みだが、使える魔法はせいぜいフレイムドラゴンくらいか。
俺はあまり満足に戦えないかもしれないが、エリーゼは楽しく魔物を討伐できるだろう。
彼女を満足させるのが最低ノルマだ。
「お父さんがいると色々指示されるから、自由に戦えるわね」
「父さんは僕たちに戦い方を覚えさせるために指導してくれてるんですよ。
悪く言ってはいけません」
「……分かったわ」
ルドルフが戦闘中に俺達に色々指示してくるのは、俺たちのためだ。
流石というべきか、ルドルフは教え方がうまい。
戦っていく中で自分が成長していくのを実感できるし、危ない場面でもルドルフの指示のおかげで命拾いをしたことだって何度もあった。
エリーゼは少々ウザったく思っているっぽいが。
普段からルドルフの稽古を受けているから、色んなものが蓄積しているのかもしれない。
思えば、ロトアが魔物などの敵と戦っているところは見たことがない。
二年前の魔物襲撃事件の際に『大猿』を一撃で葬ったって話は聞いたが。
エリーゼから聞いた話によると、俺を避難所に運んだ後にとんでもない突風と土埃が飛んできて、飛んできた方角にあった窓ガラスは全て割れたんだとか。
ああみえて、やっぱり普通にやばい魔術師なんだよな。
魔術師には称号はないのだろうか。
剣士みたいに、『魔王』、『魔聖』、『魔帝』、『魔神』みたいな感じで。
あ、魔王は『魔人竜大戦』の時の魔族軍の大将と被るか。
「ベル! ヴァンガードウルフよ!」
そんなくだらないことを考えている俺の耳に、エリーゼの声が耳に飛び込んできた。
エリーゼの視線の先には、ヴァンガードウルフの群れ。
数にして五体くらいだろうか。
「エリーゼ。まずは相手の動きをよく見て――」
「行くわよ!」
「ちょ……」
エリーゼは俺の言葉に耳を傾けることなく、飛び出した。
ヴァンガードウルフもそれを見て、エリーゼに突進する。
この狼は、頭に一本角が生えている。
そのため、迂闊に近づけばその角に貫かれてしまう。
エリーゼは、五体の狼の角を叩き斬る。
角を折ってしまえば、あの狼は弱体化する。
これも、ルドルフから教わったことだ。
二年前は攻略法を知らなかったから苦戦したが、
「――はぁっ!」
知ってしまえば、どうってことはない。
俺の出る幕はなく、エリーゼが全て倒し切ってしまった。
「エリーゼ。一緒に戦うって約束でしょう?」
「はいはい。次からは気を付けるわ」
これは嘘だな。
俺も戦いたかった。
次はエリーゼよりも早く動けばいいだけだし――
「――けて」
「……?」
人の声が聞こえた気がした。
これは、気のせいじゃない気がする。
「ねえ、今人の声が――」
「ですよね! 行きましょう!」
俺はエリーゼの手を掴んで、声の聞こえたほうへ走り出した。
エリーゼは俺の手を振りほどき、俺よりも前を走る。
剣士は足が速いな……
「大丈夫ですか!?」
「あぅ……ぇ……!」
恐怖で呂律が回っていない銀髪の少女は、腰が抜けている。
「エリーゼは魔物をお願いします!」
「わかったわ!」
ブラックボアとマスモンキーは、合わせて十体ほど。
エリーゼ一人で相手ができるだろうか。
いや、信じるしかない。
「怪我はない?」
「ぁ……ぁ……」
膝に擦り傷がある。
こんな時のための治癒魔法だ。
「大地の神よ。この者に癒しを。
『ヒール』」
唱えると、膝の傷はすぐに完治した。
「大丈夫そうですか? エリーゼ」
「ええ。終わったわ」
「早」
心配は不要だったようだ。
まあ上級剣士だしな。
少女はまだ腰が抜けたまま動けていない。
俺は手を差し伸べ、少女を立たせた。
「あ……ありがとう」
「……!」
少女の顔、というか耳を見て、思わず目を見開いた。
このピンと伸びた特徴的な耳。
この子は、エルフだ。
つまり、魔族の女の子だ。
初めて見た。
伝説上の生き物だと思っていたが、実在したのか。
エリーゼはその少女を見て、「ひっ」と声を漏らした。
ああ、そうか。
この世界では魔族は嫌われているんだったか。
泥にまみれた銀色の短髪、髪の毛から飛び出すようについている耳。
これのどこが怖いんだろうか。
顔だちも整っていて、正直めちゃくちゃ可愛い。
「エリーゼ。そんなに怖がらなくても、何もしませんよ」
「べ、別に怖がってなんかないわよ」
エリーゼは腕を組んで「ふんっ!」とそっぽを向いた。
怖いんだな。可愛い。
「どうしてこんなところにいるの?」
「や、薬草を取りに来たの」
「……あんた、何歳よ」
「七歳」
「僕と同い年だ」
七歳にしては、幼く見える。
エリーゼは何故か不満そうな顔をして、再びそっぽを向いた。
薬草を取りにこんなところまで……。
何か特別な事情があるのかもしれない。
「一人で家まで帰れるの?」
「……うん」
「そ。じゃあね」
「エリーゼ。どうしてそんなに冷たくするんですか。
この子を送り届けましょう。この森の中を一人で帰らせるわけにはいかないですよ」
「……」
やけに機嫌が悪いな。不運だ。
この少女は俺達が声を聞きつけてここまで来なかったら死んでいただろう。
魔物が潜む危険な森の中を、こんなに小さい少女を一人で帰らせるのはダメだ。
「家はどっち?」
「こっち」
少女は、俺達が来た方とは真逆を指した。
この子は、ヘコネ村からここまで来たのだ。
気の乗らなそうなエリーゼを手で招いて、ヘコネ村へと歩き出した。
「そういえば、名前は?
僕はベルで、こっちはエリーゼ」
「エリーゼって……第一王女の、あのエリーゼ様?」
「……そうよ。今はもうあの家の子じゃないから、様を付けるのはやめなさい」
「何で?」
「複雑な事情があるんだよ」
まだこんな子供には理解できない話かもしれないし、今ははぐらかしておこう。
子供の俺が言うことじゃないが。
中身はおっさんだから例外か。
「私はライラだよ」
「可愛い名前だね」
「えへへ、ありがとう」
なんともファンタジーな感じの響き。
あまりにもこの見た目に似合いすぎている。
「ライラは、どうして薬草なんか取りに来たの?」
「お母さんが病気で寝たきりだから、よく効くって聞いた薬草を取りに来たんだよ」
「そうか……それはどのあたりにあるかわかるか?」
「全然。だから、もう何日も行ったり来たりしてるんだ」
お母さんのためにそこまで……。
何とかしてあげたいが、ノーヒントで薬草を見つけるなんて到底無理だろう。
「その薬草、何て名前?」
「慈母の蔓。
万病に効くって噂の薬なんだって」
「あれ、そうじゃないかしら?」
「えっ……あっ! 本当だ!」
エリーゼが指を指した方向を見ると、たくさんの花が咲いている場所があった。
群生地だろうか。めちゃくちゃたくさんある。
それか、あの中のどれかがそうなのかも。
「それにしても、何でそんなことを知ってたんですか?」
「お父様からあの草のことはよく聞いていたからかしらね」
「ありがとう! エリーゼちゃん!」
「むぐっ……! とっとと取ってきなさいよ!」
照れ隠しが相変わらず下手くそだなぁ。
お礼を言われて嬉しくないなんてことはないしな。
だが、どうしてエリーゼはライラだけのこんなに冷たくするのだろうか。
やっぱりこの世で最も嫌悪されている種族だからか。
魔族にもいい人はいると思うんだけどな。この子みたいに。
ライラは背中に背負っていた籠に薬草を摘み、嬉しそうに走って戻ってきた。
健気で可愛いな。
村でも好かれていそうだ。
「じゃ、行こうか」
俺達は再びヘコネ村へと歩き始めた。
---
ライラを家に送り届けると、ライラの父親からすごく感謝をされた。
家に上がるように言われて断れず、結局お茶とお菓子をいただいてしまった。
ベッドに寝たきりだというライラの母親も、元気のないげっそりとした顔で「ありがとうね」と言ってくれた。
早く良くなるといいな。
万病に効くみたいなこと言ってたし、きっとよくなるだろう。
最初は嫌悪感剥き出しだったエリーゼも次第に恐怖が消えたのか、ライラととても仲良くなっていた。
女友達がいなかったエリーゼは、どう接していいのか分からなかったらしい。
「ただいま」
「今日ね、お友達が――」
「何時だと思っているんだ」
エリーゼの言葉を遮って、ルドルフは俺達に詰問するような口調でそう言った。
確かに外はもう真っ暗だし、心配だっただろう。
…………というか、二人きりで森に行ったことがバレたら余計にまずいな。
「おかしいとは思っていた。
平原で遊ぶとは言っても、あそこには草が生えているだけだ。
遊べるものなんて何もないだろう」
「――」
言われてみれば。
詰めが甘かったな。
せめて「村を散歩してくる」くらいにしなきゃダメだったか。
「どこに行ってたんだ」
「……だから、平原って――」
「正直に答えろ!」
ルドルフは、嘘を貫き通そうとしたエリーゼに怒鳴った。
もう隠し通せなさそうだな。
正直に白状しよう。
「父さん、ごめんなさい。
魔物のいる森まで、二人だけで行きました」
「なっ……! あんた……」
「もう無理ですよ。これ以上嘘を重ねても余計に怒られるだけです(ボソ」
「あの森に、二人でだと?」
ルドルフの後ろに、アリスを抱っこしたロトアも立っている。
こりゃ、ルドルフの説教が終わった後にロトアからも食らうパターンだな。
「事情を説明させて」
「その前に、何か言うべきことがあるんじゃないか?」
「……ごめんなさ―――」
「何なのよ! いきなり怒り出して!」
「……は?」
おっとエリーゼ、それはまずい。
ただでさえ稀にみるレベルで怒っている相手をそんなに刺激しちゃ……。
ロトアもビックリした顔をしてこちらを見ている。
「ちょっと時間が過ぎたからって、そこまで怒らなくてもいいじゃない!
確かに、無断で森まで行ったのはあたし達が悪いわ!
でも、いつもお父さんに指図されながら戦わなきゃならないのは面白くないのよ!
だからお父さん抜きで魔物狩りに行ったの!」
「俺は、お前達を強くするために指示しているだけだ」
「もう必要ないわ! あたしも上級剣士だし、ベルも上級魔術師よ!
負けるはずないじゃない!」
「それはお前達が判断することじゃないだろう!」
「実際生きて帰ってきたじゃない!」
二人の口論はどんどんエスカレートしていく。
こうなったら歯止めが利かないんだよな。
俺もたまにエリーゼと言い合いになるが、いつも俺の方から身を引いている。
だって殴られたくないし。
「とりあえず、言うべきことを言ったらどうなんだ?」
「言うべきことって何よ」
「『ごめんなさい』しかないだろうが」
「何それ、初めて聞く言葉ね」
エリーゼが吐き捨てるように言った瞬間、ルドルフは腕を振り上げた。
思わず目を閉じた俺の隣で、「パシン」と破裂音のような音が鳴った。
ルドルフは、エリーゼの頬を叩いた。
エリーゼは、衝撃でその場に倒れた。
そして、エリーゼは立ち上がって、部屋へと駆け上がっていった。
この日初めて、エリーゼとルドルフが喧嘩をした。
---
一週間が経った。
エリーゼとルドルフはこの一週間、一切口を利かなかった。
どちらかが謝るまで、これが続くのだろう。
この件に関しては俺が悪い。
俺があんなことをエリーゼに提案しなければ、こんなことにはならなかった。
エリーゼが殴られた後、俺は改めてルドルフに事情を説明した。
ちなみに俺もこっぴどくしかられた。当たり前だが。
だが俺の言い分は理解してくれたようで、これからは許可を取ってから行くようにと言われた。
それなら端から許可を取ってから行けばよかった。
エリーゼはあんなに大好きだったルドルフの稽古を受けず、基本的に部屋にこもっている。
俺が外に連れ出そうとすると、いつものように殴られる。
……なんてことはなく、「ほっといて」と遠ざけられるだけだ。
それはそれで寂しいけど。
「謝りましょう」「きっと許してくれますよ」と言っても、頑なに謝ろうとしない。
あんなに優しかったルドルフから怒られて、手も出された。
それがかなりショックだったらしい。
でも、そろそろ仲直りしてもらわないと困る。
二人が険悪なせいで、家庭内の空気が悪すぎるんだよな。
飯の時はどうしても同じ食卓につくわけだし、俺とロトアはすごく気まずい。
エリーゼはそれはそれは甘やかされて育ってきたから、何でも自分の思う通りに行くと思っている節がある。
それ故の、あの態度。
ルドルフが手を上げずにいられなかったのも分かる。
「エリーゼ」
「……」
「僕は魔術の練習をしてきますけど、エリーゼは剣術の稽古をしなくて大丈夫なんですか?」
「……」
「『一日サボると戻すのに三日かかる』。
もう七日経ちましたが、戻すのに何日かかるでしょうか」
「……こんな時にまで、算数をさせるんじゃないわよ」
ドサクサに紛れてもダメか。
部屋でずっとこもっているから、授業もできていない。
時間は存分にあるとはいえ、早く四則演算くらいはスラスラできるようになってほしい。
ま、いつかは仲直りしてくれるだろう。
魔術練習に励むとしますか。
---ルドルフ視点---
もう一週間、エリーゼと口を利けていない。
確かに、エリーゼは悪いことをした。
特に門限とかは設けていなかったが、暗くなるまでには帰るように伝えていた中でのあの帰宅時間。
それも、オレに無断で魔物の潜む危険な森まで行っていた。
正直、オレはショックだった。
「いい子だと思っていたのに」とか、そんなくだらない理由じゃない。
オレが良かれと思ってやっていたことが、エリーゼにとって邪魔になっていたということだ。
エリーゼとベルは、いいコンビだ。
二人なら、きっとすごい戦士になれる。
一世を風靡できるくらいの、伝説の戦士に。
オレは二人にそうなってほしくて、戦闘中に色々と口を挟んでいたつもりだった。
「必要ない」と言われて、心臓を掴まれたような感覚になった。
それで、ほぼ無意識にエリーゼの頬を殴った。
いくら相手が悪くても、手を出したら同じだ。
ガキの頃、親からもそう教わった。
分かっている。
オレが謝れば、この苦しい時間は終わると。
でも、怖い。
どうやって話しかけに行けばいいのか、分からない。
ベルともあんな言い合いはしたことがなかったし、こういう時にどうしていいかわからないんだ。
「まだ悩んでるの、ルドルフ」
「……ああ」
「そんなに悩まなくても、ただ謝りに行けばいいだけじゃない」
「……簡単に言ってくれるな」
そんなことくらい、オレにもわかっている。
できたらとっくにそうしてるんだよ。
無神経なロトアにまで、腹が立ってきた。
ロトアにそんなつもりはないと分かっていながら、八つ当たりのような感情を向けてしまう。
オレは昔から、子供に手を上げるやつが大嫌いだった。
村に来たばかりの時、小さな子供から金を巻き上げていた大人をボコボコに殴ったことがある。
子供に手を出す大人は絶対的な悪だと、オレはずっと主張してきた。
自分が主張し続けてきた「悪」に、オレはなってしまった。
「オレはどうすればいいんだ……」
「自分が悪いと思っている時が、謝れる唯一のタイミングよ」
――その通りだ。
このまま時間だけが過ぎて謝るタイミングを逃すわけにもいかない。
間違いなく、手を出したオレにも非はある。
謝りに行こう。
許してもらえるかは関係ない。
オレが言い出したんだろうが。
悪いことをしたら、まずは「ごめんなさい」だと。
---
ルドルフはゆっくりと階段を上がり、深呼吸をした。
エリーゼとベルの共同部屋の扉を軽く三回ノックし、「エリーゼ」と声をかける。
返事は、ない。
「入ってもいいか?」
「……好きにすればいいじゃない」
エリーゼの言葉一つ一つが、ルドルフの胸に深々と突き刺さる。
しかし、ルドルフは扉を押し、中に入った。
「何しに来たのよ」
「その……謝りに来たんだ」
「……何をよ」
「お前をぶってしまったことだ」
ベッドに横になったまま壁側を向いているエリーゼは、僅かに表情が揺らいだ。
ルドルフは扉の前に立ち尽くし、返事を待っている。
「……父さんのこと、嫌いになったか?」
「……そうね。少なくとも、好きではないわ」
「……だよな」
ルドルフは泣きそうな顔のまま自虐的に笑う。
当然だ、と言わんばかりのエリーゼの声音に、ルドルフの次の言葉を振り絞る勇気が削がれていく。
しかし、ルドルフは続ける。
エリーゼが何も言葉を発さないのならば、ルドルフから喋らないと何も始まらない。
なにせ、謝りに来たのはルドルフなのだから。
「エリーゼ。オレのことは、許さなくてもいい。
まあ許して欲しいのが本音だがな」
「……」
「でも、オレの話を聞いて欲しい」
「……あの時はあたしに何も話させてくれなかったくせに?
都合がいいわね」
「それも、その……」
ルドルフは鋭いカウンターを食らい、狼狽している。
「都合のいい口だ」と言われても仕方ない。
しかし、ルドルフは続ける。
「オレは、エリーゼやベルが大切だから怒ったんだ」
「……どういう意味よ」
「あんなに暗くなるまで、家に帰ってこなかった。
それに、オレやロトアになんの断りもなく、危険な森の中まで行った。
いくらなんでも、心配になる」
「……だから、あたし達は前と違って強くなったから、心配なんて……」
「実力とか、そんなことを言ってるんじゃない」
エリーゼは体勢を変えることなく、ルドルフと言葉を交わす。
なにせ、一週間ぶりの会話だ。
互いに話しづらい、顔を合わせづらいという部分もあるのだろう。
「……戦闘中に指図してくるのも、ウザったかったわ」
「それは、お前達に強くなって欲しいからだ」
「いきなり殴られて、すごく痛かったわ」
「それに関しては完全にオレが悪い」
ルドルフは、続ける。
「エリーゼは、どうしてオレがあんなに怒ったかわからないと言っていたな」
「……ええ」
「それは、お前達の『親』だからだ」
「――――」
エリーゼの心が、少しだけ揺れ動いた。
ルドルフは、いつになく真剣に、エリーゼに言い聞かせるように口を動かす。
「エリーゼのことが、ベルのことが大切だから、オレはお前達をしかった」
「……でも、大切なら怒ったりなんか……」
「大切だから、お前達を叱ったんだ」
「――」
「大切」という単語が、エリーゼの頭の中を駆け巡る。
エリーゼには、ルドルフの言っている意味が理解できなかった。
「大切」だからこそ、相手を叱りつける。
コーネルに散々甘やかされてきたエリーゼは、「叱る」という行為自体がよくないものだと思い込んでいる。
自分は親に怒られたことなんてほとんどなかったから、初めての感覚だったのだ。
だから、「優しさ」の意味を一つしか知らない。
ルドルフは自分のしてしまったことのへの謝罪とともに、エリーゼに教えに来たのだ。
――ただただ甘やかすことのみが「優しさ」なのではなく、
時には厳しくしかりつけることも「優しさ」の形なのだと。
「お前もベルも、実力的には成長した。
この年で上級剣士になるなんて、凄い才能だと思う。
……でもな、エリーゼ」
「……」
「――お前もベルも、いつまで経ってもオレ達の子供なんだ」
「……っ」
エリーゼは目を見開いた。
体勢はほとんど変わらないが、ルドルフの言葉を聞き、理解しようという意識に変わった。
「どれだけ年を取って、
どれだけ大きくなって、
どれだけ強くなっても、いつまで経ってもオレ達の子供だ」
「――っ」
ルドルフは泣きそうな声で、否、その美しいエメラルドグリーンの瞳に涙を浮かべながら、そっぽを向いたままのエリーゼに言葉を届ける。
聞いているかこちらからは窺えないが、自分の気持ちを必死に伝える。
年甲斐もなく涙を流すルドルフだが、そんなことはもはや彼にとってどうでもいい。
エリーゼもベルも、どちらもルドルフとロトアの子供ではない。
ベルは拾い子、エリーゼは国王から託された国王の子供。
それでも、少なくとも二人のことを本当の子供だと思っている。
最初は、実の子供ではない子供に向かって父親らしく振舞うことに戸惑いを感じていた。
だが、今はもう違う。
二人からどう思われていようが関係ない。
彼は、もう立派な二人の「父親」なのだ。
「それもこれも全部、お前達が大切で、かけがえのない宝物だからしていることだ」
「……」
「エリーゼは、もうオレが嫌いになったかもしれない。
それでも、オレはお前の父親だ。
だから、お前がいつまでも大好きだ」
「――っ」
気づいたときには、もう既に遅かった。
エリーゼは、大粒の涙を流していた。
ルドルフは未だに顔を見せてくれないエリーゼの背を見ながら、微笑んだ。
その瞬間、エリーゼが起き上がった。
そして、振り向いた途端、立ち尽くしたままのルドルフの飛びついた。
「ごめんなさいっ! お父さんっ!」
「エリーゼ……」
「嫌いなんかじゃないわっ!
あたしが悪かった!
もう二度とあんなことしないわ!」
エリーゼは、大きな声を上げて泣いた。
ルドルフの硬い胸に顔をうずめて、声を押し殺して泣いた。
ルドルフの中で、何かが決壊した。
大の大人がみっともなく、すすり泣くようにしてまだ小さな体を抱きしめた。
こうして二人は、一週間ぶりに言葉を交わすとともに、仲直りを果たした。
※ベルの一人称とルドルフの一人称でごっちゃになるかと思い、今エピソードのルドルフ視点よりルドルフの一人称を「俺」から「オレ」に変更致します。ご理解ください。




