表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/14

第5話/信用回復

 高橋は朝の電車に揺られながら、息子の学校の予定表を確認していた。口座の制約はまだ解除されていない。給与の振込上限、ATMでの引き出し制限、カード決済の一部制限——すべては日々の生活に計算と調整を強いた。以前のように「自由に使えるお金」という感覚は消え、すべてが計画の中で動かざるを得ない。しかし、弁護士の助力で最低限の安全は確保できた。少なくとも、公共料金の支払いは滞ることなく、息子の学費も予定通りに口座から引き落とされる。


 彼女は自分の生活を慎重に記録する習慣をつけ始めた。入出金のログをスマホでチェックし、週ごとの支出表を作る。ATMの引き出しも、必要な分だけを前もって計算して引き出す。少しの油断も許されない生活は、以前の自由とは正反対だが、生き残るための知恵となった。


 佐藤は勤務先の給料振込のスケジュールを徹底管理した。新規口座開設がやっと認められたが、内部のリスクフラグは残り、カードの利用やオンライン送金には制限がついている。月末に家賃や公共料金をまとめて支払うことができず、数日に分けて振込を行うルーチンを作った。何度も通帳を確認し、残高と上限を照らし合わせながら、ひとつひとつの出費を慎重に進める日々が続いた。


 二人に共通する課題は、裏社会との決別だった。以前の被買取者としての経験は、生活を脅かす要素となる。口座や金融機関に残る記録は完全には消せない。裏社会との関わりを断つことは、単なる物理的な距離を置くだけでは済まなかった。SNSの連絡先や過去に送信した自撮り、居住地の情報など、どれも潜在的なリスク要素として残る。高橋はそのことを理解し、全ての通信やアプリの整理を始めた。携帯電話の履歴、SNSアカウント、Telegramのアカウント、メッセンジャーの連絡先――使わないものは削除し、必要な情報だけを保持する。


 佐藤も同様に、裏社会との接点を断つために連絡先を整理し、過去の口座やカード情報を整理した。彼は思い出すたび、あの時の自分の選択がどれほど危険だったかを理解する。簡単に稼げる金の誘惑は大きかったが、それに伴うリスクの重さを肌で知ったからだ。


 日常生活の中で、二人は徐々に「信用回復」を意識するようになる。高橋は公共料金や家賃を期日通りに支払い、銀行口座の残高を一定以上に維持することを心がける。佐藤は会社への勤務態度を徹底し、給与振込記録や税金の支払い記録を丁寧に保管する。小さな行動の積み重ねが、金融機関や社会からの信用を少しずつ取り戻す手段になることを、二人は理解した。


 心理的には、毎日が緊張の連続だった。ATMで現金を引き出すたび、口座残高が限界を超えないか、銀行端末に警告が出ないか気にする。カードで支払うたび、制限や履歴の監視が頭をよぎる。少しの油断が生活のリズムを狂わせる可能性がある。夜、二人は布団の中で「もし制限が解除されなかったら」という最悪のシナリオを思い描き、不安に押し潰されそうになることもあった。


 しかし、それでも生活は前に進む。高橋は息子のために、日々の計算と調整を怠らず、小さな安定を確保することに集中する。佐藤は給与と支出の管理を徹底し、金融的な自立を取り戻すことに努める。弁護士の存在は、二人にとって単なる法的支援ではなく、生活の安全と社会的信用を守る盾となった。


 時間が経つにつれ、二人は少しずつ金融社会に再適応していく。制限付きの口座ではあるが、支払いは滞らず、日常のリズムも戻りつつある。裏社会との接触を断ったことにより、心理的な重圧も少しずつ軽くなった。しかし、過去の影響は完全には消えない。生活のあらゆる瞬間で、慎重さと計画性を求められる現実は続く。信用回復の道は長く、完全な自由にはまだ遠いが、二人は確かに前に進み始めていた。


 月日はゆっくりと流れ、高橋美咲の生活は少しずつ安定していった。口座の制限は徐々に解除され、ATMの一日引き出し上限も上がり、カード決済の制約も緩和された。弁護士との定期的なやり取りはまだ続いていたが、日常の大部分は自身の管理で回せるようになっていた。息子の学費や生活費の振込も問題なく、家計簿を開くたびに、小さな達成感が湧く。


 社会的な信用の回復も、少しずつ形になってきた。高橋は生活費の管理、税金や公共料金の滞納なしの記録、勤め先での安定した勤務状況などを証明できるように整理していた。ある日、銀行の担当者から電話が入り、

「過去の取引に関して懸念材料は解消されたと判断します。今後は通常通りのサービスが提供可能です」

 と言われた瞬間、長く重く感じていた胸の荷が、ようやく少しだけ下ろせた気がした。


 佐藤健也も同様に、制限付きの口座の監視期間が終了し、新たにクレジットカードを作ることができた。給与振込も自由に行えるようになり、家賃や公共料金の引落しに関する不安も消えた。金融面での自由を取り戻すと同時に、日常生活に安心感が戻り、心理的な重圧も軽減された。


 二人に共通していたのは、「過去の自分と向き合う時間」の必要性だった。高橋は夜、息子を寝かせたあと、静かに日記を開き、あの時の選択がどれほど危険だったかを書き留める。佐藤は通帳の残高を確認した後、鏡に映る自分を見つめ、「あのときの自分を許す」作業を心の中で繰り返す。過去の被買取者としての経験は消えないが、整理し、受け入れることで、社会復帰の心理的準備が整った。


 日常生活の再構築は、些細な積み重ねから始まった。高橋は息子の学校行事や家庭の用事を計画的にこなし、仕事と家庭を両立する生活のリズムを作った。佐藤は職場で信頼を積み重ね、給与振込や公共料金の支払い記録を整理し続けた。これらの小さな成功体験が、二人に自信と安心感を与え、過去の過ちに縛られない自分を作る手助けとなった。


 やがて、高橋は生活再建の一環として、貯金口座を作り、少額でも積み立てを始めるようになった。佐藤も将来に向けて、住宅ローンやクレジットの利用履歴を健全に管理するようになった。金融面での自立は、過去の制約を乗り越えた象徴であり、社会復帰の確かな証でもあった。


 二人は共に、金融的にも心理的にも社会的にも再び独立した存在となった。しかし、裏社会との関わりを断ったことで得られたのは、単なる自由ではない。過去の選択を振り返り、自己管理と責任を伴う生活の重みを知ったことで、彼らは以前よりも強く、慎重で、社会との接点を大切にする人間になった。


 最後に高橋は息子の手を握り、夕暮れの公園を歩く。静かに、しかし確実に歩みを進める二人の姿には、過去の影が残るものの、未来を切り拓く力が宿っていた。佐藤もアパートの窓から街を眺め、以前よりも少しだけ深呼吸をする。信用を取り戻し、生活を回復した日々は、彼らにとって新たな始まりだった。


 裏社会の影響は完全には消えない。しかし、法律と計画、慎重な生活の積み重ねによって、人は過去を乗り越え、社会に再び溶け込むことができる——その現実を二人は身をもって知ったのだった。


 俺――玲司――にとって銀行口座は単なる数字の羅列じゃない。生きた武器だ。買い取った口座を手に入れた瞬間から、それは俺の管理下に置かれる。電話一本、メッセンジャー一通で、現金を依頼者の希望する口座へ届けるための仕組みが動き出す。


 まず、口座が手元に届いたら、初期確認を行う。入出金履歴は空白かどうか、残高に不審な動きはないか、そしてオンライン操作が可能かを逐一チェックする。口座の種類によっては、取引制限や本人確認の追加要求がある。遠方の口座ならなおさらだ。テレグラム経由で自撮りや自宅周囲の映像を送らせ、口座の正当性とアクセスの確実性を確認する。これは警察の監視を避けるための必須作業だ。


 準備が整えば、口座に資金を振り込む。振込は小口に分け、全国に分散させた「闇の銀行網」を経由させる。手数料を抜くタイミングも重要だ。数字が狂えば痕跡が残る。だから俺は必ずメモを取り、振込の順番、タイミング、金額を正確に記録する。依頼者からの電話で、「今すぐ○○円を○○口座に」と指示が入れば、即座に作業を開始する。振込が完了すると、確認メールを送り、依頼者の承認を得る。その瞬間、資金は俺の手を離れ、彼らの指定口座に収まる。


 口座を使い切った後は、すぐに廃棄の段取りだ。オンラインアカウントはログアウトし、端末から削除。残高ゼロの通帳はシュレッダーにかけ、データは完全に消去する。口座に紐づく情報が残れば、追跡の痕跡になる。だから、どんな小さな情報も残さない――過去の被買取者たちのように、後で生活に支障をきたすことがないように。


 廃棄後、俺は短い達成感を覚える。数字が移動し、口座は消え、誰の手にも残らない。金が動いた軌跡は記録に残るが、それはシステム内部だけで、俺の世界には影響しない。電話一本で動く世界、誰にも見えない数字の海で、俺は静かに支配者の立場を楽しむ。


 だが、心の片隅では常に被買取者たちの顔が浮かぶ。口座を渡した瞬間、彼らの生活は不安定になり、信用は失われる。訴追の恐怖、銀行口座が作れない現実……それらは俺の手元では数字に過ぎないが、向こう側では人生を揺るがす重みを持つ。だから俺は、慎重に、計算し尽くして、口座を使い、廃棄する。感情を挟めば、リスクは増える。淡々と、確実に。


 口座を使い終わった後、部屋の窓から夜の街を見下ろす。ネオンが静かに光り、街のどこかで新たな口座が買われ、金が移動している。俺の存在は影のようだ。誰にも見えず、触れられず、ただ数字を操る存在。被買取者たちの生活を一瞬揺らし、金を流通させる。完璧に計算され、完璧に消える。これが、俺の仕事のすべてだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ