第3話/売る者
高橋美咲。二十八歳、パートの給料で幼い息子を育てている。朝は保育園の送り、昼はスーパーのレジ、夜は安い居酒屋の短時間シフト。毎月の通帳を眺めるたび、数字の穴の深さに息が詰まる。給料日前の冷蔵庫の音、息子の靴が小さくなっていく事実、祖母の医療費――どれも押し寄せる焦りの理由だった。
ある夜、スマホの画面でふと目に止まった広告は、まるで救いのように見えた。短い文面。「困っている口座を買います。相談だけでも。」たったそれだけ。善意でも悪意でもない、ただ機械的な言葉。それを見た瞬間、胸の奥にあった「どうにかしなきゃ」が口を利いた。深夜、息子が眠った後に、私はメッセージを送った。最初は恐る恐る、でも文章は簡潔だった。明日の食費にも困っている、と。
相手はすぐに反応した。SNSのダイレクトをいくつかやり取りした後、「Telegramで詳しく話そう」とだけ。Telegramの名前は聞いたことはあったが、私にはただのチャットアプリに思えた。誘導されるままに移ると、相手は落ち着いた口調で、しかし要点ははっきりしていた。「まずは身元を確認させてほしい。自撮りと、連絡の取れるメッセンジャーのアカウントを教えてくれ」と。
最初は抵抗した。プライバシーの壁が本能的に立ちはだかる。しかし、要求は段階的で、どんどん小さくなっていった。相手は「安心してほしい」と言って見せ、でもその言葉は手のひらの薄い膜のように簡単に破れた。私は自撮りを送った。髪は乱れていて、表情は疲れていた。スマホの画面越しに自分を見ると、他人のように見えた。私がそこにいる実感と、そこから逃げられないという実感が同時に襲ってきた。
次に求められたのは、自宅付近の写真だった。玄関の前、通りの角、近所のコンビニの外観。最初は言い訳を並べた。「誰かに見られたら困る」と。相手は冷たくはないが確固たる口調で言った。「風景だけでいい。住所の証明になる。俺たちもリスクがあるんだ」。言葉に理屈はあったが、理屈があるからといってそれが私を安心させるわけではない。だが、そこには選択肢があった:見せるか、見せないか。見せないと話は進まない。見せれば金が来る。息子の寝顔が脳裏に浮かび、私は写真を撮った。
要求はエスカレートするわけではなかった。だが求められるたびに皮膚の下に小さな縛りが増えるのを感じた。短い動画で、玄関から自宅に入るまでの映像を撮って送るように、と指示されたとき、足元が冷たくなった。私は震えながらも指を動かし、カメラを回した。自分の背後に誰もいないか、回り道はないか、思いながら歩く。息子のぬくもりが残るドアノブを押し、部屋の電気をつける。映像の向こうには、私がこの家に暮らしている証拠が刻まれていく――同時に、その証拠が私を縛る縄へと変わっていくのが分かった。
送信した後、すぐに相手から金額の提示が来た。数万円。生活費の一部にしては大きすぎる金額だった。条件は明快だ:通帳とキャッシュカード、そして時折の名義確認の連絡を許諾すること。私は震える手で同意ボタンを押した。受け取った現金は、当日の夜のスーパーで明日の食材を買うという、ありふれた幸せを一瞬だけ取り戻してくれた。息子の笑顔を見たとき、私は自分がしたことを正当化した。だが、正当化は薄皮一枚の嘘のように頼りなかった。
数週間、物事は滑らかに進んだ。連絡に応じ、小額ずつだが一定の生活費が届いた。私は繰り返し自分に言い聞かせた。これでいい、と。自分たちの食卓が温まるなら、誰かが傷ついたところで私には関係ない、と。しかし、それは長くは続かなかった。
ある朝、息子を保育園に送ったあと、私の携帯に見知らぬ番号からの着信があった。画面には「警察」とだけ表示されていた。血の気が引いた。通話は短かった。私の口座が不審な振込に使われているという通報があり、事情聴取のために来てもらいたい――そう告げられた。声は事務的で、非情に冷たかった。
頭が真っ白になった。私は息子を迎えに行くことも忘れ、ただ通帳とカードを取り出して、自分のしたことを反芻した。相手に送った自撮り、玄関の動画――それらは確かに私がそこに住み、そこにいる証拠だった。あの時に撮った自分の動線が、今度は警察の質問に対して私が説明しなければならない「証拠」になるのだ。私が安心を求めて差し出したものは、いつでも手に刺さる刃物になり得る。
事情聴取の時間が決まるまでのあいだ、私は眠れなかった。息子の夕飯をどうするか、明日の家賃をどうするか、次に相手が何を要求するのか――問いは際限なく続いた。夜が明ける頃、私はチャットを開いた。そこにはいつもの相手のメッセージがあり、簡潔な慰めと、手続きの指示が並んでいた。「落ち着け。とりあえずこちらの指示通り対応しろ。弁護士だのなんだのはめんどうだ。向こうは形だけだ」。その文章を読んだ瞬間、胃が締め付けられるのを感じた。慰めにも聞こえたが、同時に命令だった。私は再び、誰かの手の中で動く駒になっていることを自覚した。
聴取室で、何度も同じことを聞かれた。誰が依頼しているのか、振込の経緯、なぜ通帳を渡したのか。私は一つずつ答えた。言葉は乾いていた。説明は理屈であり、言い訳の連続だった。息子の顔を思い出しながら、ただ事実を並べるしかなかった。帰り際、係官が言った。「今後こういうことがあれば、罰せられるよ」。その時の彼の目は、同情も怒りも交じった複雑な色をしていた。私に残されたのは、罰の可能性と、母親としての責任感だけだった。
家に帰ると、玄関のドアを開ける手が震えた。息子は何も知らずに笑っていた。私はその笑顔に救われながら、しかし自分が開けた穴の深さを噛み締めた。相手に縛られた証拠は、もう私の手元にはない。けれどそれはどこかで、誰かのデータベースに保存され、必要に応じて呼び出されるのだと直感した。私の名前と住所、顔の画像、玄関までの動画――それらが、他人の都合で使われる可能性を思うだけで眠れなかった。
それでも翌朝、私はいつものようにレジに立った。客の顔、商品のバーコード、機械の発する小さな音。生活は無情に続く。恥と恐怖と安堵が混ざった複雑な感情を胸に、私は笑顔を作る。息子のためだ。誰かの都合で縛られたことを誰にも知られないように、私は小さな嘘とともに一日を始める。
夜、チャットの未読を確認すると、相手からの短いメッセージが届いていた。「良かったな。金はちゃんと届いた。動きがあったらこちらから指示する。あまり騒ぐなよ」。その冷たい一行が、私の胸に固く結び目を作る。救いを求めた指先が、いつの間にか自分を縛る縄になっていた。私はそれを解くことができるのか。自問自答を繰り返しながら、私はまた明日の小銭を数えるのだった。
佐藤健也。四十五歳。工場の技能職をリストラされ、再就職もうまくいかず、消費者金融の返済が雪だるま式に膨らんでいた。独身だが、長年同棲していた女は出ていき、アパートには夜だけ帰る癖がついた。日中は求人誌をめくり、夜は飲み屋で時間を潰す。財布の中はいつも軽く、電話の着信は督促番号ばかり。胸の奥には、「もう終わった男だ」という諦めがくすぶっている。
ある雨の晩、居酒屋のトイレの便器に腰掛けているときに見たスマホの広告が目に入った。「口座買います。相談だけでも」——恥もプライドも吹き飛ぶほど、あの短い文字列は灯火になった。金は必要だ。必要で、どうしても今すぐに必要だ。翌朝、駅のホームでスマホをいじりながら、俺はメッセージを送った。文面はぎこちなく、しかし要点だけは押さえていた。
相手はすぐにTelegramへ誘導してきた。別段珍しくもない流れだ。そこでのやり取りは機械的だったが、相手の要求は明確だった。身元の確認のために、自撮りと連絡先——そして可能ならば自宅近辺の写真をくれ、と。最初は黙っていたが、金の匂いが手招きする。俺は煮え切らない自分を叱咤し、指を動かした。自撮りを送るとき、鏡に映った自分の顔が妙に老けて見えた。額のしわ、頬のたるみ。送信ボタンを押す指が固まる。
要求はそれだけでは終わらなかった。相手は俺のスマホのメッセンジャーのIDを要求し、そこからの既読の速さを観察したり、アカウントの過去の投稿をちらりと確認したりした。やり取りを通じて、相手は俺の生活の「痕跡」を集めていく。自分が誰で、どこで何をしているかを逐一提示する行為は、最初は屈辱だった。だが金のためにやるべきことだと、自分に言い聞かせた。
最も抵抗が大きかったのは、古いマンションの外観を撮るよう頼まれたときだ。自宅を晒すことには恐怖があった。もし何かあれば、そこにまず被害が及ぶ——そういう想像が頭をよぎる。しかし相手は「風景だけでいい」と淡々と言い、こちらが拒めば蹴られるだけだという空気を醸し出した。俺は傘を差して外に出て、カメラを向けた。雨に濡れたアスファルトと、建物の薄汚れた外壁。シャッターを切るたびに、胸の奥が少しずつ冷たくなるのを感じた。
取引の条件は明快だった。通帳とカードの譲渡、そしてこちらが時折連絡に応じること。報酬は一括で数十万——だが、当然だが「全ての責任を免れる」わけではない、と念を押された。俺はそれでも合意した。金が手に入るという事実は、泥沼に伸びた一本の手のように見えた。掴めば溺れるかもしれないが、掴まずに沈むよりはいい——そんな計算だった。
現金を受け取った夜、俺はベッドで札束を何度も撫でた。匂いも手触りも、久しぶりに実感する個人的な「価値」だった。だが翌朝、電話帳に載った知らない番号から留守電が入っていた。内容は短く、「名義の動きがあったため、念のため警察に呼ばれる可能性がある」とだけ。心臓が喉に浮くような感覚になった。やはり、どこかで齟齬が起きたのだ。
事情聴取を受ける日、俺はアパートの前で立ち尽くした。通帳を握りしめ、見知らぬ官憲の車に向かって歩くたび、後悔が口先をついて出る。聴取室の蛍光灯は白く、冷たく、何度も同じことを質問された。誰に渡したのか、金の流れはどうだったか。俺はあくまで事務的に答えた。「生活が苦しかった」と。無効化されるような言葉だが、本当だった。
帰宅してからの数日は気が休まらなかった。チャットの通知は依然として鳴り、相手からのメッセージは簡潔で指示的だった。「騒ぐな。こちらで対処する。指示に従え」。命令のようなそれに、俺は従うしかなかった。だが次第に、俺の手の中に残る安心は薄れていった。あのとき撮らせた玄関の動画、角度を計った自宅写真——それらは、俺が自ら差し出した「足枷」だったことを思い知らされる。
ある晩、居酒屋で酔った勢いで昔の同僚とばったり会った。彼は俺に軽く声をかけ、「最近どうだ」と訊いた。俺は何と答えていいか分からず、にごした。帰り道、真っ直ぐにアパートに戻る足取りは重かった。ふと、スマホに新しいメッセージが来る。そこには短い一文だけがあった。「このまま黙っていれば、問題になる確率は下がる。だがこちらの指示は絶対だ」。
その一行には優しさも同情もなかった。ただ、冷たい合理性だけが詰まっていた。俺は自分が誰かの管理下にあることを改めて自覚した。金は確かに俺の手を救ったが、その手はもはや自由に振るえない。外から見れば「借金返済のための処置」に見えるかもしれないが、心の中では何かが壊れていくのを感じていた。
それでも朝は来る。工場の求人に片っ端から電話をかけ、履歴書を書き、面接に行く。しかし、電話のベルの一つ一つが心の重しになり、チャットの既読がつくたびに胃がキリリとする。俺は自分の選択を責め、同時に選んだ自分を恨む。被買取者としての人生は、取り返しがつかないほどに変わってしまうのだと、俺は初めて知った。