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御落胤(ごらくいん)の忌み子  作者: ふゆはる


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第28話/異分子

 黒崎は、いつもの重厚な執務室で一人座っていた。しかしその背後には、静かに張り詰めた緊張が漂っていた。最近の玲司の動き――幹部たちの信頼を着実に掌握し、海外ルートとの直接交渉を進めるその手腕――それらは、黒崎にとって明らかに脅威となっていた。


 黒崎は静かに電話を取り、複数の幹部を呼び出した。長年共に組織を支えてきた面々が次々と執務室に集まる。皆、黒崎の表情を見つめ、何か重大な話が始まることを察していた。


「聞け……玲司の動きは、想像以上に計算されている」

 黒崎は低く、重みのある声で切り出す。


「彼は表向き、私への忠誠を装っている。しかし、実際には組織の権限を掌握し、海外ルートとの直接交渉を進め、幹部たちの信頼も完全に取り込んでいる。もしこのまま放置すれば……我々の立場は一気に危うくなる」


 幹部たちは沈黙する。黒崎の言葉に含まれる危機感が、空気を重くしていく。


「分かっているだろう……私がまだ手を打たなければ、組織の頂点は間違いなく彼に渡る」

 黒崎は指先で机を叩き、視線を部屋の隅に置かれた書類に移す。その先には、長年黒崎が暗躍させてきた闇の処理専門の人物――通称ゴタ消し屋の情報が記されていた。


「玲司を……闇に葬る」

 黒崎の声には、冷徹な決意が宿っていた。組織の頂点を守るため、あるいは失墜する自らの権威を回復するためには、手段を選ぶ余裕などない。ゴタ消し屋の存在は、そのための切り札であった。


 幹部たちは顔を見合わせる。中には動揺を隠せない者もいたが、黒崎の意図は明確だった――玲司の台頭を阻止し、自らの権力を守ること。だが同時に、黒崎もわかっていた。玲司の洞察力と計算高さを甘く見れば、自分自身が逆に葬られるリスクもある。


 黒崎は深く息を吐き、最後に重々しく告げる。

「すぐに手を打つ……ゴタ消し屋を動かせ。だが慎重にだ。無駄な動きは、我々の立場をさらに危うくする」


 その言葉は、部屋にいた全員の心に冷たい緊張を刻みつけた。表面上は静かで、重厚な空間。しかし裏では、組織内の覇権を巡る暗闘が静かに、しかし確実に動き始めていた。


 黒崎は自らの手で玲司を潰そうと決意した。しかし、暗闇の中で動き出したゴタ消し屋の刃が、果たして誰を切り裂くことになるのか――その結末は、まだ誰にも見えなかった。


 夜の街の灯りがビルの谷間に零れ落ちる頃、黒崎は動いた。執務室に残された幹部の一人からの短い報告の後、彼は封筒をテーブルの上に静かに置いた。封筒の重みは、そこに記された名の重みと等しかった。


「九条、くじょう げん。使え」

 黒崎は短く言った。口調にためらいはない。組織の頂点は、自らの立場を守るための代償を支払う覚悟をしていた。


 封筒の中のメモには簡潔な指示だけが書かれていた。言葉は少ないが、含意は凄まじく重かった。幹部たちは互いに目配せをし、任務に必要な最低限の情報だけを共有する。余計な言葉は無用だった。


 九条玄──その名は裏社会の中でも忌避される伝説のような人物だった。噂はいつも曖昧で恐ろしく、実体よりも逸話が先に拡散するタイプの男。表の世界では古物商や倉庫業を装う者だと言われ、裏では「消すものは消す、跡形もなく」と評される。だが彼自身は噂を利用することを好み、真実は必要最小限の者にしか見せない。


 数日後、九条は影のように現れた。顔に目立つ傷もなく、年齢不詳の涼やかな佇まい。彼は執務室で黒崎と短い会話を交わしただけで任務の輪郭を把握する。黒崎は言葉少なに報酬と条件を示し、九条はただ静かに頷いた。それが彼の流儀だ——必要のない感情を交えず、仕事を請け負う。


 九条は即座に作業に取りかかるのではなく、まず時間をかけて「観察」を始めた。観察とは、ただ相手を盗み見ることではない。日常に潜むリズム、言葉の癖、安心する瞬間と恐怖に揺れる瞬間の細部を読み取り、最小の接触で最大の効果を生むための地図を描く作業だ。彼は玲司の行動パターンを洗い出すことから始めた。


 東京・銀座の隠れ家、支店視察の道筋、深夜のオフィスの灯り、家族や過去の僅かな痕跡──九条は静かに情報を拾い、盤面を広げていく。伝聞を元に幹部の一人を短時間だけ監視させ、玲司の外出ルート、会合の時間、よく行く店、人となりを細かく把握していく。だがその過程は、決して派手ではない。足音は軽く、視線は冷たく、誰にも気づかれないまま距離を詰める。


 並行して、九条は“環境”を整えた。幾つかの倉庫、運送業者、顔役を短期間雇うための小口の資金——それらは教科書的な道具立てではなく、必要最小限の舞台装置である。彼のやり方は経済的で合理的。余計な証拠を残さず、関係を限定し、何より「安定した後ろ盾」を作らないことを原則としていた。借りを作らぬことが、彼にとっての最大の防御であり武器だった。


 仕事は段階的に進む。まずは情報の確度を上げるための小さな接触――会食の係、運送の段取りを助ける外注、夜の監視を行う見張り――表向きは些細な業務だが、裏では相手を取り囲む網目を一つずつ張る作業だった。九条は幹部たちに対しても微妙な信号を送り、誰にどれだけ説明すべきかを精密に決めていく。情報の漏れや無駄な動きを極端に嫌うのが彼の流儀だ。


 一方、玲司は知らぬ間に“見られている”感覚を抱き始める。鋭敏な直感は日々の違和感を拾う。幹部の一部の挙動、監視が増えたような気配、戻りの遅いメール——玲司はそれを単なる偶然と片付けない。彼はすぐに対応を始める。行動を分散させ、予定を巧妙に変更し、別人を介在させることで自らの影を薄めた。だが九条は、そうした表層的な撹乱を見抜く術を持っている。彼は相手の不安を誘発し、混乱を利用して次の情報を引き出す。


 九条のチームは小さく、精鋭だった。必要な時だけ呼び、指示は簡潔。彼らは一つの目的に向かって淡々と動く。ある夜には、玲司が向かうと告げたとあるワンボックス車を九条の車両が通り過ぎただけで、内心の緊張が走る者もいた。だがその通過は証拠を残さない。証拠を残すことは、九条の敵を増やすだけだと彼は知っていた。


 時が経つにつれ、九条の観察は輪郭を帯び、作戦の段取りが固まっていく。だが九条は決して急がない。彼には「最良の瞬間」を待つ忍耐がある。動きは常に計算されており、そこに衝動性はない。黒崎はその冷徹さを頼りにし、静かに待った。幹部たちの表情は硬く、誰もが結果の行方を見守るしかなかった。


 だが、裏の世界で最も危険なのは「確信」だ。黒崎は自らの決断の重さを知っている――一度刃を振るえば、取り返しはつかない。だからこそ彼は最小限の布石で最大の効果を狙う。九条を選んだのは、そのためだ。九条の流儀は結果を残すことだが、それを見せないのもまた彼の芸術だった。


 ある朝、九条は黒崎に短い報告を送る。文面は淡々としているが、そこには計画の進度と「実行可能な時期」が記されているという意味が含まれていた。黒崎は書かれた行間を読み取り、静かに頷いた。幹部たちは動揺を押し殺しつつも、次の連絡に備える。


 そして、計画は次の段階へと動き出す。だがその瞬間、裏の盤の片隅で別の動きが始まっていることを、まだ誰も知らなかった。玲司自身の警戒と準備が、思いがけない“偶然”を呼ぶ可能性がある——それは九条の慎重さをも試す試練となるだろう。


 九条は夜の帳の中、静かに微笑む。仕事はまだ始まったばかりだ。彼は手を汚すために来たのではない。最小の痕跡で最大の効果を得ること、そのための時間と空間を買うことが彼の技巧だった。誰にも気づかれぬうちに盤を動かし、必要な一手を打つ準備を整えている。


 その夜、東京の街はいつもと変わらぬ喧騒を見せた。しかし窓の内側では、ゆっくりと、しかし確実に歯車が回り始めていた。黒崎の決意と九条の手際、幹部たちの複雑な心情──それらが一つの軌跡となって、やがて誰かを闇に沈めるための道を照らし始めるのだった。


 計画は進行中。だが裏世界のルールは一つだけ確実だ——最も用心深い者が、しばしば最も危うい。九条は準備を整え、黒崎の期待を背にして執行の瞬間を待つ。玲司はそれに気づかぬまま、これから起こる嵐の予兆を肌で感じ始めていた。


 東京の夜は湿気を帯び、街灯が濡れたアスファルトに反射して鈍い光の帯を作っていた。その光景の中、玲司は普段通りの行動を続けていた。支店の視察、幹部との打ち合わせ、海外取引の報告――すべては計画通り、誰もが目にする日常の範囲内だ。しかし、その裏で、黒崎の差し向けた影が静かに迫っていた。


 九条玄は冷たい夜風に顔をさらしながら、ビルの屋上で街を見下ろしていた。彼の目は、玲司の動線と習慣を一つずつ確認する。それは単なる監視ではなく、精緻に組まれた「捕獲計画」の一部だった。足取り、会話の間隔、使う交通手段、警備や護衛の有無……九条は些細な習慣のずれも見逃さなかった。


「ターゲットは警戒心が強い。しかし、完璧ではない」

 九条は低く呟き、耳に仕込んだイヤホンから無線でチームに指示を出す。四方に散らばった数名のメンバーが、それぞれの位置に静かに潜み、玲司の移動ルートに沿って待機する。人目には、ただの通行人やタクシー運転手にしか見えない。


 その夜、玲司は自宅近くのビルで打ち合わせを終え、次の予定に向かおうとしていた。周囲に目を配りつつ歩くが、足取りには少しの油断もない。彼の直感は常に敏感で、微かな異常も感じ取る。しかし、九条はそれ以上に冷静で巧妙だった。街の雑踏、車のライト、行き交う人々の影を利用し、チームは気づかれぬまま、玲司を徐々に包囲していく。


 信号待ちのわずかな数秒。玲司は前方の通行人を避けつつ歩きながら、背後の気配に微妙な違和感を覚えた。すぐに振り返るが、通りの灯りの下には、ただ無関係の通行人だけがいる。心臓がわずかに高鳴る。だがそれ以上の異変は感じられず、玲司は再び足を進めた。しかし、九条のチームはそれを想定済みで、次の交差点で彼を遮るタイミングを狙っていた。


「そろそろ、行くぞ」

 九条の声が耳元で届くことはない。無線を通じてチーム内で静かに合図が送られ、各員が一斉に動き出す。玲司がタクシーに乗り込む瞬間を狙った男が、後方から柔らかく体を寄せる。わずかな衝突音さえも、雨音と街の雑踏にかき消される計算だ。


 タクシーに向かう瞬間、玲司は一瞬、肩越しに不自然な影を感じる。しかし目の前にある交差点の雑踏が、注意を逸らす。次の瞬間、背後から人が近づき、軽く肩に触れる——それは意図的な接触で、玲司のバランスを微妙に崩すためのものだった。玲司は即座に反応するが、周囲の状況がその反応を制限する。


 次の瞬間、玲司の視界の端に複数の人物が現れた。九条のチームが全方位から動く。玲司は咄嗟に身を低くし、逃れようと試みる。しかし計算された包囲は完璧で、逃げ道はすでに複数の車両や建物によって遮られていた。


「動くな」

 低く、しかし明確な声が通りの騒音をかき消す。玲司の目の前には、影のように立つ九条の部下が数人並ぶ。玲司は状況を一瞬で判断する——単独での抵抗は無意味、ここで動けば自身の安全も危うい。


 静かに手を上げ、呼吸を整える玲司。しかし心の奥底では、既に緊張の波が全身に広がっていた。九条は近づき、玲司の側面に目を配りつつ、肩越しに無言で指示を出す。玲司は完全に囲まれ、抵抗の余地は無くなった。


 無言のまま、玲司は車両に押し込まれる。雨に濡れた道路の光が窓ガラスに反射し、外の街並みが歪んで見える。助手席に座った部下の一人が静かにドアを閉め、車は走り出す。玲司の頭の中では瞬時に数十のシナリオが巡るが、状況は一つ――九条の計画通り、彼は完全に制御下に置かれたのだった。


 車内の空気は静かで冷たく、玲司の呼吸だけが微かに聞こえる。九条の声はない。だが、窓越しの街灯の明滅が、緊迫した心理の波を映し出す。玲司は思った——この人物とチームは、ただの暗殺者ではない。計算された恐怖、その精密さは、これまで見てきたどの敵よりも手強い、と。


 そして車は、都内のある秘密の監禁部屋へと向かう。玲司の拉致は完了した。だが、この瞬間はただの序章に過ぎない。裏社会の暗闘は、これから最も深く、最も危険な局面へと向かっていくのだった。


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