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御落胤(ごらくいん)の忌み子  作者: ふゆはる


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第26話/礼儀

 黒崎と幹部たちへの報告から一週間後。

 玲司のデスクに届いた暗号化メールは、件名も本文もただ一行――「First transaction / Kowloon 12:00」。

 差出人は龍門会の窓口である「Lian」と名乗る人物だった。返信用のリンクは数分で消える仕組みになっており、玲司は即座に確認し、必要最低限の合図だけを返した。


 表面上はシンプルだが、実際には双方の信頼とリスクを量り合う最初の一歩である。玲司は資金洗浄において現金の流れを読み、龍門会は現物の換金ルートを提供する。互いに欠ければ成立しない取引だった。


 玲司はまず黒崎に報告した。

「龍門会から最初の条件が提示されました。香港・九龍の倉庫街で正午、現物の受け渡しです」


 黒崎は顎に手をやり、黙って考え込んだ。数秒の沈黙の後、短く言う。

「……警察の耳に入るような派手な動きは避けろ。だが、舐められるな。初回は肝心だ」


 玲司は頷き、最小限の人員で挑むことを決めた。警護は秋口組から数人借り受ける形にし、玲司自身は銀行マンらしいグレーのスーツに身を包む。武器は持たない。交渉の場で武力を見せれば、商談はその瞬間に終わるからだ。


 取引の内容はこうだった。

 •秋口組が強奪した宝飾品と高級時計、推定市場価値でおよそ三億円相当。

 •龍門会側はその場で三割を即現金払い、残りは二週間以内に香港経由で複数の口座へ分割送金する。

 •玲司は全額が無事に入金されるまで監視する役割を担う。


 取引の当日。

 九龍の倉庫街は昼でも薄暗く、雨に濡れたアスファルトが鈍く光っていた。指定された倉庫の前に黒塗りのワンボックスが停まり、玲司が降り立つ。周囲には龍門会の見張りらしき男たちが数人、無言で煙草をふかしている。


 倉庫の中は静かで、埃と鉄の匂いが充満していた。中央に置かれた長机の上に、黒いジュラルミンケースが二つ。片方には秋口組の宝飾類が詰め込まれており、もう片方には香港ドルの札束が整然と並んでいる。


 龍門会の窓口役・リェンが姿を現した。細身のスーツに眼鏡をかけ、飄々とした笑みを浮かべているが、その背後には無表情の屈強な護衛が二人控えていた。


「ミスター篠崎、ようこそ。趙姐ミス・チョウからの命を受け、最初の取引を執り行います」

「こちらが品物だ」


 リェンはケースを開き、宝飾品を一つひとつ光にかざして確認する。ダイヤの指輪、金のネックレス、スイス製の高級時計――すべて番号とリストで照合しながら念入りに検査する。その姿はまるで学者のようで、裏社会の男とは思えない几帳面さだった。


 一通りの確認を終えると、リェンはもう一方のケースを玲司に示した。

「ここに現金が九百万香港ドル。残りは口座に流します。ご安心を」


 玲司は深く頷き、携帯端末で即座に換算と確認を行う。桁は正しい。だが金額そのものよりも、玲司の視線はリェンの表情に注がれていた。嘘をつく気配はない――それが玲司の直感だった。


 取引は三十分もかからず終了した。玲司が倉庫を後にすると、香港の湿った風が顔を撫でた。

 背後で倉庫の扉が重々しく閉まる音を聞きながら、彼は自分の立場を改めて噛みしめた。


 ――これで龍門会との歯車が回り始めた。もう後戻りはできない。


 玲司の足取りは一見冷静だが、その胸の奥には奇妙な高揚感と緊張が渦巻いていた。


 龍門会との最初の取引から数か月。

 貴金属を中心とした換金事業は滞りなく進み、玲司の闇銀行は龍門会の資金洗浄に欠かせない存在へと変貌していった。


 だが、玲司はあえて「従属」の姿勢を取らなかった。

 香港へ飛ぶ際も、彼は常に限られた側近を連れ、過剰な礼を尽くすことを避けた。

「我々は対等である」――その姿勢を貫くことで、玲司は中国社会特有の“上下関係の枠”から一歩外れた位置に立ち続けていた。


 ある夜、香港島の高級会員制クラブ。

 夜景を背に並んだVIPルームで、趙は玲司に向かって笑みを浮かべた。

「篠崎、あなたは他の外国人と違う。大抵は龍門会の名前に怯え、私の前では腰を折るものよ」


 玲司はグラスを口に運び、静かに答える。

「それは彼らが“客”だからだ。だが俺は客ではなく“商売相手”だ」


 趙の目が細められ、やがて口角が上がる。

「……朋友ピンヨウ、そう呼ぶに相応しいわね」


 “朋友”――中国社会で軽々しく使われる言葉ではない。

 友人以上、血縁に近い信頼を持つ関係を意味する。

 その場に居合わせた龍門会幹部たちが一瞬、互いの顔を見合わせた。

 外国人、それも日本人を趙がそう呼ぶなど、これまで例がなかったからだ。


 以降、玲司の立場は大きく変わっていった。

 龍門会のオフィスを訪れると、形式的なボディチェックさえ省かれるようになり、幹部たちは彼を「ミスター篠崎」ではなく「朋友」と呼ぶようになった。


 噂は瞬く間に広がった。

「龍門会の朋友となった日本人銀行家がいる」

 それは香港・マカオだけにとどまらず、上海や深圳の地下経済にも響き渡った。

 玲司の名は暗号資産の世界を超え、現物取引、美術品、絵画のマーケットへと広がっていったのである。


 日本に戻った玲司は黒崎や幹部たちに報告した。

「俺は“客”ではなく“朋友”となった。つまり、今後は互いに利用し合う立場にある。上下関係ではなく、並び立つ者としてな」


 幹部の一人が言った。

「だが、朋友と呼ばれたところで、龍門会を完全に信用していいのか?」


 玲司は煙草に火をつけ、淡々と返した。

「信用する必要はない。ただ、向こうも俺を簡単には切れなくなった。そこに意味がある」


 ――この時から、玲司は単なる「日本の闇銀行家」ではなく、アジアの闇社会における一角の旗を掲げた存在へと進化していった。

 それは同時に、さらなる危険と大きな取引を引き寄せることを意味していた。


 玲司が香港で龍門会との接触を重ねるようになってから、彼の立場は確実に変化していった。最初は警戒と探り合いで始まった関係も、数度の取引を経るうちに趙を中心とした幹部たちの間で「信頼できる日本人」という評価が定着していった。玲司がもたらす商品は質が高く、納期や支払いの厳格さも申し分ない。なにより彼の振る舞いが、強欲さに走るのではなく常に対等の姿勢を保ち、相手の面子を尊重する点が龍門会の気風に合致していた。


 趙は次第に玲司を宴席や内輪の会合に呼ぶようになり、やがて「朋友(ピンヨウ)」と呼んで公然と肩を並べるようになった。これは中国社会において単なる取引相手を越えた特別な意味を持つ称号であり、玲司の存在が龍門会内部でも一目置かれる証拠であった。


 同時に、ヨーロッパのバルター二との関係も変わらず続いていた。玲司は両組織に対して「どこか一方に偏る」姿勢を決して見せず、交渉や供給のバランスを慎重に保った。彼が海外で繋がりを持つのは龍門会とバルター二、この二つに限られているという事実は、逆に双方に安心感を与えていた。裏社会の常識として、複数の勢力に顔を出せば「二股」として疑心を招き、やがて破滅を呼ぶ。だが玲司は潔くその枠を限定し、二大勢力のみに徹底して信義を通した。


 龍門会にとっては「日本からの信頼筋」、バルター二にとっては「極東での唯一の窓口」。それぞれにとって玲司は不可欠な存在となりつつあった。黒崎をはじめとする日本の幹部たちも、彼の報告を受けるたびにその国際的な立場の強化を実感し、組織全体の基盤がかつてないほど安定していくことを理解していった。


 玲司自身もまた、二つの巨大な潮流の間に立ちながら、自分の役割がもはや単なる仲介人ではなく、国際的な「秤」のような存在になりつつあることを自覚していくのだった。


 玲司が龍門会とバルター二の双方から「朋友」「コンパーニョ」と呼ばれるようになった頃、彼の存在感はすでに一人の日本人の枠を超えていた。香港の高層ホテルの一室、重厚なソファに身を沈める趙は、赤いワイングラスを弄びながら玲司に視線を送った。


「玲司、君は黒崎の部下であるには惜しい人材だ。あの男の器量は認めるが、君を束ねておけるほど大きな枠は持っていない。日本という枠に留まらず、もっと広い場で動くべきだ。」


 玲司はその言葉を受け、すぐには返事をしなかった。テーブルに置かれたワインの色を静かに見つめる。その沈黙を、趙はあえて破らない。


 数日後、今度はローマ郊外のヴィラ。エンリコが白いスーツ姿で現れ、陽光を背に微笑みながら同じ話を切り出した。


「Reiji、君が黒崎の影にいる限り、我々は君を“代理人”として扱わざるを得ない。しかし、君が独立すれば話は別だ。龍門会もバルター二も、君を対等なパートナーとして迎える。日本の裏社会においても、その影響力は今の比ではなくなるだろう。」


 エンリコの言葉は甘美で、同時に冷徹でもあった。玲司はそこで初めて、両者が同じ提案をしていることに気づいた。異なる文化圏に属する二大勢力が、揃って同じ選択を促す――それは偶然ではなく、計算された合意だった。


「……独立、か。」

 玲司は低く呟いた。


 彼の胸中には複雑な感情が渦巻いていた。黒崎は自らを拾い上げ、育ててくれた存在だ。組織の中で力を付け、ここまで辿り着けたのは黒崎の後ろ盾あってのこと。だが一方で、今や龍門会とバルター二から「玲司個人」として認められているのも事実だった。


 趙とエンリコの勧めは、甘い毒にも似ていた。独立すれば、確かにより大きな自由と影響力を手にする。だが、その一歩は黒崎への裏切りを意味する。忠義か、野心か――玲司は選択を迫られていた。


 香港のホテルの一室。夜景が宝石のように瞬き、窓ガラス越しに玲司の横顔を照らしていた。机の上には趙から渡された龍井茶の香りがまだ漂っている。だが、玲司の胸中はその柔らかな香りとは裏腹に、鋼のような緊張で張り詰めていた。


 趙とエンリコ、二人の巨頭が同じ言葉を投げかけてきた――「黒崎から独立せよ」。

 表向きは好意的な助言に聞こえる。だが、裏を返せばこうも取れる。「黒崎の庇護のもとにいる限り、お前の価値は半分にしかならない」という突きつけである。


 玲司はホテルのバルコニーに立ち、煙草に火を点けた。紫煙が夜風に溶けていく。思考の奥で、彼は冷静にリスクとリターンを天秤にかけていく。


 ――黒崎に忠義を尽くし続ければ、裏切りの疑念を避けられる。だが、趙やエンリコからの評価は「黒崎の部下」という枠に留まる。

 ――独立を選べば、龍門会とバルター二の双方と直接の関係を築ける。影響力は飛躍的に拡大するだろう。だが、それは黒崎の信頼を失い、場合によっては敵対を招く。


「忠義か、野心か……」

 玲司は低く呟き、グラスの中の氷を回した。


 どちらを選んでも失うものがある。だが、同時に得るものもある。だからこそ彼は即断を避けた。

 ――時を稼ぐ。

 それが玲司の選んだ第三の道だった。


 黒崎の前ではこれまで通り忠実な部下として振る舞う。一方で、趙とエンリコには「独立を検討している」という曖昧な返答を重ねる。どちらの陣営にも「完全には裏切っていない」という余地を残しながら、最も有利な局面が訪れるまで泳ぎ続ける。


 玲司の脳裏に浮かぶのは、麻雀卓の上に並べられた牌。勝負を決める最後の一手を放つまで、手の内を見せてはならない。

「今は、まだ打つ時ではない」


 夜風が吹き抜け、遠くで船の汽笛が鳴った。

 玲司は深く煙を吐き出し、決意を胸にしまい込んだ。


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