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御落胤(ごらくいん)の忌み子  作者: ふゆはる


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第25話/龍門会

 趙もゆっくりと茶を飲み干し、微かな笑顔を浮かべた。その笑みは柔らかく見えるが、目の奥には揺るがぬ決意が宿っている。


「合格よ、Mr.篠崎」


 その言葉に、部屋の空気は一瞬和らいだかのように思えたが、続く声は笑顔とは裏腹に、冷静で明確な意思に満ちていた。


「では、早速商談と行きましょう」


 その瞬間、玲司は内心で緊張を引き締めると同時に、同席する側近たちの視線を一瞥する。全員が静かに、その場の緊張感を共有している。


 それからの一時間、二人は互いの計算、条件、リスク、そして信用の範囲を確認し合った。話題は単なる宝飾の現金化に留まらず、将来的なルート構築やリスク管理、各組織との関係性にまで及ぶ。玲司は香港側の要求を冷静に分析し、交渉の余地と条件を精査する。趙もまた、相手の力量と信用を試しながら、自らの意思を明確に示していた。


 沈黙と会話が交錯するその時間は、単なる取引の場ではなく、互いの力量を測る心理戦の場でもあった。終了時には、両者ともに有意義な情報と確かな手応えを得ていたことを互いに理解していた。


 その後、微かな笑みとともに互いに頷き合う二人の背後で、室内の静寂は深く保たれたまま、香港の高層オフィスは再び現実世界の雑踏に戻っていった。


 その夜。


 玲司は、香港の摩天楼を眼下に望むクラブの最上階へと案内された。煌びやかなネオンが水面に反射し、ビクトリアハーバーはまるで宝石箱をひっくり返したような光を放っていた。クラブの内部は外の喧騒とは隔絶された別世界。ジャズの生演奏が静かに流れ、深紅のソファと漆黒の大理石のテーブルが豪奢さを際立たせている。


 趙天龍――いや、玲司の前に真の姿を現した趙は、既に待っていた。白いドレスを纏った彼女は、照明の下で一層の存在感を放ち、彼女の周囲だけがまるで異なる時空を形作っているかのように見えた。


「ようこそ、Mr.篠崎。香港の夜を堪能していただきたくてね」


 グラスに注がれたシャンパンを手に、趙は柔らかく微笑む。その微笑には、先ほどのオフィスで見せた冷徹な指導者の顔とは違う、組織の女帝としての余裕と誇りが滲んでいた。


 乾杯の後、趙はゆっくりと語り始めた。


「私が率いる龍門会は、ただのマフィアではないの。中国本土から香港、そして東南アジアへ――我々の根は商人の網と同じように張り巡らされている。武力ではなく、流通と金融こそが我々の武器。そして必要とあらば、影で国家すらも動かす」


 玲司は無言で耳を傾け、手元のグラスを軽く傾けた。


「ヤクザのように縄張りを守るために血を流す時代は終わった。今は情報と資金、そしてそれを動かす頭脳が組織を支配する。龍門会はそのために存在しているのよ。だからこそ――」


 趙は玲司の目を見据えた。


「あなたのような人間を求めている」


 その言葉は、単なる歓迎の挨拶ではなく、選ばれた者への宣告のように響いた。玲司はグラスを静かに置き、視線を逸らさずに応じる。


「つまり俺に、龍門会の歯車になれと?」


 趙は唇の端をわずかに上げ、挑発的に笑った。


「歯車か、それとも軸になるか。それを決めるのは、あなた自身よ」


 香港の夜景を背にしたその言葉は、玲司の胸に深く刻まれ、やがて日本での覇道と交錯する未来を暗示していた。


 ――玲司はその場で、自分がまた一つ大きな渦に踏み込んだことを悟った。


 趙の声は柔らかく、しかし一語一語の重みが違った。クラブの低い照明に照らされた彼女の横顔は、煌びやかな夜景と溶け合いながらも、どこか冷たい光を放っている。


「龍門会はね、ただの『買い手』でも『裏流通業者』でもないの。ここは中国の富裕層と、闇の世界を繋ぐハブ。貴金属だけでなく、骨董や美術品、絵画まで――価値ある“物語”を持つあらゆるモノが我々の取り扱い品よ。物は物としての価値だけじゃない。それが誰から来たか、どんな物語を背負っているか。それが市場での価値を決めるわ。」


 彼女はグラスの縁に指を沿わせ、視線を玲司に戻す。


「私たちがやることは単純。誰も望まない“品”を預かり、望む者の手元に渡す。依頼が来れば手配をし、需要があれば流通させる。私たちは望みを叶える。望む者にとっては、欲しいものが届く場所。それだけよ。私たちは願いを叶える庭師のようなもの。だが庭師に感謝する者は少ない――いつも影の中で仕事をするだけだから。」


 玲司はその言葉を聞き、袖口で冷えたグラスを回した。言葉の端々に漂う実務感と冷徹さ。趙は事業を語る目で語り、犯罪組織という枠組みを超えて「一つのマーケット」を語っていた。


「あなたはそこに足を踏み入れたのよ」と趙は続ける。「我々は何も強制はしない。求めない。だが誰かが“あるもの”を欲しがれば、我々はそれを探して渡す。情報、流通、買い手――我々は繋ぐ。あなたの闇銀行は、我々が持つ“物”と組み合わせれば、より強力になる。だが覚えておきなさい。私たちのルールもある。互いのテリトリーを侵さないこと。信用を破った者には、ここでは言葉を尽くすだけでは済まない、ということ。」


 彼女の笑みは穏やかだが、そこには紛れもなく抑止の意思があった。言外には「恩恵と代償が常にセットである」という法則が立っている。玲司はその重みをかみしめる。


「具体的に何を求めるかって? 特別なものは求めないわ。あなたの銀行としての信用、そして私たちが求める最低限の誠実さだけ。互いに必要が生じたときに、こちらの扉を叩けば応じる。代わりに、こちらもあなたの要求があれば耳を傾ける。互恵、それが関係の本質よ。」


 趙は手をひらりと動かし、テーブルの上に小さな紙の束を置いた。紙には取扱可能な品目のリストのように見えるが、羅列された文字はあくまで象徴で、重要なのは「流通網」と「顧客層」の存在証明だ。彼女の目は、玲司の反応をじっと探っている。


 玲司はゆっくりと息を吐き、言葉を選んだ。彼がここで求めたのは「借りを作らない」こと、情報の最小化、そして自分の組織の体裁を守ることだった。趙の提案は、その条件と大きくぶつくことはなかった。しかし問題は、関係を持った瞬間に生じる「見えない連鎖」だ――依頼が増えれば目は集まる。利害が絡めば、期待が生まれ、要求が横滑りしてくる。


「互恵か……」玲司は短く頷く。「こちらも条件がある。情報は最小限に、そして我々の“銀行”の体裁を壊すような案件は即座に拒否する。君の望みを叶える代わりに、我々が守るラインもある。互いのルールを守れるかだ。」


 趙は薄く笑い、グラスを掲げた。「守るわ。だが忘れないで、Mr.篠崎――我々が扱うのは“望み”よ。望む者は金を持ち、権力を持ち、時には命令を下す。あなたがその望みをどう扱い、どのラインで線を引くか。それがあなたの器を示す。」


 語り尽くしたあとの空気は、先ほどよりも緊密であると同時に危うかった。龍門会は扉を開けた――だが開けた扉の向こうに何が待つかは、まだ見えない。玲司はその夜、香港の煌めきを背にして初めて、自分がただ資金の操縦者ではなく、新たな流通世界の一端に組み込まれたことを実感した。


 クラブの帰り道、車窓に流れる光を眺めながら、玲司は盤面を再構築する。龍門会という力を味方にすることは、短期的には得られるものが多い。だが同時に、それは「影の連鎖」を腹に入れることでもある。彼は自問する――自分はどこまで他者の欲望に応え、どこで線を引くべきか。答えはすぐには出ない。だが一つだけ確かなことがあった。彼はもう、元の小さな銀行屋ではあり得ない、ということだ。


 羽田に降り立って数日後の夜。

 玲司は黒崎の指示で、港区の高級料亭の離れ座敷に招かれていた。部屋には黒崎をはじめ、秋口組の中核を担う幹部たちがずらりと並んでいる。煙草の煙が濃く漂い、畳の上の空気は重く張り詰めていた。


 玲司が正座すると、黒崎は低い声で切り出した。


「……どうだった? 香港の龍門会とやらは」


 一同の視線が一斉に玲司へ注がれる。玲司は静かに息を整え、落ち着いた口調で報告を始めた。


「彼らは表向きは商人の顔をしています。しかし裏では中国全土の富裕層と闇社会を繋ぐ結節点。貴金属や美術品、絵画に至るまで、需要があれば必ず供給する仕組みを持っていました」


 幹部の一人が鼻で笑った。

「つまり、俺たちの在庫も、まとめて掃けるってことか」


 玲司は首を横に振り、言葉を慎重に選んだ。

「ただし……彼らはこちらを試していました。龍門会のトップ、趙天龍。表向きは男が顔を出しましたが、本物は女でした。用心深さを測る試練を課されたのです」


 一瞬、部屋がざわめく。黒崎の眼が鋭く光った。

「で、お前はどうした」


 玲司は淡々と答える。

「試練を越え、交渉の席に着きました。結果、我々の在庫を安定的に捌けるルートを確保できた。しかも、一度限りではなく、継続的なパートナーとして」


 黒崎は煙草をくゆらせながら、口角を僅かに上げた。

「……やるな。さすがは銀行屋だ」


 だが幹部の一人が訝しげに口を挟む。

「信用できるのか? チャイニーズなんざ裏切りが常道だ」


 玲司はその視線を受け止め、静かに言い返した。

「彼らにとって私たちは『顧客』です。顧客を裏切れば商売が成り立たない。少なくとも今は利害が一致している」


 部屋に再び重い沈黙が落ちる。黒崎が灰皿に煙草を押しつけると、低い声でまとめた。

「いいだろう。龍門会との取引はお前に一任する。こっちは手を汚さず、金に変わったものを受け取ればいい」


 その言葉に幹部たちも渋々頷き、場の空気が収まった。

 玲司は内心で安堵しながらも、同時に悟っていた。――この瞬間から、自分は龍門会と秋口組、両方に足を踏み入れた。逃げ道はもう、存在しないのだ。


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