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御落胤(ごらくいん)の忌み子  作者: ふゆはる


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第22話/現物の現金化

 黒崎義晴の執務室はいつもより湿度が低く、空気が重かった。高層ビルの最上階、窓の向こうには雨上がりの街が淡く広がる。黒崎は応接用の椅子にゆったりと腰を落とし、革張りのデスクに肘をついて玲司を待っていた。照明は落とされ、重厚な空気だけが室内を支配している。


「来い」

 黒崎の声は低く、命令というよりは呼びかけに近かった。玲司はゆっくりと椅子に腰掛け、目の前の皿に供された濃い抹茶を一口含んだ。外面の礼儀はいつも通りに整えているが、内心ではもう次の盤面をめぐる計算が始まっていた。


 黒崎は短く溜息をつき、短冊状の書類を掌で転がすように前に置いた。紙の端は擦れて黄ばんでいる。見開かれた書類の上には、写真と短いメモ。宝飾の写真が複数、光を受けてきらきらと人の目を奪う。


「強盗だ。『タタキ』で押さえた物だ。直接うちの手に入った。すぐに現金に換えたい。お前の銀行でやれないか」

 黒崎は言い捨てるように告げた。声に含まれたのは、単なる取引の打診ではない。命令に近い色合いだ。


 玲司は写真に視線を落とす。輝くルビー、金無垢のブレスレット、密に嵌ったダイヤモンド――どれも値の張る品であり、悪意と暴力の匂いを含んでいる。現物であるがゆえに処置の難しい代物だ。金銭と違い、珠玉は持ち主の物理的痕跡を伴い、事件の記憶と直結する。だからこそ、「現物」をめぐる仕事はいっそうの危険を含む。


「理由は?」玲司は冷静に問うた。表面上のやり取りは短く、だが内側の問答は濃密だ。黒崎は一瞬だけ目を細める。


「資金の圧縮だ。警察が動き回っている今、帳簿だけで回すのも危険だ。現金化してしまえば、ある種の整理がつく。……それに、組への恩賞も必要だ」

 黒崎の言う恩賞は、暴力で物を取った者たちへの報奨を意味している。だが玲司には、そこに別の意図も見えた。黒崎は自分の影響力を示しつつ、玲司に「協力」を求めることで、恩を抱かせ、あるいは彼の独立性を微妙に削ぎ落とそうとしているのかもしれない。


 玲司はゆっくりと考え、言葉を選んだ。

「現物の現金化は、ただの換金案件とは違う。『何を』扱うかだけでなく、『誰が』『どういう経緯で』それを持っているかが、すべての危険の核になる。強盗由来の品――それは公的な注目を極めて引き寄せる。うちが引き受ければ、我々の『銀行』の体裁に傷が付く危険がある。理解してもらいたい」


 黒崎は微かに眉を上げる。玲司の立場は既に組織の中で明確だ。彼の「銀行」が盤石になっていることを、黒崎もまた利用したいのだろう。しかし、黒崎は強引に続ける。


「それでもやってくれ。分配は厚く出す。組の体面も俺がなんとかする」

 言葉が続くほど、その奥にある圧力と焦りが透けて見える。黒崎自身、警察の摘発や世間の視線で追い詰められているのだ。だからこそ、手早く現金化して内部の動きを落ち着けたい。


 玲司は静かに椅子から立ち上がり、窓の外の街の光を見つめる。窓ガラスに映る自分の横顔は冷ややかで、だが決して苛立ちは見せない。胸中での天秤は、単純な損得勘定以上のものを図っていた。現物を扱うことは短期的な利益をもたらすが、長期的には信用の崩壊や警察との直接的な衝突を招くかもしれない。さらに、これは黒崎の「仕事」だ。受ければ黒崎にさらなる影響力を与え、拒めば黒崎の不満と反撃を招く。


「条件がある」玲司は言った。声に込められたのは譲歩ではなく、交渉の提示だ。だがその条件は、手順の具体や技術ではなく、奴ら(強盗を働いた者)との関係性と影響のコントロールに関わるものだ。


「まず、私は暴力の正当化に加担しない。『誰が暴力を振るったか』を表に出すことは許されない。だが同時に、我々が関与することで組織全体が新たな監視下に置かれることを避けなければならない。君の望む報酬は認める。だがこの案件は我々の『枠』で行う。君の求めるやり方での即応はしない。つまり、受けるか否かを決める前に、我々が作る“安全の枠”を説明させてもらう」


 黒崎は一瞬、笑みとも取れる表情を見せた。彼は玲司が要求を飲めば、表の仕事を任せることによって自らの負担を減らせるだろうと踏んでいたのだろう。しかし、玲司の言葉には裏の意味があった。枠を作るということは、実際には玲司がルールを定め、黒崎の行動をいくらか制限することでもある。


「枠だと?」黒崎は即座に応じた。「いいだろう。だが時間がない。手早くまとめてくれ」


 玲司は軽く頷き、机の上の写真に再び目を落とした。宝飾の冷たい輝きが、いまはまるで匕首のように見える。彼は言葉を紡ぐ。だがその言葉は具体的な手口ではなく、政治的・倫理的・戦略的な線引きについて述べるものだった。


「一つだけ断っておく。私はこの仕事を“金のための単純な換金”としては見ない。もし我々が受けるならば、それは組織の安定を保つための‘管理’としての受任だ。つまり、暴力が続く限り我々は関与しない。暴力が静まるための条件が満たされなければ、我々は手を引く」

 玲司はゆっくりと言い、黒崎の目を見据えた。彼の言葉の底には冷たい厳しさがある―協力はするが、それは「暴力の終息」を前提にした管理であり、暴力の継続を助長する手段にはしないという原則だ。


 黒崎の顔に、一瞬の動揺が走る。彼は暴力での支配を否定しきれない男でもある。だが今は別の論理が優先される。笑みを消して黒崎は低く息をついた。


「分かった。暴力の連鎖を肯定するようなことはしない。だが、我々の“失われた分”は埋めてくれ。頼む、玲司」


 玲司は答えをすぐには出さなかった。彼はこの一手が示す意味を熟考していた。受け入れれば、短期的に組織は潤う。だが受け入れの条件が曖昧であれば、黒崎はいつでも「暴力の必要性」を持ち出し、玲司に押し付けてくるだろう。さらに、バルター二や秋口組の他の筋がこの“現物ルート”を知れば、彼らも同様の圧力をかけてくる可能性がある。


 玲司は最後に一言だけ付け加えた。

「我々は協力する。ただし、監督は我々が行う。違反があれば即座に関係を断つ。そして最も重要なのは──この案件の詳細は、必要最小限の者にしか渡さない。情報の散逸は命取りだ。君はそれを守れるか?」


 黒崎は黙って頷いた。その頷きは約束であり、同時に条件付きの受諾でもある。黒崎がその場で示したのは、頼みを聞かねばならぬほどの切迫だった。玲司は、その切迫を読み取りつつ、同時に自分の掌中でこの件をどのように使えるかを考えていた。


 廊下に出ると、雨が上がった夜気が冷たく頬を撫でた。玲司はポケットの中で拳をぎゅっと握りしめる。現物を扱うことは、新たな類の危険を招く。だがそれはまた、黒崎との関係をより深く繋ぎ、場合によっては彼を制御するためのレバレッジにもなり得る。



 宝飾という現物は、表面上の価値以上に“物語”を宿す。暴力の記憶、奪った者の血、そして追う者の視線。玲司はその物語をいかに静かに、しかし確実に書き換えるのか──答えはまだ出ていない。彼が下す決断は、組織の未来の地図を一枚、塗り替えることになるだろう。


 玲司の表情はいつもの冷静さを保っているが、内側で微かな苛立ちが蠢いていた。黒崎の依頼は分かりやすかった──価値ある宝飾を現金化してくれ、という話だ。口座の管理や送金のコントロールであれば、玲司の闇銀行は即座に動ける。数字とログで構築した網の上で金を踊らせることには、もはや躊躇がなかった。だが――現物が手元に残る、という一点だけが、彼の胸を重くした。


 宝飾は“物語”を宿す。被害者の記憶、犯行の痕跡、誰かの顔と時間が結びついている。現金ならば形が変われば追跡は難しくなるが、物理のまま存在するものは消えない。どこかに置かれ、誰かが扱い、誰かが売る。その一連の接触が増えるほど、漏洩と露見の確率もまた増す。玲司はそのリスクを嫌った。彼が欲しいのは「流れ」と「信用」であり、現物の処理はその両方を蝕む可能性がある。


 部屋に戻ると、玲司は深く考え込んだ。拒否するのも選択肢だ。黒崎の顔に泥を塗るようなことは避けたいが、たとえ断れば黒崎が別の手を使うかもしれない。受ければ短期的な利益と黒崎からの恩義を得るが、長期的な“銀行”の体裁と顧客の信頼を損ねるリスクを背負う。彼にとって問題は二つに集約された──「物をどう扱うか」と「その扱いがもたらす長期的帰結」だ。


 結論を急ぐべきではないと判断した玲司は、まず“選択の余白”を作る。やるなら自分のルールでやる。受けるなら受けるための条件を定め、受けないなら受けない理由を整える。彼は幹部を集め、言葉少なに現状を伝えた。現場を引き受けるには「専用の責任者」「情報の最小化」「万一露見した場合の代償と補償」の三点を明確にしなければならない──と。それ以外の具体的手順には一切触れなかった。


 その晩、玲司は昔の知人──既に表の世界から遠ざかった中年の仕立て屋や古物商、微妙なコレクターの名を思い浮かべる。彼らは表向きの商売の裏で、長年にわたり「物の行き先」を知っていた。だが玲司は、そうした人物への接触すら慎重に選んだ。彼らを利用することで一時的に問題は片付くかもしれない。だが誰かが「手を汚す」ことで、その人間関係に借りが生まれ、後々の支配や脅迫の材料になる。玲司は自分が貸しを作る立場になることを避けたかった。


 さらに重大だったのは「組織外の圧力」である。警察の監視は強まり、メディアの嗅ぎ回りも増えている。外的な目が存在する限り、現物の動きはいつか誰かの視線を引き寄せるだろう。玲司はそれを“見えないコスト”と呼んだ。ゼロにはできないが、管理の仕方で最小化は可能だ。しかし最小化と無効化は違う。そこに踏み込むかどうかは、彼が掲げる「銀行としての原則」をどれだけ守るかにかかっていた。


 翌朝、玲司は黒崎に会い、条件を提示した。受けるならば――

 ・この案件は「救済的処理」であり、以後同様の案件は組織の方針として極力避けること。

 ・現物の扱いに関しては、組織内で完結させるために情報共有を最小限にし、担当は限定すること。

 ・万一露見した場合の全責任と補償を黒崎が明確に負うこと。

 ・そして、処理が完了するまで外部筋(バルター二、秋口組含む)への告知や介入を固く禁じること。


 黒崎は一瞬黙ったのち、渋い笑みを見せた。「条件か……面白い。だがそれでやってくれるなら助かる」と、言葉に含むのは頼みと脅しの混交だ。玲司は頷くだけで、条件を紙に残すことは拒んだ。書き残すこと自体が情報の種になりかねないと判断したからだ。


 その後の数日は、玲司にとって苛烈な精神戦だった。彼は「ルート」を積極的に作るというよりも、既存の関係性を慎重に動かし、責任と可視性を最小化するための枠組みを整えた。誰が担当するか、誰にだけ情報を渡すか、問題が起きたときに誰が前に出て盾になるか――そうした人選を、彼は冷静に計算した。重要なのは“如何にして露見しないか”ではなく“露見したときに被る代償を限定するか”だった。


 心のどこかで玲司は、こうも考えていた。宝飾のような現物は、適切に“物語”を書き換えられれば、ただの価値ある品に戻る。だがその物語を書き換えることは、倫理の線を曖昧にし、彼自身がこれまで守ってきた「銀行としての秩序」をゆがめる可能性もある。受ける決断は、つまり彼がどのラインを越えるかを自ら宣言することと等しかった。


 結局、玲司は折衷の道を選ぶ。受けるが完全な受任ではなく、「管理付きの仮受け」。現物は組織の内の限定された倉に隔離され、動きの全ては最小限の目だけが把握する。外部には「処理は進行中だ」が合図であり、詳報は与えない。黒崎はその代わりに必要な補償を示し、リスクの一部を引き受けると約束する。だが玲司は同時に、自分たちの銀行の体裁が損なわれた場合、即座に手を引く権利を留保した。これは信用のトレードオフであり、賭けでもある。


 夜、封印された箱が倉に並べられる。宝石は光を控え、周囲の空気は冷たく澄んでいる。玲司は倉の鍵を握り締めながら、自分がこれから背負う負債を数える。金は目に見えるが、代償は目に見えない——それが彼の心に重くのしかかる。



 玲司は現物の処理を完全には拒まなかったが、それは彼のルールの中でのみ許される“管理”であった。宝飾の光りは消えないが、その扱い一つで、組織の未来の色合いが変わる――玲司はその色合いを慎重に調整しようとしていた。



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