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御落胤(ごらくいん)の忌み子  作者: ふゆはる


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20/31

第20話/中立

 その日、玲司の事務所に静かな緊張が漂った。電話やテレグラムが一斉に鳴り響くわけではない。だが、受信音ひとつひとつに、裏社会の重みが宿っていた。


 まず届いたのはバルター二のエンリコからの連絡だった。声色は冷静だが、言葉の端々に不満と焦燥が滲んでいた。

「玲司、我々の資金の件だが……。状況が厳しい。すぐに洗浄してくれないか?」


 続いて、神戸に居を構える日本最大の組織、秋口組の新田からも連絡が入る。こちらはより直接的だった。

「玲司、聞いてくれ。奴らの資金を洗浄するな。我々の縄張りに踏み込むな。理解できるな?」


 玲司は両者の言い分を把握し、瞬時に頭の中でリスクと利益を天秤にかけた。エンリコは海外マフィアであり、秋口組は国内最大級の暴力組織。どちらの要求も、従えば利益を損ない、無視すれば敵を増やすことになる。


 しかし玲司の決断は速かった。スマートフォンを手に取り、テレグラムに短く打つ。


「断る」


 文字はシンプルだ。だが、それは両者に二面性の報告として届いた。

 •エンリコにとっては、悪い知らせでありながらも一縷の希望を含む。

「断られた……だが、玲司は取引の質を保つ者だ。こちらの意図を完全には否定していない」──エンリコは頭の中で計算を巡らせる。

 •新田にとってもまた、最悪の知らせでありながら、一抹の安心を与える。

「奴らの資金を洗浄しない……ということは、秋口組の縄張りは侵されない」──それを聞いた新田の部下たちは一瞬肩の力を抜いたが、裏には苛立ちと不信が渦巻く。


 玲司は両者に向けて、さらに冷静な説明を付け加えた。

「君たちの意向は理解した。しかし、我々の銀行には我々のルールがある。干渉は許さない。それだけだ」


 この決断は、彼の権力を示す合図でもあった。裏社会の大物たちが立場を利用して干渉しようとしても、玲司の掌中にある資金の流れには触れられない──という冷酷な現実を突きつけるものだった。


 事務所の窓の外、街灯の明かりが雨に濡れた路面に反射して揺れていた。玲司の目は遠くを見据えている。抗争の火種は確かに存在する。しかし、火をどう制御するかもまた、彼の掌中にある。


 内心で両者がどう反応するか――それを予測しつつ、玲司は次の一手を静かに考えていた。表面上は平静を装いながら、裏側ではすでに戦略が組まれている。裏社会の大物たちにとって、「断る」という玲司の一言は、同時に良い知らせと最悪の知らせの両面性を持つ報告となったのだった。


 会議室の空気は静かだった。窓の外で雨が細く降り続け、街のネオンが揺れて映る。玲司が「断る」と一言投げたあと、誰ひとり声を上げなかったのは偶然ではない。だれもが、その短い言葉の重さと意味を知っていたからだ。


 松永は顎に手を当て、長い息を吐いた。尾崎はテーブルに拳をひとつ置き、視線を床に落としたまま、ゆっくりと頷いた。佐伯は資料に目を落とし、細かい数字を追うような仕草をしたが、指先の余白が震えている。川端は黙ってコーヒーを一口飲み、カップを静かに置いた。表情のどれもが、賛同とは違う――むしろ覚悟のようなものだった。


「介入すれば致命傷になる。」高橋が低く呟く。声は穏やかだが、その言葉に含まれる論理は残酷に明晰だった。銀行とは見えない流れを扱う器だ。外部の大物が感情や勢力でそれを抑え込もうとすれば、流れそのものが攪乱され、顧客は逃げ、信用は崩れる。信用の崩壊は資金の蒸発に等しい。幹部たちは口をつぐむ理由を、無数の夜の取引の中で知っていた。


 玲司は黙って皆を見回した。誰かが異を唱える選択肢はあったはずだ。利害も、恐れも、人間関係のしがらみも複雑に絡んでいる。それでも誰も言わなかったのは、短期的な利益や面子よりも、長期的な生存が優先されたからだ。ここで秋口組やバルター二の圧力に屈して資金洗浄を受ければ、我々の「銀行」としての中立性は崩れ、顧客も連鎖的に離れる――その因果は誰の目にも明らかだった。


「情報は極限まで絞れ」玲司は静かに命じた。「だが、外へ向けては“説明”の筋を一つ用意しておけ。誰かが詮索してきたとき、我々はその筋で切り返す。暴力相手には力で当たらず、世間には体裁で抗う。今回の結論が外に漏れないようにすること。それが最優先だ」


 命令は具体的な手順には踏み込まない。細部は各担当に任せる――だがその任せ方にも計算があった。任された者は、自分の首と支店の生業を守るために、玲司の意図通りに動く。誰が表に出るか、誰が盾になるか。誰が説明係か、誰が交渉役か。役割分担は冷徹に、しかし効率的に決められていった。


 尾崎はその場で神戸の顔役に短く通達を入れた。言葉は簡潔で、しかし配慮が織り込まれている。「今は触れるな。余計なことをするな。だが、その代わりにこちらの利益は確保する」。地元の風を読むのは彼の仕事だ。言葉の端々に「沈黙の代償」と「約束の余地」を同時に残す。相手を刺激せず、かつ手元の秩序を保持する──それが彼の選択だった。


 松永は東京側で動く。歌舞伎町の縁者に会い、露出を避けるための“見立て”を繰り返す。佐伯はデータの鎧を作る。口座情報のフロー、顧客の分布、見せるべき数字と見せるべきでない数字。資料を作り、必要ならば外部に見せるための体裁を整える。川端は九州のネットワークを締め直し、博多の拠点に余剰の人員を配する。全員が、見えない刃を避けるための配置を微調整した。


 幹部の誰かが反対しなかったもうひとつの理由は、彼ら自身が変わっていたからだ。拳で支配していた旧来のやり方から、金と信頼で世界を組み替える現在の立場へ。暴力組織にとっての「確執」を協議でかわすことに慣れ、むしろそれを武器に使う術を身に付けていた。反発はそれでも起き得るだろう。しかし今、反発を声にすることは、組織の存続と自らの立場の危うさを直視することを意味した。


 その夜、玲司は一人で帳場に残り、薄いトレイに乗せられたコーヒーを見つめた。窓外の街灯が雨粒の筋を照らし、彼の影がデスクに落ちる。決断は正しかったか――それは結果が示す。だが彼はわかっていた。判断の正否を問う前に、結果を作るしかないのだと。


 翌朝、各支店には“沈黙の指示”が降りた。外部に対しては統一された説明文が用意され、内部には漏らさないよう厳命が下る。だが最も重要なのは、彼らが互いに目配せをし、相手の背中を守ることを確認したことだ。誰かが矢面に立たされるなら、他が即座に補填する。信用の崩壊を防ぐための共同作業が静かに始まった。


 数日後、秋口組の新田、エンリコ双方から反応が来る。怒り、苛立ち、交渉の申し入れ、脅し――いくつもの波が寄せられた。だが玲司の態度は変わらない。彼は波を一つずつ受け止め、内部で濾過し、必要なものだけを切り取り、残りを外へは流さなかった。外の圧力が強まるほど、彼の内部の結束は逆に強くなるように見えた。


 この段階で誰も異論を唱えないのは、表面的には合意であり、深層では覚悟の共有だった。幹部たちは自らの首を預ける覚悟を決め、玲司の方針に従うことで、組織そのものを守ろうとした。だが覚悟とはいつも代償を伴う。沈黙が長く続けば、軋轢は内側に膿をためる。外圧が強まれば、それはいつか破裂する。玲司はそれも承知で引き金を引いたのだ。



 誰も反対しなかったのは、彼らが恐れと計算の先に立つ「生き残り」を選んだからだ。だが選択は同時に、暗い負債を背負うことでもある――静かな合意が、果たしてどこまで通用するのか。時間が答えを出すことになるだろう。


 玲司の決断から日が経つにつれ、表面上の街はいつも通りの喧騒を保っていた。しかし、裏社会の目には、微細な振動が確実に伝わっていた。


 秋口組の新田は、表面上は冷静に振る舞うが、内部では苛立ちが募っている。部下たちに「玲司の銀行に手を出すな」と命じつつも、無言の牽制行動は増えていく。目立たぬ形での資金回収や影響力の行使、情報網の拡張……そのすべてが玲司の動きを観察するための布石だ。


 一方、バルター二のエンリコも苛立ちを隠さない。海外マフィアとしての直接的圧力は難しいが、背後からの揺さぶりは欠かさない。資金流通のスピードを見定め、各支店の動向を探り、玲司が意図せぬ隙を突こうとする。


 玲司はそれを予測していた。静かに見守るだけではなく、動きの糸を自分の手で握る。支店の移転、暗号資産の分散、各担当幹部の目配せ──すべてが見えない戦線を形成していた。


 幹部たちも変化に適応していく。尾崎は東京の取引網を微調整し、松永は神戸で秋口組の監視網に逆探知を仕掛ける。佐伯はデータの解析を重ね、どの顧客が動揺しているかを瞬時に把握する。川端は九州の拠点で警戒ラインを張り、異常があればすぐに玲司に報告する。


 抗争は表面上は静かで、誰も血を流さない。しかしその静けさの中で、各勢力は互いの力量を試し、牽制し、駆け引きを続けていた。小さな動き一つで均衡は崩れ、計算が狂えば即座に損害が発生する。まさに静かなる激化──見えぬ戦争が、裏社会全体をじわじわと覆い始めた。


 玲司は窓の外を見ながら、冷たい微笑を浮かべる。抗争は表面に出ないが、確実に進行している。その加速を止めるつもりはない。むしろ、巧みに制御しつつ、見えぬ形で優位を築く──これこそが、彼の思惑通りの「戦い方」だった。


 夜の街に灯るネオンの光が、雨に濡れた路面で揺れる。静かな街に潜む暗い動き。それは、玲司と幹部たちの掌握する資金と情報が織りなす、見えない戦線の証でもあった。


 静かに、しかし確実に、抗争は激化していく。拳や銃の衝突ではなく、情報と資金の流れによる戦争。玲司はその最前線に立ち、誰も気付かぬうちに勝利を積み重ねていくのだった。


 玲司の決断から日が経つにつれ、表面上の街はいつも通りの喧騒を保っていた。しかし、裏社会の目には、微細な振動が確実に伝わっていた。


 秋口組の新田は、表面上は冷静に振る舞うが、内部では苛立ちが募っている。部下たちに「玲司の銀行に手を出すな」と命じつつも、無言の牽制行動は増えていく。目立たぬ形での資金回収や影響力の行使、情報網の拡張……そのすべてが玲司の動きを観察するための布石だ。


 一方、バルター二のエンリコも苛立ちを隠さない。海外マフィアとしての直接的圧力は難しいが、背後からの揺さぶりは欠かさない。資金流通のスピードを見定め、各支店の動向を探り、玲司が意図せぬ隙を突こうとする。


 玲司はそれを予測していた。静かに見守るだけではなく、動きの糸を自分の手で握る。支店の移転、暗号資産の分散、各担当幹部の目配せ──すべてが見えない戦線を形成していた。


 幹部たちも変化に適応していく。尾崎は東京の取引網を微調整し、松永は神戸で秋口組の監視網に逆探知を仕掛ける。佐伯はデータの解析を重ね、どの顧客が動揺しているかを瞬時に把握する。川端は九州の拠点で警戒ラインを張り、異常があればすぐに玲司に報告する。


 抗争は表面上は静かで、誰も血を流さない。しかしその静けさの中で、各勢力は互いの力量を試し、牽制し、駆け引きを続けていた。小さな動き一つで均衡は崩れ、計算が狂えば即座に損害が発生する。まさに静かなる激化──見えぬ戦争が、裏社会全体をじわじわと覆い始めた。


 玲司は窓の外を見ながら、冷たい微笑を浮かべる。抗争は表面に出ないが、確実に進行している。その加速を止めるつもりはない。むしろ、巧みに制御しつつ、見えぬ形で優位を築く──これこそが、彼の思惑通りの「戦い方」だった。


 夜の街に灯るネオンの光が、雨に濡れた路面で揺れる。静かな街に潜む暗い動き。それは、玲司と幹部たちの掌握する資金と情報が織りなす、見えない戦線の証でもあった。



 静かに、しかし確実に、抗争は激化していく。拳や銃の衝突ではなく、情報と資金の流れによる戦争。玲司はその最前線に立ち、誰も気付かぬうちに勝利を積み重ねていくのだった。

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