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御落胤(ごらくいん)の忌み子  作者: ふゆはる


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18/31

第18話/契約合意

 銀座のクラブの奥、琥珀色の照明に包まれた個室で、玲司とエンリコ・バルター二は向かい合っていた。

 シャンパンの泡が静かに立ち上り、背後ではジャズが流れている。だが、会話の空気は甘美さとは程遠い、冷えた緊張感を帯びていた。


 エンリコは長身の体をソファに預け、シガーをゆっくりと回しながら口元に不敵な笑みを浮かべた。

「三ヶ所同時に十億ずつ――君たちの組織の動員力を、我々は楽しみにしている。失敗は許されない。日本での最初の一手だからな」


 玲司はグラスを傾け、琥珀の液体を喉へ流し込む。

「問題ない。神戸、新宿、博多、すべての拠点に現金は揃えた。輸送も銀行内部のルートを使っている。外に情報は漏れていない」


 その頃、三都市の担当者たちはそれぞれの現場で待機していた。


 ――神戸。

 港町の雑居ビルの一室、黒いスーツに身を包んだ担当者は金庫の前に座り、携帯電話を握りしめていた。十億の札束はすでに積み上げられ、ただ「渡せ」という一言を待っている。


 ――新宿。

 煌々としたネオンが窓の外を照らす高層マンションの一室。若き担当者は部下たちを従え、スーツケースに現金を詰めていた。外に出せば瞬時に目立つ、その緊張感が張り詰める。


 ――博多。

 裏路地にある倉庫。古びた木箱に偽装された札束が整然と並んでいた。担当者は冷たい夜風を浴びながら、手元の無線機を睨む。指示が下れば、そのまま現金を積み出す手はずだった。


 三都市を繋ぐ見えない糸が、いま銀座のクラブに結ばれている。

 玲司は静かにエンリコを見据えた。

「これは序章にすぎない。お前たちバルター二と我々が手を組めば、日本の金の流れは完全に掌握できる」


 エンリコはゆっくりと笑みを深め、グラスを掲げた。

「ならば祝おう。未来の共犯関係に」


 二人のグラスが触れ合った瞬間、三都市の担当者たちの緊張はさらに高まっていった。


 玲司はポケットからスマホを取り出し、画面をスッとこちらに向けた。銀座のクラブの薄暗がりの中で、液晶の青白い光だけが鮮烈に浮かび上がる。画面には見慣れた暗号資産ウォレットのインターフェイスが表示されているが、細部に触れるような操作は見せない。そこに映るのはただ一行──受取用のアドレスと、小さく表示された「受領準備完了」の文字だ。


「先ずはここに送ってくれ」

 玲司の声は低く、冷静だった。顔には一切の焦りがない。手元のスマホを軽く指でなぞる仕草をしながら、彼は相手の動きを待つ。エンリコもまた、礼儀正しくスマホを取り出す。二人の指先だけが、テーブルの上で静かなダンスを始める。


 エンリコはゆっくりと画面を操作し、やがて彼のスマホの画面にも「送金」ボタンが押されるまでの進捗が表示された。小さなアニメーションが動き、バーがじりじりと伸びていく。画面の横で、幹部たちの表情が固まる。誰もがモニター越しの数字に視線を吸い寄せられる。


 進捗の表示は無機的だが、その下にあるのは生々しい現実と賭けだった。バーは「0% → 10% → 25%」と刻一刻と進む。送信先アドレスと、取引に付された識別子が一行だけ見える。だが詳細な仕組みや経路は示されない。あくまで「送金が始まった」ことと、その状態だけが可視化される。


 神戸の担当者は手元の無線を握りしめ、息を止める。新宿の若き担当者はスーツケースの金属の取っ手を強く握りしめ、指先の血管が浮き出る。博多の倉庫では、暗がりに並んだ札束がまるで深呼吸をしているかのように見えた──ただしそれは気のせいだ、だれも笑わない。


 画面上の進捗はさらに進む。「CONFIRMATIONS 1/6」「PROCESSING」「NETWORK BROADCAST」。言葉は冷たく機械的だが、席にいる全員の心拍は機械的ではない。酒の泡が消えたグラスを前に、玲司は短く小さな声で言った。

「ここが第一段階だ。あとはネットワークの仕事。着金が確認され次第、我々の内部で次の手を動かす」


 エンリコの画面では小さなチェックマークが一つ点いた。誰かが小さく息をつく音が聞こえる。だが安心のため息ではない。それはむしろ、まだ先が見えぬ緊張の一端が緩んだ音だった。進捗バーはなお条のように伸び、数値が増えていく。残りの確認を示す数字がゆっくり埋まっていく様子は、まるで時計の秒針が一つずつ運命を刻むように思えた。


 玲司は細いラインを見るだけで、各地の準備が正確に動いていることを予測していた。だが同時に、彼は「見えない目」が反応を示す可能性を常に想定していた。だからこそ、動きが可視化されることの恐ろしさを誰よりも理解していた。スマホのガラス越しに、進捗のパーセンテージが「75%」「90%」と上がるたびに、彼の顔の筋肉はわずかに引き締まる。


 バーが「100%」に到達した瞬間、画面に小さく「TRANSACTION CONFIRMED(取引確認済み)」と表示される。クラブの空気が一瞬静止したように感じられ、それから部屋中に一重の安堵とも違う音が広がる──幹部たちの肩の力が抜ける音、無線越しの小さな確認のサイン、神戸の担当者が親指を立てる無言の合図。


 だがその瞬間、玲司は笑わない。送金が確認されたことは大きな一歩だが、彼が知っているのは、そこが安全圏の終点ではなく次の区間の始まりに過ぎないということだ。取引の確認は数値的な達成であり、実務の次の段階で起こるのは人間の判断と動きだ。紙幣が物理的に渡され、監視をかわし、最終的にバルターニ側の受け皿に落ちるまで、挑戦は続く。


 エンリコは穏やかにグラスを置き、玲司に向けて小さく短い言葉を放つ。

「良い。だが次が本番だ──我々が動く番だ」


 玲司は微かに頷き、スマホの画面を消した。手元の光が消えると、クラブの暗がりは再び重たく落ち着いたものに戻る。外側では、三都市の夜がそれぞれの鼓動を刻んでいる。受け渡しは始まった。だが最も重要なことは、まだ誰にも分からない。見えない目は、今どのように反応するだろうか──玲司はその反応を待ちながら、次の手を練っていた。


 銀座のクラブの奥、琥珀色の光が揺れる個室で、玲司は静かにスマホを取り出した。画面をスッと操作し、Telegramを開く。チャット画面には既に送金のやり取り用に用意されたルートが整っている。指先は迷わず、短く、しかし冷徹に──


「渡せ」


 玲司はそれだけを打ち込む。文字を送信すると、Telegram特有の二重チェックマークが青く点灯し、送信完了が静かに確認された。彼の表情は変わらず、微動だにしない。クラブの薄暗がりの中、琥珀色の光に照らされた彼の眼差しは冷徹で鋭く、周囲の空気までも引き締めるようだった。


 ほぼ同時に、バルター二の使者であるエンリコのスマホにも通知が届く。Telegramの画面に現れたのは、簡潔ながら確実な確認の文字──


「受け取り完了」


 その瞬間、クラブ内の空気はわずかに凍ったように静まり返る。幹部たちは全員、顔の筋肉ひとつ動かさずにそのメッセージを確認した。神経の張り詰めた空気が、ようやくほんのわずかに緩む。銀座のネオンが窓越しに揺れ、街の喧騒が遠くに感じられる中、三都市に分かれた担当者たちの作業も無事に完了したことが、見えない糸で全て連動していることを示していた。


 神戸の港の倉庫、新宿の高層マンション、博多の裏路地──それぞれの現場では、担当者たちがTelegramを通じて「受け取り完了」の確認を受け取り、手元の札束を静かに整理した。小さな安堵の息が、誰のものともわからぬまま、各地に拡散する。だが彼らの顔に浮かぶのは緊張の残像であり、喜びや油断はない。任務の重さは、まだ解けたわけではなかった。


 玲司はスマホをそっと閉じ、グラスに残るわずかなシャンパンの泡を見つめる。今回の送金は、単なる資金移動ではない。組織の信頼を盤石にし、闇の銀行としての存在感をさらに高める、重要な一手だった。だが彼の胸の中では、既に次の局面の計画が静かに芽吹いていた。


 成功の余韻はわずかで、すぐに次の戦略を思考する時間へと切り替わる――それが、玲司のやり方だった。


 銀座のクラブの個室は、琥珀色の照明に包まれ、静かにジャズが流れていた。玲司はテーブルに肘をつき、わずかに微笑むだけでグラスのシャンパンを傾けていた。


 エンリコは満足そうに自らのグラスを飲み干すと、ゆったりと背もたれに寄りかかり、低く響く声で切り出した。


「玲司、君とはいい取引ができそうだ」


 その声には単なる社交辞令ではなく、静かで鋭い評価の色が含まれていた。玲司は目を細め、わずかに頷く。


 エンリコはさらに続ける。

「最初に言った通り、これはまず我々の手始めだ。だが、今後も同じように取引が続く──そのための乾杯だ」


 そう言いながら、彼は立ち上がり、玲司のグラスにシャンパンを静かに注ぐ。液体が琥珀色のグラスの中で揺れ、光を反射する。玲司もまた、自分のグラスを持ち上げ、二人の視線が短く交わる。


「……乾杯」


 音は小さいが、静かな重みを帯びた乾杯だった。グラス同士が触れ合う音が、室内の緊張を少しだけ緩める。それでも玲司の眼光は冷たく鋭く、計算と洞察の奥行きをたたえている。


 クラブの外では、三都市の担当者たちがそれぞれの任務を終え、無言のうちに成功の確認をしていた。銀座の個室で交わされた乾杯は、物理的な成功だけでなく、玲司とバルター二側の心理的な手綱の握手でもあった。


 玲司はグラスの泡を見つめながら、心の中で次の手を静かに構想していた――成功の喜びよりも、次の戦略の緊張が、すでに彼の胸を支配していた。


 エンリコの表情がゆるみ、酒の勢いが言葉を滑らかにする。銀座の灯りがグラスの縁に踊り、彼の声はいつになく饒舌だった。


「日本という国はいい。昔のヤクザが台頭していた時代とはぜんぜん違う。今は表向きの暴力だけで支配できる時代じゃない。ネットワークだ、金融だ、信用だ。だからこそ、我々みたいな連中が興味を持つんだ。でなければ……君のような『裏の実弾』を持てる男を見つける意味がない。」


 エンリコはくっと笑い、手にしたシガーの先を軽く舌で湿らせた。酒の影響で声に糸が入る。

「もし良ければ、我々のパートナーにならないか?」


 その言葉は甘い誘いであると同時に、刃のような重さを帯びて玲司の胸に落ちる。個室の空気が一瞬引き締まる。幹部たちの視線が微かに二人の間を行き来する。外側ではジャズの一節が静かに終わり、グラスの氷が小さく音を立てる。


 玲司はグラスを置き、僅かに呼吸を整えてからゆっくりと口を開く。声は穏やかだが、言葉には常に計算が潜む。


「なるほど。君たちにとって、日本は試金石なんだな」

 彼は差し出された提案を、形式的な驚きも感情も交えずに受け止める。頭の中ではすでに利害とリスクの天秤が動き始めている。パートナーシップは一見魅力的だ。資本、筋、国際的な背中。だが同時に縛りと制約、監視網の増幅、そして自分の独立性の喪失を意味する。


「興味はある。だが提案は“そのまま”受けるわけにはいかない」

 玲司は短く笑い、目の奥で鋭い光を走らせる。「我々には守るべき秩序とルールがある。君たちの筋と手法がこちらの秩序を壊すなら、それは協力ではなく侵略だ。パートナーシップとは、相互の依存と利益の確認だ。条件を詰めよう。互いの責任範囲、失敗時の帰結、そして“我々の庭”に踏み込む際の一線──それを明確にする。」


 エンリコは一瞬だけ眉を上げ、満足げに頷く。酔いでやや緩んだ表情の裏に、商人としての厳しさが戻る。彼は軽くグラスを掲げ、舌先で言葉を選ぶように応じた。


「いいだろう。条件を出せ。我々は交渉するのが仕事だ。だがひとつ、君に確約したいことがある。我々が提供するのは“規模”と“出口”だ。君たちのやり方を尊重し、そのまま使える自由も与える。だが我々も結果を求める。成功すれば互いの利益は倍増する。失敗は……こちらも被害を被る。だからこそ、我々は慎重に動く。」


 玲司は冷たい微笑を見せる。二人の間で「成功」の像が重なり合う。銀座の外の夜は静かに流れるが、そこにあるのは確かな約束と潜在的な脅威だ。


 ふたりはしばし無言でグラスを傾ける。エンリコの使者としての物腰と、玲司の冷徹な均衡感覚が、テーブルを挟んで火花を散らすように交差する。幹部たちはそのやり取りをじっと見守る。言葉には出さないが、彼らもまた自分たちの立場と未来を賭けた会話の一部であることを理解していた。


 玲司が最後に付け加える。

「ならば条件だ。まず、こちらの“銀行”の独立性を尊重すること。二つめ、我々のルールの外での強硬行為は、事前に協議しろ。三つめ、我々が要求する“透明でない対価”を受け入れる覚悟があること。これらを受け入れたら話を進めよう。」


 エンリコはゆっくりと頷いた。酒に酔いつつも、彼の表情には確かな計算が残る。

「合意だ。だが最後にひとつ:我々は君を信用できるかを、やはり見たい。次の案件で本気度を示してくれ」


 その言葉は即ち試用期間のようなものでもあり、両者の間に微妙なジャッジが持ち込まれる合図でもあった。


 個室を出る前に、玲司は静かに立ち上がり、エンリコに向かって短く一礼する。その所作は社交辞令以上であり、契約の象徴にも見えた。ふたりの手は握手を交わすが、それは温かみのある抱擁ではない──冷たい、契約の手だった。


 廊下に出ると、幹部たちは一列に並び、玲司に対して深く頭を下げる。表向きの儀礼は整い、内側には新たな同盟の種が埋め込まれた。だがその種は同時に、新しい責任、新しい敵対、そして監視の増大を孕んでいる。



 銀座の夜に交わされた握手は、単なるビジネスの合意を超え、二つの世界の接合点を作った。祝杯の泡が消える頃には、互いの命運を少しずつ握る者たちの影が、静かに重なり合っていた。

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