二つの日本のエセックス級航空母艦
架空の「エセックス」級航空母艦が活躍する架空戦記です。
はい、みなさん。
あちらに見えているエセックス級航空母艦の歴史について説明いたします。
第二次世界大戦で、アメリカ合衆国が建造したエセックス級空母は二十隻以上が建造されました。
その内の一隻に艦名も艦番号も付けられず。単に「E式航空機運搬船」という名目で建造されたエセックス級空母がありました。
それには次のような理由があります。
1942年6月のミッドウェー海戦でアメリカ海軍が敗北、ミッドウェーを日本軍が占領、ハワイ攻略のための足掛かりとしました。
行動可能な空母をすべて失ったアメリカ海軍は混乱し、「ソ連にエセックス級航空母艦一隻を供与する」という奇策が立てられました。
日本とソ連は不可侵条約を結んでおり、日米戦に関しては、ソ連は中立国でした。
そのため、北大平洋をアメリカからソ連へ物資を積んだ船団が航行していましたが、日本は手出しをしませんでした。
それで、エセックス級空母の一隻を書類上は軍艦ではなく、民間の「E式航空機運搬船」として建造され、ソ連行きの船団に混じって、ウラジオストックに到着しました。
E式航空機運搬船には、米海軍の艦上機が搭載され、ソ連軍パイロットを指導するための米海軍の教官も乗り込んでいました。
ソ連海軍にエセックス級空母が一隻あるだけで、日本海軍は中立ではありますが、ソ連海軍に対する警戒度を上げなければならなくなりました。
アメリカは、この策で日本海軍のミッドウェーからのハワイ攻略を牽制しようとしていたのです。
しかし、太平洋戦争終戦後に分かったことですが、日本海軍は兵站の問題からミッドウェーを維持するだけで精一杯で、ハワイ攻略の拠点としては使えない状況でした。
もし、ソ連海軍にエセックス級空母がなくても日本海軍はハワイ攻略は不可能でしたが、それが明らかになったのは戦後でした。
1945年8月15日、日本政府がポツダム宣言を受諾して戦争は終わるはずでした。
しかし、ソ連は日本への侵攻を停止せませんでした。
北海道にソ連軍は上陸しました。
E式航空機運搬船により、航空支援を受けていました。
もし、ソ連に空母がなければ、北海道上陸作戦は失敗していたと言われています。
ソ連軍は、北海道全土を占領し、そこに「日本人民共和国」を建国しました。
通称は「人民日本」です。
北海道以外の日本本土はアメリカ軍に占領され「日本国」となりました。
通称は「南日本」です。
日本は東西ドイツと同じように分断国家になったのでした。
空母の有用性を経験したソ連は、第二次世界大戦後、国産空母の建造に邁進しました。
建造中止になったソビエツキー・ソユーズ級戦艦の船体を流用した大型空母「ソビエツキー・ソユーズ」四隻を建造しました。
一番艦「ソビエツキー・ソユーズ」は、ウラジオストックに配備され、日本の横須賀に配備された米海軍空母の長年のライバルでした。
ソ連海軍の空母艦上機は、ソ連空軍機の海軍仕様であり、発艦用カタパルトの開発に失敗したので、ソ連空母はスキージャンプ甲板でした。
ソ連海軍機は、航続距離が短いため制空を重視し、対艦攻撃は水上艦の対艦ミサイルに役割り分担していました。
E式航空機運搬船は、日本人民共和国海軍に譲渡され、長らく人民海軍の主力となりましまた。
艦名は人民海軍の所属になっても付けられませんでしたが、人民海軍の水兵たちからは非公式に「鬼畜」と呼ばれていました。
太平洋戦争中の日本帝国のスローガン「鬼畜米英」から来ています。
人民海軍のエセックス級空母に対抗するために、日本国海上自衛隊にはアメリカからエセックス級空母二隻が譲渡され、「あかぎ」「かが」と名づけられました。
冷戦下、二つの日本でエセックス級空母がにらみ合う状況が続きました。
1991年のソビエト連邦の崩壊は、日本人民共和国にとって国家的危機でした。
ウラジオストックに配備されたソ連海軍の空母「ソビエツキー・ソユーズ」一隻が、南日本に配備された米海軍の原子力空母一隻を牽制していたのですが、ソ連の崩壊に伴いロシア海軍として再建されたら予算不足により、運用が不可能になったのでした。
日本人民共和国は、空母「ソビエツキー・ソユーズ」を購入し、「蝦夷」と名づけました。
東西ドイツが西ドイツが東ドイツを吸収する形で統一されたので、人民日本上層部は恐怖を感じていました。
南日本の主導で統一されれば、人民日本上層部は、過去に国民を弾圧した責任を取らされるからです。
追い詰められた人民日本は、南日本に奇襲攻撃を仕掛けることにしました。
奇襲攻撃により、南日本の東北地方の一部を占領、それを交渉材料にして、南日本から経済援助を受けようとしました。
それには、人民海軍が所有する唯一の空母、エセックス級空母「鬼畜」が使われました。
奇襲攻撃の実行前、人民日本政府は「お互いの日本の渡航自由化」「南日本企業の人民日本への進出許可」などを提案し、融和的なムードを演出しました。
南日本では「平穏な形で南北統一ができるのでは?」という楽観論が支配的になりました。
そこに、空母「鬼畜」が南日本に親善訪問することを人民日本政府が提案しました。
南日本政府は受け入れました。
空母「鬼畜」のあだ名のままでは失礼なので、この時、初めて艦名がつけられ「統一」となりました。
南日本では、この艦名は歓迎されました。
平穏な形での統一を人民日本政府は願っていると考えたからです。
南日本に向かう、空母「統一」を米海軍の原子力空母一隻がエスコートしました。
空母「統一」は対潜哨戒を主任務とするヘリ空母となっており、米海軍は「統一」の対艦攻撃能力を低く見積もっていました。
「統一」から米空母へ親善訪問のための、ヘリが一機飛び立ちました。
それは、自爆部隊でした。
自爆部隊の人員たちは全員が家族を強制収容所に囚われており、家族の命と引き換えに任務を強制されていました。
米空母に着艦すると、迎えに出た米空母の首脳部を殺害、ヘリに搭載していた爆弾を爆発させました。
米空母は、沈没はしませんでしたが、戦闘は不可能になりました。
空母「統一」は、米海軍の水上艦の反撃により撃沈されました。
北海道から南下する人民海軍の空母「蝦夷」とそれを迎え撃つ海上自衛隊の空母「あかぎ」「かが」。
二つの日本の間に海戦が発生しました。
人民海軍の艦上機はスホーイ27、海上自衛隊の艦上機はシーハリアであり、海上自衛隊が不利でした。
しかし、イージス艦により、防空戦は海上自衛隊が有利であり、人民海軍の艦上機と対艦ミサイルの攻撃をしのいだ後、反撃に移りました。
海上自衛隊の陸上航空基地からのF4戦闘攻撃機が空母「蝦夷」を撃沈し、それでも東北地方に接近しようとした残存艦隊には、陸上自衛隊の地対艦ミサイル部隊が止めを刺しました。
この海戦で、「かが」が沈没しました。
海空の支援を受けた陸上自衛隊が北海道に上陸し、北海道全土を奪還し、人民日本は消滅し、「日本国」として統一されました。
あちらに見える空母「あかぎ」は、退役し、現在は記念艦になっています。
日本が所有する唯一のエセックス級空母ですが、現在は改装工事中のため艦内を見学することはできません。
以前は、艦内の展示物は、現役だった頃の艦上機、「あかぎ」「かが」の歴史についての展示物などでした。
改装により、人民日本の空母「鬼畜」の艦上機、「鬼畜」の歴史についての展示物などが新たに設けられる予定です。
日本が二つの国に分断されていた時に所有していた三隻のエセックス級空母、その歴史を知ることができます。
再開を楽しみにしてください。
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