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井戸のバケモノ

作者: 文月 ヒロ

 8月を過ぎる頃になると、不意に、小学5年生のあの夏を思い出す事がある。


 親父が大病を患って入院したので、俺は夏の間だけ田舎の婆ちゃんの家に預けられていた。


 知らない人だらけの知らない土地。

 この村で1か月近く暮らすのかと思うと憂鬱だったが、友達なんて案外直ぐに出来るもので、俺はよくそいつ等と神社の前で遊んでいた。


「なぁなぁ、知ってっかケンちゃん、向こうの井戸の噂。中にバケモンが住んでるんやてな、あとで開けて確かめてみようぜ?」


 ある日、神社でかくれんぼをしている時に、友達のシンジが小声で誘って来た。

 その話は知っていたが、俺は首を横に小さく振った。


「えぇ、やだよ、シンジ君。危ないって」


「大丈夫、大丈夫。お前も気になるじゃろ、鎖と蓋でガッチガチに閉められてる井戸とか」


「で、でも……」


 俺は、婆ちゃんに初めて神社へ連れて行かれた時の事が忘れられなかった。

 婆ちゃんは宿題をちゃんとしろだの、夜遅くまで起きているなだの、小言をよく言う人だった。

 けれど、俺がその井戸に近寄ろうとするとあの人は豹変した。


 唐突に俺の腕を掴んだのだ。


 痩せこけて骨に皮膚が張り付いただけのような、血管の浮き出たシワシワの手は、力強く俺の腕を握って離さなかった。

 どこにそんな力があるのか分からなかったが、引っ張る、というよりはそれ以上前に進ませないような感じだった。


 婆ちゃんは静かに言った。


『近付くなケンスケ。子どもはな、この井戸に近付いたらアカンのや。もし近付いてもうても、絶対開けんな。何があっても、絶対や。……(おと)ろしい事なる』


 詳細は話してくれなかったが、婆ちゃんがあの時、井戸を親の仇でも見るかのような目で睨み付けていたのを俺は知っていた。

 あんな婆ちゃんは初めてだった。


 怖かったのは婆ちゃんの表情だったのか、それとも井戸だったのか、今でもよく分からない。

 ただ、何だか不気味な感じがして、当時の俺はとにかくあの井戸へ近寄りたくなかった。


「ビビってんのか、ケンちゃん」


 何も言い返せなかった。

 そして、かくれんぼが終わると、シンジは皆を呼び留めて井戸の中を覗こうと誘った。


 冷や汗が額に滲み出し、焦燥感で心臓の鼓動が速くなっていくのを感じつつ、不味いと思った。

 けれど、結局女子の内の1人が怖がって止めることになった。


 俺は内心安堵した。

 ともかく、これで、あの得体の知れない井戸に関わらずに済む。





「健…介ぇ……」




「――ッ⁉」


 皆と一緒に神社を去ろうとした時、背後の井戸から女性の声が聞こえた。

 それも、聞き覚えのある声が。


「母、ちゃん……?」


 有り得ない事だった。

 俺の母親は小学3年の秋、交通事故で亡くなっている。


「……け」


 あの日以来、俺はずっと寂しかった。


 親父が仕事で忙しいから、夜は大抵独りで飯を食って、独りで寝る。

 そりゃあ、流石に段々と慣れて来て、小学5年にもなれば、それも何の変哲もない日常へと変わっていたさ。


「……ん……す、け」


 けれど、心のどこかで隠し切れない寂しさがあった。


「……介……」


 俺はもう一度、母ちゃんに会いたかったのだ。


「……ん、介…………」


 だから、その狭い暗闇の奥底から聞こえる声が、


「健、介……」


 母ちゃんの苦しそうな声が、


「――開・け・て……」


 俺には、到底無視出来なかった。


「?どうした、ケンちゃん?」


「っ。な、何でもない。また明日ねッ」


 一度皆と別れてから、再び神社へと戻ろうと決めた。


 そうして、夕暮れ頃だっただろうか。

 俺は神社に辿り着くと、階段を上って、拝殿の奥にある井戸の方へと向かった。


 その最中にも、声が耳に届いた。


「……呼ばれてる、いか、なきゃ…………。母ちゃん、待ってて……俺」


 声は何度も辛そうに俺の名を呼んでいた。

 助けてやらないと、と思った。

 もうすぐ会える、と興奮も抑えられなかった。


 そうして思考は鈍化していき、次第に、周囲の音も耳に入らなくなっていく。


 最早、俺は正面の井戸しか目に入らなくなっていた。


「何があっても開けんな言うたやろ、ケンスケ」


「ッ!ば、ばあちゃん……?」


 腕を掴んで、井戸へ向かう俺を引き留めたのは婆ちゃんだった。

 婆ちゃんは俺から視線を外し、例の井戸をじっと見つめた。

 あの時の、殺意すら孕んだ目だ。


「……アレは、お前の母親ちゃう。アレはな、その人間の身近な人の声を真似て、「中に来い」て呼び寄せるんじゃ」


 鋭い目つきのまま、婆ちゃんはそう言った。

 その視線の先にある井戸を俺も見つめる。


 水を汲むために掘られたはずの穴は、依然固く閉ざされており、先程までこちらを呼ぶ声はいつの間にかそれが幻聴だったかのように聞こえなくなっていた。

 けれど、俺はその瞬間、確かに聞いたのだ。


「……開……け……ろ…………」と、そんな(おぞ)ましい声を。


 俺は思わず両肩をビクンッと跳ね上げ、数歩後退った。

 婆ちゃんはその様子に何か察したのか、空いた手で俺の頭を撫でた。


「帰るで、ケンスケ」


 それっきり、俺は神社に――あの井戸に近付く事はなかった。


 あの声は、結局何だったのだろう。

 井戸の中にいた()()()は一体どんな存在だったのだろう。


 あるいは、もしもあの時、蓋と鎖を取っていたらどうなっていたのだろうか……。


 大人になった今でも、俺は度々それが気になってしまう。











文月です。


ホラーなんて苦手だし、夜に書いていると怖くてトイレに行けなくなる(今、この状況の事です)。

なのに、どうしてか書くことを止められない。


今年は一本既に短編を出しているのに、もう一本書いてしまうとは……。


昼に見たアニメの影響で、いつも通り発作を起こし、夜に衝動的に書き上げてしまった作品ですが如何でしたか?

面白かったらば、なにとぞ感想、★評価、いいね、ブクマを!


そして、いい夏を。


ではでは――

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