救国の志士
木戸は会見場に赴くと、緊急事態に戸惑う国民に向けて大改革を行うと発表し、協力を求めた。
「我が国日本は、明治維新以来、飛躍的進歩を遂げ、世界にその名を知らしめ頂点に立ってきた。だがその反面、大きな犠牲を払い日本国民は疲れ、傷付いた。今、一息つく時ではないだろうか。我武者羅に走り続けて息を切らしている今こそ、長い眠りに付く時なのだ」
と、ここで始めて、国を閉ざす鎖国という考えを示唆した。
「時代と共に走り続けてきた日本は、波に乗って順調に発展してきたが、世界経済の破綻によって生じた日本動乱という、かつてない巨大な岩壁にぶち当り、過去へと押し戻されようとしている。だが、これは自然の流れであって、この自然の流れに逆らうことは破滅を意味する。今、新しい大東亜共栄圏の元、西洋文明を拒絶する鎖国を行い、難局を切り抜ける以外に道は無いのだ。だからこそ、国民の全てが救国の志士となり、この改革を成功させねばならない。そのため、世界戦争に巻き込まれないために、ここに永世中立を宣言し、国際連合を脱退する。何も心配することはない。私がいる限り、諸外国から指一本も触れさせはせぬ、戦争に巻き込まれることもないのだ。この鎖国政策により、日本国は守られるであろう」
改革案を発表する木戸は、最後に自身の処遇についても語った。
「改革により犠牲になるのが国民だけであってはならず、改革を行う政府にも、なんらかの処置が必要であろう。ましてやこの改革は自分の一存で決定したものであり、もし失敗するようなことにでもなれば、当然全責任を負わなければならない。それを、この放送を観ている視聴者、国民に決めてもらう。独裁色の強い将軍職を、国民の総意を持って決定する」
と木戸は公約した。
我が身を切ることもいとわない改革。このことは恩師である坂本と約束したことであり、これにより木戸は、終身将軍、つま、死ぬまで将軍職の地位を保持し続けることを放棄した。
現将軍職の任期を三年とし、将軍信任の成立の条件を有権者の過半数以上と決めた。
この三年は、改革が三年以内に完成すると考え目標にした数値である。三年後、国民投票で過半数以上の支持が得られなければ潔く下野しなければならない。だが、信任されれば直接国民に選ばれたのだから、失い掛けた権力は回復する。これは一種の賭であり、木戸は是が非でも改革を成功させなければならなかった。
「改革に力の限りを尽くして懸命に取り組み、この命を捧げる覚悟だ!」
力強く宣言した。
この改革で木戸が恐れたのは国民の抵抗である。
真っ先に、海外への移住を禁止した。
クーデター以降、日本を離れる者は多く、自由を求めてその多くが敵対するアメリカに移住した。木戸は、これ以上の人材の流出を防ぐために渡航を禁止する共に、企業の国有化を推進して、溢れる多くの失業者を救済した。
一方で、一握りの特権階級に対し、土地や資産を没収するなどして、政府は全ての国民に対して平等に対処することを知らしめ、国民の不満を逸らそうとした。
改革成功の鍵を握る食料の確保、これこそ輸入停止の日本における重大な課題であった。
多くの外国産物の輸入によって、国内の農業は完全に根絶やしにされ農土が荒れ果てている現状にあって、木戸は日本に忍び寄る飢饉の恐怖を感じていた。
そのために農地改革も同時に行う必要となり、今まで培ってきたバイオ技術を取り入れた農作業法によって生産性の向上を目指し、将来、完全自給自足を目標に農業国へと生まれ変わろうとした。
政府の国策として、空き地という空き地には野菜が植えられ、また、石油に代わる新たなエネルギー源として、国内にある木炭や石炭などの代替品でまかなう。勿論、一般者の車の利用は全面禁止。
日本人が古くから養って来た知恵と工夫で難局を乗り切ろうとした。
幼い頃からウクライナやガザなどの紛争をリアルタイムで見ていた国民にとって、悲惨な映像が頭の中に染み付いて、離れないでいた。
『もし、戦争に巻き込まれたら』と考えると、あんな悲惨な体験をするよりは、生活水準を落としてでも、生命の危険の及ばない生活の方がマシだと、国民の多くが強く思うようになっていた。
当然、争いに関わらない木戸の政策は支持された。
こうして無謀と思われる鎖国を断行し孤立した日本は、外敵からその身を守るために、核保有を宣言した日から製造されたとされる、核弾頭を装備した三〇基あまりのICBM(大陸間弾道ミサイル)を常に戦闘態勢を維持し、
「我が国及び共栄圏諸国に対して侵略行為があれば、ためらいなく核を発射する!」
と、世界に向けて警告を発した。
外敵に睨みをきかせながら日本は眠れる獅子となり、やがて世界の中からその姿を消し去ったのである。
改革を実施してから間もなく、共栄圏諸国、主に南方の国々からの貴重な資源が入って来た。
だがそれは僅かな量であり、国内を維持するだけの量に過ぎなかった。
事実、食糧不足が深刻化し、餓死者が出る地域も出始めている。
配給制が実施され、急激な変革により戸惑う国民に動揺を与えないよう最善の処置が取られていたが、農業生産の不調もあって食料自給率30%、朝昼晩の食事が配給による芋ばかりの日が続いた。
配給制度が事実上破綻し、日本人、五千万人が餓える日が現実味を帯びてきた。
ますます国民生活は圧迫され、各地で政府を非難した暴動が起きた。
それに加え、日本市場から追い出された外国企業は、暴動に乗じてテロなどのゲリラ活動で政府を揺さぶった。
木戸はこの暴動がかつてのように全国規模で起こるのを恐れ、早期に暴動を鎮圧した。
特に、日本の人口が集中する一千万都市東京では暴動が相次いで頻発し、それを制止する警備隊との、いたちごっこを繰り返していた。
既に一極集中を避ける意味での遷都が計画されていたが、伝統を重んじる宮内庁は遷都に反対し、同調する天皇は独裁者である木戸に対して無言の抵抗を続けていた。そのため身動きが取れず、計画は延期せざるを得なかった。
地下一階の危機管理センターで木戸は、相次いで起きる暴動を耳にする度に、やり切れぬ思いと苛立ちを覚えていた。そして、天皇との不仲がささやかれる中、政府を揺るがす事件が起こった。
厳重な警戒の中、それをくぐり抜け、皇居内にロケット弾が打ち込まれたのである。
幸い、一帯を焼く程度に終わったものの、政府の治安維持が限界であるということをさらけ出し、もはや首都警備隊を持ってしても完全に防ぐこと出来なくなっていた。
この事件に慌てた木戸はついに行動を起こし、偽りの情報を流し天皇をたぶらかしたとして、宮内庁長官を解任し、自ら皇居に参内し直接遷都を願い出た。
「皇居は今、首都警備隊によって厳重な警備を行っていますが、これとて限界があり、もし陛下の御身に何かがあれば、抑圧されている国民の不満が一気に爆発し、暴動はまたたく間に全国へと広がり、かつての日本動乱へと発展して行くでしょう。そうなれば今度こそ武力を持ってこれを鎮圧せざるを得ず、多くの血が流れるのです。そうなってからでは遅いのです。どうか、この場にて御決断をお願い致します。政治のことは私めに任せ、御身の安全を第一に御考え下さい」
日本の窮状を、誠心誠意を持って直奏し、説得に全力を尽くした。
『東京を去るのは忍びがたいのですが……分かりました。国民のために、喜んで参りましょう』
天皇は木戸の誠意ある要求を聞き入れ、遷都は決まった。
首都移転先には名古屋が選ばれた。
名古屋は日本列島の真ん中に位置し、交通の便に恵まれ、新首都にふさわしい条件が整っているというのが決定の理由である。
万全の警備体制の中、遷都は決行された。
皇族と政府高官らを乗せた、豪華な御召し列車が東京駅を発ち、名古屋に向かった。
厳かな御召し列車の移動は遷都を印象付けたが、将軍宣下の時のような派手なパレード度とは違って、粛々と遷都は行われた。
それはまるで、繁栄を極めた平家が、源氏の侵攻によって都を追われる都落ちように……。
やがて、一団は名古屋市に到着した。
名古屋市民は皇族と政府を喜んで迎え入れた。
天然の要塞である名古屋城は守るのに、うってつけの場で、木造天守閣のそびえ建つ本丸の隣にある、二の丸に荘厳な宮殿を建設、名古屋城を新たな皇居とした。
また、皇居の北にある広大な名城公園を御苑として整備し、東京からむりやり名古屋に遷都させたことに配慮し、皇室と政府との関係修善に気遣った。
東京の中央行政機関は廃され、名古屋への首都機能の移転が速やかに行われた。
木戸は、皇居の南、三の丸にある県庁本庁舎並びに市役所本庁舎に政府を置くと、この地で改革を継続し、思い通りの政治を行った。