終話 再び
王都セベルスクに留まっていた駐留軍は、新生ガザフの体制が機能し始め、安定したのを見届けると、春の訪れを待って、それぞれの国元へ引き上げて行った。
日差しは柔らかく、暖かい風が頬をかすめた。
所々に積もっている雪の下からは、草花が芽を出し始めている。
「やっと、春が来たか。これでセルシオンに帰れるんだな」
ガイアは背筋を大きく伸ばし、一面の空気を吸い込んだ。
待ち望んでいた春だったが、同時に、ガイアにとって辛い日の訪れでもあった。
孫武がガイアに一通の手紙を渡した。
シュタイナーからの手紙である。
「シュタイナー殿は、よほど陛下と別れたくなかったのでしょう。陛下に会えば別れが辛くなると言って、これを私に託しました」
「あいつも、とうとう行ってしまったんだな」
とガイアは呟き、その手紙を読んだ。
『話すのが辛くて、こんな別れになってしまいましたが、陛下と別れたくないというのが本当の気持ちです。もっと、もっと陛下のそばで働きたかったのですが、しかし、私はザルツの人間です。これ以上、陛下と行動を共にすることは出来ません。今後は祖国ザルツのために働き、祖国のために命を捧げるつもりです。でも、皇帝陛下のことは決して忘れは致しません。今度は陛下を、北の大地から支えて行くつもりです』
戦乱無き世を築くことで、祖国ザルツの存続を画策してきたシュタイナーだったが、ガザフ帝国の崩壊後、彼の役目は終わった。
シュタイナーは黒衣の部下達と共に、戦功で得た一門の青銅砲を持って祖国ザルツへと帰って行った。
最後まで駐留していた中央軍もセルシオンに帰還することになった。
シュタイナーに次いで、友である召輝までもが離れて行く。
「召輝よ、お前は小さい時から今まで、良くオレを慕い付いて来てくれた。礼を言う。そんなお前にオレは、とうとう何もしてやれなかった。お前のためになると思い後見人に選んだんだが、結局お前を苦しめることになってしまった。許してくれ」
そう言ってガイアは頭を下げた。
「私を苦しめるだなんて、そんなことはないですよ」
「しかし、女王はお前を嫌っている。重臣達の風当たりも厳しいのではないのか」
ガイアは心配そうに言って召輝を見詰めた。
「まるで腫物に触るような扱いですけれど、みんなが私を選んでくれたんです、その期待に応えなければなりません。ルイゼ女王はまだ幼い。我々の行った事を、正しい行為だったのだと教えていくつもりです」
頭を掻きながら召輝は言って、
「陛下、いや、兄貴も、宝玉を失って、元老院に益々頭が上がらなくなってしまいましたね」
ガイアを案じた。
「オレは、権力が欲しくて戦ったわけではない。世界平和のために戦ったんだ。皇帝などという、身分不相応な権威など、いつでも元老院に返上するよ」
「実に、兄貴らしい……」
子供の頃の時の周大と、何も変わっていないことに召輝は嬉しくなった。
「しかし、時の流れというものは恐ろしいものですね」
しみじみと召輝が言うと、
「改まって、急にどうしてそんなことを言うんだ?」
不思議そうにガイアが聞いた。
「だって、そうでしょう。農民に過ぎなかった二人が、こんなに出世したんですから。シャンガン(香港)にいた頃には思ってもみなかったことです。兄貴は世界を動かす皇帝に、そして、私は一国の舵取りを任される後見人という地位いるんですから、夢のようです。私はつくづく、兄貴に付いてきて良かったと思っているんですよ。私のことは心配しないで下さい」
「そうか……そうだな、本当に夢のようだ……」
二人は今までの出来事を思い浮かべ、遠くを見た。
「そうだ、オレにも夢が出来た」
嬉しそうにガイアは言った。
「夢? ですか」
「ああ。このサルフを抜け出し、誰も見たことの無い大きな世界を見るという夢」
「もしかして、愚人の世界を」
「ああ。この地に来る道中、初めて海を見て、船にも乗った。海の向こうには、まだ見ぬ世界があるんだと知ったんだ。そこで、愚人の手紙を読んだ。彼らがどんな思いで繁栄し、そして自滅して行ったのか、この目で見て、確かめてみたくなったんだ」
エレナの手紙を読んで、ガイアは遥か外の世界に興味を抱くようになる。
歴代のビクトリア王には無かった外の世界に、皇帝ガイアは意欲的。
「それも、良いですね。一度切りの人生、生きている限り、なんでも出来る。私も兄貴となら、どこへでも行きますよ」
「今度、いつ会えるんだろうな」
「さあ、それは分かりません。ただ、今度会える時を楽しみにしています」
と言った召輝が、
「あっ、そうそう、セルシオンには陛下の待ち望んでいるものがありますよ。それを楽しみにしていて下さい」
思い出したように言って笑みを浮かべた。
「オレの喜ぶもの?」
「帰ってのお楽しみです。きっと、喜んでくれると思います。陛下を驚かそうと、ゼノン様と二人で計画したんですから」
「そうか、ゼノン様と二人で、か。まあ、セルシオンに帰っての楽しみとしよう。セルシオンには、元老院という嫌なものだけでなくて済みそうだ」
ガイアも笑って言った。
「陛下、そろそろ行きましょう。兵士達が待ち兼ねていますよ」
部屋の外で待機していたマルスが入って来て、ガイアに声を掛けた。
ガイアと召輝の二人は、最後の別れを、言葉を交わさず互いの目を見詰めて大きく頷いた。
引き上げて行く中央軍を、召輝はいつまでも見送っていた。
ガイアにとって、シュタイナーと召輝との別れは辛いが、二人の将来を思えば、引き留めることは出来なかった。
ガイアは二人の幸せを、ただ願うばかりであった。
王都セベルスクを出てから五日が過ぎた頃、中央軍は旧都エノバに差し掛かった。
そこは、ガザフ王国の再興を願って宝玉・ティアズストーンを持って逃げた部隊と、マルスが差し向けた部隊とが交戦した場所である。
追撃部隊によって、再起を図るガザフ軍部隊は壊滅させられ、その時の惨劇が今も生々しく残っていた。
所々に死体が放置され、鼻に突く異臭を放っていた。
傷付いた屍が虚しく天を見詰めている。目をそむけたくなる光景だった。
戦場跡に、朽ち果てた木に座っている杖を持った老人がいて、思わずガイアは馬車を止めさせた。
老人は悲しそうに泣いていて、大粒の涙が頬を伝って地面に落ちていた。
ガイアはその老人を哀れに思い、馬車から下りると、彼に歩み寄って声を掛けた。
「息子でも亡くされたか?」
「……」
顔を上げた老人が、無言のままガイアを見詰める。
「私は、貴方が来るのを、こうして待っていました。ずっと長い間……」
「このオレを待っていただと。あんたは,オレが来るのを知っていたのか? まさか、予言者でもあるまいに」
「そう、私は予言者ではありません。ただ、長く生きているだけです。私は人々を導く使命を帯びて生まれて来た者。貴方方が愚人と呼んでいる人達が生きていた頃より……」
「愚人の時代からだと? フッ、オレをからかっているのか」
ガイアは呆れた口調で言った。
だが、老人の顔は真剣そのもので、立ち上がると、手に持った杖を振りかざした。
すると、あれほど晴れ渡っていた空が曇り出し、一瞬にして暗黒の世界に覆われた。
暗黒となった空一面に、鮮明な映像が映った。
まるでスクリーンに写された映画の映像のように。
「――あれは、一体?」
そこには、見たことのない都市が映し出されていて、空からの攻撃を受けて燃え盛っている。
それは、新人類が太古戦争と呼ぶ、核戦争の世界であった。
燃え盛る炎の中、逃げまどう人々がいた。
ガイアが彼らに救いの手を差し伸べるが、届かない。目の前で、人々がもがき苦しみながら死んで行く様に、ガイアは頭を抱えてうずくまった。
そんなガイアに老人は話し掛ける。
「神は人類に科学を教え、広い目で世界を見る知識も与えました。この地球も、広大な宇宙から見れば点に過ぎない小さな星です。こんな小さな大地の上で争うことの無意味さも知っていたはずです。それを知りながら……。神はこうおっしゃった。人類には、もう二つの奇跡は起こらない。考えを改めないと、今度こそこの地上から姿を消すことになるのだと……。人には話をする口があります。通い合う心があり、思いやる優しかもあります。争いなど馬鹿げている、と早く気付いて欲しかった、と」
うずくまりながらガイアは、こんな超常現象を起こす老人を神だと思い、
「貴方は、神ですか?」
老人を見上げながらガイアは聞いた。
「私は神などではありません。神に仕える者、と言ったらよいでしょうか」
「そんな貴方がいながら、何故、争いが絶えないのですか?」
「私は遥か昔に死んだ人間だからです。魂だけが大地に残ったものの、そんな私に何が出来ましょうや」
「それでは、人々の死に行く様を、貴方は黙って見ていただけなのですか」
「こんな私でも、争いの無い世界を願い続けていました。その願いが通じたのか、今、こうして貴方に巡り会えたのです。貴方なら、誰もが果たせなかった千年王国を築くことが出来るでしょう。この世界を今一度ひとつにまとめ、争いの無い世界を築くことを。本当の意味で人類が一つになれば、全ての難問を解決出来、克服出来る。なにせ、人類は英知を神から授かっているのですから。それが神の意志であり、それを伝えるのが私の使命だったのです。貴方がこの私に代わり、神の意志を世界中の人々に伝えて欲しいのです」
老人はそう言って、うずくまっているガイアに寄り添い、
「我が子よ」
と言ってガイアを優しく抱き締めた。
老人は、ガイアをまるで赤ん坊のように、幼い頃、母親に抱き抱えられた時と同じ温もりで、彼を優しく包み込む。
「今、世界はひとつになりました。その道のりは遠く、多くの犠牲がありました。今日に至るまでの間、どれほどの尊い命が失われたことか。皆、それぞれの信じた道をただ突き進んだだけ、大いなる意志に従って……。そこには善や悪はありません。それ故、死んで行った者達が今日を築いたと言えるでしょう。どうやら私も、彼らの元に帰る時が来たようです。どれほど長かったことか……」
やがて、辺りは明るさを取り戻した。
空はにわかに晴れ渡った。
「陛下、どうなされましたか?」
と孫武の声が聞こえた。
振り返ると、孫武やマルスが自分を心配そうに見詰めている。
「真っ青な顔をして、気分でもすぐれませんか?」
マルスもガイアを案じて言った。
ハッと気付いたようにガイアが、
「老人は、老人はどこに行ったんだ?」
と言いながら慌てて周りを見る。
「老人? そんな者はいませんよ」
「――馬鹿な、確かに今、オレと話していたではないか。その木の所で」
そこには老人はいなかった。
「きっと、長旅で疲れていたのでしょう。セルシオンへの道のりは遠いですから、少し休まれてはどうですか」
「そ、そうか……」
初めはそう思った。
気の迷いだったのか……。いいや、あの老人は決して幻ではなかった。きっと、長く続いた争いに、愚人達の霊がお怒りになり、我々を諌めてくれたんだろう。
そして、老人と話し、不思議な体験をしたことが、ほんの一瞬の出来事であったのだとガイアは知った。
「――あれは!」
と、一人の兵士が指差した。
そこにはキラリと光る何かがあった。それは、探し求めていたティアズストーンであった。
「あれが捜し求めていた、宝玉ティアズストーンなのか」
その場所は、朽ち果てた木に腰掛けた老人が涙を流していた場所。
必死の捜索にも関わらず見付からなかった宝玉。ティアズストーンは神の流した涙だと、ガイアはそう信じるしかなかった。
ガイアがティアズストーンを持った時、太陽の光に照らされ、大地にその光が伝わった。ティアズストーンの放つ光に導かれるように、ガイアは大地を見た。
この大地と同じティアズストーンを手にしているガイアは、気付いた。今、世界を握っているのは自分なのだと。
ティアズストーンは人々を支配する物ではなく、人々を導く物。神は我々に広い視野を持ち、常に世界に目を向けよ、と言っているのだとガイアは気付いたのだった。
人々を不幸にするのも幸せにするのも一握りの指導者であり、今まで続いてきた人類の歴史を創ったのもまた、一握りの指導者であった。この先、争いの無い平和な世界を創るのも争いを起こすのも、全ては自分の責任のように思えた。
ただ、これまでと違うことは、指導者の一人であるガイアがこの真実を知っているということである。
長い道のり末、中央軍はセルシオンに凱旋した。
沿道には多くの市民が出迎えていた。彼らは勝利したガイアの雄姿を一目見ようと集まっていた。
それらの市民は、サン・シンプソン宮殿に近付くに連れて多くなっていった。
城門には城兵が総出でガイアを迎えていた。
元老院も出迎えていたが、ガイアは彼らを無視するように宮殿に入った。
ガイアの人気が予想を超え、さすがの元老院も彼には手出しが出来ない。
通り過ぎるガイアを横目で見ながら、市民の異常な熱気に、彼を認めざるを得ないと痛感させられたのだった。
ガイアが宮殿に入った時、
「あれは……」
彼は自分の目を疑った。
宮殿のバルコニーには、ガイアの愛したマリアがいた。
召輝の言った、大事なものとはマリアのことだったのかと、ゼノンと召輝の二人に感謝した。
喜んでガイアを迎えるマリアに応えるように、ガイアは大きく手を振り上げた。
その勢いは雲を貫き、まるで天にも届くような勢いだった。
それは多くの至難を乗り越えて到達した人類の象徴の姿であるかのように……。
血塗られた赤い大地は、人類に恵みと繁栄をもたらす、緑豊かな大地へと生まれ変わろうとしていた。
やがて大航海時代を迎え、人類はサルフという小さな世界を越えて、あらゆる世界を見ることになるだろう。
その時こそ人類は、犯した本当の悪行を知ることになる。それでも人類は後戻りすることはない。人類は過ちを改め、進化して行く生き物だから。
そして、人類がその命尽きる日まで、繁栄を謳歌するだろう。
了
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
日本史が好きですが、中国の歴史も好きです。中国大陸と同じ面積(少し小さいですが)のオーストラリア大陸を舞台に、三国志以前の、項羽と劉邦の物語を意識して書きました。史実と違い、創作は自由で、出来事に間違いが無いのが良いですね。