戦後処理
静寂に包まれた夜の王都セベルスク。
シュタイナーは敗軍の将となったビロンに会いに、彼を監禁している牢獄に向かった。
いち王国に過ぎないガザフを強力にしたビロンに会うため、それ以上に、ビロンに会わなくてはならない理由がシュタイナーにはあった。
牢獄は政敵を粛清する時に使われた場所で、ここに入った者達は帰らぬ人となった。
牢獄は日も当たらない真っ暗な所で、シュタイナーは松明を片手に、ビロンの閉じ込められている牢獄の前に立った。
松明をビロンの方に近付けると、おぼろげにビロンの顔が映り、彼はまぶしさのため一瞬顔を隠す仕草をした。それは松明によるまぶしさのためではなく、目の前にいる人物に素顔を見られるのを拒む仕草であった。
シュタイナーは、必死で顔を隠そうとするビロンに語り掛けた。
「やはり、叔父上だったのですね」
ビロンは諦めて顔を見せると、シュタイナーに訴えるように言った。
「兄上が戦死し、名門バイエルン家の火を絶やさないためにワシは奮戦してきた……」
「伯父上は、一人で良く一族を盛りたててくれました」
「ワシが右足さえ失わなければ、今ごろ恥を晒すことなく、ザルツの武人として誇り高い死に方も出来たろうに、口惜しい限りだ。それ故、ワシは剣を握ることを諦めた。力によって中央を倒すのではなく、知力で中央を倒すと決心したのだ。だが、時すでに遅かった。国は敗れ、中央に対抗する力は無く、牙を抜かれた狼となってしまっていたのだ。そこでワシはガザフに目を付けた。七王国最大で、しかも中央とは不仲のガザフは、ワシの野望を叶えてくれる唯一の国であった。
浪人同様のワシを、アレクセイ陛下は側近として重く用いてくれた。ワシは嬉しかった。この時、ワシは陛下のために死を覚悟して御仕えしようと心に誓ったのだ。陛下はワシではなく、ワシに付き従った十字軍の力を必要としていたのかも知れないが……。ワシの立てた策、セルシオンの奇襲によって二世皇帝は死に、ガザフは大国にのし上がり、世界を狙えるまでの力を得ることが出来た。だが、中央にお前がいようとは思いもしなかった。ワシの立てた策をことごとく打ち破り、そして、中央を勝利へと導いた」
「伯父上……」
申し訳ない気持ちで、思わずシュタイナーはうつむいた。
「何も、謝ることはない。ワシはお前を恨んではいないし、むしろ、世界観のあるお前のしたことは当然のことだと思う。ワシはお前とは違い、視野の狭い男だ。集中すると周りが見えなくなる。だからこそ、ワシの持てる全てを注ぎ込んだこの戦いも負けたのだう」
「負けたとはいえ、いち王国に過ぎないガザフを、良くぞここまで強くされたものです。もし、アルプス越えが成功していなかったら、勝敗は分からなかったはずです。この先、叔父上が生きて中央のために働いてくれれば、どれほど世界のためになるか……。やはり、死ぬおつもりなのですね」
「敗軍の将に語る資格は無いが、これだけはそなたにお願いしたい」
「なんです? 叔父上、私に出来ることならなんでも致します」
「ガザフに身を寄せた時から、ワシの命は無いものと思っていた。願わくは、そなたの力でアレクセイ陛下の命を救ってやって欲しい。浪人の私を重く用いてくれた陛下の御恩に報いるためにも、是非とも陛下の命だけは救ってやりたいのだ」
ビロンは頭を下げて頼んだ。
「しかし……、我が主、ガイア様は、アレクセイ公を酷く恨んでいます。シオン公、並びに二世様を殺したのはアレクセイ公だと思い込んでいるのです。いかに私がお諌めしようとも、これだけは聞き入れてはくれないでしょう」
「そうか、そうだな……。無理を言って、すまぬ」
肩を落とし、がっかりするビロンを見て、
「……分かりました、叔父上。私が命に代えても、ガイア様を説得します」
シュタイナーは約束した。
「そうか! 頼んだぞ、シュタイナー。どんな形であれ、陛下が生きていれば良いのだから」
ビロンの瞳から溢れんばかりの涙が流れていた。
ビロンはこの姿を見られたくないために、
「さあ行け、罪人のワシに構うことはない。あらぬ疑いを掛けられる前に、行くのだ!」
戸惑うシュタイナーを追い出した。
シュタイナーにとって、叔父ビロンとの最後の分かれであった。
一夜明け、戦犯としてアレクセイの裁かれる日がきた。
戦場は一変し、激しい戦いが行われていた城前広場には陣幕が張られ、勝利した遠征軍を成す各国の旗がなびいていた。
遠征軍兵士とともに、多くのセベルスク市民が、王の安否を心配して駆け付けていた。依然として彼らの王はアレクセイであり、王朝の存続を心から願っていたのである。
遠征軍の諸将が居並ぶ中、一際大きなガイアが中央に腰掛けていて、彼らの前に、元皇帝アレクセイが連れ出されて来た。
アレクセイは罪人用の粗末な服を着せられ、うつむいたまま顔を上げることはなかった。
ガイアの前に来ると、付き添いの兵士に無理矢理頭を押さえ付けられた。
「放せ、放せぇ!」
アレクセイにとって、耐えがたい屈辱だったが、彼には、それの以上の死という残酷な試練がこの先に待っている。
死を前に、開き直ったアレクセイはガイアを罵倒した。
「成り上がり者のお前に何が出来るというのだ! 農民のお前に、世界を治められるはずがない。いずれ第二、第三のガザフが現れ、必ずお前は殺されるだろう。その時になって、自分の置かれている立場を後悔するがいい」
傲慢な態度に、居合わせた遠征軍の諸将は、アレクセイを即刻処刑せよと言い放った。
ガイアは彼らの声に頷き、
「言いたいことはそれだけか、それだけなんだな」
とガイアは言って立ち上がると、長剣を天高々と振り上げた。
光輝く剣を見て、誰もがアレクセイに斬り付けると思った。
だが――。
『ザクッ』
ガイアは振り上げた長剣を地面に突き刺した。
そして、斬られると思って目をつぶっていたアレクセイにガイアは言い放つ。
「目を開けて、良く見るがいい! これは、かつてシオン様が愛用していた長剣だ。貴様のために死んで行った、シオン様、のな」
そう言われ、アレクセイは目の前の剣をまともに見ることが出来ず、涙を浮かべながら、
「私とて、私とて……。仕方がなかったのだ……」
アレクセイはその場に泣き崩れた。
「……」
ガイアはその姿を見て哀れに思い、
「お前は死んだ、死んだ人間なんだ。この先、政治のことは忘れ、余生を気ままに過ごすが良い」
そう言い残してガイアは立ち去った。
「こ、これは一体、どういうことだ……」
「処刑するのではなかったのか……」
アレクセイを処刑するものと思っていた諸将は、何がなんだか分からず不満を漏らしながら、ガイアの後を追った。
アレクセイの処刑の中止はすでに決まっていた。
王の死で動揺するガザフ市民のため、強いてはガザフの内乱を未然に防ぐために処刑の中止を決定していたのである。このことをガイアに説得したのは他ならぬシュタイナーであった。
必死で説得するシュタイナーに、
「分かっている。死によって生まれるものは何もない。オレは、愚かに繰り返される争いを無くしたいんだ。オレが変わろうとしなければ何も変わることはなく、悲劇は繰り返されるだろう。そうしないために、誰一人として殺す訳にはいかぬ。そして、争いに終止符を打ちたいんだ」
ガイアはそう言ってシュタイナーを安心させた。
処刑の中止は決まっていたが、ガイアはあえてアレクセイに罪を償ってもらうために芝居をした。
この時見せたアレクセイの涙が、嘘偽りのない涙であることを確認したガイアは、処刑の中止が間違いでなかったのだと強く思った。
この裁きでは、初めて敗戦国側から処刑者が一人も出なかった。
今までのサルフ世界の歴史の中で初めてのことである。
ガイアは、人の恨みが悲劇を招き、それは繰り返されるということを誰よりも知っていた。だからこそ、寛大な裁きを求めたのである。
戦後処理の全ての処置は、開戦前に元老院が決めていた事で、その事細かに書かれた処刑人のリストをガイアは事前に燃やしていた。
元老院の指示をガイアは無視し、全てを生かしたのである。そもそもこの戦いはガザフとの戦いであると同時に、元老院との戦いでもあった。
処刑を逃れたアレクセイだったが、彼を待っていたのは、孤島ノヴァヤゼムリャ(タスマニア)島への流刑であった。
戦争の最高責任者である彼をこのまま放置しては、共に戦った諸王国軍の亀裂を招く恐れがあり、ガイアは不満を募らす諸将に配慮して、流刑という形を取った。
アレクセイはビロンを始め、彼に従った側近達と共にノヴァヤゼムリャ島に流されることになった。
ガザフ領のノヴァヤゼムリャ島には、立派な離宮が建つ。そこでは、彼らが不自由することない。中央にとって、アレクセイを始めとする前政権の勢力を、新生ガザフから完全に切り放すことが目的であった。
ガイアは、ティアズストーンを持って逃げ去ったガザフ軍部隊を追撃させた。
王朝の再興を願ってティアズストーンを持ち去った部隊と、ガイアが送った部隊とが交戦し、ガザフ軍部隊を壊滅させたが、必死の捜索にも関わらず、ティアズストーンは見付けられなかった。
ティアズストーンは行方知れずとなった。この失態はガイアにとって大きな痛手となり、彼を利用するだけ利用し、必要が無くなれば取り除くことを目論んでいた元老院にとって、格好の口実が出来たのである。
遠征軍は解散し、多くの将兵は帰国したものの、主要部隊は残って戦後の混乱による暴動の恐れのあるセベルスクの治安のために、しばらく駐留することになった。
その間、早馬の乗る伝令がセルシオンにいる元老院からの手紙を届けた。
誰もが遠征軍の勝利に喜んでくれているものと思っていたのだが……。
セルシオンから届いた元老院の手紙を読んで、マルスは怒りを募らせた。
『許可無く王の処刑を取りやめ、流刑にしたこと。宝玉の奪還に失敗したことなど、この責任をどう取るのか……』
この手紙には、不本意な戦いであったと書き記されていた。
「何故だ、何故我々を誉めてくれぬ。ねぎらいの言葉を掛けてくれてもおかしくはないだろう。我々は、覇権を握ろうとしたガザフを倒したというのに、元老院は、この戦いは数の上で遠征軍が圧倒している、勝って当たり前だと思っているに違いない。そして、いち王国の反乱に過ぎないとしか見てはいないのだろう。我々がどれほどの苦労をして勝ち得た勝利なのかを、分かってはいない」
「そうだ。砲弾の中をくぐり抜け、死と隣り合わせの戦場の中で必死にビクトリアのことだけを思って戦ってきたというのに。これでは、死んで行った者達に、なんと言って詫びればいいのか。実際に戦い、勝利したのは我々なのだ。元老院はただ、安全な宮殿の中にいて我々に命令するだけではないか」
諸将の元老院への不満は高まった。
「この戦いの目的は、ガザフを倒すこともありましょうが、世界支配の象徴でもある、宝玉の奪還も大きな使命だったはずです。戦勝をもたらした陛下の力が、今以上に増大することを恐れた元老院が、宝玉奪回の失敗を口実にして、権力の座から引きずり落とす考えなのでしょう」
ただ一人、シュタイナーが冷静に言った。
「宝玉奪回の失敗は、世界に真の皇帝を宣言する唯一のチャンスを逃したことになり、これで我々も、元老院には頭が上がらなくなってしまったな」
とマルスが悔しそうに言った。
「失った物は仕方がない。諦めるしかないだろう。そもそも、我々は宝玉が欲しくて戦いをしたのではない。世界の平和のために戦ったのではないのか」
ガイアは不満を漏らす諸将をなだめた。
戦いに勝利したものの、大義を失い、場内は重い空気が漂っていた。
玉座の間で、諸将並びに、ガザフの要人達を集めて講和会議が開かれた。
敗戦国ガザフの処置について両者は話し合った。
『一つ、グリフィス城を廃城し、エノバに遷都すること。
一つ、独裁制を廃止し、国民に開かれた政治を行うこと。
一つ、新しい王には、アレクセイの一人娘であるルイゼ王女を王位に即けること。
一つ、女王の補佐する後見人を遠征軍側から出すこと……』
などをガザフに突き付けた。
ルイゼ王女は五歳になったばかりで、実質上の運営は、中央から選ばれた王女の後見人がガザフを取り仕切るのである。
ガザフ側はこれらの要求を全て呑んだ。
ガイアはガザフの要人達の前に一人の男を紹介した。アルプス越えの時、皇帝軍を先導したミールである。
ガイアは約束通り、彼をガザフ人民の代表として政治に参加させたのだった。
また、ガイアは戦功として諸王国に青銅砲を与えた。
青銅砲はビクトリアの王権に欠かすことが出来ない神器である。
マルスが慌てて言った。
「陛下! 青銅砲はビクトリアの神器です。それを勝手に恩賞として諸国に与えては…」
「構わん。青銅砲は一門あれば充分だ。オレは、力による支配を避け、話し合いによって諸王国と共存して行きたいんだ。そのためには、青銅砲という強力な武器は無用の長物。力によって相手を屈服させるのではなく、お互いが同じ立場にいて、そこから僅かの利益を得る。これが理想の政治ではないのか。そのためには、ビクトリアが今以上に強くなり過ぎてはならない」
ガイアの信念のこもった言葉に、
「陛下の言われる通りだ」
諸将は納得し、深々と頭を下げた。
おごり高ぶることのないガイアに、皇帝たる由縁はそこにあるのではないかと諸将は気付き、彼らは改めてガイアに忠誠を誓ったのだった。
その後、幼少の女王を補佐する者を誰にすべきかを話し合った。
すでに元老院が任命した補佐役がガザフに向かっていたが、彼らは誰が一番の適任者であるのかを、あえて話し合った。
席上、ガイアは立ち上がり、ある男の名前を言った。
「オレは、召輝に補佐役になってもらいたい」
と、召輝の名を挙げると、
「オオーーッ」
「それは、良い。適任者ではないか」
という声が上がった。
「召輝殿は陛下の昔からの親友だ。元老院の派遣する補佐役よりも確かだ」
マルスが言うと、
「補佐役は、遠方のガザフを監視する重要な役目であります。それ故、陛下と心の通い合う召輝様をおいて他にはいません。これによって中央とガザフとの和平は保たれるでしょう」
と、示し合せたようにシュタイナーも同意した。
諸将もこれに賛同し、拍手で召輝を迎えたのだった。
「私に、こんな大役は勤まりません」
慌てて辞退しょうとする召輝に、
「心配することはない。ただ女王のおもりをしているだけで良いんだ。お前にも、それくらいのことは出来るだろう。あとには、優秀な側近達が控えている、何も心配することはないんだぞ。このオレでさえ、一応、皇帝を務めているんだからな」
と、ガイアは笑いながら言った。
「本当に、私でいいんですかね」
と、いつものように頭を掻きながら召輝は言った。
「これはオレ一人が決めたことではない。この席にいるみんなで決めたことだ。大人しく、従ってもらうぞ」
「はい! 分かりました。それで、陛下の、お役にたてるのなら」
覚悟を決めた召輝が力強く返事した。
そこへ、突然、ルイゼ王女が入って来た。
女官達の止めるのも聞かずにルイゼが入って来た。
これを見たガイアが召輝に、
「行ってやれ」
と肩を叩いて合図する。
召輝は、そろりとルイゼ王女に近付いて優しく声を掛けた。
「女王陛下、私がジイですよ。欲しい物があれば、このジイめに、なんでも言って下さい」
だが、ルイゼ王女は召輝を睨み付け、
「お父様を返して。どうして、お父様を追いやったの。どうして、どうして。私は貴方達が嫌い。早く、ここから出て行って!」
と泣きながら召輝の胸を力一杯に叩いた。
その叩きは痛くなかったが、召輝の心の中に鋭く突き刺さった。
慌てて女官が女王をなだめるも、この様子を見ていたガイア達は何も出来ず、ただそれを見守ることしか出来なかった。
ガイアは、戦後、未だに大きな傷跡が残っているのだと気付き不安に思うのだった。
次週で最終話になります。引き続き、読んでもらえたら幸いです。