皇帝への道 2
元老院の命を受けて、周大は二万の中央軍の精鋭を率いて同盟軍を迎え撃つべく出撃した。
シュタイナーは兵力が少ないことよりも、周大の意欲の無さを心配した。
当の周大は、この戦いが自分を皇帝にするための戦いであることに、気の進まない出撃となった。
二万の周大軍は騎兵を中心とした機動部隊であり、驚異的な早さで進軍した。
周大軍は同盟軍の虚を突き、有利な小高い丘に布陣し十万の同盟軍と対持した。
すかさず、シュタイナーは別動隊を組織し、同盟軍の後方の補給部隊を奇襲した。
同盟軍は大軍故に、大量の食糧を必要とする。兵糧は同盟軍にとって生命線であった。
シュタイナーは、同盟軍の食糧を絶って戦意を無くそうとした。
周大軍は、兵糧を失い一気に勝負を付けようとする同盟軍兵士達のはやる気持ちを駆り立て、戦闘を優位に進めていた。
シュタイナーはまともにぶつかり合うことを避け、奇襲攻撃によって同盟軍を翻弄した。彼は兵糧が尽きた同盟軍が撤退することを狙っていた。
だが、同盟軍を指揮する王弟ハリーも負けてはいなかった。
彼にも意地があり、王位に即くという野望があった。そのために兵糧が尽きても撤退はしなかった。
同盟軍は見る見るうちに痩せ細っていった。
この様子に見兼ねた周大は、独断で苦境の同盟軍に食糧を与えた。
そして、周大は戦線を離れた。この戦いが無意味に思えてきたからである。
周大の施し(ほどこ)しによって同盟軍は息を吹き返し、戦いは泥沼の長期戦へと発展した。シュタイナーの恐れていたことが起こったのである。
長期戦になれば兵力で勝る同盟軍が有利である。同盟軍は周大軍を包囲し、むやみに攻撃を仕掛けなくなった。
同盟軍は周大軍の意表を突く奇襲を恐れて守備に徹したのだった。
戦場にはいつの間にか雨が降り、何日も降り続いた。
雨は止む気配もなく、包囲する側、包囲される側の兵士達の熱を奪って行く。
当の周大は、日課のように一人、戦場を見て回っていた。
戦線を放れ、戦う意欲の無くなった周大は雨にうたれながら、睨み合いの続く戦場を見渡していた。
彼は、お互いが傷付かず、早く戦いを終わらせることは出来ないものかと、そればかりを考えていた。
追い詰められた周大軍は一気に決着を付けるべく作戦会議を開いた。
この席で同盟軍との決戦を明日に決めたのである。
あくまでも周大の気持ちの変わるのを待っていたシュタイナーも、度重なる諸将の要請を断わり切れず決戦を決め、明日の戦術を諸将に話した。
決戦を明日に控えた周大軍の本営に、思わぬ客人が訪れた。
同盟軍の指令官である王弟ハリーが、僅かな護衛に守られて遣って来たのである。
「何故、我らを追い詰めながら攻撃を仕掛けなかったのだ。そればかりか、敵に食糧を与えるとは……お前達の行動が私にはさっぱり分からぬ。そのことを聞きに遣って来た。聞かせてくれ」
ハリーは難解な行動を取る周大軍の真意を知りたくて、危険を犯してまで敵の本営に足を運んだのだった。
「我らが主シュウダイ様は、目の前で困っている人をほってはおけない御方です。それ故に貴方方同盟軍を追い詰めても、自身の立場を顧みることなく、それ以上の攻撃を制止したのです」
「馬鹿な、敵に情けを掛けるとは、将としての器ではない。何故お前達は、そんな奴と行動を共にするのだ」
「確かに、シュウダイ様は将としての器ではありません。しかし、シュウダイ様は人を慈しむ心を誰よりも多く持っています。そんなシュウダイ様が私達は好きで、損得無しに従って付いて来ているのです。元老院は、私達が戦いに勝利すれば、その功績を認めてシュウダイ様を皇帝にすると約束しました。ですが、肝心のシュウダイ様には戦う意欲がありません。この戦いは、私達が嫌がるシュウダイ様を説得して、無理矢理連れて来た戦いなのです。私達がシュウダイ様に皇帝になってもらいたくて望んだ戦いだったのです」
「皇帝という権力が自分のものになるというのに、シュウダイとか申す男は、それを望まぬと言うのか……」
ハリーには納得がいかない。
丁度その時、途方に暮れた周大が本営に帰って来た。
「――シオン様、否…」
思わず王弟ハリーの口から漏れる。
大柄な周大が、亡きシオンに見えた。
周大は、目の前にいる男が王弟ハリーであることを知って、慌ててひざまずいた。
「お前は、皇帝になるために戦いに参加したのか?」
と、憔悴し、ひざまずいている周大にハリーが問うた。
「その通りです。全く恐れ多いことです。私は、頭の悪い私は自分なりに考えました。どうしたら戦いを終わらせられるのだろうかと……」
ハリーは、周大が降伏するように説得するものだと思っていた。
だが、思いもしなかった言葉が彼の口から出た。
「どうかハリー様、自らの手で私を殺して下さい。そうすれば、私を担ぐこれらの者達は諦めて、戦いは終わるでしょう。どうか、私を殺して下さい」
居合わせた諸将は勿論、これにはハリーも驚いた。
「……分かった。望み通りにしてやる」
平伏したままの周大が、やつれた微かな声でシュタイナーに言った。
「シュタイナーよ、すまぬ。お前の望みも、オレの夢も叶えられそうにない。オレはもう限界なんだ、許してくれ」
「なんで、兄貴が死ななければならないんだよ……」
召輝が猛反論するも、見守るシュタイナー達には何も出来ず、悔しそうに唇を噛み締めていた。
周大の望み通り、斬られようとする彼を見てヘンリーは言った。
「ひとつ、お前に聞きたい。お前に欲は無いのか。お前の目の前には、皇帝という途方もない権力があるのだぞ。それを諦めるというのか」
「私にも欲があります。それも、大きな欲です」
「ほう、大きな欲がお前にはあるというのか。その欲とは、一体なんだ?」
「争いの無い世界、それが私の欲です」
「争いの無い、世界……」
「はい。私は、山岳地帯で育ちました。そこから見下ろした世界は広く、大地に根を張って生きる人間が小さく見えました。人は寄り添って生きるもの、決して争ってはならないのだと気付きました。この時私は、争いの無い世界にして見せると心に誓ったのです。更に、崇拝するシオン様も私と同じ夢を持って戦っていたことに私は勇気付けられました。この世に一人ぐらいいても良いではないですか。自身の出世や幸せにとらわれることなく、この広大な大地に生きるものの全てのために命を捧げる者がいても……。それがなんだか、私達人間がしなければならない義務のように思えて……」
無欲の周大にも欲があり、それは一心に争いの無い世界を願うことだけに動いているのだと、居合わせた諸将は知った。
ハリーは大きく頷くと、周大の前でひざまづいた。
「ハリー様?」
死を覚悟していた周大はハリーを見た。
「恐れ入りました、シュウダイ殿、いいや、シュウダイ様。私は心に強い衝撃を受けました。こんなこと初めてです。この世に、こんなにも清らかな方がいることに驚くと共に、嬉しくなりました。貴方には皇帝としての器があります。私は貴方方の五倍もの兵力を有しながら撃ち負かされました。それに私はノルマン国の王位に目がくらみ、自身の野望のために戦ったのです。なのに貴方は、皇帝という権力になんの関心も持たず、ひたすら世界の平和だけを考え、死のうとする、その一瞬の時まで思っていた。貴方無くして、誰が皇帝になれましょうや。大地のように沸き上がる力がシュウダイ様にはある。上に立つ者は、自ら望むものではなく、望まれるものでなくてはならない。私からもお願いします。是非とも、皇帝になる意欲を持って下さい」
「……それでは、兄上であるウイル王の命に背くことになります」
「いいや、いいのだ。私が説得する。兄上もきっと分かってくれるだろう。それも、喜んでシュウダイ様を迎え入れるでしょう」
「では、戦いは終わったのですね。こんな無意味な戦いは」
「勿論です。こんな無意味な戦いは一刻も早く終わらさなければなりません」
敵対する立場の二人が、この時初めて笑顔を見せた。
誰もがホッとしたその時、シュタイナーが、ある恐ろしい情報を打ち明けた。
「実は、急いでセルシオンに帰らなければなりません。元老院が私達を討つべく兵を召集しているのです」
「元老院が何故、我らを討つのだ。それに、我らを討てるとでも思っているのか」
セルシオンで何が起こっているのかマルス達には分からなかった。
「元老院には青銅砲という切り札があります。これがどういう意味か御分かりですか。青銅砲は皇帝と共に動くものです。神格化された青銅砲を動かすということは、戦いに勝つ、負けるという問題ではなく、青銅砲を持つ元老院が正義となり、我々に逆臣の汚名が着せられるのです。つまり、元老院は私達の約束を破ったばかりでなく、実権を手放さないという宣言でもあるのです。ですが、そんな元老院に我々は弓引くことは出来ません。逆臣の汚名を着せられては、諸国はシュウダイ様に従わなくなりますから」
「それでは約束が違う。我らは、なんのために戦ったのだ。今こうして終息に向かっているというのに、一体どうすれば……」
マルスは怒りと共に困惑した。
「まだ、諦めてはいけません。一刻も早くセルシオンに帰り、元老院の企みを阻止しなければなりません。元老院との争いを避け、ビクトリアを一つにまとめなければならないのです。恐れ入りますがハリー様、私達と行軍を共にし、セルシオンまで来てもらいたいのです。七王国筆頭であるノルマン国が後ろ盾になってくれれば心強いのですが」
「それで、シュウダイ様のお役にたてるのなら、喜んで」
快く引き受けてくれたハリーに、
「共に、シオン様の夢見た世界を築きましょう」
と周大は言って力強く手を握り、固く誓ったのだった。
翌朝、ハリーは中央軍に降伏し、周大軍の軍門に下った。
これによって、ノルマン王国を盟主とする同盟軍は戦う大義を失い、ネバダ軍とメシカ軍はそれぞれ陣を退き払って国元に帰って行った。
周大軍とそれに付き従うノルマン軍は急いでセルシオンに向かう。
「シュタイナーよ、お前はあえて軍を残したのだな、元老院に我らを討たせるために」
と、マルスがシュタイナーに聞いた。
「これは賭です。我々が勝つか、元老院が権力を握るかの賭です」
「そして、我らが勝利することも計算づくであったのだな。たいした奴だ。と同時に、お前がいてくれるお陰で、俺達は安心してシュウダイ殿の下で働けるというものだ」
とマルスは安堵の溜息を付き、シュタイナーを見ながら笑った。
「ありがとうございます。これも全て、シュウダイ様の御人徳によるものです。私一人の力では決してありません。シュウダイ様は太陽の如き御方です。全ての人に対して等しく光を与えるような、そんな御方なのです。当初私は、祖国ザルツのためにシュウダイ様に近付きました。しかし、今は違います。祖国のためではなく、シュウダイ様の下で働けることを喜びに思えるのです。お互いの祖国や生まれ育った文化の差を抜きにして、あの人の喜ぶ顔が見たい、あの人の夢を叶えてあげたい、あの人の下でいつまでも働きたい、そう私は思うようになりました」
「それは俺も同じ思い、シュウダイ殿のために命を捧げるつもりだ」
二人は前方にいる周大を見詰め、夢の実現に向かって新たな決意をした。
周大軍とそれに従うノルマン軍はセルシオンに向かった。
文字通り、皇帝への道を周大は進んで行ったのである。