祖人の予言
『愚かなる愚人は、たった一つ、我々に大いなる遺産を残した。それは太陽のように輝き、汚染された大地から我々を守る。
九つからなる世界に、二人の英雄が現れ、世界を二分する。そして、一人の英雄がもう一人の英雄を倒し、世界を一つにまとめる。だが、魔王の復活によってその英雄は死に、世界は乱世となる。
その後、神に選ばれし二人の男が、その意志の通じるをもって、世界を一つにまとめる。その時、再び神が地上に降臨し、神の力によって、我ら子孫が千年王国を創るであろう』
聖地エ・アーズロックに書かれし予言書より
シオンの死から一年、セルシオンは喪に服した暗い一年が過ぎ、明かりを取り戻そうとしていた。
サン・シンプソン宮殿の中庭にはシオンの廟が建てられ、リベルを始めとして殉死した忠臣達の墓も、シオン廟を護るようにして建てられた。
また、シオンの功績を称えて、大帝という贈り名がシオンに与えられたのだった。
新太陽暦六年、シオンの遺児・スカイが、諸王の期待に応えて二世皇帝として即位した。
この時、スカイは三歳。サン・シンプソン宮殿の大広間で行われた即位式には、各国の王族を始め、要人達が出席していた。
やがて、しっかりとした足取りでスカイは諸王の前に現れ、目の見えない母親であるセーラの手を握り締めたまま、玉座に座った。
スカイの皇帝即位に伴って皇太后となったセーラは、皇帝の母として絶大な発言権を持つことになる。
そんなセーラは、未だにシオンの死から立ち直れず、死に追いやったザルツを憎んでいた。
「陛下、お言葉を」
とセーラがスカイに促し、自分の思いを託した言葉をスカイが発しようとした時、
「しばし、お待ちを」
宰相ゼノンが遮るように先に言った。
新帝スカイの発言を封じたゼノンに、場内がざわついた。
「即位された二世様は、まだ幼い。よって、ここにいる十人の貴族から成る元老院が、ビクトリアの、いいや、世界の決まり事、政治を行うことにしたい」
彼の発言によって、それまで皇帝の補佐に過ぎなかった元老院が、政治の表舞台に立つことになった。
僅か三歳の皇帝スカイ。シオンのように自ら政を執るのは難しい。廷臣達の合議で支えていくというのは自然の流れである。
「ゼノン殿は?」
諸王の問に、
「私は」
とゼノンは言い掛け、
「私は、あくまで宰相として、元老院の決めたことを忠実に実行出来るよう助力致します」
セーラ皇太后に向かって言った。
名目上、元老院より下位の、低い地位の宰相に留まったことで、セーラに分からせようとした。
ゼノンの異例の発言は、彼の並々ならぬ覚悟の表れだった。セーラはこの時、ゼノンの言わんとしたことを悟り、自身の感情によって世界を動かそうとしていた事を恥じた。
そして彼女は、全てを任せますという意味を込めて、ゼノンに大きく頭を下げた。
「ガザフを、裏切り者のガザフをどうするのか?」
と、再び居並ぶ諸王の中から声が上がった。
「勝手に撤退し、その行いを謝罪する使者もよこさず、また、今回のスカイ様の即位式にも出席しなかった。これは明らかに我々に対する謀反ではないか。そもそも、大帝陛下を死に至らしめたのはガザフだ。このままガザフをほっておいては、皇帝陛下の治世の妨げになる」
「そうだ! 今こそ裏切り者の、ガザフを討伐するのだ!」
「唯一、ザルツと同盟を結んだガザフを倒せ!」
諸王は口々にガザフ討伐の声を上げた。
ゼノンは諸王の声を待っていたかのように、元老院の代表であるジンに向かって、
「ガザフ討伐、宜しいですな、ジン殿」
と念を押すようにゼノンは言った。
「勿論、我々元老院は全員一致で賛同します。ガザフが相手なら、何も諸国の力を借りずとも、我らビクトリアだけで倒して見せます」
ジンの強気な発言は、強国ザルツを倒した自信からくるものであった。
七王国最強を誇るガザフといえども、いち王国に過ぎない。ガザフを倒すのは簡単なことだと彼らは思っていた。
ガザフ討伐を、こうした楽観的な雰囲気が彼らの間に浸透していることにゼノンは案じた。
彼の不安は、ガザフという国からくるものではなく、ザルツの精鋭である十字軍が大量にガザフに流れていたからある。
ビクトリア帝国から厳しく処分を求められている、戦争犯罪人の処刑を免れるために、ザルツ王ルドルフは、十字軍の将兵を助ける延命策として彼らを国外に追放した。十字軍の殆どがガザフ王国を頼って、その配下に加わったのである。
ゼノンは、旧十字軍がガザフ軍の精鋭として一翼を担っていること恐れていたのだった。
「ゼノン様、そんなに不安にならなくても宜しいのでは。いち王国に過ぎないガザフなど、ひとひねりで潰して見せますよ。むしろ、奴らは自滅の道を進んでいます。セルゲイ公亡きガザフは今、後継者争いで崩れ掛かっていますから」
「そうであったな」
ジンの言った通り、ガザフ王国は後継者問題で内戦状態に陥っていた。
長年、ガザフ王国を統治したセルゲイは七十六歳で崩御した。
敵前逃亡の失態を知ったセルゲイは、そのショックで倒れ危篤状態が続いていたが、シオンを死に至らしめたことを嘆きながら彼は死んで行った。
セルゲイの死後、その後継者を巡ってガザフは大きく揺れた。正統な後継者であるアレクセイは、ニュルンベルグでの失態で家臣達の間から非難を受け、王位継承が危ぶまれていた。
かろうじて王位に即いたアレクセイは、ビロンという男を参謀として登用し、難局を乗り切ろうとした。
ビロンは後継者問題に揺れたこの一年の間に、突如彗星の如く現れた。
ビロンは右足が無く、義足を付けていた。もし五体満足であったなら、彼は優れた武将になっていたであろう。それほど彼は剣の使い手であった。足が不自由なため、ビロンは策略家として生きる決心をしてアレクセイに仕えた。
自分を取り立ててくれたアレクセイのために、ビロンは生涯を懸けた忠誠を誓ったのである。
ビロンの持つ優れた知略を頼って側近に取り立てたアレクセイは、彼を片時も放さずにいつもそばにいさせ、その知恵を頼った。
アレクセイはビロンに取り憑かれたように、彼の言いなりになって強硬な政策を押し進める。
ビロンの助言によって、アレクセイは王位継承で反対した者達を次々に暗殺した。
セルゲイに仕えた重臣達を事如く粛清し、自分の意のままになる家臣を側近に取り立て、独裁体制を敷いたのである。
そんなアレクセイに、ビロンは中央と戦うことを進言した。
「もはや、中央との戦いは避けられません。御決断を」
「……私が中央に服従を誓うと言っても、やはり、駄目なのか?」
「恐らく、中央は陛下を許さないでしょう。ガザフ討伐は必ずあります。陛下、代々仕えてきた重臣達を殺してまで手に入れた王位を、みすみす明け渡してはなりません。何より、陛下の命が危ぶまれます」
「中央が、私を殺すと言うのか?」
「シオン公を裏切り、死に至らしめた事実は変えられません」
「そ、そんな……」
アレクセイは青ざめた顔をして玉座に持たれ掛かった。
「そちは、いち王国に過ぎないガザフが、連合軍と戦って勝てるとでも思っているのか? 我々に勝機があるとでもいうのか」
「もはや、勝つ、負ける、という戦いではなく、生き残るために戦うのです。今こそ中央に虐げられてきた積年の恨みを晴らすべき時なのです」
「そうか……」
うな垂れるアレクセイに、
「我々にも勝機はあります。籠城戦です。旧都セベルスクにあるグリフィス城は難攻不落を誇っています。グリフィス城はガザフの財産です」
「あんな、愚人の遺構が、財産だとは……」
「グリフィス城に立て籠もる一方で、合力する旧十字軍をセルシオンに向かわせるのです。ビクトリアを憎む彼らは、必ずや、我々の期待に応えてくれます」
「期待に応えるだと……。ビロン、一体、何を企んでいるのだ」
「人間には誰しも欲というものがあります。その欲を、世界の支配権を餌に、結束している連合軍を切り崩します。彼らを、支配権に取り憑かれた亡者にして見せます。何も、陛下だけが逆臣の汚名を着ることはなのです。諸王にも悪者になってもらいましょう。どちらが正義か悪か、それは力で勝ち取って行かなければなりません。ビクトリアに取って代わり、ガザフが正義になるのです」
「……」
ビロンの言った期待という真意を、アレクセイはあえて問わなかった。
その答えが何か恐ろしいものに思えたからである。だが、アレクセイはビロンに全てを任せた。そして、グリフィス城に居城を移し、中央に徹底抗戦で立ち向かうことをアレクセイは決意したのだった。
アレクセイは、ガザフの東南に位置したセベルスクに王都を移した。
居城のグリフィス城は、背後にアルプスに囲まれた天然の要塞である。城を守る城壁は、愚人達の築いた重力ダムを利用した城壁で、その堅固な姿から『鋼鉄の扉』と呼ばれている。
アレクセイは難攻不落を誇ったグリフィス城に立て籠もり、連合軍の攻撃を阻止しょうとした。
一方、連合軍の主力を成す中央軍は、シオンという指令塔を失ったことで、統率する者が不在であった。
その中にあって、猛将と呼ばれたマルスという若者が中央軍を指揮した。
シオンの死後、マルスは中央軍の中でめきめきと頭角を現してきた。死ぬ者もいれば生れて来る者もいる。
シオン亡き後のビクトリアにも、多くの優秀な人材が育っていたのである。
マルスは二世皇帝即位に際して、新たに選ばれた十二神将の筆頭であり、中央軍切っての剣の使い手でもあった。
マルスはシオンの死で、まるで別人のように変わった。目的のためには手段を選ばない、冷酷な人間に変わってしまった。
強硬なマルスとは反対に、情が熱く人徳のある男として、中央軍の中では少数ではあるが支持を受けている若者がいた。漢人の周大である。
全く正反対の二人は、シオンの残した愛馬ペガサスを巡って争ったことがあった。
……マルスは中央軍を統率するために、シオンの残したペガサスをなんとしても手に入れたかった。
マルスの念願が叶い、元老院からペガサスが拝領された。その際、マルスがペガサスを手懐けていたが、なかなか言うことを聞かない。
マルスが嫌がるペガサスに無理矢理乗ろうとして落馬してしまった。
それを見ていた周大は大声で笑った。百騎馬隊長と言う低い身分であるにも関わらず、周大は上官であるマルスを笑った。
周大は嫌がるペガサスを見兼ねて笑ったのだが、マルスは多くの兵士達の前で恥をかいたのと、侮辱された怒りとで思わず剣を取り、周大を斬ろうとした。
だが周大は臆せず、マルスを睨み付けて言った。
「馬が嫌がっているだろう。馬にも、人間を選ぶ権利があるのではないのか」
「貴様! 口の聞き方を知らぬようだな。身分はいかほどか、申せ!」
「百騎馬隊長の周大だ」
マルスは剣を納め、不敵な笑みを浮かべながら、
「ほう、ならば、お前は、この馬を手懐けられるとでもいうのか? この俺でさえ手懐けられなかった馬だぞ」
「もし、オレが馬を手懐けられたなら?」
「その馬をお前にくれてやる。その代わり、手懐けられなかったら、上官を侮辱した罪でお前をこの場で殺す。いいな!」
「分かった。馬を手懐けたなら、この馬は俺の物になるのだな」
「兄貴ぃ! そんな約束をして、大丈夫なんですか? 本当に殺されますよ」
周大のそばで、弟分である召輝が心配そうに言った。
「なるように、なる」
召輝の心配をよそに、平然として周大は答える。
「なるようになるって、もし、手懐けられなかったら、どうするんですか?」
「その時は、その時だ」
「兄貴はいつも、思い付きで行動するんだからぁ」
呆れる召輝だった。
周大はペガサスに近付き、その顔をじっと見詰めた。
ペガサスは、巨漢の周大がシオンに似ているだけでなく、シオンそのものだと感じ取ったのだろう、急に前足を曲げ、その場に座り込んだ。
周大は手綱を握りペガサスに乗ると、ゆっくりとペガサスは立ち上がった。
周大はペガサスに前へと合図すると、その通りに動き、彼が止まれと合図するとピタリと止まった。
見事に乗馬している周大の姿を見て、居合わせた誰もがある錯覚をした。まるでシオンが乗馬しているという錯覚に陥ったのである。
周大の手懐ける様を、余裕で見ていたマルスの顔が次第に青ざめた。周大はペガサスを手懐けたというより、ペガサスと一体になっていたからである。
これだけ多くの兵士の前で約束した以上、ペガサスを周大に与えない訳にはいかず、仕方なく彼は周大にペガサスを与えた。
周大は喜んで走れと合図した。周大を乗せたペガサスは勢い良く駆け出し、その場を走り去って行った……。
この出来事以来、中央軍内部において周大の名が知れ渡ることになった。
結果、マルスは周大を激しく憎み、二人の関係は修復不可能になってしまった。
手段を選ばない冷酷な武将マルス。そんな危険な人物に、元老院はなかなか中央軍を任せなかった。武人のマルスに権力が集中するのを元老院は恐れたからである。
だが、ガザフ討伐に際して、宗国であるビクトリアが諸国を指揮して行くためには、マルスの他に適任者はなく、二十万にも及ぶ大軍を統率する人物はマルス以外にいなかった。
否応なく元老院は、マルスを討伐軍の総指令官に任命した。
新太陽暦七年、ガザフ討伐出兵に際し、マルスは二世皇帝に謁見するために王宮に入った。
謁見の間でマルスは二世皇帝に拝謁した。そこには四歳になったばかりの皇帝スカイが、皇太后セーラの手を握りながら玉座に座っていた。
マルスはスカイの前でひざまずいた。
彼はスカイが立派に成人するまでの間、どんなことがあってもビクトリアを護り抜くことを誓っていた。マルスが冷酷な人間に変わったのも、ビクトリアを、幼帝のスカイを想えばこそ、スカイを目の前にして彼は、その意思は更に強まった。
やがて、侍従が一本の王剣をマルスに手渡した。
王剣は統帥権の象徴としてマルスに与えられ、ガザフ討伐の総指令官に彼が正式に任命されたのだった。
「ぎゃくしん、ガザフを、とうばつせよ」
あらかじめ練習していた言葉をスカイが発すると、
「ハッ。身命を賭して、必ずや、逆臣アレクセイを、皇帝陛下の御前にひざまずかせます。御安心して、お待ちしていて下さい」
マルスは力強く答えて、元老院を安心させた。
諸王国の軍隊が続々とセルシオンに集まって来た。
ノルマンの貴公子・王弟ハリー、そして、東方世界の勇・劉儀などの王国軍がサン・シ ンプソン宮殿の広場に集結し、中央軍指令官のマルスの指揮下に入った。
遠征軍はすぐさまガザフに向かって進軍した。
大帝シオンを死に至らしめたガザフを討伐することが彼らの大義であり、ガザフ討伐は復讐戦でもあった。
遠征軍の中に、強力な青銅砲は無かった。
青銅砲は、祖先の魂を受け継ぐ戦いの象徴とされ、皇帝と行動を共にする神器となった。それ故、常に皇帝のそばに置くことが決められていたからである。
皇帝のいない遠征軍に、勿論、青銅砲の使用の許可は下りなかった。だが、楽勝ムードの遠征軍は、青銅砲無しでも短期間でガザフを倒せると考えていた。
遠征軍は意気揚々とガザフ王国を目指して進軍したのだった。