新政府樹立
木戸俊光一等陸佐は、政治の中心である永田町へ向かった。
そこには、日本の司令塔である首相官邸が建つ。先の総理であった高木首相の暗殺の場であり、クーデターへのきっかけとなったのが首相官邸である。
首相官邸に着くと、多くの隊員がクーデターを成功させた木戸の元に駆け寄り、握手を求めて絶叫した。木戸は手を上げて彼らに応えた。
すでに永田町一帯は陸上自衛隊員に占拠されている。
さしたる政府の抵抗も無く、無血裏に官邸が明け渡されていた。隊員達は、これからの日本の指導者を憧れの眼差しで見詰め、官邸内へと我先に案内した。
木戸が人波を分けて官邸の中に入ると、そこには思いもしなかった二人の人物が待ち構えていた。
一人は、海上自衛隊の三島秀樹一等海佐であり、もう一人は、航空自衛隊の岸義明一等空佐であった。二人は共に、海上・航空両自衛隊の実力者であり、多くの部下からも慕われている人物である。
木戸は、彼らが何故この場所にいるのか、一瞬にして理解した。
二人は木戸の独走を阻止するために、力を合わせて木戸を待ち構えていたのである。そして、この時のためにある切り札を用意していた。
岸空佐は、温厚な性格で人望も厚く、それ故多くの部下に慕われている。
一方の三島海佐は、社会に対して常に反抗的な態度を取り続け、冷酷な男として恐れられているものの、政府に不満を持つ若い隊員達に慕われていた。
陸自の木戸が密かにクーデターを画策していることを知った三島は、政府の敗北を予期していた。
クーデター成功を確信していた三島は、いかに木戸の独走を阻止し、新政権の代表の一人として参加出来るかを考えた。そこで、同期の岸に声を掛け、海自だけでなく、空自の決起も促したのである。
三島と岸は共に木戸と同じ階級だが、年齢が一回りも上、当然人生経験も豊富で、幾多の困難を乗り越えてきている。二人がかりの牽制に木戸は不利な立場に立たされた。
呆然と立ち尽くす木戸に向かって三島海佐は言った。
「クーデター成功、お目出とう。我らも力を貸そう。オレは、八百名の部下と官邸に駆け付ける一方で、自衛艦隊を編成して東京湾へと向かわせ、海上封鎖することで政府勢力への援助を阻止するつもりだ。横須賀を出航した自衛艦隊は今頃、東京湾に集結し、首都に艦砲射撃を行うべく停泊している頃だろう。そして、オレの司令を待っている。いずれ、海上自衛隊四万人は、我が意のままに扱えるようになる」
「私も、三百名の部下と共に急遽駆け付け、各航空基地に司令を出した。爆弾を積み込んだ戦闘機をスクランブル待機させ、私の一声でいつでも空爆で出来る手筈となっている。私も航空自衛隊四万人は盟約済みだよ。政府にどれだけの力が残っているか分からないが、これだけのことをされれば、政府もうかつには手を出せまい。木戸君、今や日本は、我らの思いのままになったのではないかな」
畳み掛けるように岸も言った。
「……」
木戸は野望が遠退いたことを痛感し顔色を変えた。
彼らの言った通り、この混乱に乗じて二人は所属する司令部を占拠していた。
岸空佐は中部航空方面隊を、三島海佐は横須賀地方隊をほぼ手中に治め、首都圏はいつでも攻撃出来る体勢にある。
二人はあくまで『政府勢力を押さえるために出動を命じた』と言っているが、今の政府は形だけの存在であることは明白であり、それが自分の独走を押さえる切り札だと分かっていた。
二人もまた、権力の座を狙っていることを、この時はっきりと確信したのだった。
三島は、木戸の肩をポンと叩くと、官邸の奥へと彼を案内した。
初めて入る官邸内は、何か威厳に満ちた空間に被われているようで、日本を動かしてきた閣僚達の古巣として、木戸はその重々しい歴史を肌で感じた。
当然の如く指導者としての実感が沸いてくる。ただ、目の前にいる二人の人物、特に三島さえいなければ思いのままになるのだが、と、その存在を煙たく思った。
官邸内には彼らの部下が数十人ほどしかいなかったが、中庭を見回すと、数百人規模で待機させているのが見えた。どうやら自分に威圧を掛けているのだろうが、そんな脅しに動じる木戸ではなかった。
内閣組閣後の記念撮影が行われる階段、二階から三階へ繋がる階段を上って最上階の五階に行くと、政界の司令室と言われる総理執務室に向かった。
三人が執務室に入ると、テーブルの上に何故か三つのグラスが置かれていた。
三島は機嫌良く総理の椅子にゆっくりと座り込んだ。
深く沈むように包み込む椅子を三島は気に入った様子で、
「さすが一国の首相、総理大臣の椅子というものはなかなか座り心地が良いものだな」
とその椅子に執着し、座り込んで離れようとしない。
見兼ねた岸が、
「オホン、オホン」
とわざとらしく咳払いをして、三島の態度を注意した。
「これは失礼、見苦しい所を見せてしまった。オーーイ! 例の物を」
部屋の外で待機している部下に三島が言い付けた。
三島は部下に一本のワインを持って来させると、自慢するように木戸に言った。
「さあ飲んでくれ、このワインは最高級だそうだ。ここに来る途中で、貰ったものだが、この目出たい日を祝して乾杯といこう」
なるほど、三つのグラスはこのために用意されていたのか。まさか、このワインの中に毒が仕込まれているのでは……。
と木戸は思ったものの、自分に何かあれば官邸の外に締め出されている自分の部隊が黙ってはいない。
そのことを一番良く知っているのは彼らの方なのだから。
「おいおい、貰ってきただと、この混乱の中で盗んできたのだろう。これから我ら三人が日本の指導者となろうという時に、その指導者が盗みを働いては、日本の舵取りも危ういかもしれんな」
と岸は、さり気なく『三人』という言葉を加えて木戸を牽制した。
「まあ、そう固いことを言うな。ワインとて、我らに飲まれれば本望だろう」
そう三島は言って乾杯し、三人はワインを酌み交わした。
木戸はワインに映る自分の瞳を見詰めると、今までの苦労を思い出した。
一体、誰がクーデターを成功させたというんだ。
自分一人が権力の座に上り詰めるはずだったのに、と、いつのまにか我を忘れ険悪な顔つきになっていることに気付き、そっと二人の顔を見やった。
二人は満足そうにワインを味わっていて、自分の敵意ある顔を見てはいなかったことに安心するや、グラスで顔を隠すようにして一気にワインを飲み干した。
「さて、新しい政権を打ち立てるにしても、日本中の国民に政権の交代を分からせる必要がある。それには大きな演出が必要なのだが……。東京の人々は我々の進攻を間近で見て、否応なしに政変が分かっているだろうが、日本各地の人々は、今だに政変が実感出来ていないはず」
と岸が言うと、三島は大きく頷きながら、
「オレが考えていたことなのだが、政権が我々の手に映ったことを知らしめるのに格好の獲物がある。それは議会政治の象徴でもある国会議事堂だ。その議事堂を、人々の目の前で破壊させれば、政変を分からせるための格好の演出となると共に、我々の力を見せ付けることが出来るというもの。国会議事堂の前には、各テレビ局のカメラを並べ立たせ、この様子を一部始終映し出す。国民はテレビの前に釘付けとなり、我々の力を知るだろう。新政権誕生の瞬間を見せ付け知らせるためには、マスコミの力を借りない手はないからな。今や報道機関は我らの手の中にある。だから大いに利用すべきだろう。早く新しい政権を打ち立て、全国に吹き荒れる動乱の嵐を鎮め、日本を良き方向へと導かなくてはならない。そのためにも政府の息の根を絶ち、腐り切った政治に終止符を打つ! その使命は、我ら三人に課せられた義務と言えよう」
身振り手振りを交えながら三島が説明した。
「三島の考えは、いつも豪快だな。だが、インパクトはある。実に妙案だ。そうは思わないか、木戸君」
まるで示し合せたようしたかのように岸が返事し、木戸に意見を求めた。
「……それは、良い考えですね」
あえて笑顔をつくった木戸も賛同した。
こうと決めると、彼らの行動は素早かった。
だらだらと決めあぐね、行動も遅い政府の組織とは違っていた。
翌朝、首都東京に戒厳令が敷かれ、出動命令を受けた戦車部隊が国会議事堂へ向かった。
昨夜のうちに雪から変わって降りだした雨は止む気配がなく、雨の中、彼らの考えた演出がシナリオ通りに開始され、実行されつつあった。
地上には戦車が、空からは爆音と共に飛来した攻撃用ヘリが議事堂上空で停止したまま攻撃命令の下るのを待った。
警戒に当たった隊員達は、自動小銃を持って議事堂周辺を一直線に並び立ち、雨に打たれながら命令の下るまで微動だにせず、統率力を見せ付けた。
午前十時、民主主義を死守しようと最後まで議事堂に居座り続けた議員が連れ出されたのを、その場から離れた、官邸の四階にある大会議室の大型スクリーンで見ていた木戸は、
「攻撃開始!」
ためらいなく議事堂攻撃の命令を下した。
『ドゴォーン』
『シュバーン』
戦車の砲弾と攻撃ヘリのミサイルが、標的である議事堂を狙い打ちにした。
休みなく一斉に攻撃を加えられた議事堂は崩れ出し、大正九年から十七年の歳月を掛けて完成して以来、様々な歴史を積み重ねて来た議事堂は、跡形もなくガレキの山と化した。
あとには、長年議事堂にまとわり続けたホコリと土煙だけが、ただゆっくりと風に流され舞っている。
舞い上がったホコリは雨に打たれ、政府の終焉と共にそれまでの歴史が洗い流されるようで、それに代わる新しい政権に勝利の祝砲を打ち鳴らし、全国に政変を知らしめたのだった。
これを見届け、木戸、三島、岸の三人は大会議室を出ると、一階の記者会見室へと向かった。
会見室では、多くのマスコミが世紀の一瞬を映し出そうと待ち構えている。
三人が来ると、カメラは何故か木戸の方に集中しその姿を捕らえようとした。
世間の関心は木戸へと向けられていたが、この視線を感じ取った三島は大きく咳払いをしてマスコミの視線を自分の方へと向けさせると、声を大きくして言った。
「このクーデターは、国民のためを思い決起したものであって、決して軍部が権力を握るために画策したものでないことを先に述べておく」
とクーデターの正当性を強調したあと、
「政府を排し、新しい政権を打ち立てることを、ここに宣言する。我ら自衛官による軍部主導で政治を行い、クーデターによって日本の危機を救った自衛隊を正式に国軍として、他国と同様に陸軍・海軍・空軍と改名する。しかし、アジア諸国の脅威にならないように十分に配慮しながら、軍備の増強はせず現状維持し、あくまで専守防衛に徹する。我々は国民の支持を得るため、一刻も早くこの不況を乗り越え、日本経済を立て直し、必ずや国民の期待にそうことを約束しよう」
自信溢れる態度で、堂々と三島は宣言した。
木戸・三島・岸の三人の実力者によって新政権を樹立し、内外に宣言した。
この放送によって、首都圏だけに留まっていた勢力は、日本の隅々まで行き渡る全国政権へとのし上がることが出来き、長く続いた動乱に終止符を打つべく、国民に期待されて日本に軍事政権が誕生したのである。
こうして東京を混乱させ、日本中を震憾させた魔の二日間は、新政府の誕生によって一応の鎮まりを見せたのだった。
木戸・三島・岸の指導者は、三人の話し合いによる三頭政治の協力態勢を取り、日本を統治していくことになってはいたが、隊員二万人を要してクーデターを成功させ、陸上自衛隊総員十四万人の軍事力を有する木戸は、三人の中で突出的な存在であった。
だが彼はまだ若く、政治に関する経験に乏しかった。三人の力関係は微妙なものであり、隙があれば上に立とうとお互い考えていた。
木戸は、自分一人の手に権力を集中させるという野望への布石を敷くため、政権維持強化のために、広大な議事堂跡地に軍隊を駐屯させては、と提案した。
政権の安定と治安確保のために、すぐに出動出来る軍隊が必要であると考えた三島と岸も、この木戸の案に賛同した。
これに伴い、議事堂跡地を突貫工事によって整備し、兵舎を建てて三千人規模の駐屯地を完成させた。
それらはクーデターに参加、活躍した木戸の部隊で構成され、首都の治安を守る名目で『首都警備隊』と命名し、新政府直属の親衛隊として、新政府を守る軍隊となった。
木戸は、身の回りを忠実な自分の部下で固めることよって、遠ざかった野望に一歩近付くことが出来たのである。
雨の降りしきる中、首都高速と国道一号線、二十号線からトレーラーにより最新鋭の戦闘車両が次々に運ばれて来て、速やかに配備が行われていった。
この様子を見に来た多くの市民は、新政府の力を実感し、期待と不安の中、いつ止むとも分からない雨の中で彼らを見守っていた。
それにしても、この雨はいつ止むのか……。
更に激しさを増して降り出した雨は、新政府への不安を募らせ、この先に起きる危機を案じずにはいられなかった。