最後の闘い
死闘を繰り広げていた宮城内は、一瞬にして静まり返った。
瓦礫の中にいたシオンが、微かに動いた。
「……ここは?」
と、余りの衝撃で、何が起こったのかを忘れていたが、次第に思い出してきた。
「そうか、あの時……。みんな、どうなったんだ」
シオンは慌てて周りを見回した。
真っ暗な通路の中で、所々に穴の開いた壁から外気の光が差し込んでいる。
そこに、瓦礫の中に埋もれているリベルを見付けた。
「リベル! 生きているのか?」
シオンの言葉で目を覚ましたリベルは、
「大丈夫です。ただ、足をやられて動くことが出来ません」
リベルの足の上に柱が倒れ、彼の足を骨折させていた。
「ここにいては、いつ崩れ出すか分からない。一刻も早くここから脱出しなくては」
シオンはそう言いながら柱を押し出すと、リベルを引きずり出した。
「さあ、一緒に行こう」
「なりません、足手まといになるだけです。それよりも早く、態勢を立て直してカイザーとの決戦に備えるべきです」
「何を言っているんだ、俺はお前を失いたくない。共に生きて、我らの勝利を見届けようではないか」
シオンの言葉に、リベルは溢れるほどの涙を流した。
シオンは傷付いたリベルを抱え、ゆっくりと脱出を試みる。
勢いに乗った帝国軍は、諸王国軍をけちらし敗走させた。
だが、この帝国軍の動きがピタリと止まった。
態勢を立て直したシオンが主力軍を率いて向かって来たのである。
「チッ、もう回復したか。あと、もう少しのところで壊滅させていたものを」
と吐き捨てるようにカイザーが言って、馬首を返す。
数騎の親衛隊に守られたカイザーが、シオンの所に乗り込んで来た。
カイザーはシオンの前で止まると、
「このまま戦いを続けても、勝負は付かないだろう。やみくもに兵士の犠牲を出すより、大将同士の一騎討ちにて勝敗を決しようではないか」
そう提案したカイザーは、親衛隊が大事そうに持っている世界支配の象徴、ティアズストーンを取り、
「世界の支配権を賭けて闘い、負ければ潔くこの地から去る」
と言いながらティアズストーンを見せた。
シオンは大きく頷いた。
カイザーの言う通り、このまま戦いを続けても犠牲者を多く出すだけで、勝負は付かないだろう。そうシオンは思ってカイザーの提案に応じたのである。
「陛下、これは奴の策略です。この話しに乗ってはいけません。第一、陛下は怪我を負っているのですよ」
とシオンの後ろに乗っていたリベルが耳打ちした。
「それは奴とて同じこと、諸王国軍と戦い体力を消耗しているはず。何よりも俺は、誰一人として犠牲者を出したくないのだ。分かってくれ、リベル」
とリベルに言い聞かせた後、
「分かった! 闘いに負ければ潔くこの地を去る。それでいいのだな、カイザーよ」
シオンは大きな声でカイザーに言った。
「世界の支配権を賭けての闘い、誰の邪魔はさせぬ」
カイザーが言うと、
「俺は、世界の支配を賭けて闘うのではない、世界の平和のために闘うのだ」
即座にシオンは答えた。
「それも良かろう。だが、その言葉は勝った者の言うセリフだ」
そう言ってカイザーは新たな戦場に向かって駆け出す。
シオンもカイザーを追って駆け出した。
こうしてこうして、世界の運命を賭けた二人の最後の闘いが始まった。
生か死か、二人に待っているはそのうちのどちらかだが、誰にも結果は分からない。
二人は両軍の睨み合う中心に止まった。
「いくぞ!」
カイザーが声を発すると、
「おう!」
シオンが応じる。
二人は猛然とぶつかり合った。
二度、三度とぶつかり合うに連れて、カイザーの乗る馬の足が折れ、カイザーが投げ出された。
二人の繰り広げる激突の勢いに、カイザーの馬が耐えられなかったのである。
シオンはペガサスから飛び降りると、馬の尻を叩いてその場から遠ざけた。
あとに残ったのはシオンとカイザーのみとなった。
「なんの真似だ! 後悔するぞ」
「卑怯な真似をして勝ち取った勝利など、なん意味もない。あくまでも対等に、正々堂々と俺は闘う!」
「ならば望み通り、この場で貴様を殺してやる。行くぞ!」
両者は再び激しくぶつかった。
剣光の残影を宙にひらめかせながら、カイザーの繰り出す素早い剣をシオンはかろうじて跳ね返したが、すぐさま第二撃が襲い掛かって来る。
右、左、右、左と、剣光がひらめき続けた。
カイザーもまた、シオンの払い除ける力強い剣に振り回された。
勝負は集中力が切れた方が負けとなる。
二人は体の負担を無くすために甲胄を脱ぎ捨てた。
二人の一撃には破壊力があり、僅かに触れただけで勝負が付くのである。彼らの闘いに、甲胄という防御服は無意味であった。
激しい死闘で熱くなった二人の体からは、とめどなく汗が溢れ出た。
疲労は限界に達し、これ以上の闘いに体が拒否反応を起こした。それでも、二人は闘い続けた。
王としての誇りも、皇帝としての誇りも捨て去り、ただ、目の前の敵を倒す。
一人は世界平和のために、もう一人は世界支配のために、両者は全く違う欲望のために全身全霊を尽して闘い続けた。
闘いはなおも続き、一騎討ちの勝負は二時間にも及ぼうとしていた。
知らずのうちに陽は沈み、辺りはすっかり暗くなっていたが、依然として勝負は付かなかった。
負けるのか、俺は……。このまま戦い続ければ、きっとお互いが力尽きるだろう。相討ちは、我ら連合軍にとって負けを意味する……。
とシオンは心の中で自問した。
今の世界は帝国が支配する体制であり、二人が死んだ後の世界も必ず帝国が支配する、と彼は考えたからである。
こんなに自分を鍛え、強くしたというのに……。帝国を遥かに凌ぐ軍勢を引き連れて来たというのに……。何故だ、何故……。やはり、俺は帝国に、いや、カイザーに勝てないのか……。
一瞬、シオンの心が揺らいだ。
負ける、との気の迷いにシオンはふと、あの時のことを思い出した。
デスバレーでの敗北で、死を覚悟した俺は思い留まったではないか。そして、死んで行った多くの兵士のために俺は誓ったはず。生きている限り、俺は帝国を倒すのだと。火は消えようとしているが、俺は生きている。生きている限り俺は闘わなければならない。それが、多くの兵士を失わせた俺の責任なのだから。例え結果が負けると分かっていても、俺は逃げてはならない、カイザーを倒すまで……。
自分を鼓舞し、消え掛けた闘志を燃やすシオン。
二人の闘いを見守っていた両軍の兵士達も、誰一人として二人の闘いから目を逸らす者はなく、強く握り締める手には汗に混じって血もにじんでいた。
彼らはただ見ているだけで、なんの助けも出来ない自分が歯がゆいばかりであった。
見守る彼らの視線を背後に感じたシオンは、
俺が死んだとしても、あとに残ったみんなが俺の意志を受け継ぎ、きっと帝国を倒すだろう。そうだ、あとのことは彼らに託し、俺は目の前の敵に全力で挑むだけだ。
そう自分に言い聞かせて雑念を払い、闘いに集中した。
シオンは長剣を高だかに上げ、カイザーを威圧するように構えた。
懐に飛び込んで来た敵を、攻撃される前に倒す一撃必殺の技。ビクトリア王室では、上段に構えた勇ましい姿から、帝王の威厳を敵に与えるこの技を『帝王剣』と呼んだ。
カイザーは、シオンの上段の構えの意味を悟った。
彼はシオンの振り降ろす長剣の破壊力に対抗するために、更に長く剣を持ち直す。
シオンの振り降ろす一瞬の間に攻撃を仕掛け、その後すぐさま振り降ろされる剣を受け止めるためにカイザーは剣を降ろした。
剣を振り上げながらシオンを斬り、そのままシオンの振り降ろす剣を受け止め、勝ちに持って行く構えを取ったのである。
そう思うや否や、カイザーはシオンの懐に飛び込んで行った。
カイザーは全ての力を振り絞って懐に飛び込み、剣を振り上げシオンに斬り掛かった。
これは――。
肉を切らせて骨を断つ、捨て身の戦法。
シオンの狙いが勝つための攻撃ではなく、相討ちを狙った攻撃だとカイザーは気付いた。
シオンは死を覚悟し、あえてカイザーの攻撃を受ける覚悟で構えていた。そして、攻撃を終えて防御に代わったその時を狙っていたのである。
あきらかに自殺行為であり、死を覚悟した攻撃であった。
振り上げたカイザーの長剣はシオンを斬った。
『ズバーッ』
勢いを無くしたカイザーの防御に移った剣をかわし、今度はシオンの長剣がカイザーを斬る。
『バシューッ』
初めから防御に移ろうとする時を狙っていたシオンは、確実にカイザーを捕らえた。
両者の攻撃には交わした剣の音は響かず、身を斬る鈍い音が聞こえた。
二人はおびただしい血を流しながら、睨み合ったままその場に倒れた。
「陛下!」「皇帝陛下!」
闘いを見守り続けていた両軍の兵士達が慌てて二人の元に駆け寄った。
シオンは薄れ行く意識の中で、駆けて来る兵士達の姿が見えた。
大量に流れる血の温もりをシオンは感じていたが、次第にその感覚も無くなり、それと同時にもの凄い寒さが彼を襲った。
これで、終わった……。全て、終わった……。
シオンは死を受け入れた。
もう動くことさえ出来ない自分の体にシオンはそう思ったが、死力を尽くして闘ったことに満足していた。
シオンは駆け付けて来た兵士達に、
「…あとの、ことは、頼んだぞ…」
とかすれるような声で言って、静かに目を閉じた。
……あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。辺りが、何故か騒がしい。俺は、本当に死んだのか? この感覚、この感触は……。
その時、
『お前は、このまま終わってはいけない。彼らの怒りはまだ、鎮まってはいないのだから。さあ、目覚めよ。そして、この世界を救うのだ』
シオンを呼び起こす声が聞こえた。
誰だ? この俺を、こんな俺をまだ必要とし、頼みにしている。だが俺は、もう誰の期待にも応えることは出来ない。俺は、やれることはやったし、もう十分ではないのか。これ以上、俺に何を求めるというのだ。もう、ほっておいてくれ。
『お前にはまだ、やり残したことがあるではないか。それを終えるまで、お前は来てはならない。さあ、立ち上がれ』
シオンは深い眠りから目を覚ました。
一帯は陽が昇ろうとしている朝焼けに包まれていた。
シオンの目の前には、心配そうに見守る兵士達の顔が見えた。彼らは泣きながら喜んでいた。
その中で、感極まったリベルが、
「勝ちましたよ、陛下。おめでとうございます。良く御無事で……」
言葉を詰まらせながら言った。
リベルの言葉でシオンは勝利を確信した。何より、心配そうに見詰めるリベルの手に、ティアズストーンがあったからである。
体の傷は止血されていて、今ではほとんど痛みも消えていた。ただ、出血が多かったため、思うように体は動かない。
あの声は、一体? 確かに聞こえた。あの優しい声の持ち主は、一体誰だったのだろう……。
シオンは辺りを見回し声の主を探したが、それらしい人物はいなかった。
そこには、一面に大地が広がっているだけだった。
――まさか、あの広大な大地の息吹を、俺は聞いたのであろうか。あの大地が、この俺を目覚めさせてくれたのか? 争いに終止符を打つために……。
「奴は、カイザーはどうなった? 帝国は降伏したのか」
リベルは、シオンをゆっくりと起こしながら遠くを指した。
そこには帝国軍兵士達が一つの棺を取り囲んで、悲しそうにうなだれていた。
世界帝国に君臨し、栄華を極めたカイザーは死んだ。
彼の死と共に、帝国の栄光に終止符が打たれたのである。
「帝国の使者が約束通り、領土の返還を申し出て来ました。彼らにとって、皇帝の死はよほどショックだったのでしょう。皇帝を失った彼らに、戦いを続ける気力はありませんでした」
二時間にも及んだ死闘は、カイザーの死によって幕を閉じた。
ザルツ兵にとって、精神的支柱であるカイザーを失った彼らに、もはや戦う気力は失っていた。
シオンとカイザーの技量は五分五分であり、その力の差は無かった。
勝敗を左右したのは、二人の持つ剣の長さの違いだった。シオンの持つ剣は、カイザーのそれよりも僅かに長かった。シオンの長剣がカイザーの生命線に届き、それが致命傷となって彼は絶命した。
帝国を憎む気持ちがシオンを大きく成長させ、より長い剣を持たせることなった。それはまさに、運命のいたずらが起こした奇跡であった。
やがて、帝国軍兵士達はカイザーの棺を担ぎ上げ、旧都ケルンのある北方を目指して動き出した。
帝国軍がシオンの前を通る時、彼は思わず息を呑んだ。
帝国軍兵士の絶望に打ちひしがれた瞳の奥には、生きる気力が感じ取れなかったからである。
それは自らが味わった経験でもあり、彼らの悲しみがやがて復讐の念に変わった時、その力が予想外のエネルギーを生むことをシオンは知っていた。
この戦いが戦乱を終息するのではなく、むしろ始まりとなるのではないのだろうかとシオンは思った。こうして争いというものは繰り返されるのではないのかと、シオンは込み上げて来る不安を感じずにはいられなかった。
そんな彼の不安をよそに、地平線から太陽が昇り始めた。
闇に閉ざされていた世界が次第に明るさを取り戻して行くように、シオンの心も晴れて行く。
その昇り出す太陽はまさに、新時代の到来を告げるものであり、帝国に代わって、世界中の人々が待ち望んでいた新生ビクトリア王朝の始まりでもあった。
シオンは昇る朝日を見詰めていた。
先ほどの不安は、この太陽のようなものだと考えた。太陽であるビクトリアが、闇の夜に輝く星に代わって天の頂で輝くように、いつの日か帝国にも、星のように太陽に代わって輝く日が来ても、なんの不思議ではないのだとシオンは考えた。太陽もいつかは必ず沈むものなのであると。
光と闇とが繰り返される中、自分が朝日を素晴らしいと思ったように、繰り返される日々の中で人々の心も変わって行く。
そう思ったシオンは、いつまでも人々を引き付けるために、より良い政治を目指さなければならないのだと自分に言い聞かせた。
北方に向かって地平線に消えて行った帝国軍を見届けた後、シオンは新たな希望を胸に秘め、連合軍を率いて、かつてのビクトリア王国の王都、セルサスに向かって動き出した。
次週から4章になります。早い展開になるので、そのぶん、文章に難があると思うので、ご了承ください。