帝国の崩壊
正月休みなので、1話分投稿します
続々とオルガ城内に攻め込んだ連合軍は、勝手の分からない城内での戦闘に加え、帝国軍兵士の死をも恐れない抵抗に合って苦戦していた。
一方、宮殿内に進入したシオンの軍勢は、カイザーのいる最上階を目指して駆け上がって行く。
次々と現れる目の前の敵をシオンは倒し、ついにカイザーの待つ天空の間にたどり着いた。
そこには、カイザーが僅かな側近を従えて待機していた。その中に、皇后ソフィアの姿もあった。
側近達はシオンの侵入に怯えていたが、カイザーは恐れることもなく平然としていて、元老のグスタフが静かに、カイザーに甲胄を着けていた。
カイザーは、シオンの持つ剣と同じ位の長い剣を握って、
「来たか、シオン、待っていたぞ。ずいぶんと大きくなったものだな」
とカイザーが言うと、
「ああ、帝国に対する恨みが俺を大きくさせたのだ」
シオンが答える。
カイザーを心配する元老に、
「心配はいらぬ、下がっておれ」
言って、カイザーは側近達を下がらせると、ゆっくりと立ち上がった。
そして長剣を構えると、
「死にたい奴は、掛かって来い!」
何十人といる敵に向かって言い放つ。
シオンは一瞬、カイザーの実力を肌で感じ、襲い掛かろうとする兵士達に、
「待てっ!」
と制止したが、三人の兵士が飛び込んで行った。
「うわー!」
「ギャー!」
と言う悲鳴と共に、真っ赤な鮮血が飛び散った。
それは、一瞬の出来事であった。
剣を握ったままの腕が床に転げ落ちていて、飛び込んだ三人の兵士が血を流しながら、のたうち回っている。
目にも止まらぬ速さの剣技で切断された腕。腹部や胸を斬られ、大理石で造られた白い部屋は、瞬く間に、もがき苦しむ兵士達の溢れ出る鮮血によって血の海と化していく。
シオンは、鋭く切断された腕を見みてカイザーの実力を悟った。
あの時の殺気は間違いではなかったのだと改めて実感したが、そのことを知らないビクトリア軍兵士達は自分の目を疑った。
千人もの女官達に囲まれ、何不自由のない生活の中で育ってきた皇帝に、こんな実力があるとは思いもしなかったことである。
カイザーもまたシオン同様に、国の主としての自覚を持ち、極限まで鍛えていた。
その極限にまで鍛え上げられた肉体が、人間の限界を超えた動きを可能にする。
カイザーの体が、まるで鋼のように硬く力強いものに感じられ、彼に対する恐怖が兵士達に浸透して行った。
見方の犠牲を少なくしょうと、シオンが前に出た。
「あの時より、剣の使い方がましになったのか」
「試してみるか、俺はシャドウに勝ったのだぞ」
「……どうやら、予とお前は、こうして闘う宿命だったようだな。なら、この場で全てを終わらしてやる」
「望むところだ!」
付き従うリベルを下げたシオンは長剣を構える。
二人の闘いは、もはや避けられないものになった。
「来い!」
「行くぞ!」
二人はもの凄い勢いで飛び掛かった。
『カキーン』
という金属音を残し、両者は何合か剣を交えた後、交差したまま至近距離で睨み合った。
シオンは力任せに交差している剣を振り払うと、カイザーはシオンに力負けしていると悟り、更に剣を長く持ち直して襲い掛かった。
何合か剣を交えているうちに、カイザーは不覚にも血塗られた床に足を滑らせ全身に血を浴びた。
すぐさま立ち上がったカイザーは、剣を二度三度と振り、まとわり付いた血を振り払った。
血塗られていた剣に、再び光沢の蘇った剣が再びシオンを襲う。
力と技のぶつかり合いに勝負は付かなかった。
激しく絡み合う二人に、リベルを始めとして、ビクトリア軍兵士の誰もがシオンを援護出来ないでいた。
だが、その後方から弓を持った一人の兵士がカイザーを狙っていた。
力一杯に張られた弓は、まさにカイザー目掛けて放たれようとしていた。
この様子を見ていたソフィアが、思わずカイザーの元に駆け寄った。
「危ない!」
矢は、駆け込んで来たソフィアの背中を貫いた。
「――なっ」
彼女が身代わりとなってカイザーを助けたのである。
丁度その時、帝国軍兵士が天空の間に入って来た。
「遅いわっ!」
とカイザーは遅れて入って来た兵士らに声を荒げた。
不利になったシオンであったが、見方の兵士達も続々と最上階に駆け上がって来ている。
駆け付けたビクトリア軍兵士と帝国軍兵士とが激しくぶつかり合った。
その間、カイザーは倒れているソフィアを抱き上げ、彼女に突き刺さった矢をゆっくりと抜いた。
「何故だ、何故予を助けた。あんなに予のことを嫌っていたではないか」
「陛下は何も分かってはくれませんでした。私は陛下を心の底から愛していたのに、それを分かってはくれなかった。だから、こんな形で陛下への愛を知らせるしかなかったのです。お許し下さい。私は帝国に来て、本当に良かったと思っています。初めは酷い仕打ちに合い、死を覚悟したこともありました。でも、陛下がいてくれたからこそ耐えることが出来たのです。陛下に会えて、本当に幸せでした」
傷口を押さえる手から、止めどなく血があふれ出てくる。
次第に呼吸の荒くなって行くソフィアを、カイザーは強く抱き締めた。
「予も、お前を愛していた。だが、それを素直に言えなかった。許してくれ。お前を妻に出来て、本当に良かったと思っている」
そう言いながらカイザーは涙を流した。
それは彼が皇帝になって初めて見せる涙であった。誰にも弱みを見せなかったカイザーは、この時初めて、夫としてソフィアのために泣いたのである。
「分かります。陛下の、その涙を見て……」
カイザーの涙を見て、彼が皇帝ではなく、一人の男として自分のために泣いてくれていることにソフィアは喜んだ。
そして、カイザーの流す涙を指で拭いながら、
「願わくは、もっと生きたかった。愛していると言ってくれた陛下と一緒に、普通の生活がしたかった……」
そう言いながらソフィアは安らかに目を閉じ、静かに息を引き取った。
彼女の表情は、まるで幸せであるかのように笑みを浮かべていた。
カイザーは抱えていたソフィアをそっと降ろし、悲しみを怒りに変えた。
この怒りから出るカイザーの、もの凄い殺気を感じ取ったシオンは、目覚めさせてはならないものを目覚めさせたと思わず身震いした。
「予は、二度と涙を流すことはない」
とカイザーは呟き、
「かつて、これほどの怒りを予は味わったことはない。全員、生きては帰さん!」
怒り狂うカイザーは弓を放った兵士を真っ先に血祭に上げると、我を忘れ、狂ったように敵兵を斬り倒して行った。
シオンもまた、カイザーに向かって剣を振りかざした。
「死ね、死ね! シオン、お前さえ死ねば…」
冷静さを失ったカイザーの頭の中には、シオンの命を奪うことしかなかった。
勢いに勝るカイザーはシオンを追い詰める。
その時――。
『ドカーン』
という衝撃音が天空の間に響き渡った。
威嚇のための砲撃が、風に乗って天空の間の近くに打ち込まれたのだ。
シオンのいる宮殿に直撃したのを見て、慌てて砲撃は中断されたが、この衝撃によって天井に貼られた大理石が落ちて来た。
岩をくり貫いた宮殿はもろく、次々に天井が崩れ出す。
闘いを続ける二人の頭上の柱が落ち掛けているのを、主君の身を案じるそれぞれの側近達が見て、必死で二人を引き離そうとした。
『バーン』
ついに柱が落ちた。
シオンとカイザーは間一髪の所で助かったものの、柱によって二人は完全に引き離されてしまった。
「離せ、離せぇ! 今、奴を倒せば戦いは終わるのだ。離せぇ!」
なおもカイザーは、柱の向こうにいるシオンに闘いを挑もうとする。
カイザーの初めて見せる狂乱した姿を見て、側近達は戸惑った。
「陛下、落ち着きなされませ。それでは、命と引換に陛下を守った皇后も喜びませぬぞ」
と元老が冷静さを失ったカイザーを諌める。
カイザーは元老の言葉に我に返った。
そして、三度ほど大きく深呼吸をすると、
「そうであったな、ジイ、良く言ってくれた。予は、危うく皇后の死を無駄にするとこだった。肝心の予が狂っては、どうにもならんからな」
カイザーはソフィアの所に行き、遺体を見詰めながら側近達に、形勢を覆す秘策を告げた。
「地下に眠る大量の火薬に火をつけ、連合軍もろ共、オルガ城を崩壊させる。見ての通り、この宮城は崩れ易い。予が中央の大広間に逃げたという偽りの情報を流し、奴らを最も崩れ易い大広間に引き寄せるのだ。その間、速やかに秘密の通路を通って城外に脱出する。敵の主力軍を壊滅出来れば、勝敗は決したも同然。オルガ城を包囲している諸王国軍など、敵ではない。切り札は、最後まで取って置くものだ」
瞳を輝かせる兵士に向かって、カイザーはこの指示を確実に実行するように厳命した。
この命令は彼らにとって死を意味したが、光栄とばかりに喜んで引き受けた。
カイザーは、兵士が駆けて行くのを見て振り返った。
そして、ソフィアをそっと抱え上げると、分かれの口付けをし、
「行くぞ!」
と側近達に言った。
「皇后陛下もお連れしないのですか?」
元老が聞くと、
「いいや。皇后は、予の父上と母上の眠るこのオルガ城にいることを願っている。そう予は思うのだ」
ソフィアの意思が通じたかのように言って、
「さらばだ」
最後の別れを告げると振り返り、秘密の通路へ向かった。
退却の合図であるトランペットの音が城内にこだまする中、偽りの情報によって、中央の大広間に主力のビクトリア軍が移動した。
複雑に入り組んだ迷路のような場内の奥に、誘い込まれるようにカイザーを追った。
その間、トランペットの音の合図によって全ての帝国軍兵士は秘密の通路を通って脱出。
異様なラッパ音の鳴り渡る城内で、シオンは敵兵の少ないことに不審を抱きながらも大広間を目指した。
その頃、宮城の地下にある武器庫では、大量に眠る火薬の前で松明を持った兵士達が、見方の兵士が無事に脱出していることを祈っていた。
頃合いを見計らうと、ためらうことなく火薬の中に松明を投げ込んだ。
彼らはあらん限りの声で、
『皇帝陛下、万歳!』
『帝国、万歳!』
と叫んだ。
死を前にして、彼らの皇帝への絶大な信頼と愛情は変わることはなかった。
『ゴゴ、ゴゴゴー』という鈍い音と共に、下から突き上げるような衝撃が宮城内に響き渡り、その直後、床が下がり出した。
城内に侵入していたビクトリア軍の兵士達には、一体何が起こったのかまるで分からず、まるで死の淵へと吸い込まれるように沈んで行く。
陥没する地面に呑み込まれて行く兵士達が、救いを求める叫び声を残して消えて行った。
宮城を包囲している諸王国軍の所にも爆発の振動が伝わり、ゆっくりと崩壊して行く宮城を呆然として見ていた。
彼らにも目の前で起こっている惨状が、何故起こったのか分からなかった。
一帯は瞬く間に、宮城の崩壊によって巻き上げられた砂煙によって覆い尽くされた。
時間と共に、砂煙に包まれていた宮城が次第に姿を現した。
宮城は完全に崩壊することなく原形を止めていたものの、主力軍の集中する中心部は完全に崩壊していた。
シオンの安否を気遣う諸王国軍の兵士達。
砂煙が消えた頃、宮城を包囲している諸王国軍の眼前に、無傷の帝国軍が姿を現した。
常に劣勢を強いられていた帝国軍は、この時初めて優位に立ったのである。
一瞬にして、形勢は逆転した。
七万余りの帝国軍のうち、二万の騎兵が動いた。
二万騎の蹄が立てる鳴動は、待ち受ける諸王国軍を震撼させる。
帝国軍騎兵の怒涛の進撃を阻止せんと、布陣している砲兵の青銅砲で、全力を挙げてこの大集団に砲火を浴びせた。
砲弾が隊列に飛び込み、人も馬もおもちゃのように転倒する。
爆風が騎兵を鞍から吹き飛ばす。しかし、何者もこの突撃を食い止めることは出来なかった。
鬼気迫る怒涛の突撃に、砲兵は最後の一発を撃つと、後陣へと逃げ込んだ。
宮城を包囲していた諸王国軍は、襲い掛かって来る帝国軍の前に為す術がなく、陣形は乱れて混乱した。
帝国軍を指揮するカイザーは、宮城の崩壊によって打撃を受けた主力軍が回復するまでの間に、戦いを決しようと躍起になって攻め立てた。
次回で3章が終わります。良い年でありますように。