オルガ城の攻防
巨大な山は、ついに動いた。
総兵力四十五万の連合軍が城壁を破壊して、帝都アルザスに雪崩を打って押し寄せた。
アルザスは静寂に包まれていた。
そこには、百万都市の面影は無かった。
連合軍は恐る恐る帝国の居城であるオルガ城に向かって進軍した。
連合軍は家々に潜んでいるだろう伏兵を恐れたが、彼らの恐れた帝国の伏兵はいなかった。
進軍する連合軍の前には、近付くに連れて大きくなっていくオルガ城がそびえ立っていた。
シオンがあの巨大な城を間近で見るのはこれで二度目である。
彼は、オルガ城の余りの巨大さに震えていた少年の時のことを思い出していた。
策略によって辱めを受けた忌まわしい過去が脳裏をかすめた。
――我が帝国では、臣下が主に対して礼を述べる時は、平伏してから礼を述べるのが古くからの習わしです。他国にいる時ならいざ知らず、帝国領の中にいる時には心がけて欲しいものです。これをもって臣下の礼と致しますが、いかがですかな……。
シオンはこの時の屈辱と家臣達の涙、そして、カイザーへの恐怖が交差してよみがえってきた。
宮城を守る二つの城壁のうち、外側の城壁には、アルザスの城壁同様に帝国軍兵士はいなかった。
エアーズロックでの敗北の結果、帝国の兵力の人員不足は深刻を極めていた。
巨大さ故、帝都は無論のこと、外城の防衛も不可能となり放棄していたのだった。
帝国にとって籠城は敗北を意味した。
いかに世界中の富が眠り、食糧を含め三年以上の籠城に耐えうる物資が備わっているとはいえ、それだけで膨大に膨れ上がった連合軍に勝利することは出来ない。
カイザーは防衛に徹するよりも撃って出ることに賭け、兵力を集中して連合軍に最後の決戦を挑んだのである。
帝国軍八万五千は、宮城を背にして待機していた。
対する四十五万の連合軍は宮城を包囲するように対持して、総指令官であるシオンの号令の掛かるのを待った。
宮城を守る内側の城壁の最上部には、六門の青銅砲が置かれていた。
その六門の青銅砲が一斉に火を吹き、次から次ぎへと砲弾が包囲している連合軍の陣中に飛び込んで来た。
決戦の火蓋が開かれた――。
迎え撃つ連合軍の三門の青銅砲は、待機している帝国軍にすら届かない。
カイザーは連合軍の青銅砲の射程距離を計算に入れて布陣していた。
そもそも青銅砲は、その全ての性能を知り尽くした帝国側の兵器であり、そのことを考えたうえで最前線となる内側の城壁だけは死守したのである。
帝都アルザスの城門と、内城の城門の放棄は、外側と内側の二つの城壁の間に連合軍を誘い入れるためのカイザーの罠だった。
連合軍は、帝国軍の死守する内側の城壁に阻まれ突撃することも出来ず、後退するにも、いつの間にか、帝国軍の伏兵が外側の城壁の城門を閉じていて逃げ出せなくなっていた。そこへ帝国軍の無差別な砲撃が、混乱する連合軍に襲い掛かった。
連合軍はカイザーの罠にまんまとはまったのである。
青銅砲の弾薬は無尽蔵にあり、帝国は兵力を温存したまま、連合軍を追い込んで行く。
連合軍の中に、過去の忌まわしい記憶がよみがえり混乱し始めた。
青銅砲の威力の前に壊滅させられたデスバレーでの記憶が混乱に拍車を掛けた。
四十五万の大軍は二つの城壁に挟まれたまま逃げることも出来ずに大混乱に陥った。
この危機的な状況を打開すべく、シオンは自ら城壁に向かって走り出した。
主君を守るためにビクトリア軍が彼の後を追った。
シオンは命懸けで、正面の城門の攻略に挑む。
シオンにとって恐れるものは何も無かった。彼は本当の意味で一度死んだ人間である。だからこそ恐れるものは無かったのである。
帝国軍の攻撃は砲弾のみ、いくら青銅砲に威力があるといっても、一斉に突撃して来る全ての敵を倒すことは不可能である。
主力のビクトリア軍は、シオンの身を護る盾となって城門の攻略に挑んだ。
シオンの命懸けの突撃によって城門の攻略は成功。
これを機に、各所の城門に連合軍兵士が群がり城壁を越え、待ち構えている八万五千の帝国軍と激しくぶつかり合った。
各所からの進攻に対して、さしもの帝国軍も対処しきれず、激戦の中、ついに連合軍は宮城内に侵入した。
そして、彼らはカイザーのいる宮殿の最上階に向かって上り出した。
一方、敵の砲撃を阻止するための軍が、城壁の最上部へと押し寄せた。
城壁に備えられていた青銅砲を全て奪い取ったことにより、宮城を包囲している連合軍への砲撃は止まった。
帝国軍の砲撃に代わって、連合軍が内側の城壁に三門の青銅砲を備え、帝国軍の戦意をくじくべく、宮城に向けて砲撃を加えた。
砲撃の中、第二陣の民衆から成る混成部隊が、帝国軍の手薄な背後から宮城内に侵入した。
その中に、大漢王国の辺境の地であるシャンガンから遥々駆け付けた周大の姿があった。
初めて宮殿内に入った混成部隊が目にしたものは、豪華に飾り付けられた装飾品の数々で、大理石で作られた部屋の中には、蓄えられた門外不出の膨大な貴金属や財宝があり、彼らは至る所で略奪を行った。
混成部隊の中には、そのためだけに駆け付けて来た者も多く、シオンの命じた軍律は破られていた。
宮殿を守る老兵は、まるで悪夢を見ているような光景の中で死んで行った。
荘厳だった宮殿は、瞬く間に略奪を繰り広げる彼らの手によって戦場と化す。
周大達は財宝には目もくれず、更に奥を目指して進んだ。
入り組んだ狭い通路を進んで行くと、そこは行き止まりになっていた。
周大が諦めて反転しょうとした時、召輝が言った。
「待って下さい! 兄貴、何かありますよ」
召輝は目を凝らしながら壁を見た。
壁には扉のような跡があった。
敵に部屋が見付からないよう、急造で扉を塞いだもので、閉ざされた扉に向かって召輝は突進して力ずくで開けようとするが、頑丈な扉はビクともしない。
仲間も加わり、何度目かの突進で、ついに扉は開かれた。
「ここは……」
中に入ると、そこは真っ暗で何も見えない部屋だった。
何も無い、もぬけの殻。
財宝をあてにしていた召輝はがっかりして外に出ようとした。
「いや待て、誰かいるぞ」
仲間の一人が言った。
人の気配を感じ取った周大は、松明を持って辺りを照らす。
明かりは、部屋の隅に隠れている兵士をとらえた。
「――これは!」
召輝は思わず声を上げた。
財宝は無かったものの、兵士の後ろには、逃げ遅れた百人余りの女官がいたからである。
女性に縁の無かった彼らには絶好の獲物であった。
近付こうとする召輝に、兵士は槍を構えて襲い掛かろうとした。
「俺を襲うなら、大声を上げて味方に居場所を教えるぞ!」
召輝が威嚇すると、
「クッ……」
兵士は槍を置いて観念した。
「何が望みだ。俺達の命はいらぬ、その代わり、女官達には危害を加えないと約束してくれ、頼む。お前達反乱軍は、無抵抗な人間には危害を加えないと聞いていたが…」
そう護衛兵が聞くが、
「それはどうかな。俺達は連合軍の一員であっても、それは表向きのこと。正式な軍隊ではなく民の組織だからな。俺達にとって、規律など無縁、女に縁の無い野獣だ。目の前にいる獲物は俺達のもの、大人しく観念しろ」
召輝は意に介さない。
「卑怯だぞ!」
「何が卑怯なものか! お前達帝国の人間は、最と酷いことをしてきたんだぞ。お前達に、俺達のことが言えた義理か」
奥にいた女官の中から、一人の女性が召輝の前に出て来た。
近付いて来る女性に召輝は松明で照らした。
すると、召輝は勿論のこと、三十人余りの仲間は、目の前の女性に釘付けになった。
「絶世の美女とは、このことだな。この世に、こんな美しい女がいたなんて、やっぱり世界は広いや。片田舎のシャンガンとは違うな」
目を輝かしながら召輝が言う。
透き通った白い肌の彼女は、まさに絶世の美女。
まるで地上に舞い降りて来た女神のように、際立ったその美しさに誰もが目を奪われた。
「私はマリアと言います。ここにいる全ての者の責任者です」
彼女の名前を聞き、
「あの、カイザーの后になるはずだったマリアという女は、お前だったのか。どうりで美しいはずだ」
召輝が驚いたように言った。
当然、彼らの目付きが鋭くなる。
目の前にいる女官が、カイザーの后候補にまで上がっていた女性だったことに、彼らは野獣のように変わった。
マリアは、旧東ザルツ王国の貴族の娘であり、帝国の更なる発展のために后候補として選ばれた女性である。だが、世界帝国の実現を目指すザクセン卿の願いで、カイザーの后にはなれなかった。その後、皇后以外の側室を待とうとしないカイザーは、マリアと交わることがなかった。彼女は権力を握ることなく、後宮に入ったまま不遇の日々を過ごしていた。そして今、逃げ遅れた女官達と共に一室に取り残され、援軍の来るのを待っていた。
だが、彼女達の前に現れたのは援軍ではなく敵、しかも、女に飢えた野獣であった。
「私はどうなっても構いませんが、どうか他の者には手を出さないで下さい。お願いします」
とマリアは一心にお願いするが、彼女の言葉を無視して召輝は女官達に近付こうとした。
「待てっ!」
という声が後方から聞こえた。
声の主は、それまで黙ってこの様子を見ていた周大だった。
周大は、マリアの胸の辺りを見ながら、
「オレは周大、大漢の人間だ」
前に出て来た。
「すいません、兄貴、出しゃばってしまって。俺達は他の女でも構いませんよ」
召輝は周大に遠慮して、慌てて後ろに下がった。
「その短剣で、何をするつもりだ。胸の中に潜ましている短剣で」
周大の言葉に観念したマリアは、胸の中に隠し持っていた短剣を差し出した。
「これらの者達に危害を加えようとするなら、私はこの短剣で立ち向かうつもりでした」
「一人で立ち向かうつもりだったのか……。マリアとか言ったな」
「はい。私はどうなっても構いません、どうか、どうかこの者達に危害を加えないで下さい」
「いいだろう。他の者に危害を加えないと約束しょう」
「そんなぁ! 自分だけオイシい思いをして」
不満を漏らす召輝に、
「まあ待て、お前の怒るのも無理はない。だが、これほどの覚悟で自分が犠牲になると言っているんだ、この女がオレ達にどんなことをしてくれるか、楽しみではないか」
笑いながら周大は言った。
「それも、そうですね」
悪くないとばかり召輝も賛同した。
「私には貴方様に差し上げる物は何もありません。あるのは、この体だけです。好きにして下さい」
マリアはそう言ってゆっくりと服を脱ぎ出した。
彼らの視線を一身に集め、自分一人が犠牲になるために。
マリアが最後の一枚を脱ぎ捨てたと同時に、周大は松明を振り払って明かりを消した。
「――何するんですか、せっかく良いとこだったのにぃ」
召輝の文句に、
「オレはお前を試していただけだ。皇后になれなかったことに腐ることなく、お前は、一人犠牲になってみんなを救おうとした。心根の優しい人だと分かる。それだけで十分だ。さあ、服を着るが良い。オレは最初からお前を抱く気など無かった。だが、こいつらの気が納まらないだろうと思って、つい意地悪をした。許してくれ」
「何言ってるんですか! 兄貴、俺達は許してはいませんよ。それに、こんなに盛り上がった興奮を、どう納めよというんです? こんなチャンスは二度と無いんですよ。早くしないと、この場所もバレてしまいます」
「お前の言うと通り、早くしないと味方が来る。そうなれば取り返しの付かないことになるんだ。お前達の熱く燃えたぎった力で、ここにいる者達全てを逃がしてやれば良いではないか」
「兄貴は、本気でそんなことを言っているんですか? 敵を逃がすなどと、そんなことがバレれば、俺達全員の命はありませんよ」
「召輝よ、略奪、殺戮をしてはならない。降伏をする者に危害を加えてはならない。それが混成部隊の軍律ではなかったのか。シオン様は無益な争いを避けるために、オレ達に厳しく命じたんだ。オレ達のやろうとすることは、褒められることはあっても、決して罪に問われることはない。もし、この女をどうしても抱きたいと言うのなら、オレを殺してからにしろ」
「それだから、いつまでたっても兄貴は大物になれないんですよ……」
呆れた顔で召輝が言いい、
「分かりましたよ、兄貴に従います。でもどうやって、これだけの多くの女を逃がすというんです? 外は狂気に満ちた野獣で一杯なんですよ」
その場に座り込んだ。
「……」
周大に敵を逃がす策は無かった。
しばらく周大考えていると、マリアが言った。
「オルガ城には秘密の通路が何本も通っています。その中には、アルザスに続く地下水路があります、宜しければ私達が案内したいのですが……」
「それはありがたい、が、どうやってそこまでたどり着くかだが……」
「私は、シュウダイ様を初めて見た時、ビクトリア王であられるシオン公だと思いました」
彼女の言葉に、居合わせた者達が頷いた。
ボロ着をまとって着飾らない周大に気付かなかったが、元はといえば彼は名族の子孫である。よくよく見ると、周大にも誇り高い武将に見えてくる。
シオンの姿を一度も見たことの無い者が見れば、周大を本当のシオンに間違えてもおかしくはなかった。
「オレがシオン様に似ていると? 体が大きいだけではないのか」
「いいえ、シュウダイ様には、なんというか、底知れぬ力がみなぎっています。とても大きい器量の持ち主だと思います。それ故、誰もがシオン公と見間違えるはずです。シュウダイ様が私達を先導してくれれば、無事にたどり着けると思うのですが」
彼女の言葉を聞いて、護衛兵があからさまに嫌そうな態度で身に付けていた甲胄を脱ぐと、それを周大達に着せた。
護衛兵はマリアの命に従っただけで、周大達のことを信じてはいなかった。
周大は、か弱いこの女性のどこにこんな知恵が働くのかと、不思議に思いながらマリアを見詰めた。
マリアはニコリと微笑んだ。
周大は顔を赤らませ、胸が熱くなるのを感じた。自分が知らないうちに彼女を好きになっていることに気付いた周大は、その気持ちを振り払いながら準備の整ったのを見て、
「行くぞ!」
と言って扉を開け、
「どけ、どけっ!」
と周大は大声を上げて通路を出た。
外は軍律を破って略奪を繰り広げる混成部隊が一帯を席巻していた。
大声を上げて近付いて来る周大を見て彼らは驚いた。
巨漢の周大を、総指令官のシオンだと思い、彼らはすぐさま略奪行為をやめてその場にひれ伏した。
軍律を破って略奪を行った彼らは、奪った物をその場に投げ捨て、ただひたすらにひれ伏していた。
その間、周大達は悠々と百人余りの女官を隠しながら通路を進んで行く。
急いで先導する護衛兵を見て、後から付いて来ているのかと周大は気遣って後方を振り向いた。
彼の後を必死で付いて来る女官達の中に、周大を見詰める視線があった。顔を布で覆ったマリアが、心配そうに彼を見詰めていた。
照れる周大は、
「あともう少しだ」
と鼓舞する一方で、先導する護衛兵に、
「そんなに急ぐことはないだろう、もっとゆっくり行こうではないか」
と言った。
だが、彼らを信用していない護衛兵は、早くこの場から離れようと無視して急いだ。
一行は、息絶え絶えに地下水路に続く扉の前にたどり着いた。
「ここまで来れば安心だろう、オレは戻る」
と言った周大に、護衛兵の隊長は彼に深々と頭を下げた。
「今まで、あんたのことを誤解していたみたいだな、礼を言う。敵の中にも、情け深い者がいることを知った」
「それだけで十分だ。連合軍の中にも、正義を通す者がいるというだけで」
そう言うと周大は振り返り、戦場へと戻ろうとした。
その時、
「足が、足をくじいて動くことが出来ません」
とマリアが周大に救いを求めるように言った。
護衛兵の一人がマリアの気持ちを察して、
「すまんが、あんたが姫様を抱えてくれないか。ここからアルザス市街に抜けるまで、何キロも歩いて行かなくてはならない。あんたの大きな体でなくては、決して姫様を抱えて脱出は出来ないだろう」
「お、オレが? オレが姫を抱えるだと。そんなこと出来るはずないだろう。オレは卑しき雑兵だぞ」
今まで抑えていた本能が、マリアと接することで抑圧しきれなくなると思い断った。
「しかし、あんたでなければ無理なのだ」
「私からもお願い致します。是非、一緒に来て下さい」
周大は困っている人を目の前にして無視することが出来ない性格。
「……分かった。オレが姫を抱えよう」
周大は照れながらマリアを背負った。
彼女の熱くなった体から発する匂いが、周大の本能をくすぐる。
「行くぞ!」
彼はその本能を必死で抑えながら、一心に脱出することだけを考えた。
真っ暗な地下水路を、松明の僅かな明かりを頼りに進んで行った。
地下水路には所々にネズミがいて、それを見る度に女官達は悲鳴を上げ立ち止まる。
そのため、脱出は思うように進まなかった。
苦労の末、一行はアルザスにたどり着いた。
久しぶりに見る外の世界に女官達は喜んだ。
一体、どれだけの時間が過ぎていたのか彼らには分からなかったが、振り返ると、オルガ城が小さく見えた。
ホコリで汚れたマリアの顔を、周大は自分の服で拭き取った。
「いけません、シュウダイ様の服が汚れます」
「良いんだ、オレは慣れている。だが、姫には綺麗でいて欲しい」
間近で見るマリアの顔は、例えようのないくらい美しかった。
「優しいのですね……それなのに、私はシュウダイ様に嘘を付いてしまいました。困っている人を見捨てたりはしないシュウダイ様の性格を悟って……。シュウダイ様を引き留めるために、私は足が痛いと嘘を付いたのです」
と言ってマリアは自らの足で立ち上がった。
その言葉通り、彼女の足はなんともなかった。
「なんだとぉ! 兄貴のお人好しな性格を利用して、俺達をここまで連れて来たのか。さては、仲間と示し合せて、ここで俺達全員の命を奪うつもりだったんだな」
「まあ、姫様の話を最後まで聞け!」
熱くなった召輝に護衛兵が言った。
「このまま城内にいては危険なことが、何か恐ろしいことが待っているような気がして、引き留めたい一心で嘘を付いたのです」
「オレのために、嘘を付いたのか?」
「はい。私はシュウダイ様を危険な目に遭わせくはなかった。そして、生きていてもらいたかったのです」
「ならば、あんたも生きなければならんな。姫は、これらの者達を助けた後、自分は逃亡した罪を一身に背負って自害しょうと考えていたのだろう。オレは初めから知っていたぞ」
「そ、それは……」
マリアは、自分の考えを見透かされていたことに驚いた。
「姫様はそんなことを考えていたのですか、そもそも罪などと、皇帝陛下は我々に逃げよと言ったのですよ」
護衛兵が言うと、
「それがあんたの性格だ。みんなのために自分一人が犠牲になる。だが、祖国のために死を選ぶのだと考えているようだが、死んでどうなるというんだ。祖国を想うのなら何故、生きて祖国に尽くそうとは考えない……本当のことを言おう。オレは、お前のことが好きだ。初めて見た時から好きになった。地下水路でずっと姫を抱えていた時、オレはどれほどあんたを自分の物にしたいと考えたことか。男という者は、好きな人のために頑張ろうと努力する。もしお前が死んだなら、オレは生きる望みを失ってしまうかもしれない。頼む、生きてくれ」
周大は恥も外聞もなくマリアに生きていて欲しいと頼んだ。
「敵である私に、これほどまで大事に思ってくれるのですね」
「ああ、好きになれば敵も見方も無い、そうだろう」
「シュウダイ様は大胆ですね。好きだということを、これだけ多くの人の前で言えるなんて。私は初めてです、こんなことを言われたのは……シュウダイ様の言葉で、私の中で縛られていた重荷が吹っ切れたような気がします。それは、敵である貴方様に想いを寄せ、気持ちが変わって行くように……。素直な気持ちでシュウダイ様に言います。これからは、一人の女として生きてみたい。私はシュウダイ様と生きたいのです。どうか私達と一緒に来て下さい。貴方様は言いましたよね、好きな者には敵も見方も無い、と。その言葉で私は生きる決心をしたのです。どうか私達と一緒に来て下さい、お願いします」
「俺達からもお願いする。今後、あんたと行動を共に出来ればどれほど心強いことか」
釣られて護衛兵も言った。
周大は彼らの言葉に困惑した。
「……」
「どうやら、シュウダイ様を困らしたみたいですね、すみませんでした」
「姫様の誘いを断ったあんたは、よっぽど欲が無いのだな。好きと言ってくれている姫様の誘いを断るなんて」
と、首を傾げながら護衛兵が言った。
「近くで見ているから、欲の無さに腹立たしいんですよ」
召輝も同調して言うと、
「それがシュウダイ様の良いところなのです。しかし、残念ですね、もしその気になれば、王位にでも即けるほどの器量なのに……」
溜息交じりのマリアが言う。
「親父もそんなことを言っていたな。オレが生まれる直前に、天から竜が舞い降りたと。でも姫、それは買い被りだ。オレはそんな器ではない。好きな者に死ぬと言われて、うろたえてしまう子供のような人間なのだから」
「そうですね、本当に大きな子供のようですものね、シュウダイ様は」
クスっとマリアが笑いながら言うと、皆が笑った。
オルガ城の方から激しい砲撃音が聞こえて来た。
いよいよ総攻撃が始まったらしい。
「これ以上、国の滅びようとするのを見てはいられません」
「オレも、もう行かなければならない」
そう言う周大に、マリアは身に付けていた首飾りを外して、
「これは御守りです。いつも、私を守ってくれました。これを私だと思って持っていて欲しい」
「御守りをオレに? それでは姫はどうなる。いつも守ってくれた御守りなのだろう」
「シュウダイ様が私を守ってくれました。今度は私が貴方様を守る番です。これから戦場に戻ろうとするシュウダイ様を、その御守りがきっと守ってくれるはずです」
そう言ってマリアは周大に首飾りを付けた。
「分かった。姫を忘れないためにも、これを姫だと思っていつも身に付けているよ」
「また、会えると良いですね」
「ああ、必ず会えるさ、きっと」
二人は大きく頷いた。
そして、マリア達は護衛兵に守られながら、北方を目指して落ち延びるザルツ市民の元に向かった。
周大達は、マリア一行が遠く見えなくなるまで見守っていた。
「あのマリアという女こそ、女神というものなのだろうな」
周大はそう言って溜息を付き、マリア一行の消え去った方角を見詰めていた。
「そう思うのなら何故、あの時一緒に行くと言わなかったんですか? どうせ駆け付けたとしても戦いは終わっていますよ」
「それは分かっている。だがオレ同様に、愛し合う者が争いによって犠牲になる悲劇から、そのことを分かっているオレが守ってやりたいんだ。そのためにオレは戦う、犠牲になる者達のために戦わなければならない。いや、それを分からせるためにオレは行くんだ」
そう言って自身に気合を入れる。
周大達は地下水路に戻り、再びオルガ城を目指した。