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報復の大地  作者: 西 一
3章 宿命
32/58

政略結婚

  帝国暦二十二年、長い旅路の末に、ソフィア王女は異国の地であるアルザスに辿り着いた。

 帝国の重臣達にとって、彼女は招かざる客であった。血統を重んじる重臣達は、皇族の中に異国の血が入ることを嫌っていたのである。

 また、ソフィア王女にとってもこの結婚はやりたくなかった。夫となるカイザーの顔を見たことのないソフィアには、気性が激しく冷酷な人間であるなど、カイザーの悪い噂ばかりが耳に入って来る。

 そんなカイザーとの結婚は避けたかった。だが彼女には、両国間の板挟みに合ってどうすることも出来ない。政治の道具として扱われている自分が哀れに思えてくるのだった。

 ソフィア王女は国のためだと自身に言い聞かせ、涙を呑んだ。まさに悲劇の王女だった。


 

 長旅の疲れが取れないまま、婚礼の儀式が盛大に始まった。

 カイザーとソフィアはこの時初めて顔を合わせた。

 カイザーを見たソフィアは、噂通り気性が激しそうで、自分を政治の道具としか扱わない、そんな冷酷な人間に見え、体がすくんだ。

 そして、極度の緊張と失望の中、婚礼の儀式は終わった。

 

 婚礼の儀式を終えた二人は、新居となる誕生の間に入った。

 新しい生命が生まれる場所を意味する誕生の間で、ソフィアの皇后としての役目は、カイザーの世継ぎを生むことだけである。


 一歩外に出ると、そこには警護の兵士達が数多く控えている。監視された中でのソフィアの生活には勿論、自由は無かった。

「はっきり言っておく。この婚礼は政略結婚であり、予はお前のことをなんとも思ってはいない」

 そう言い放ったカイザーにソフィアは睨み付けた。

 すると、カイザーは小剣をソフィアに投げ渡し、

「好きにするがいい」

 と言って、一人ベッドに入った。

 寝ている自分をその小剣でいつでも刺し殺しても構わないというのである。

 彼女は意地になって寝ようとはしなかった。

 そして、カイザーに渡された剣を見詰めながら、今まで抑えていた悲しみが込み上げて来て、涙が止めどなく流れ出るのだった。



 翌朝、ソフィアは差し込む朝日で目が覚めた。

 長かった儀式の疲れから、彼女は意地を通すことが出来ず、知らずの間に眠っていた。何故か、自分の体に毛布が掛けられていた。

 その毛布はカイザーが掛けたものだった。  

「陛下?」

 ソフィアは辺りを見回したが、カイザーは政務を執るために出掛けていた。

 彼は皇帝として自らの務めを忠実に果たしていた。

 この小さな出来事で彼女は、カイザーの優しさを知り、一言彼に、ありがとうと言ってやりたいと思った。

 

 その夜、ソフィアは勇気を出して、寝ているカイザーのベッドに自ら進んで入った。

 横で寝ているカイザーの寝顔は、何かあどけなさを感じ、日頃の険しい表情は消え去っていた。そこには皇帝としてのカイザーの姿ではなく、一人の人間としての彼の本当の姿があった。

 皇帝という重圧が彼を変えさせているのだと気付くと、ソフィアは急に胸が熱くなり、カイザーに寄り添うようにして眠った。

 

 次の朝、ソフィアはカイザーの声で目が覚めた。

「お目覚めかな、姫」

 と、カイザーがこちらを見詰めていた。

 ソフィアは見詰められていることに、急に恥ずかしくなり目を反らした。

「今日は、姫に見せたい物がある。予が城内を案内しよう」

「今からですか?」

「ああ、時間が無い。政務の時間を割いてあるからな」

「では、急いで支度をします」

 そう返事したソフィアを、カイザーは城内の奥へと案内した。


 巨大な宮殿を構成するオルガ岩群は、高さ五百メトルの赤褐色の岩が三十六もの群れを成す。その巨岩の一つ一つを人為的に掘削、くり抜いて造られた塔の内部には、幾つもの部屋があり、そのほとんどが豪華な装飾で彩られている。

 狭い通路を通って行くと、地上に降りずに別の塔へ行き来出来るよう、回廊の橋が架けられていた。


 二人はその空中回廊を渡って向こう側の塔に移った。

 その塔はオルガ城最大の建物であり、ほぼ城の中心に位置する。ソフィアは、何かこの塔に帝国の、否、カイザーの秘密が隠されているのだと直感した。

 

 普段は誰も入らない場所らしく、壁に彫られた穴に掛けられている松明が、むなしく通路を照らしていた。

 ソフィアの不安そうな顔を見て、

「何もしない。ただ、妻となったお前に見てもらわなければならない物があるのだ」

 と言って、更に塔の奥へと彼女を案内した。

 カイザーの言った、妻と言う言葉にソフィアは頬を赤らませ、黙って彼の後に付いて行く。


 塔の奥に入るに従って、警備にたずさわる兵士の数が増えてきた。

 ひざまずく警備兵の間を二人は縫うように歩いた。


 やがて、狭かった通路が次第に開けてきたかと思うと、急に巨大な空間が姿を現した。

 周りを見渡すとまだ工事中らしく、道具が至る所に放置されていた。

 ここは岩をくり貫いただけの巨大な空間で、地下へと続く空間は底が見えず、その地下から吹き上げて来る風が不気味な音をたてていた。

「ここは、亡き父上の眠る神聖な場所だ。だがどうだ、この寂しい光景は……」

 とカイザーは説明した。

 この巨大な空間は、先帝であったカール・カイザーの廟だった。

 帝国の創始者であるカールはこの場所に埋葬され、彼の死と共に殉死した忠臣達がそこに眠っている。


 カイザーは、亡き父が早く完成させて欲しいと自分に訴えているのだと言い、父を早く楽にさせてやりたいとう気持ちから、カイザーはオルガ城の完成を急がせていたのである。

 巨大な暗黒の世界をのぞき込むと、底知れぬ不安と恐怖が彼女を襲った。

 その恐怖は近い将来、帝国に起こる危機を暗示させているのではないか、とソフィアは急に恐くなり、あんなに嫌っていたカイザーにすがり付くのであった。

 

 ソフィアは、カイザーを突き動かしているのは私利私欲のためではなく、国を想う強い気持ちからきているのだと知った。

 彼もまた自分と同様に、国のために犠牲になっているのだと初めて知ったのである。



 オルガ城内の庭園にある人工の池で、カイザーとソフィアは船遊びをしていた。

 城内の案内以来、お互いの気持ちを僅かなら感じ取った二人は打ち解け、意地を通すことなく素直に接していた。   

 穏やかな日が過ぎようとしていたが、そこへ、急を知らせる急使が入って来た。

 カイザーの母、ゾフィーが危篤だという知らせである。

 カイザーはこの知らせを聞くと、急いで母の元に向かった。


 大后ゾフィーは先帝カールの死後、病気になり表舞台から退いていた。

 後宮に入って静養していたゾフィーは寝たきりで、日に日に体は衰弱していた。

 駆け付けたカイザーは、呼吸の荒くなっているゾフィーの手を握って見守った。そこには彼以外、誰も入れさせようとはしなかった。妻であるソフィアも例外ではなかった。

 外に閉め出されたソフィアは、自分が家族の一員でないことを知らされ、一緒に悲しみを分かち合えない事実にうなだれた。


「陛下に心配ばかりおかけして、本当にすみません。母として、陛下に何もしてやれなかったことに、なんと言っていいか……」

 悲しむゾフィーに、

「そんなことはありません。いつか、きっと病気も治り、元気になりましょう。その時は、私を助けて下さい」

 カイザーは励ました。

「いいえ、私はもう……」

 と言って首を横に振った。

 そして、最後の力を振り絞って上体を起こすと、カイザーにもたれるようにすがり付く。

「私はいつも陛下のことを自慢に思っていました。これからもずっと……私の分まで長生きをして下さい……」

 とゾフィーは言って眠るように息を引き取った。

 その顔は何故か笑っているように見えた。誇りに思う息子の胸の中で死ねるという、喜びを噛み締めていたのだった。


「母上、母上!」

 と叫ぶカイザー。

 されどゾフィーは二度と目を開けることはなかった。

 カイザーは力一杯ゾフィーを抱き締めた。だが、彼の目には一滴の涙も無かった。

 こうして唯一の肉親を亡くしたカイザーは、この悲しみを忘れるために酒を頼るようになった。



 オルガ宮殿の最上階に位置する天空の間で、カイザーは一人で酒を飲んでいた。

 天空の間は、貴重なガラスや大理石をふんだんに用いて造られた部屋で、そこからはアルザスが一望出来た。文字通り皇帝の執務室である。


 渓谷の間を吹き抜ける風の音にカイザーは耳を傾けながら、うつろな目で帝都を見ていた。

 アルコールが体の隅々に行き渡り、感覚の無くなった手で酒を酌んでは、一気に酒を飲み干した。

 彼は悲しみを酒でまぎらわしていた。

 自分から大事なものがどんどん離れて行く。

 ザクセンや母が自分の前から消えて行った。

 

 カイザーは、目の前のテーブルの上に置かれている、世界支配の象徴であるティアズストーンを握り締め、これが一体なんの役に立つというのかと、怒りにまかせて投げ付けた。


『姫様、行ってはなりません。行っては皇帝陛下の御勘気に触れます」

 と、ソフィアの侍女は彼女を止めようとしたが、ソフィアは侍女の止めるのも聞かずに天空の間に入った。

「これは、これは、姫、一体なんの用かな。さては、予を殺しに来たか。今の予なら、簡単に殺せるだろう」

 と、うつろな目でソフィアを見ながら言った。

「何を言われます。私はただ、陛下のお体が心配で参ったのです」

「フッ、国のために利用され、好きでもない予の所に嫁いで来たのだ。さぞ、憎かろう」

 ソフィアはカイザーがひどく酔っているのを見て、酒を取り上げた。 


「陛下は何故、一人で悲しむのですか。皇帝と言っても中身はただの人間ではありませんか。どうして強がるのです、どうして素直に泣かないのです」

「予に説教をするつもりか……。予はこの国を支えて行かなければない皇帝だ。その皇帝が家臣の前で泣けると思っているのか。予は皇帝に即位した日から、一生泣かぬと誓ったのだ」

「陛下は逃げています。悲しみを受け入れることをしないで、酒で忘れようとしているだけなのです」

「何ぃ! この予が逃げているだと……フッ、まあ、好きなだけ言うがいい」

 そう言ってカイザーはソフィアを見詰めた。

 そして、彼女の顔を指でなぞりながら、

「予とお前は嫌いな者同士、だが、夫婦でもある。この城にいる全ての者が、予の子を期待している。今、この場で…」

 カイザーは酒と悲しみの勢いでソフィアを抱き締めようとするが、

「いやっ!」

 と叫びながらソフィアはカイザー避けた。

「貴様!」

 辱めを受けたカイザーが声を上げ、

「お前の顔など二度と見たくはない。出て行け。今すぐ、ここから出て行け!」

 ソフィアを追い出そうとした。


「何故、分かってくれないのですか。夫婦として、一緒に悲しむことを」

「お前が出て行かないのなら、予が出て行くまで。好きにしろ!」

 カイザーはソフィアの言葉を聞こうともせずに部屋から出て行った。


 怒り露わのカイザーが出て来て、慌てて侍女が天空の間に入った。

「姫様、何故あのようなことを言ったのですか? 姫様は皇帝陛下の妻です。生きて行くためには皇帝陛下にすがるより他にないのではありませんか。例え、お嫌いであっても。このままでは姫様のお立場を危うくします。姫様は一刻も早く皇帝陛下の子を生み、生母として権力を握らなければならないのです。それが父君である国王陛下の願いなのですから」

「陛下は私を心から求めようとはしない。ここに来たときからずっと。それが出来ないのは、政略結婚として嫁いだ私の定めなのでしょうか。そもそも、この国の人達は、本当の愛を知らないのでしょうか。それとも、他国の人間である私を嫌っているのでしょうか。そうだとしたら、私の中に流れる他国の血を全て差し上げても構わない、陛下に愛されるのなら……」

「それでは姫様は、皇帝陛下のことを……」

 侍女の問にソフィアは小さく頷いた。


 ソフィアの気持ちを知らないカイザーは、彼女を寄せ付けようとはしなかった。

 ソフィアは一人、誕生の間でカイザーの帰る日を待ち続けていたのだった。



 この年、帝国二十三周年を祝う祝宴が催され、祝賀行事が盛大に行われた

 軍楽隊の演奏が流れる中、召集された七王国の王達の関心は、カイザーとソフィアの二人に注がれていた。


 同盟を誇示するために、口喧嘩した日以来会わなかった二人は一緒に並んで姿を現していた。

 列席している諸王の中に、ソフィアの父セルゲイはいなかった。悲しみに暮れる彼女が一番会いたかった父の姿は無かったのである。

 セルゲイは、裏切った諸国の王に会うのを避けていた。

 そのために帝国で苦境に立たされているだろう娘に会うことが出来なかった。ソフィアは最も頼る父に裏切られたことで、自分を想ってくれる者がこの世にはいないのだと知った。

 

 酒宴の席を借りて重臣達は、子の生めない皇后を公然と非難した。

 元老もまた、

「陛下は後宮にいる一千人に及ぶ女官達の主人でもあるのです。何も、一人の女に縛られることはありません。私も早く陛下のお子が見たいものです」

 あえて元老がソフィアに聞こえるように言った。

「……」

 いたたまれず、席を立とうとするソフィアを止めたのは、カイザーの一言であった。

「予の妻は皇后ただ一人、これ以上言えば、ジイとて容赦はせぬ」

「あ、……申し訳ありません」

 元老が叱責され、側室の件は、もはや誰にも言えなくなってしまった。

 彼の言葉からソフィアは勇気を貰ったと同時に、正式に皇后となった瞬間でもあった。

 以後、ソフィアは背筋を伸ばし、皇后として堂々と振る舞った。


 突然、カイザーは手に持ったグラスを傾けた。

 こぼれ落ちたワインがテーブルを赤く染めた。会場内の全ての者が、このカイザーの行動に思わず息を呑み、静まり返った。

 重臣達はカイザーの逆鱗に触れたのだと怯える。


 滴り落ちるワインを見て、侍従が慌てて震える手でテーブルを拭き取った。

 その時、カイザーが立ち上がると、

「予は酒を止めた。二度と酒は飲まぬ……」

 誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるように呟く。


「さあ、続けよ、演奏を。帝国の繁栄を祝うのだ」

 静まり返った大広間に、再び軍楽隊の演奏が鳴り始めた。


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