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報復の大地  作者: 西 一
3章 宿命
31/58

開放

「あの、ザクセンが死んだ?」

 信じられない様子でシオンは聞いた。

「はい。まことのようです」

 ゼノンは答える。

「何故?」

「詳しくは分かりませんが、恐らく権力抗争だと思われます。驚異的な強さを誇るザルツですが、部族間の対立が激しくまとまりがない。それ故、辺境の僻地で、長年に渡って中央に攻め入ることが出来なかったのです」

 ザクセンの死に様々な憶測が飛び交った。

「権力抗争……。いよいよだな」

「はい。よくぞ辛抱されました。私達は自由になれるのです」


 帝国内に一大勢力を誇ったザクセンが暗殺された。

 ザクセンに今以上の権力を握られるのを恐れた重臣達が、彼に刺客を差し向けたのである。

 このことを知ったカイザーは激怒した。

 そして、ザクセンの暗殺に関わった重臣達を極刑に処すと言い、彼らを震え上がらせた。 

 元老の、必死の助命嘆願により、重臣達は殺されることなく、その地位も剥奪されずに済んだものの、カイザーは重臣達を信頼せず、帝国を自ら統治すると宣言。

 重臣達には求められた時のみ助言することを命じた。


 ザクセンの死によって諜報活動を続けていたゲルドは解散させられた。

 世界はゲルドの監視下から開放され、辺境の地エディルネで身を潜めていたシオンが自由を得て、帝国打倒に向けて行動を起こす時が来たのである。

 この年シオンは、ローマ王国の、シルビア女王即位三十年式典に、トラキア公国の領主として初めて参加した。


 ローマ王国は三十余りの国から成る多民族国家である。

 このローマが一つにまとまったのは今から三十年前のことで、争いの絶えなかったローマが一つにまとまったのは他ならぬ帝国の脅威からであった。

 それまで争っていた諸国は、帝国の侵攻を阻止するために一致団結して、都市国家ローマを盟主とする一つの国家を建てたのである。諸国の領主達は王都であるローマに出向いて、女王にその忠誠を誓うために臣下の礼を取ることになっていた。

 シオンもまた、シルビア女王に会うためにローマに向かった。


 王都ローマは、アペニン城を中心として各道路が放射状に延びた美しい街で、復興によって、かつての内戦の傷跡は消え新しく再生した街でもある。

 全ての道路には石畳が敷かれていて、その上を往来する人々の足音が雑音のようにこだましていた。

 ローマはこれらの様々な民族が行き来して賑わっていた。



 シオン一向はアペニン城に入城した。

 城内では、すでに諸侯が集まっていた。シオンはこれらの領主達に気付かれぬように後方の席に座った。

 いよいよ式典が始まり、呼ばれた有力諸候が次々に、正面に座しているシルビア女王に拝謁して行った。

 ローマの礼儀作法にのっとり、女王の前でひざまずき拝礼すると、差し出された手にキスをする。差し伸べられた手に口付けをして、お互いの信頼を強いものにし、絆を深めていくのだ。


 だが、いつまで経ってもシオンの名前は呼ばれなかった。

 廃虚になっていたエディルネという地名は、彼らの頭の中には無かったからである。

 

 全ての領主が女王との拝謁をし終えるのを待って、シオンは席を立った。

 城内の諸候はシオンに注視した。

 威厳に満ちた顔立ちと長身の身体に、彼らは新顔であるシオンが、一体何者なのかと興味の眼差しで見ていた。

 

 シオンは女王の前でひざまずくと、ゆっくりと女王の顔を見上げた。

 その時、女王は目の前の若者がビクトリア王シオンであることに気付いた。

 その場に居合わせた誰もがシオンだとは思ってもいない。ただ一人、オルガ城でのカイザーとの謁見の際、まだ少年であったシオンに会ったことがある彼女だけがシオンと分かった。

 時が経ち、大きく成長しているものの、当時の面影を残していている。

 シオンは生きていた、と女王は内から込み上げて来る喜びに満ち溢れた。

「もしや、貴方は…」

 本人であることを確かめようとするも、シオンは女王の言葉を遮るように小さく横に首を振った。

 このシオンの仕草で全てを悟った女王は、諸候にしてきた通り彼に手を差し伸べた。

 シオンは同じように差し伸べられた手に口付けをすると、振り返り静かにその場を離れた。


 女王は慌ててシオンに尋ねる。

「どこから来られたのですか?」

 女王の問に諸候も耳を澄ました。

「ここからずっと西の彼方にある、辺境の地トラキアです。トラキアは、侵略者からローマを守る防波堤となるでしょう」

 女王はシオンの言葉に大きく頷いた。

 彼の言った侵略者とは勿論、帝国のことである。女王は、シオンが自分に協力して欲しいのだと悟り、彼が退出して行く後ろ姿をずっと見詰めていた。  



 シオンが帰って間もなく、エディルネ城にシルビア女王からの使者が訪れた。

 シオンはローマからの使者を暖かく迎え入れた。

「先の戦いにおいて、我がローマが力を貸さなかったことを女王は悔やんでおり、大王陛下(ビクトリア王の尊称)には真に申し分けなかったと言っておられました。何とぞ、主人に代わって御許し願いますように……」

  使者は、先の戦いで力を貸さなかったことをシオンに詫び、

「帝国の圧政は留まるところを知らず、更に過酷な要求を突き付けています。もはやこれ以上、帝国の好き勝手にはさせられません。もし大王陛下が挙兵すると言うのであれば、我々はいつでも力を貸します。我がローマは大王陛下と運命を共に致します」 

 と、共に挙兵すると約束した。

 使者の熱意を感じ取ったシオンは、

「頼む」

 と一言言って、彼らの手を強く握った。

 

 これを機に、シオンは世界各国に使者を送ることを決めた。

 だが、七王国全てに使者を送ることに、ゼノンは不安を隠しきれなかった。

「どうかしたのかジイ、何か気になることでも?」

 シオンの疑問に、

「ただ一つ、気になることがあります。それは他ならぬガザフ王国の動静です」

 ゼノンはガザフを名指しした。

「ガザフが裏切るとでもいうのか。ガザフは我らの見方ではなかったのか?」

「ガザフ王セルゲイは陛下の臣下であり、勿論我々の見方です。ただ、ガザフはビクトリアに対して積年の恨みがあります。特にセルゲイ公は、我らを快く思ってはいないでしょう」

 ゼノンの言葉に重い空気が流れた。


「しかし、ガザフにも一万の駐留軍が置かれ、諸王国同様、帝国には苦しめられているはずです。そのガザフが我々を裏切ることなど……。もし、七王国最強であるガザフ軍が帝国と同盟を結ぶようなことにでもなれば、我々に勝ち目はありません」

 リベルが顔を強張らせながら言うと、ゼノンはこの不安を解きほぐすように笑いながら言った。

「ハッハッハ、ガザフが我々を裏切るはずはないではないか。ガザフが侵略者である帝国と手を結ぶことはないが、もし、陛下が生きているということをガザフ側からから帝国に漏れるようなことになれば、たちどころにエディルネ城に兵を差し向けて来るでしょう。そうなってからでは遅いのです」

「……」

 シオンは一同の顔を見ながら考えた。


 そして、

「ジイの予感は良く当たるからな。ガザフを信じない訳ではないが、ここはガザフ抜きで行動することにしよう」

 と彼は決断した。

 こうしてシオンは、不審なガザフを除いたローマ、アトラス、漢、ノルマン、ネバダ、メシカの六王国に使者を送った。

 これら六王国に自分の生存を知らせると共に、帝国討伐に力を貸すように頼んだのであった。



 帝国の居城であるオルガ城、静まり返ったカイザーの寝室に、不審な物音がした。

 カイザーはこの音に気付くと、そっと頭上に置かれている剣に手をやった。

「誰だ! そこにいるのは」

 気付かれて観念した男はカイザーの前に姿を現した。


 忍び込んだ男は、武器をカイザーの目の前に差し出すと、恭順の意を示すように平伏した。

 カイザーは素性の知れない男を目の前にしても、動揺せずに冷ややかな目で見ていた。

『皇帝陛下、どうかされましたか? 今、不審な物音が致しましたが』

 寝室の外から侍従が声を掛けた。

「なんでもない、下がっておれ」

『ハッ、失礼致しました』

 侍従を避け、男は安心した。

 そして、カイザーに一礼すると、静かに話し出した。


「死は覚悟の上、御無礼を働きすみません。しかし、こうまでして、皇帝陛下に渡したい物があるのです」

「予に渡したい物? それはなんだ、返答次第ではその首を切り落とすぞ」

「私の名はヒスラーと申します。主人であるザクセン卿の命によって、この手紙を皇帝陛下に渡しに参りました」

「ザクセンの命? 生きていたのか! ザクセンは。死んだのではなかったのか」

 カイザーは身を乗り出して問うた。

「主人は生きています。瀕死の重傷を負ったザクセン卿は、我らの必死の看病によって一命を取り留めたのです。今は故郷であるドレスデンで身を隠し、ひっそりと暮らしています。しかしながら、主人はもうここには戻らないでしょう」

「戻って来ぬのか、ザクセンは……」

「はい。もはや帝国の基盤は磐石となり、自分は皇帝陛下の役にはたたないとそう申されていました。そして、私とその部下に、皇帝陛下の下で働けと命じたのです」

「そうか、戻らぬか、ザクセンは……。無理もないことだ」

 落胆の様子を見せるカイザーに、

「主人は、決して皇帝陛下を恨んではいません。皇帝陛下に対する主人の忠誠心は、いつまでも変わりません。それはこの手紙を見れば分かります」

 一つの手紙を渡した。

 カイザーは差し出された手紙を受け取ると、薄暗い闇の中、手紙に書かれている文章に目を通した。

 そこには世界帝国の皇帝となったカイザーの、君主としての取るべき行動が書かれていた。


『君主がまず学ばなくてはならないことは、自らが支配している領地の内情を知ることです。その領地の地理を学び、歴史を学ぶことです。諸地方や諸都市を頻繁に現地視察することで、今後取るべき事柄が見えてくるはずです。人民から愛されるためには、まず愛するに値する君主である必要があります。人民の繁栄を犠牲にしてまでも一身の利益を図ることのないよう、人民の一人一人に対して分け隔てなく平等に扱い、寛容にして寛大な気持ちで接することを希望します。

 何事も一挙に改革しょうとすることは、出来る限り避けなくてはなりません。それが例え改良であっても、今までと違うということ自体が反発を招くからです。国家の制度や一般の慣行、従来の法律を改革して騒動が起こらなかった試しはありません。従って、なんであれ、耐えられるものであれば決して改革しょうと思ってはなりません。そのまま耐え続けるか、少しずつ改良していくように務めなければなりません。そのためには、御自身だけの考えで物事を処理せずに、広く家臣の意見を聞くことが肝要です。信頼を広く及ぼし、命令の実施を多数の役人に任せなければなりません。

 それでも、改革を行うのであれば、全ての責任を負う覚悟を持って、取り組まなければなりません。それが、おさとしての務めであると心得て下さい。

 また、一人の役人に権限を独占させることなく、各人をその才能に従って用いること。

 君主にとって何より優先する望みとは、人民が無事に生活し、あらゆる面で繁栄を謳歌することであります。それ故、君主が戦争に手を染めるようになれば、若者達を危険にさらすだけでなく、ほんの一瞬の間に無数の孤児が生まれ、身寄りの無い老人や乞食などの不幸な人々が無数に生まれるのです。このことは、私が経験したことであり、身に染みて実感したことです。君主は平和の維持に務め、人民の安全を一番に考えなければなりません……』

 ザクセンはこの教育文を通して、理想国家の夢をカイザーに託したのだった。


 更に教育文は続いた。 

『……最後に、これは私からの御願いであります。皇帝陛下のきさきのことについて御話し致します。私は常々、皇帝陛下が女性に興味を持っていないことを案じていました。もし、統合の象徴でもある皇帝陛下に御世継ぎが無ければ、帝国の瓦解はまぬがれません。

 私の推薦する后は帝国内から選んだのではなく、七王国の中から選びました。七王国最強といわれるガザフ王国の、セルゲイ王の三女、ソフィア王女を推薦します。私の調べましたところ、ソフィア王女は皇帝陛下より一つ年上の二一歳。気の強い性格であるソフィア王女は、皇帝陛下に対しても遠慮無なく、色々と意見を言うでしょう。きっと皇帝陛下に気に入ってもらえると思います。これは勿論、政略結婚です。帝国に最も近い存在であるガザフ王国を利用するのです。ビクトリア亡き後、最も恐れるものは、七王国が団結力を持って一つにまとまることです。団結力を深めている七王国の結束を崩すためには、ガザフ王国との同盟は欠かせません。

 あえて、酷なことを申しますが、帝国の繁栄のために、皇帝陛下には犠牲になってもらわなければなりません。ガザフ王国と姻戚関係を持つことで、私と皇帝陛下の目指していた世界帝国の夢が叶うのです』

 カイザーは、この教育文を何度も繰り返し読むことで、頭の中にその内容を刻み付けた。



 翌日から、カイザーは教育文に従って行動を起こす。 

 国内の主要都市は勿論のこと、農村にもカイザーは視察目的の巡幸を行った。

 彼は自らの目で国内の現状を見てきた。

 この巡幸でカイザーが見たのは、貧困に喘ぐ人々の怒りの姿であった。

 なんら改善策を施さず、栄華を求める宮廷生活のために相変わらず重税を課す圧政に、人々の不満は高まり暴発寸前であることを知った。

 

 カイザーはこれらの現状を視察するまで知らなかった。

 カイザーを取りまく重臣達は、彼に都合の良い情報しか伝えていなかったのである。

 民衆の蜂起は帝国の土台を揺るがしかねない。カイザーは今までの政策を改めざるを得ないことを痛感しのだった。


 もはや争い事は無くなり、力に頼る軍人達の政治では成り立たたなくなっていた。これら重臣を政治から遠ざけ、優秀な官僚を登用し政治を行おうとした。

 その一方で、カイザーはガザフ王国に使者を送った。王女ソフィアを后として迎え入れるためである。

 皇后にはすでに、帝国内の貴族の娘であるマリアと言う女性が候補に上がっていた。帝国の結束をより強める狙いから、旧東ザルツの貴族の娘であるマリアが候補として選ばれたが、カイザーは、ザクセンの教育文を実行していったのである。



 ガザフ王セルゲイは、当初、帝国の使者の申し入れを拒否した。

 明らかに政略結婚であり、同盟を結ぼうとしていることを見抜いたのである。

 ビクトリア亡き後、帝国と同盟を結ぶことはガザフにとって得策ではあるが、それでは諸王国を裏切ることになる。何よりもセルゲイの、亡国ビクトリアへの忠誠心は強かった。

 カイザーの臣下となったものの、心から服従しているのではない。だが、帝国の要請を拒否すれば王国の存続を危うくする。

 そう考えたセルゲイは、ある条件を帝国に出した。

 国内に置かれている駐留軍の撤退と、監視塔の破棄を条件として帝国に突き付けたのである。

 カイザーはこの条件に、

「したたかな奴め」

 と不満を口にしながらも、セルゲイの条件を呑んだ。


 

 やがてガザフ王国から、ソフィア王女が物々しい行列で帝国に遣って来た。

 帝都アルザスから離れた小さな町に、ソフィア王女の通る行列を一目見ようと群集が集まっていた。

 その群集の中に、一人の男が笑みを浮かべながら行列の通り過ぎるのを見守っていた。

 男は薄汚れたボロ着をまとい、髪は乱れ髭も伸び放題で、人々はこの男を避けるようにガザフ王女の行列を見ていた。このみすぼらしい男こそ、ガザフ王国との同盟を画策したザクセン卿であった。


 彼は、カイザーが自分の書いた教育文を実行していることに感激して、涙を流して喜んだ。

 そして今、自分の夢見た世界帝国が実現したことで、この上ない満足感に慕っていた。 

「これでワシが夢見た千年王国の基礎は出来上がった。皇帝陛下から受けた大恩の一部でもお返し出来たであろう。仲むつまじく、いつまでもお幸せに……」

 やがてザクセンは、不気味な笑い声を上げながら群集の中から消えて行った。

 

 帝国の政策の急転回は、帝国打倒に動き出したシオンの活動を封じるものとなった。

 何より、ガザフ王国との同盟は、足並みを揃えて来た諸王国にとっても痛烈な打撃となり、シオンはこの時、今まで築き上げて来た努力が一瞬にして崩れ去ったとのだと悟った。

 帝国とガザフとの同盟で、シオンは更なる忍耐を余儀なくされたのだった。


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