再会
帝国暦十七年、ビクトリア王シオン・アーサーは、ノルマン、ネバダ、メシカ、アトラスの四国と力を合わせて、ザルツ帝国と死の谷デスバレーで戦った。
兵力で圧倒していた連合軍ではあったが、帝国の知恵者・ザクセンの戦略と、新兵器である青銅砲によって連合軍は大敗を喫す。
戦いの首謀者であるシオンは、帝国軍に捕らえられ処刑された。敗軍の将シオンの死は世界中に知らされ、人々に悲しみと絶望を与えた。
戦いに勝利した帝国は、この勢いに乗じて七王国にも本格介入した。それまで王国の監視役に過ぎなかった監視塔は、一万の駐留軍の配置に伴って権限が強化さる。
一方、旧ビクトリア領ノルトライン州の大領主となったザクセンは、領地内の優秀な人材を登用し商業の発展に力を注ぐ。彼はザルツ人とビクトリア人とを分け隔てなく、能力のある者を登用した。シオン亡き後のエッセンも、ザクセンの働きにより経済力を維持することが出来、莫大なエッセンの富をカイザーに献上し続けた。
重臣達の暴走した力による支配に対して、彼は財政面で帝国を支援し、その基盤は揺るぎないものになって行く。
帝国の力による支配によって、世界中の人々は更なる苦しみを受けることとなった。
それから三年……。
帝国暦二十年、ローマ王国の西部の砂漠地帯、トラキア。
廃虚となったエディルネの町に、激しくぶつかり合う剣の音が響き渡っていた。
そこには、帝国軍の追跡から逃れたシオンの姿があった。
シオンは、この三年の間に見違えるように成長していた。
見た目の大きさ(193㎝)だけでなく、敗北という挫折が怒りとなって、彼の中に眠っていた本能が覚醒、精神面でも強靭になっていた。
リベルに二人の家臣を加えた三人の剣の使い手を相手に、シオンは互角に渡り合っていた。
もはや、このエディルネ城内で彼と渡り合える人物はいなくなっていた。
「お見事です、陛下」
後ろからの攻撃を見事に交わしたシオンに、リベルは驚かされた。
「お前の言っていたことが分かったぞ。何かを感じたのだ」
「それは、私共の殺気を感じ取ったのでしょう」
「体で相手を見よ、と言ったお前の言葉の意味が分かったよ」
シオンの成長ぶりに、
「もはや私達に、お教えすることは無くなりました。この城の中で陛下にかなう者はいません。良くぞ、立派に成長なされましたね」
しみじみ思いながらリベルは言った。
「お疲れでしょう陛下、ひと休みされてはどうですか」
ゼノンがタオルを持ってシオンに近付き、汗のかいた彼の体を拭いた。
「世界中の人々は、今も帝国に苦しめられている。ジイ、いつになったら帝国と戦えるのだ。俺はこの三年間、それだけを待っていた。帝国との決戦を」
「そんなに慌ててはなりません。時勢は確実に、我々に向かっているのですから、もう少し待ちましょう。帝国の力による支配はそう長くは続かないはずです。それまでに帝国と戦えるだけの力を、我々は付けておかなくてはなりません」
そう言ってゼノンはシオンのはやる気持ちを抑えた。
「そうそう、陛下に見せたい物があります。あれを見て下さい」
ゼノンの指さす方を見ると、そこには大きな野生の白馬が、数人の男達に引っ張られながらこちらに向かって来る。
「なんて大きな馬なんだ。ジイ、あの馬は一体?」
シオンも驚くほどの大きな馬。
「あの馬は、ここから北に二百キロ行った山岳地帯で育った馬です。村人は、あの馬を伝説の馬だと言って、それにふさわしい乗り手を探していたそうです。どうです? お気に召しましたか。険しい山で育ったため、足は鍛えられていて、とても足の早い馬です。今の陛下に、お似合いの馬だと思いますが」
「あの馬を、伝説の馬を、俺が……。伝説と言えば、昔の俺もそう言われていたな。これも、何かの縁かも知れない」
「あの馬なら、シャドウ将軍の乗る暗黒王・ハーデスと互角に戦えるはずです」
リベルが感心しながら言うと、
「シャドウ・バイエルンか……。奴を倒さない限り、帝国には勝てない。奴に殺されて行った十二神将のためにも、俺はもっと、もっと強くならなければならないんだ」
悔しさをにじませ、シオンは拳を握り締めながら言った。
シオンは暴れている馬の前に行き、手綱を握ると一気に飛び乗った。
「どぉう、どぉう」
荒馬を落ち着かせる。
初めは暴れていた馬だったが、彼の手綱さばきに馬は次第に落ち着きを取り戻して大人しくなった。
シオンはこの馬をペガサスと名付けた。
「ジイ、俺はこの三年、このエディルネの町から外に出たことがない。だから、いつも、外に出てみたいと思っていた。広い世界を、知らない世界を自分の目で見てみたいのだ……」
帝国の監視の目が光っている。是が非でも、自分の存在を知られてはならない。
今までの努力が露と消えると、シオンはグッと堪えるが、
「この機会に、外の世界を見てくるのも良いでしょう」
と意外な返事が返ってきた。
「本当か! 本当に、良いのだな」
シオンの目は、まるで少年のように輝いた。
「今まで、良く辛抱なされましたな。その目で、しっかりと外の世界を見て来て下さい」
「分かった。この遠出を、実のあるものにして来るよ」
大勢の家臣を連れて行けば、かえって不審に思われると思い、シオンはリベル一人を伴って、エディルネから三年ぶりに外に出た。
馬に乗って二人は駆ける。
リベルがどんどん離されて行く。
シオンはペガサスと共に風となって疾走した。
リンツという町に着くと、そこでは大きなシオンの体は否が応にも目だってしまう。
それに、高貴な顔立ちの彼は腰に長い剣を差していて、市民に違和感を与えていた。
だが、そんな彼らの視線には無頓着で、シオンは町の賑わいを楽しんでいた。
「リベル、どう思う、この町の賑わいを」
「やはり、帝国の圧政で、貧しい人が溢れていますね。何より、異民族支配という屈辱は、彼らにとって暗い陰を落としています」
「ジイは帝国を倒す日が来ると言っていたが、果たして、そんな日が来るのだろうか……」
「陛下、肝心の貴方がそんな弱気になっていてどうするのですか」
「心配はいらん。ただ、彼らが生きている喜びを感じ、心の底から笑える日が来るのだろうかと、ふと思っただけだ。そうでなくては、余りにも悲し過ぎるではないか」
シオンはこの町だけではなく、帝国の圧政に苦しめられているだろう人々のことを思うと胸が苦しくなり、何も出来ない自分に焦りを感じていた。
前方から数十人の徒党を組んだ若者が近付いて来た。
彼らは最近、この町を縄張りにしている、ならず者集団である。
「おい、そこのデカいの、どこから来た。ここは俺達の縄張りだ。俺達に断りもなく、我が者顔でうろつかれては困るんだよ。それに、腰に差している長剣は、自分が剣の達人であることを自慢しているのか。悪いことは言わん。痛い目に遭いたくなければ、大人しく金を渡すんだな」
「この町では、道を歩くのに金がいるのか? そうだとしたら、お前達も金を払わなくてはならんな。そもそも、道というのは、住んでいる、この町の物ではないか。ならば俺も含めて、お前達も集まっている住人の一人一人に金を渡さなくてはならない。それが嫌なら、この町から出て行くんだな」
『そうだ、そうだ! お前達が出て行けばいいんだ!』
と、シオンの陰に隠れて、住人の一人が日頃の不満をぶつけるように言った。
「なんだとぉ! もういっぺん言って見ろ!」
男は集まった民衆を睨み付けた。
「おいおい、お前達の相手はこの俺ではなかったのか。それとも、この俺が恐いのか」
「貴様! 言わしておけば良い気になりやがって。大体、お前の立場が分かっているのか? これだけの人数を相手に、勝てるとでも思っているのか。こっちは、ある人物を探しきれずに苛付いているというのに。言っても駄目なら、力ずくでお前から金を取ってやる」
そう言い放つと、彼らはシオンとリベルを取り囲んで襲い掛かろうとした。
『待てぇぃ!』
野盗の後方から一喝する声がした。
「あれほどモメ事を起こすなと言っておいたのに。また、あの人を困らせたいのか。俺達は野盗じゃないんだぞ」
シオンは声のする方を見た。
そこにはシオンと同じくらいの大男がいた。彼がこの集団を仕切っている人物らしい。
「しかし、あの男が俺達を侮辱したんですよ。痛い目に遭わさなければ、俺達の怒りがおさまりません」
「……その必要はない。どうやら、俺達の探し求めていた男が見付かったらしい」
とその男は言って、シオンの顔を見詰めながら近付いて来た。
「あんたに会わせたい人がいる。俺に付いて来な」
男はそう言って振り返ると、若者達を連れて歩き出した。
リベルは不安になり、そっとシオンの耳元で呟くように言った。
「一体、奴らは何者なんですかね。ただの野盗には見えないようですが」
「奴らは皆、相当な場数を踏んでいるのか、強い圧を感じる。奴らが何者であるかは知らんが、あの男の真剣な眼差、決して悪い奴だとは思えない。第一、俺を襲おうとしていた手下を止めてくれたではないか。いくら俺でも、あの人数を相手に、ただでは済まなかっただろう」
「それも、そうですね」
シオンとリベルは黙って彼らの後を付いて歩いた。
野盗は宿場町に入り、その中の一番豪華な宿に入って行った。
彼らはこの宿の用心棒として働いていたのである。
宿の中に入ったシオンは、最高級の部屋に案内された。
その部屋の中に、セーラと二人の侍女がいた。
「ダレス殿、一体どこに行っていたのですか? 心配しましたよ。いくら私のためだからと言って、人を傷付けたりしてはいけませんよ。お願いします……ダレス殿ではないのですか?」
いつもとは違う雰囲気を感じ取ったセーラ。
「貴方は、一体……」
「セーラ? セーラなのか……」
シオンは驚愕した。
死んだとばかり思っていたセーラが目の前にいたからである。
「その声は、もしや……陛下なのですか」
目の見えないセーラが不安そうに聞いた。
「いっ、生きていたのだな、セーラ。良く、生きていてくれた……」
「やっと、会えた。どれほど、会いたかったか……」
二人は涙を流しながら抱き合った。
その場に居合わせ者は皆、二人の再会に涙を流していた。二人がどんな苦労をしていて、どんな思いで今日に至ったかを知っていたから。
セーラは光を失い、また、シオンは消えることのない心の傷を負っていることを。
「この者達が私達を守ってくれました。彼らはれっきとしたビクトリア兵士です。私に不自由な思いをさせないために盗賊まがいのことをしていますが、これとて生きて行くためには仕方がなく、彼らにとって生きて行くための最低限度の行為なのです。でも、彼らは人をあやめたことは一度もありません」
「そうか。初めて会った時から、悪い者達ではないと思っていたが」
「この者達は陛下の下で働きたがっています。私からもお願いします。彼らを陛下のそばに置いてやって下さい」
セーラの紹介で、皆一斉にひざまずいた。
「ダレス、とか言ったな」
「ハッ!」
「良く妻を守ってくれた、感謝しているよ。どうだろう、妻の言った通り、俺の下で働いてはくれないか。俺は今、良き人材を探している。俺の住んでいるエディルネでは、僅かな家臣とその家族がひっそりと暮らして、世界から孤立している。そんな俺には、お前達に良き思いをさせてやることは出来ないが……」
「もったいない御言葉。私達は、陛下のそばで働けるだけで嬉しいのです」
「ダレス、お前とその部下は俺のためではなく、帝国の圧政に苦しめられている人々を救うために働いてくれ。これからもずっとそばにいて、ふがいない俺を助けてくれ」
「ハッ、ハァー」
セーラと再会したシオンは、心強い忠臣となる仲間を伴って、エディルネに帰って行った。
シオンを待つエディルネ城で、驚くべき情報が入っていた。
シオンが最も恐れていた、帝国の知恵者・ザクセンが暗殺されたというのである。
暗殺の詳細は分からないものの、彼の死によって世界を監視していたゲルドは解散させられた。
いよいよ閉ざされたエディルネから離れ、シオンが世界に向かって自由に活動出来る時が来たのだった。