結婚
寝静まったハルの町をシオンは駆けて行った。
馬の蹄の音がセーラの家の前で止まった。
「シオンだわ! シオンが来てくれたのよ」
とセーラは蹄の音を聞いて胸を高鳴らせた。
だが父親のバレルは、それが国王の命令で娘を拘束しに来た使者だと思い込み、セーラを屋敷の奥に隠れるように言った。
「こんな夜更けに、一体、誰ですか?」
と恐る恐るバレルは聞いた。
「私です、シオンです。ここを開けて下さい」
その言葉に驚いたバレルは急いで戸を開けると、シオンを中に入れた。
バレルにとって五年ぶりの再会であった。
「おーお、良く来られました。随分と立派になられましたね、陛下」
「陛下などと、止めて下さい。シオンでいいです。それに私は王を辞めると言って城から逃げて来た人間ですから」
「まさか、セーラのためですか? セーラのために、王を辞められたというのですね……」
バレルは自分の娘がこれほどまでに愛されているのかと思うと、嬉しさが込み上げ言葉に詰まってしまった。
シオンの声が聞こえ、セーラがバレルの部屋に入って来た。
「やはり、貴方だったのね。会いたかったわ。貴方を忘れようと何度も考えたけれど、忘れることが出来なかった」
泣き出したセーラをシオンは力強く抱き締めた。
「娘を、娘を連れて行って下さい。私からもお願いします。例え、どんなことがあっても構いません。娘にも、その覚悟は出来ています」
「はい……」
シオンはバレルの言葉に安堵したのか、今までの心労が一気に彼を襲った。
「シオン、陛下、どうかさましたか?」
エッセン宮を出て以来、三日間の不眠不休で駆けまわり、その上、セーラを想う心労が重なって、意識を失ったシオンはその場に静かに倒れ込んでしまった。
いつの間にかバレルの屋敷は、スペンサーが付けた護衛の兵が辺りを取り囲んでいた。
更に、馬蹄の轟がハルの町に鳴り響いた。
その馬蹄の轟は、セシルを始めとするシオンの家臣達であった。
セシルは、シオンがバレルの屋敷にいることを突き止めていた。彼はシオンの身を案じて自らハルの町に来たのだった。
セシルはある覚悟でバレルの屋敷に入った。
「私はシオン陛下をお護りする、宰相のバレルです。国王陛下はどこにいるのですか」
出向いたバレルにセシルは言った。
「ビクトリア王国の、宰相様ですか……」
外は大勢の護衛兵が屋敷を取り囲んでいる。
バレルは観念し、
「こちらです。どうぞ御入り下さい。陛下は中で休まれています」
セシルを屋敷の中に案内した。
シオンを介抱する部屋に入ったセシルは驚いた。
セーラの手を無意識に握りながら、シオンは静かに眠っていたのである。
セーラはセシルに気付くと、その場を立とうとしたが、
「そのまま、そのまま」
とセシルは言って彼女の横に座った。
「なるほど、陛下が夢中になるのも頷ける」
セーラの顔を見ながら言った。
セーラは頬を赤く染めながらうつむいた。
その時、
「自由を……セーラに……自由を……」
と片言のようにシオンは言った。
「陛下……」
セシルはシオンを起こすことなく黙ったまま彼の寝顔を見詰めていた。
その間もずっと、シオンはセーラの手をしっかりと握っている。
セシルは何度もその強く握られた手の方を見た。
疲れ果てて眠っているシオンを見てセシルは、
私は鬼だ。我が主君に、これほどまでの仕打ちをしたのだから。
と心の中で悔いながら自分を責めた。
この時、かたくなに拒み続けてきたセシルも、二人の強い意志に負けた。
シオンがエッセン宮から出て行った時からセシルは思い続けていたが、ここに来て二人の婚約を認めるという結論に至ったのだった。
セシルは何百年も続いた伝統と、誇り高い血統の絶えるのを恐れていた。
その恐れ故、シオンをこんなにまで追い詰めてしまったのだと気付いた。
国は一度、滅んだ。そして、ビクトリアは新しく生まれ変わったのだと心の中でセシルは何度も繰り返して言った。
朝の始まりと共にシオンは目覚めた。
シオンは目の前にいるセシルを見て、逃れられなかったのだと悟った。
それでも彼は諦めなかった。
鋭くセシルを睨み付ける。
「私は諦めない。何度もジイから逃げてやる」
「もう、もうよいのですよ、陛下。もう逃げなくても。私は決心しました。二人が一緒になることを」
「――今、なんて?」
シオンは自分の耳を疑った。
「二人の婚約を認めてくれたのです」
とそばに付き添っていたバレルが説明した。
シオンは信じられないといった様子で、
「本当なのか、ジイ? 本当に、セーラと一緒になってもいいんだな」
何度も聞いた。
「はい、もう二度と二人を引き離すことは致しません。一度滅んだビクトリアは、二人と共に新しく生まれ変わるのです。さあ、セーラ殿」
とセシルは言ってセーラの手をつかむと、シオンの手を握らせた。
二人は見詰め合って喜んだ。
「しかし……」
とセシルは溜息を付き、重い空気が流れた。
「あとは、帝国の許可が得られるかどうかです」
「帝国の許可?」
シオンは不安そうに聞いた。
「帝国は、我らビクトリアが諸王国と結び付くのを固く禁じています。恐らく、二人の婚約を政略婚とみなして許可を出さないでしょう」
「そんなことまで帝国の許しを得なければならないのか、ジイ」
「それを条件として王国の再興出来たのです。何事も帝国の許可が無ければ、何一つ出来ない。我々は再興と引き換えに自由を放棄したのです」
「やはり、やはりセーラとは一緒になれないんだな……」
がっくりとシオンは肩を落とす。
強大な敵に抗えないのかと。
「それでも私は決心したのです。帝国から許可が得られなければ、今度こそ我々は戦います。帝国との戦争になろうとも、私は二人を一緒にさせてみせます」
「ジイ……」
セシルの言った戦争という言葉を耳にしたシオンは、あれほど拒んでいた争いが、自分の欲望を満たすことによって引き起こされることに、心が揺らいだ。
だが、シオンの目の前には固く決心したセシルが立っていた。もう引き返すことは出来ないと。
シオンは争いが起こらないことを、ただただ、祈るだけだった。
やがて、シオンとノルマン王国のセーラの婚約が、諜報機関であるゲルドからの報告によって帝国に知らされた。
「なんと! シオン公が十六歳で婚約だとぉ」
早過ぎる婚約の報告に重臣達は驚いた。
と同時に、羨ましく思って、一同はそっとカイザーを見やった。思春期まっただ中の十五歳であるカイザーが、全く女性への興味を示さないことを案じてのことである。
「これは、条約違反ではないのか?」
一人の重臣が呟いた。
「そうだ、ビクトリアが諸王国と結ぶことを禁じたはず。婚約によって二国間の絆が一層強まることは明らか」
「これは由由しき事態です」
重臣達は一斉に非難した。
「倒す、良い口実が出来たというもの」
と宰相のゲイツが得意そうに言うと、皆が次々に、
「討伐だ!」
「ビクトリアを攻め滅ぼせ!」
と声を荒げて言った。
「ハッハッハッハー、これはめでたいことにございます」
笑い声の主はザクセンであった。
「気でも狂ったか! ザクセン。何がそんなにめでたいのだ」
「これが喜ばずにおれましょうや。今のビクトリアは、シオン公の誇り高い血統によりその権威が保たれています。アボリジニの唯一の子孫であるという血統が、ビクトリアの権威を高めているのです。あとは下級貴族の集まりに過ぎません。宰相であるセシル卿でさえ、当時名も知られていない下級貴族だったはずです。これら下級貴族出身の者達が占める国でありながら、シオン公という、たった一人の存在によってビクトリアの権威は、諸王国のどの国よりも高く保たれているのです。そのシオン公が他国の者の、しかも平民と一緒になるということは、我々の最も恐れているビクトリアの権威を失墜されることに繋がるのです。また、ゲルドの報告では、セーラとかい言う女のために、シオン公は王を辞めるとまで言っていたそうです。これは彼が王としての器では無いということです。そんな君主を頂いているビクトリアは、自らが招いた権威の失墜によって滅亡への道を進んで行くのです。我ら帝国が手を下さないまでも、ビクトリアは衰退して行くのです」
「それは、そうだ」
重臣達は、ザクセンの話を上機嫌に聞いていた。
「シオン公は、女ごときに王を辞めると言っていたのか。そんなにビクトリアの王位というのは軽い物なのだな」
「無能な王。ザクセンの言う通り、これでは先が見えているな。ハッハッハッハー」
重臣達は大いに笑った。
笑い中、シオンの婚約を認めるという結果をもって終わった。
ザクセンはこの結果にホッと胸を撫で下ろしていた。
彼は、帝国がシオンの婚約を認めなければビクトリアとの戦争になるということを知っていた。何より、シオンの熱い思いを、ザクセンはゲルドを通して知っていたからである。もし、両国との間で戦争が起きることになれば、ザクセンの今までの苦労が水の泡と化す。戦いは時機尚早、まだその時ではないと考えるに彼は、一世一代の大芝居をした。
ザクセンは不敵な笑みを浮かべながら、更に先の戦略を練っていたのだった。
決戦も辞さぬ覚悟で婚礼の許しを請う使者を送っていたザルツ帝国から、シオンとセーラとの婚約を祝福するという知らせが届いた。
帝国からの許可を受け、シオンとセーラの結婚式が行われることになった。
シオンとセーラの結婚は、ビクトリア国内だけが知る閉ざされた結婚式となっていたが、どこから聞き付けたのか、他国の人々もノルトラインに押し寄せていた。
王都エッセンは、さながら世界の中心であるかのような賑わいを見せていた。
馬者に乗って、セーラは遥々ノルマン王国のハルから遣って来た。
セーラはこの時、ノルマン王スペンサー家の養女として王室に迎え入れられた。これによって二人の身分の格差は、名目上保たれたのである。
セーラが宮殿に到着して間もなく、大広間で古式に乗っ取った婚礼の儀式が執り行われた。
二人の結婚式は盛大に挙げられ、エッセン市民はこぞって祝福し、町を挙げてのお祭騒ぎになった。
美しい衣装に身を包んだセーラが姿を現し、緊張しているシオンの横に並んだ。
二人はお互いの顔を見詰めると、今までの苦労を思い出しながら、やっとここまで来たんだという実感が沸いてきて、自然に笑みが浮かんでくるのだった。
家臣達の間から、
「美しい」
という声が上がり、セーラは顔を赤らませた。
白いドレスに赤くなったセーラの顔がはっきりと浮かんできたことに、会場の中から笑い声も漏れた。
シオンは戸惑うセーラの手を握ると、主催者となっているセシルの前に向かった。
二人の晴れ晴れしい姿を見てセシルは涙を流し、二人の結婚を心から祝福したのだった。
喜びに包まれた広間で、ただ一人、セシルは不安を抱いていた。
帝国からの障害が無く順調に進んでいることに。
これは、帝国が意図的に見逃しているのではないだろうか、と。我らは帝国の術中にまんまと陥っているのではないかとセシルは警戒するのだった。
婚儀の儀礼が無事に終わると、エッセン宮殿の庭にも一般の人々の入場が許された。
シオンとセーラは集まってくれた市民に会おうとバルコニーに出た。
シオンは、心の底から祝福してくれている彼らに応えようと手を上げて喜びを伝えた。
『新生ビクトリア王国、万歳! シオン国王、万歳! セーラ妃、万歳!』
と言う歓声が上がり、いつまでもエッセンにこだましていた。
人々の歓声はすなわち、帝国打倒への期待でもあった。
全ての領土を帝国から取り戻すという願いが、市民の歓声の中に込められていたのである。
帝国から禁止されているに関わらず、七王諸国の要人達が駆け付け、シオンに進物を届けていた。
中でも西方世界のノルマン、ネバダ、メシカ、アトラスの四カ国の進物は貴重な物ばかりであった。
ノルマンは宝剣、ネバダは甲胄であり、メシカは弓矢、アトラスは駿馬である。これらはいずれも武器であり、即ち帝国との決戦を意味していた。
セーラとの結婚でノルマン王国との絆は一層強まり、否応なしに帝国打倒の機運は高まった。
シオンはこれらの進物を前にして、
自身のために国を危うくしてしまった。セーラとの結婚は皆のお陰で出来たんだ。今度は皆のために私が何かをする番。皆が帝国との戦いを望むのなら、私は彼らのために戦う。
と誓ったのだった。
挙式から一年が過ぎようとしていた。
シオンにとって、この一年は素晴らしい日々だった。何より愛するセーラと一緒にいれることが彼にとって幸せだった。
いつしか、挙式の日に誓った帝国打倒の気持ちが薄れていた。
新婚という甘い生活の中で、今の生活を維持していたいという気持ちへと変わっていた。
そんな彼の気持ちを察したセシルが、帝国について尋ねた。
「帝国をどう思うか? 勿論、ビクトリアにとって倒さなくてはならない敵だ。それに、世界中の人々を苦しめる敵でもある。しかし、その思いも今は薄れてきているのかも知れない。何よりも、今の幸せは帝国がもたらした幸せのような錯角にさえ陥っているのだから」
その言葉を聞いたセシルは衝撃を受けた。
「帝国が我々にしてきたことを、陛下はお分かりになっていない。帝国は、なんの罪の無い多くの人々を殺したばかりか、陛下の父上を殺した張本人なのですよ」
「私の生まれた直後の話であって、何一つ覚えてはいない。何よりも私には実感が沸いてこないんだ」
「何を言われます。帝国の言いなりになってはいけません。そもそもビクトリアは、遠く愚人達が住んでいた頃からサルフにいた。陛下は原始アボリジニの血を受け継ぐただ一人の人間であり、神より授かった宝玉を持っていたのですよ。それが憎むべき敵の言いなりになっていては……。帝国の圧政下に苦しめられている人々を救い、かつての秩序あるビクトリア時代の世に戻さなくてはならないのです」
「それは、そうだが……」
「お分かり頂けたでしようか? 戦う、戦わないは、王たる陛下がお決めになることですが、しかし、あくまでも帝国の言いなりになると言うのなら、この私をこの場で殺して下さい」
「ジイを殺せと?」
「はい。私が生きている限り、何度も陛下に戦いを迫ります。それ故、戦いを望まないのなら私を殺さなくてはなりません。私の願いはただ一つ、帝国を倒すことなのですから。私を殺さなければ、この国は二つに分かれてしまうことになるでしょう。それが嫌なら私を殺して下さい。陛下の手に掛かるのなら本望です。間違った教育をして来た私の責任です。亡きリード公に対して申し訳がありません。死んで詫びたいのです」
セシルの死を覚悟した諫言に、
「私が悪かった。ジイ、許してくれ。私はビクトリア人としての誇りを見失っていたようだ。今の生活に甘んじ、宿敵であるはずの帝国の機嫌をうかがいながら生きていたことを恥ずかしく思うよ。これからも私のそばにいて叱ってくれ。ジイこそが本当の私の父親なのだから」
「分かってくれれば、それでよいのです」
シオンは王という地位に甘え、自分のことだけしか考えていなかったことを恥ずかしく思った。
「諸王国は帝国の圧政に苦しめられ、不満が高まっています。彼らは一刻も早く、陛下が決起することを願っているのです」
「私は約束する、帝国を倒すことを。それがいつになるかは分からない。だがもし私の気持ちが変わるようであったら、今みたいに私を叱ってくれ」
シオンのその言葉にセシルは涙を浮かべながら喜んだ。
反発し合っていた二人が、この時を境に固く結ばれた。
その固い絆の力は帝国打倒に向けられていった。
シオンはこの後、陰武者である十二神将のユノをエッセンに残して、マラリンガ城に移ることになった。
マラリンガ城を拠点として、帝国打倒を目指す。
暗闇の中、シオンとその家臣団は帝国に気付かれないようにマラリンガへと向かった。
万全の準備を進めるシオンだが、帝国へと攻め上れない理由があった。
その理由がある限り、ビクトリアは挙兵出来なかったのである。
次週から、物語が進展します。オリジナル戦記? 風になっていきます。