決断の時
茶褐色に染まる広大な荒野に、突如として現れた岩山。
シオン一行がリーノを出発して一か月余りが過ぎようとする頃、彼らはマラリンガ城に辿り着いた。
荒野の岩山を城壁にして築かれた城は、外観からでは、それが城だと分からぬように、その存在を隠し通していた。
「あれが、私達の城ですか」
目を輝かせながらシオンは聞いた。
「そうですよ、殿下。あの岩山は城を守る城壁。一見、あれが城であることが分からないでしょう。だから、帝国の追跡から逃れることが出来たのです」
セシル・バレンが答える。
城壁には数え切れないほど人達が登っていて、こちらを見ていた。
「彼らが殿下の留守の間、ずっとあの城を守ってくれていたのです」
とセシルは目頭を熱くしながら言った。
城兵達は、一行の中にシオンがいることが分かると、手を振りながら歓声を上げた。
そして、城門が開いたかと思うと、大勢の兵士がシオンに向かってドッと押し寄せて来た。その数は数千にも及び、シオンの到着を涙ながらに祝った。
彼らに導かれるように城壁を越えて中に入ると、荒々しい岩肌の造りとはうって変わって、人工的な立派な城が見えた。帝国との戦いを想定した堅固な城であった。
全てはシオンを迎え入れるために、家臣自らが王朝の再興を願いつつ建設したものである。
シオンが、太陽の間と呼ばれる一室に案内されると、立派な服を着た十八人の貴族がシオンを囲んだ。
そこで彼らは、改めてシオンに挨拶をした。
「お初にお目にかかります。シオン殿下、よくぞ、よくぞ生きておられました」
と貴族を代表して、ウェリントンが言った。
彼らはセシルと同じ下級貴族であり、陥落間際の王都セルサスから逃れて来た人達である。
彼ら十八人は、滅びたビクトリア王朝を再興し、失われた文化を呼び戻すためには欠かせない人物であった。
「このマラリンガ城では、四万八千余りの住人が殿下を待ち望んでいました。勿論、それだけではございません。世界中に落ち延びたビクトリア兵は、このマラリンガ城を目指して、今も続々と集まって来ています。それに、我々には莫大な富があります。迫害を受けたビクトリア商人達が、我々を全面的に支援してくれているのです。食料は無論のこと、武器や軍馬に至る全ての物資があるのは彼らのお陰です。帝国は、略奪によって財を築いたが、我々は生産することによって財を成してきた。力によって全ての物を手に入れんとする帝国を倒し、かつての秩序を回復させなければなりません」
とウェリントンが力強く語った。
一方、ザルツ帝国では、ノルマン王国領のマラリンガと言う地に、ビクトリアの残党が集まっていることを、残党狩りの長官が知らせた。
多くのビクトリア兵の急速な流れは、否が応にも残党の壊滅をはかる帝国の知るところとなったのである。
更に、長官は驚くべき事実を伝えた。
「なにぃ! ビクトリア王子、シオンが生きていただとぉ!」
「はい、間違いございません。シオン王子の下に、全ての残党がマラリンガに集結しているそうです」
「全ての残党がマラリンガに集結していると……。これは由由しき事態」
宰相であるゲイツは、真っ青な顔をしながらこのことを元老に知らせた。
この報告を受けて、帝国では緊急に評議会が開かれた。
会議に集まった重臣達は皆、口をそろえて『ビクトリアの残党を壊滅せよ』、と言った。
宰相のゲイツを始め、元老までも賛成した。
残党の壊滅を宣言したカイザーも当然、賛成するはずであった。
「おっ、恐れながら、ビクトリアは生かしておくべきかと存じます」
とカイザーの横で小さくなっていた雑用係のザクセンが進言した。
「何っ! ビクトリアを生かせだと。帝国の最大の敵であるビクトリアを生かせというのか?」
「はい。もはやビクトリアは帝国の敵ではありません。恐れるに足りない存在です」
「何を言う! 例え力が無いとはいえ、その存在そのものが無くなるまで安心は出来ぬ。そもそも、下人の身でありながら、何故、重要な会議の席にいるんだ!」
「皇帝陛下の身の回りの世話をするのが私めの役目ですので、同席は当然のことではないでしょうか」
さも、当然であるかのようにザクセンが言った。
ザクセンの横で座っていたカイザーが、思わず手を振り上げた。
口答えするな、という指示であり、一同のこれ以上の反発を逸らすための気遣いであった。
そのことが分かってか、
「つい、出過ぎたまねを。お許し下さい……」
ザクセンは急に黙り込み、静かにうつむいた。
カイザーの行為に自信を得た重臣達は、ザクセンのことなど気にせずに評議を続けた。
ビクトリア討滅の出兵が決まるのを、ただじっと見ているザクセンに、
「何か、言いたそうだな……。構わん、思うことを言ってみろ」
と、言いたくてうずうずしているザクセンにカイザーが言った。
「恐れながら、皇帝陛下並びに、方々に申し上げます。ビクトリアをただ生かすのではなく、臣下として従属させるのです」
「臣下として従属させる、だとぉ!」
一同が驚く。
「はい。そのための降伏を彼らに迫るのです。彼らには対抗する力など無く、必ず降伏してくるでしょう。降伏する代わりに、彼らに帝国の領土の一部を与えてはどうでしょうか。そもそも、この広大な大地は彼らの物。国土の奪回は彼らにとって悲願なのですから、無益な戦いを避けるためにも、ケチケチ言わずに領土を与えるべきです。そして、彼らに恩を売るのです。それが何より、我々の最も恐れるビクトリアの権威を失墜させることになるのですから。まあ、彼らが降伏しないのなら、それはそれで攻めれば良い訳ですし、ビクトリアを生かすも殺すも、皇帝陛下の御考え一つです。おっと、これは私の口出しすることではございませんね。失礼致しました」
遠慮がちにザクセンが説明すると、
「奴らを生かすも殺すも、予の考え次第という訳だな……。面白い、奴らをこの手の中に封じ込め、持て遊ぶのも良い考えだ」
満足そうにカイザーは言った。
「確かに……」
「いや、このまま一気に攻め滅ぼせばいいのでは……」
重臣達はザクセンの案に賛成する者と反対する者とに分かれた。
更にザクセンは、駄目押しとなる決定的な言葉を発した。
「ビクトリアに降伏を迫った後、こう言えば良いのではないでしょうか。降伏を迫った後に、ティアズストーンを差し出せ、と言うのです」
「ティアズストーンが存在すると言うのか! セルサス陥落の際に燃え尽きてしまったのではなかったのか?」
城内がざわついた。
「ティアズストーンは彼らにとっての宝玉であり、王朝の再興には欠かせない代物です。シオン王子が、王都セルサスの陥落から逃れて生きているのが事実なら、確実にティアズストーンも存在します。もし今、シオン王子以下、ビクトリアを攻め滅ぼしたなら、永久にティアズストーンは手には入らなくなるでしょう。ティアズストーンは世界支配の象徴となりうる物であり、これを持つ者こそ、サルフ世界の支配者として諸王国に号令を下すことが出来るのでしょう?」
とザクセンは言って、重臣達を見た。
「宝玉が、我らの手に……」
「ならば、いた仕方がないのでは……」
ザクセンの言葉に、賛否を決めかねた重臣達の意見が一つにまとまった。
一度は諦めていたティアズストーンが存在し、帝国の物になろうということに一同は賛成したのである。
急速な人の流れによって、帝国にマラリンガ城の存在が知られたビクトリアでは、戦いか降伏かのどちらかを巡って、二分した熱い論議が交わされていた。
「我々は裏切りによって負けたのだ。戦えば、必ず勝つ!」
「いいや、違う! 今や帝国はあの時とは違うのだ。より強力に、より強大になっている。今は戦うべきではない!」
「臆したか! 帝国によって殺されて行った同胞の無念を忘れたのではあるまいな。帝国を倒し、我らの領土を取り戻すのだ」
主戦派は帝国との戦いをシオンに迫った。
主戦派と和平派との激論で、板挟みになったシオンは、
「私は、私は争いが嫌いです。戦いに巻き込まれたくないんです。恐いんです」
と、彼らの期待が重圧となって泣き出してしまった。
これを見た主戦派達は溜息を付いた。
「はーぁ、殿下に戦う気が無ければ、仕方ありません。私共も殿下に従いましょう」
と言ってシオンに従ったものの、彼に失望したようにがっくりと肩を落としていた。
貴族達の去った部屋には、セシルと十二神将だけがシオンを見守っていた。
「殿下、涙をぬぐいなされ。殿下には涙は似合いませんよ。殿下は笑顔が一番似合っています」
とセシルが言って慰めた。
「皆は、がっかりしているだろうなぁ。伝説の王子と囁かれていた私が、こんな臆病者だったことに失望しているだろう、きっと。本来なら、私が一番になって戦うと言うべきものなのに……」
「仕方ありませんよ。殿下は、先ほどまでジオと名乗っていた、一市民だったのですから、それが王子と呼ばれて戸惑うのも無理はありません。殿下は、ゆっくりと強くなって下さい」
「ゆっくりと、強く?」
「はい、ゆっくりとです。何も慌てることはありません。自分の思うままに成長すれば良いのです。我々家臣はそれを見守って行くだけです。ここにいるバルカンは、剣の達人です。彼に剣の使い方を教わると良いでしょう。そして、ヘルメスは殿下の教育係として、さまざまなことを教わって下さい。その中で、ビクトリア王子としての、帝王学を学んで行くのです」
とセシルはシオンにアドバイスする。
シオンは師となる二人に、
「お願いします」
と言って頭を下げた。
シオンは、セシルに喜ばれるために早く立派になろうと思った。
その後、降伏の書状を持たせた使者を帝国に送った。
戦争を避け、出来るだけ平和な解決を願いつつ、ビクトリアは戦わずして帝国に降伏したのである。
そして、戦いか平和かを彼らは待ち続けたのだった。
数日後、帝国からの使者がマラリンガ城に遣って来た。
カイザーからの書簡を渡すと使者は帰って行ったが、その書状の内容に一同は驚かされた。
それは、シオンがアルザスに赴いて、カイザーに臣下の礼をとるよう命じるものだった。
それに加え、降伏の条件として、ティアズストーンの引き渡しを要求していたのである。
この条件を受け入れれば良し、受け入れなければ、すぐさま大軍を差し向けるというもので、帝国は、ビクトリアに絶対服従を命じたのである。
伝統あるビクトリアにとってその内容は屈辱的なものであり、到底、受け入れられないものだった。
彼らは帝国に指示されない、完全なる独立国を願っていたからである。
「殿下を、アルザスに差し出せと!」
「これは、体のいい人質ではないか! それに、ティアズストーンは我らビクトリア人の魂だぞ。それを、帝国などに渡してなるものか。だから、最初から戦えばいいと言ったのだ!」
貴族達は憤った。
「まだ、そんなことを言っているのか!」
とセシルはいつになく鋭い眼差しで彼らを叱った。
「国無くして、なんのための宝玉か。それこそ、死んで行った者が浮かばれないではないか。生きていればこそ取り返すことも出来よう。今は戦うべき時ではなく、ジッと力を蓄えるべき時なのだ」
「セシル様、何も、我々が負けるとは限っていません。戦いは、やってみなければ分からないはずです。何より、シオン殿下を帝国に引き渡すことが出来ましょうか。きっと、奴らに命を奪われてしまいます」
「まだ、分からんのか。降伏の条件に宝玉を持ち出したということは、奴らの中に、かなりの知恵者がいるということだ。ただ、強いだけではなく、謀を企てる恐ろしい存在となったのだ。本来なら、我らの降伏を受け入れることなく、有無を言わずに大軍を差し向けていたであろうに……。スペンサー公の話では、この参列を促す書状は、諸王国全てに出されているという」
「諸王国、全てに……」
「奴らにとって、殿下の命を奪うことが狙いではなく、ティアズストーンを世界支配の象徴として、諸王国を完全に支配することであり、我らビクトリアの王権を無力化することこそ真の狙いなのだ。ここは大人しく奴らに従うより仕方がない。短気を起こして帝国に戦いを挑めば、全てが無に帰すであろう。だが、生きていれさえすれば、必ず道は開ける。生きていればこそ、希望は生まれるのだ。その希望に掛けようではないか」
とセシルは言ってシオンを見詰めた。
「私が帝国の元に行けば、争いは無くなるのですね。ならば私は、喜んで帝国の元へ行きます」
「良くぞ、言ってくれました殿下。ここは殿下にお願いし、行ってもらうより他ありません……。ふがいない家臣を持ち、真に申し訳ありません」
セシルはシオンに向かって深々と頭を下げた。
貴族達も同じように頭を下げてお願いしたのだった。
約定に記された日時に辿り着くべく、シオンは帝都アルザスに向かった。
十二神将を始めとして、選りすぐりの者達三百名を護衛に付けさせた。
セシルは、十二神将に短刀を持たせていた。もしシオンの身に何かあれば、カイザーと刺し違えるように、と厳命していた。
それほどの覚悟で彼らはアルザスに向かったのである。