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報復の大地  作者: 西 一
2章 新世界
20/58

皇帝の失踪

 帝都アルザスは、帝国の居城であるオルガ城を中心に碁盤の目のように区画されている。

 オルガ城の東に位置するエアーズロックを防衛の要とし、碁盤の目のアルザス全体が城壁に囲まれた城郭都市を形成していた。そこには、諸国から強制的に移住させられた大商人が住み、やがて、彼らの富によって経済の中心となった。

 人々は自由な商売と利益を求めてアルザスに遣って来た。アルザスは世界最大の都市へと発展し、百万都市として繁栄していた。

 

 帝都アルザスでは、徹底した身分差別が行われていた。

 ザルツ民族を頂点とし、その下に南人と称する七王諸国の人々。そして最下層には、異人と呼び、さげすまされたビクトリア人である。迫害を逃れたビクトリア人は、居住を許されたものの、奴隷のような扱いを受け、自由を奪われていた。アルザス全体の七割を占める彼らビクトリア人にとって、帝国支配のこの時代は、まさに地獄だった。



 ザルツ帝国では、しばしば狩猟が行われていた。

 狩猟は王侯貴族の娯楽として、戦車や騎馬で獣を狩り出すもので、争いが無くなったとはいえ、兵士達の戦闘技術を身に付けるために盛んに行われていた。

 皇帝カイザーもまた、騎馬民族ザルツの君主として積極的に参加した。狩猟はカイザーにとって城から出られる機会であり、縛られた生活から解き放たれる時間であった。

 

 アルザスの北に位置した広大な草原地帯で、主に鹿などを獲物として狩猟が行われる。狩猟はカイザーの気の向くままに行われ、秘密のために小規模で行われた。

 この日も僅かな護衛を従えて、カイザーは草原地帯に遣って来た。

 広大な草原を駆け回り、何もかも忘れて獲物を追う、そんな狩猟がカイザーにとって唯一の娯楽だった。


 一頭、二頭と獲物を仕留め、カイザーは奥地へと入って行った。

 元気の良い鹿を仕留めようと夢中になり、いつしか護衛兵が彼を見失ってしまった。

 だがこれは、カイザーの仕組んだ芝居だった。

 城の中から見ていたアルザスを、カイザーは一度見てみたいと思っていた。そのために兼ねてより計画していたことだった。


「陛下、本当に行かれるのですか?」

 と守役の青年が彼を止めようとして言った。

 彼の名はシャドウ・バイエルン。名門バイエルン卿の長子であり、帝国一の剣の使い手として軍神と呼ばれる人物である。

 バイエルン家は代々、王の側近くに仕え、光の王に対して、影のように主を護る使命を帯びている。貴族の代表格で、その一族は政権中枢に関わっていた。

「勿論だ。そのために苦手な芝居までしたのだぞ、今更引き返すわけにはいかぬ。予はこの目でアルザスを見てみたいのだ。人々がどんな生活をして暮らしているのかを知りたい」

「……分かりました」

 シャドウは覚悟を決めた。


 二人は示し合せていた小屋に入った。

 小屋の中で二人は、カイザーの側近があらかじめ用意していたボロ着をまとった。

 二人はアルザス市民になりすまし、街へと向かった。


 その頃、護衛兵が血眼になって一帯を探し回っていた。

 皇帝の失踪はすぐさまオルガ城に知らされた。

 事の重大さに驚いたカイザーの側近は、全ての真相を元老に知らせた。

 城内は大騒ぎになり、元老グスタフは、カイザーの身の安全を守るために、秘密裏に親衛隊を差し向けたのだった。



 オルガ城での騒ぎをよそに、カイザーとシャドウはアルザスに入った。

 二人は商人達の乗る馬車が入り乱れる石畳の道を、興味の赴くままに歩き回った。

 途中、誰かに付けられているような気がして振り返って見ると、そこには一人のみすぼらしい若者がこちらをジィッと見ていた。


 気にせずにそのまま歩き出すと、若者も同じように歩き出す。

 明らかに二人の後を尾行している。

 シャドウは腰に差している剣に手を掛け、背後の敵に警戒した。

 その時、

「貴様は何者だ!」

 とカイザーは振り返りながら叫んだ。

 彼の声に一瞬驚いた若者は、辺りを気にしながら駆け寄って来た。


「街中で、そんな大声を上げれば目立ってしまいますぞ。恐れながら、皇帝陛下ですね」

 とその若者は小声で言った。

「――許さん!」

 即座に斬り掛ろうとするシャドウを、カイザーが寸での所で止めた。

「まっ、待って下さい。私、は決して怪しい者でございません」

 シャドウの迫力に呑まれ、尻込みする若者に、

「何故、予が皇帝だと分かった?」

 カイザーが問うた。

 すると、若者はカイザーの顔を見ながら、

「まだ幼いのに、実に良い顔立ちをしておられる。何より、腰に差している短剣の紋様は、明らかに鷲の紋章。これを持つのは皇族だけですからね。それからもう一つ付け加えておくと、長い剣を差して街中を歩く市民はいませんよ。外出なされるのなら、それくらいのことは勉強しておくべきです」

 へらへらとニヤけながら説明した。


「貴様は何者だ? 何故、陛下の後を付ける」

 言いながらシャドウが詰め寄る。

「私の名はオットー・ザクセンと申し、れっきとしたザルツ人であります。ザクセン家は代々、騎兵隊長としてザルツに仕えた家柄でした。しかし、先のビクトリアとの決戦で、大黒柱だった父を失ってからは没落の一途をたどり、挙句には妻に逃げられ、幼い娘一人を養い細々と暮らしています。私の願いは没落したザクセン家の再興にあり、帝国に仕官するために、こうして皇帝陛下の来るのを今か今かと待っていたのです」

「何故、予の来るのが分かった?」

 と、カイザーの疑問に、

「私は常日頃、狩猟の際の皇帝陛下の行動を遠くから観察していたのです。そして、あの小屋でボロ着を見付けた時、私は確信しました。今日、ここに遣って来るということを」

 ザクセンは答える。

「陛下を観察していただと……。例え、そうだとしても、正確に来る日が分かるものか」

 有り得ないとばかりにシャドウは言った。


「狩猟は、皇帝陛下おんみずから、お決めになられる。そのサイクルは心得ています。また、皇帝陛下がアルザスに関心を抱いているということも私には分かっていました。臣下になる者として、主人の気持ちを察するのは当然ではないでしょうか」

 自信たっぷりにザクセンは言って、自分をアピールした。

「予を観察していたのか? 面白い」

 カイザーは言って興味の眼差しでザクセンを見る。


「帝国には二つの大嘘があります。一つは世界支配の象徴ティアズストーン、あれは偽物ですね。宝玉を間近に見ている諸王にはお見通し、きっと心の中で笑っていることでしょう。皇帝陛下が笑いものになっているのです。一体、誰がそういう演出をさせたのでしょうかね」

 帝国の幹部らを非難した。


「――貴様は、一体……」

 国家機密を知っている怪しい奴。許してはおけないとシャドウが再び身構えた。

「ほおう。なら、もう一つはなんだ? 言ってみろ」

 カイザーが問う。

「もう一つは、皇帝陛下、御自身です」

「貴様! 陛下を嘘つき呼ばわりしおって、もう許さぬ!」

 激高したシャドウが剣を抜いた。

 ザクセンは怯えるも、話を続けた。

「皇帝陛下は、虚勢を張っておられます。人を制するには恐怖が必要だと御考えであられるのではないのですか。でも、私めにお任せ下されれば、偽りの役を演じる必要はありません。そのような御苦労は、一切お掛け致しませんよ」

「無礼な! 陛下が虚勢を張っていると申すか」

「左様。聞きましたよ。即位式の日、作業者を鞭で何度も打ちすえたと。あれも、自らを大きく見せる芝居ではなかったのですか? 本音はお優しいお方、こうして正体不明の私を信頼してくれるのが、何よりの証拠ではありませぬか」


 全てを見透かされたカイザーは、

「で、どうすればよいのだ」

 と冷静に尋ねる。

「今の世の中は、全てがお金で動いているもの。一握りの特権階級が独り占めしているようですが、これからは全ての人々にお金を行き渡らせるのです。豊かな生活を送れるようになれば、おのずとビクトリアへの畏敬の念は消え去るでしょう。それこそが、私めの役目であると心得ています」

「だが、仕官するのに一つ条件がある。貴様は予の考えていることが分かると言ったな。ならば、予の気に入るアルザスの街を案内しろ。それが仕官の条件だ」

「陛下! こんな怪しき者を。ましてや、異人共の差し向けた刺客かも知れません。御用心して下さい」 

 不信を拭いきれないシャドウ。

「こ奴が異人共の差し向けた暗殺者だとしたら、わざわざ名乗り出ることなく命を狙っていたであろう。ザクセンと言う名は、予は知らぬが、調べれば分かることだ」

「さすがは皇帝陛下、広い心をお持ちですね。それに引き換え」

 と言って、短気なシャドウを見やった。

 それでも、

「例え陛下がお前を認めても、この俺は認めぬ。もしお前に不穏な動きがあれば、ためらわずにその首を斬り落とすぞ! 分かったな」

 睨み付けるようにしてシャドウが言った。

 弱いくせに、やたら自信溢れるザクセンは、彼にとって最も嫌いなタイプである。

「お~~お、恐い恐い。皇帝陛下も、御苦労なされますな」

「何ぃ!」

 二人のやり取りにカイザーはただ笑っているだけだった。


 カイザーにとってザクセンと言う男は、遠慮なくものを言ってくれる、今までに無い異種な存在であった。

 ただ言いたいことを言うのではなく、引く時には引くといった引き際を心得ていて、カイザーの気を引き付けた。大言を吐きながら、それでいて怯えるザクセンの掴み所の無い所をカイザーは気に入ったのである。


 ザクセンの後を二人は付いて行く。

 ザクセンは大通りかられ、人気の少ない路地に入った。

 それから、一軒の薄汚れた建物の前に来ると、振り返り笑みを浮かべた。

「ここはきっと、皇帝陛下の気に入る所ですよ」

 と言ってザクセンは薄汚れた建物の中に入った。


 二人がザクセンの後に続いて入ってみると、そこは薄暗く閉ざされた空間が広がっていた。

 部屋の中は、外観の落ちついた感じとはうって変わって、異様な雰囲気と熱気が充満しているようだった。

 更に、奥に続く部屋が、戸を挟んだ向こう側にあった。

 シャドウが戸の小さい窓から中をのぞくと、そこは、赤や青に照らされた舞台の上で裸体をさらした美女が男と絡み合っていて、その周りを囲むように、だらしのない顔で見詰める男達がいる。

 いつの時代も男は女を求め、女は男を求めるものなのである。それは長い月日を経た今も変わることはない。

「貴様! この様な所に陛下を御連れして、一体何を考えているんだ! 陛下は、おん年十一歳だぞ!」

 生真面目なシャドウが顔を赤らませながら言った。

「皇帝たるもの、女遊びも必要なことですよ。それも、う~んと若いうちからね」

 と悪ぶれるもなく、ザクセンは薄ら笑いしながら言った。


 シャドウは呆れながらも、ふとカイザーを見た。

 ザクセンもまた同じようにカイザーの方を見る。二人の興味はカイザーに向けられていた。

「……皇帝陛下は、女性に興味御座いませんか?」

 ザクセンは、カイザーがこの場所を気に入るだろうと思っていたが、気に入るどころか、まるで関心が無いかのように冷めた目で見ている。

「予は女などに興味はない。ザクセン、お前には街の案内を命じたはだ。早く案内せよ」

 カイザーの言った言葉にザクセンはおろか、シャドウまでも驚かされた。


 カイザーの父、カール・カイザーは一人息子であるカイルを溺愛した。

 その父が死ぬと、後宮にいた一千にも及ぶ女官は全てカイルのもとなった。小さい頃から多くの女官に囲まれ育って来たカイルにとって、女に興味の無いのは無理からぬこと。

 女に興味の持てなくなったカイザーの将来を、二人は案じずにはいられなかった。

 

 カイザーに喜んでもらえるとばかり思っていたザクセンは当てが外れ、名誉挽回のために今度は、アルザス最大の繁華街であるサザンクロスに向かった。

 様々な民族で賑わうサザンクロスは、オルガ城の東を防衛するエアーズロックへと続く大路の中心に位置する街で、戦いが起きるとここは軍事道路となり、帝国軍の大軍はこの大路を疾走するのである。

 この道路の隅には、各種の商品を売る店が軒を連ねていた。

 

 賑わいを見せるサザンクロスにあって、生活に苦しんだ人々の姿が目に付いた。

 メインストリートを歩いていた三人は、一人の少女が鳴きながら店から追い出されている場面に出くわした。

「何故、追い出すのだ?」

 と不思議に思うカイザーがザクセンに聞いた。

「皇帝陛下は常に城の中にいて、下界のことを知らないようですが、この街は貧富の差が激しく、食べる物に困っている人々が多いのです。あの少女もきっとお腹をすかし、盗みを働いたのでしょう。あの場合、少女をいじめた店主を責めるのではなく、お金を持っていない少女が責められるべきなのです」

「金に困っていると言うのか?」

「はい。少女にお金がなく、盗みを働いたのでしょう」

 そうザクセンが説明した。


 少女に哀れみを感じたカイザーがシャドウに合図すると、察したシャドウが、ふところに隠し持っていた袋を取り出してザクセンに手渡した。

「これは?」

 と言って袋の中を見る。

 その中にはぎっしり詰まった金貨が入っていた。

 カイザーの目線が少女に向けられると、

「これをあの少女に……でも、こんなに沢山のお金は少女を不幸にするだけですよ」

 そう言ってザクセンは袋の中から一枚の金貨を取り出し、袋をシャドウに返した。


 ザクセンが少女に近付いて、一枚の金貨を手渡す。

 ザクセンがカイザーの方を指しながら少女に何かを告げると、少女はカイザーに向かってお辞儀し、

「ありがとう!」

 大きな声で叫んだ。

 カイザーは少し照れたのか、急に振り返り歩き出した。

 これを見てザクセンは笑いながらカイザーの元に駆け寄って来た。

「余計なことを」

 とカイザーは言いつつ、

「予は、全てのアルザス市民が楽しく暮らしていると思っていた。だが、苦しんでいるたみが多くいるということを初めて知った」

 思い詰めた表情で街を見回した。


「このアルザスでは、経済力のあるビクトリア人が力を持っています。最下層の身分であるビクトリア人は、我らザルツ民族より経済力を持ち、今やその地位は逆転しています。遊牧の民であったザルツには、元々経済力という力が無いのです。そして彼らは、経済力のあるビクトリア人に苦しめられています。地位はあっても金は無く、また、地位は無くても金があり裕福な暮らしをしている。しかしながら、彼ら無くしてアルザスは元より、帝国の発展は望めないのです。アルザス市民もまた、弱肉強食の世界の中で暮らしているのです。今や、金さえあればなんでも手に入る時代となりました。言い換えれば、世の中が平和になったということでしょう。諸王国は金で兵を雇っていると聞きます。経済力のある諸国は次第に力を付けて来ています。帝国を侵略者として見ている彼らは、経済力によって、いつかは帝国に反旗を翻すかも知れません」

「ならば、諸王国から金を取り上げればいいではないか」

「事は、そんな単純ではありません。経済とは絶妙なバランスで成り立っているもの。強制的に行えば全てが狂い、社会が回らなくなります。諸王国にはむしろ寛大に扱い、共存共栄して行くことこそ帝国の繁栄に繋がって行くのです。先ほどの少女に哀れみを抱いた気持ちを、諸王国にも持つべきなのです。何せ、ビクトリア王朝を倒し、世界を支配するということを人民が望んだわけではありません。むしろ、敵対感情を強く持っているに違いありません。今は強力な軍事力を背景にして支配しているものの、この先、この軍事力を維持し続けられる保障はどこにもないのですから。だからこそ、今のうちに力による支配を避け、人民に好かれる政治に改めなければ、帝国は世界から孤立するでしょう」

「……」

 常にザクセンと反発していたシャドウではあったが、彼の言葉にいちいち頷いていた。


「では、貧富の格差が開くのは何故だか御分かりですか? それは、他ならぬオルガ城です。膨大な建設費は強者に流れ、弱者は労働によって血までも吸い尽くされている。帝国はそんな弱者に強制しているのです」

 そう言って、その場から見えるオルガ城を指し、

「あのオルガ城の建設が、彼らを更に苦しめているのです。あの城は帝国の象徴とはならず、帝国の力を削り取っているようなもの、決して完成することはないでしょう」

 とザクセンは言い切った。


 ザクセンの言葉は最もなことではあったが、シャドウは無論のこと、側近すら口に出しては言わなかった。シャドウは、何か自分の代わりに言ってくれているような気がして、ザクセンの過激な発言に彼の身を案じた。

 しかし、今日のカイザーはいつもと違い、ザクセンに怒ることはなかった。ザクセンという男に出会えたことが、怒りという小さな枠を通り越し、喜びへと変わっていったからである。

 だが、

「それは出来ぬ。オルガ城は予の夢だ。帝国の繁栄のために、今の力を維持し続けるのみ。この先も、ずっと諸王国を力で屈服させて見せる。それが、帝国の宿命なのだから」

 とカイザーは言い放つと、先を急いだ。


「良く言ってくれたな」

 小声でシャドウは言ってザクセンの肩を軽く叩くと、先頭に彼を押し出して案内の続行を自ら頼んだ。

 いつしか、いがみ合っていた二人に友情が芽生えたのだった。


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