暗黒の世紀
ビクトリア王国を中心に繁栄を続けている世界に、今まで影を潜めていた一つの脅威が差し迫っていた。
三世紀の半ば、サルフの北方にザルツ民族による国家が生まれたのである。その名をザルツ王国と言う。
ザルツ王国は、旧ドイツを中心としたゲルマン民族による国家で、七王諸国の人々より遅れてサルフに遣って来た。そのため、豊かな南方の地には住むことが出来ず、北方の荒れ果てた大地への居住を余儀なくされたのだった。
彼らは、遊牧という原始的な生活を行っていた。
一年を通じて、水や生草を追い、色々な家畜を伴って移住した。そんな彼らの間には、絶えず部族間の抗争が続いていた。風土は過酷で、弱肉強食の世界である。その中から勝ち残った部族は強力で、戦いを通じてその軍勢も鍛え上げられていったのである。
各部族が対立抗争を繰り返していた騎馬民族ザルツの中に、統一国家を築こうとする者が現れた。ゲルド族の族長テリー。彼は、抗争を続ける諸部族を制圧して民族の統一を果たした。
首都ケルンで即位したテリーは、中央世界にザルツ王国の誕生を宣言した。太陽暦二百二十五年のことである。
遊牧社会は、南部の進んだ農耕社会より経済効率が低い。彼らに与えられた領土は貧しい不毛の地でしかなく、膨れ上がった人民に、兵士らに食料や財貨を与えてその忠誠をつなぎ留めておく必要がある。そのためには、肥沃で豊かな南方の地へと向かわなくてはならない。
南部への侵攻は、彼らにとって宿命となっていたのである。
厳しい風土から生まれた凶暴な性格と異常なまでの強さが、中央世界の国々を恐れさせた。それに加え、ザルツ民族の宿命ともいえる南下政策による略奪と侵略によって、近隣諸国はより一層の驚異に悩まされたのだった。
ザルツ王国の度重なる侵攻に業を煮やした中央世界の雄、ビクトリア王国がついに動いた。
ビクトリア第十二代王、アルバ・アーサーは、三十万の大軍を率いてザルツ討伐に向かった。勇猛を持って知られるアルバ王は、並外れた統率力と行動力で、ザルツ軍に攻撃を仕掛けた。
大地を埋め尽くす大軍が攻め寄せ、さしものザルツ軍も為す術が無く、ザルツ王国は王都ケルンを陥落させられ、北方の地へと追い遣られた。
この打撃の後遺症によってザルツ王国は、東西二つの国家に分裂した。ザルツを受け継ぐ西ザルツ王国と、新興勢力が打ち立てた東ザルツ王国とである。
強力な騎馬軍団を率いるザルツ軍を倒して凱旋したアルバ王を、セルサス市民は熱狂的に迎え入れた。
アルバ・アーサーは英雄王として後世にその名を残す存在となり、アルバ王の下、ビクトリア王国は繁栄の絶頂期を迎えた。
こうして、北方の脅威は消え平和な世が訪れたかに見えた。
だが、時代は動き始める、新たな局面に向かって……。
辺境の地に追われたザルツの人々は、この地より遠く離れたビクトリア王国のある南の方角を見詰めていた。
彼らは、夜空に輝く不動の星、南十字星に異常なまでの興味を抱き、信仰の眼差しで見ていた。時あたかも、太陽が沈んだ夜空に星が輝くように、ザルツ民族の信仰する南十字星が輝き始めようとしていた。
そして、勢力を回復したザルツは、再び南方の地を狙っていた。復讐心を燃やし、飢えた獲物のように。
繁栄を誇ったビクトリア王国も、次第にその勢力を失っていく。
北方の脅威をよそに、宮廷内の権力闘争によって自らを追い込んでいったのである。
勢力を失ったビクトリア王国に、アルバ王のように自ら兵を率いて戦いに挑もうとする王は現れなかった。もはや政治的手段によってのみ、ザルツ軍の侵攻を阻止するしかなかった。
中央ビクトリアは、七王諸国と協力してザルツ王国への包囲網を敷いた。
長大な城壁をザルツ国境線に沿って建設し、侵攻を防ぐ一方で、政治的手段を用いて解決しようとした。
この当時のザルツは東西二つ分かれていたが、そのうちの一方と同盟を結び、もう一方を孤立させることによって東西両ザルツを敵対させ、その勢力を無くそうとした。
旧ザルツ王国を継承する大国、西ザルツは比較的穏健な国だった。一方、新興国東ザルツは強硬的で中央世界の国々が恐れている国。そこでビクトリアは、西ザルツ王国と経済的支援の下で同盟国となり、貧しい西ザルツに財政面で支援する代わりに、ビクトリア及び七王諸国に侵攻しないという不可侵条約を結んだ。
この条約締結により孤立した東ザルツは、存亡の危機に立たされたのだった。
不可侵条約を結び友好国となった西ザルツ王国は、中央世界の序列第八位としての地位までも与えられようとしていた。また、友好のあかしとして、西ザルツ王カール・テリーを、王都セルサスに招待した。
ビクトリア第十八代王リード・アーサー直々の案内で、西王カールをセント・メアリー宮殿内に招き入れた。
カールは、初めて見るセルサスと荘厳なセント・メアリー宮殿を見て、中央世界の文化の高さに驚かされた。と同時に、ビクトリア王国には背けない、戦っても勝てぬと思い知らされた。そして、世界の政治と文化の中心である王都セルサスに憧れたのだった。
一方、サルフ世界の中で孤立した東ザルツ王国は、政権の維持すらままならなくなっていた。
この状況を打開し、国内の不満をそらすためにグスタフ王(獅子王)は出兵を命じた。
東ザルツ軍は、再び南部に侵攻し、各所で略奪を行った。
東ザルツ王国と接する諸国は、東ザルツの野蛮な行為に見兼ねて、宗国ビクトリアに東ザルツ討滅の軍を要請した。
この要請に応えて、ビクトリア王リード・アーサーは、二十万の大軍を率いて東ザルツ討滅に向かった。
長身のリード王は武勇に優れ、歴代の王の中で最も英雄王に近い存在と称されていた。その彼がビクトリア軍を率いて、東ザルツを目指して進軍する。
リード王は、長子であるガイアー王子を伴っていた。ガイアー王子はこの時十三歳、この戦いが彼にとっての初陣であった。そして、リード王の事実上の後継者として内外に認めさせる場ともなった。
これに対してグフタス王は、四万五千の東ザルツ軍を率いて王都ドレスデンを進発した。
両軍は、ビクトリア・東ザルツ国境で激突。
圧倒的な数のビクトリア軍の前に、最強を誇った東ザルツ軍も後退を余儀なくされた。
だが、戦局を有利に進めていたビクトリア軍ではあったが、東ザルツ騎兵の自慢の機動力に掻き回され、決定的な打撃を与えることが出来ない。
長年、平和の続いた中央世界で、戦争経験の無い兵士が占めるビクトリア軍に対して、この一戦に国の運命を懸けて立ち向かった東ザルツ軍は、全員が一丸となって戦い抜こうとした。
こうして、有利な状況に追い込みながらも、ビクトリア軍は責めあぐねた。
この時、リード王の脳裏にある不安がよぎった。
西ザルツ王国の動静である。今もし、留守にしている王都セルサスに西ザルツの軍勢が攻め寄せたなら、防ぎきれない。そう思うと、是が非でも早く倒さなければならないと焦る。その焦りがリード王の指揮を狂わせ、ついに泥沼の長期戦に突入したのだった。
遠く離れた西ザルツの地で、リード王の不安が現実のものになろうとしていた。
同盟国として、不可侵条約を結んでいた西ザルツ王カール・テリーの心に動揺が走ったのはこの時であった。
かつて、リード王自らの手で宮殿を案内されたこと近親感を抱いていたカールは、栄光あるザルツに汚点を残すだろう裏切り行為に動こうとはしなかったが、命懸けの家臣達の要請に対して、ついに決断を下したのだった。
「ただし、市民への殺戮は禁ず!」
とカール王は厳命し、名将バイエルン将軍に出兵を命じた。
こうして、七万余の西ザルツの大軍が王都セルサスへ向かったのだった。
驚異的な早さで進軍している西ザルツ軍に、セルサス市民は全く気付いていなかった。
彼らには西ザルツ王国と交わした不可侵条約が頭の中にあったからで、同盟国である西ザルツが攻め込んで来るとは誰も思ってもいなかったのである。
その西ザルツ軍が王都セルサスの目前に姿を現した。
王都セルサスには頼みとするリード王と、主力軍はいない。準備もままならないまま西ザルツ軍からの攻撃が始まった。
城門は硬く閉じられ、セルサスを守る二万余りの守備隊は、西ザルツ軍の侵攻を必死で阻止し、同時に七王諸国に援軍の使者を送った。
いかにザルツが攻城戦に不得意であっても、七万の大軍で囲まれているセルサスにはこれを阻止する術はなかった。
強固に守られていた城門もついに開かれ、大軍がセルサス内へと押し寄せた。
荘厳だったセント・メアリー宮殿に火の手が上がり、王都はザルツ兵の侵入によって大混乱した。
そしてついに、王都セルサスは陥落したのである。西ザルツが挙兵して僅か五日後のことだった。
西ザルツ軍は僅かな兵を駐留させ、ビクトリア軍との戦闘に参加すべく、すぐさま進発した。
国境での死闘の最中、ビクトリア軍にセルシオ陥落の知らせが飛び込んで来た。
この知らせを聞いたリード王は愕然とし、家臣らの進言を聞こうとはせず、無謀にも撤退を命じた。
東ザルツ軍を追い詰めながら、ビクトリア軍は撤退した。リード王は明らかに我を忘れていた。
ビクトリア軍が撤退するのを見たグスタフ王は、この動きに事の重大さを察知した。
彼は躊躇なく追撃を命じた。
息を吹き返した東ザルツ軍は反撃に転じた。
執拗に追撃の手を緩めようとはしない東ザルツ兵の攻撃に、ビクトリア軍は、ただ逃げることだけしか出来なかった。
リード王の頭の中には王都セルサスのことしかなく、セント・メアリー宮にいる王妃と、生まれたばかりの第二子、シオン王子の二人の安否が心配で、居ても立っても居られなかった。
執拗なまでの追撃に、ビクトリアの名将や猛将達が次々と討ち死にしていった。
その時、セルサスを陥落せしめた西ザルツ軍が、ビクトリア軍の目前に現れた。
この瞬間、ビクトリア軍の敗北が決定的となった。
ビクトリア兵の誰もが死を覚悟し、王都セルサスを陥落させた軍に決死の突撃を敢行した。
その裏で、ビクトリア王朝存続のために、『十二神将』と呼ばれる十二騎の名将を付き従えさせ、ガイアー王子を東方世界に逃がした。僅かな期待を込めて。
この後リード王は、ザルツ軍と三度戦い、そして四度目に討ち死にした。
リード王は最後までセルサスを目指していた。彼は、生まれたばかりのシオン王子をもう一度この目で見届け、そして抱き締めたい一心で動いていた。我が子シオン、その思いが彼を狂わせたのだった。
東西、両ザルツ軍は力を合わせて戦いに勝利した。
その後、交わることのない両ザルツ軍の、覇権を懸けた戦いが始まるであろうことは誰の目にも明らかだった。
だが、二国間の戦いは無かった。東ザルツ王グスタフは、西ザルツ軍の軍門に下ったのである。
東ザルツ軍は、ビクトリア軍との戦いにより壊滅状態にあった。無傷の西ザルツ軍と戦う余力は無く、こうして西ザルツ王国は、東ザルツを吸収する形で統合を果たす。
この速やかな統合劇に人々は、戦う前から既に統合の計画があったのではないかとの憶測が飛び交った。同じザルツ民族として統合することが念願であり、彼らの真の敵はビクトリア王国だったのだと。
一方、十二神将に守られ東方世界に向かっていたガイアーにも危機が迫っていた。
そしてついに差し向けた追っ手に捕らえられてしまった。
カール王の命令によって、ガイアー王子は殺されることなく生け捕りにされた。
実子のいないカールは、盟友であったリード王の遺児であるガイアーを養子にするのだと、戦う前に決めていた。固く結ばれていた条約を一方的に破棄したことへの償いとして、心に決めていたのだが、そんなカール王の思いとは裏腹に、セルサスへ護送される途中、ガイアーは自ら命を絶った。
父を失い、セルサスも敵の手に渡り、もはや生きる望みを無くしていた。このままおめおめと敵の捕虜として生き恥じをさらすぐらいなら死んだ方がましだと、若干十三歳の少年であるガイアーは思った。そして、栄光あるビクトリア王国の名に恥じないために名誉ある死を選んだのである。
ガイアーは手厚くこの地に埋葬された。
ガイアー王子の死をもって、ビクトリア王朝は滅亡。太陽暦三百二十五年、長きに渡ってサルフ世界に君臨してきたビクトリア王国は、蛮族ザルツの手によって滅ぼされたのだった。
カール・テリー(征服王)は、五千の親衛隊を率いてセルサスに向かった。
途中、ガイアー王子の死を知ったカールは複雑な思いであった。一生消えないであろう罪を背負って生きねばならないと唇を噛み締めた。
やがて、カール王は花の都と称されたセルサスに入城し、念願の中央進出を果たす。
中央世界の繁栄を物語るセルサスはしかし、破壊尽くされたガレキの街と化していた。
セント・メアリー宮殿も例外ではなく、そこには、カール王の思い描いていたセルサスは無かった。
緩やかな中央進出を目論んでいたカール王だったが、十万に及ぶ、東西・両ザルツ軍の駐留は、略奪と殺戮によってセルサスを荒廃させていた。
軍政の取れていない有り様に激怒したカール王は、すぐさま本陣をセルサスの西十キロの所に移し、露営の地から、セルサス再建の指揮を取った。
だが、時すでに遅く、この残虐極まりない所業は、セルサス市民は勿論、七王諸国にも深い恨みを買うことになった。
執拗にセルサスにこだわるカール王に対して、宰相であるヘルムートが進言した。
「王城の地を、世界の中心であるアリス・スプリングスにしてはどうでしょう。家臣一同は一刻も早く、この忌わしき地を去りたいのです」
彼の進言によってセルサスへの遷都を諦めたカール王は、ザルツ王国の王都をアリス・スプリングスと決めた。
アリス・スプリングスは、大陸の中心に位置する。『神聖にして、侵すべからざる地』として、古くからビクトリア人の聖地として保護してきた場所で、世界の支配者と成らんとするザルツにとって、アリス・スプリングスは王都に最もふさわしい場所だった。
アリス・スプリングスに移って来たザルツ王、カール・テリーは、名を『カイザー』と改名し、自ら皇帝と称した。
サルフ世界の事実上の支配者として、初めて皇帝を名乗ったのである。
また、世界一巨大な一枚岩として有名なエアーズロックの西にあるオルガ岩群に、帝国の居城を築かせた。
オルガ岩群は、高さ五百メトルの赤褐色の岩が三十六もの群れを成している。このオルガ岩群に、かってない巨城を建設しょうとした。その規模は、ビクトリア王国のセント・メアリー宮殿の比ではなく、オルガ城の建設には高度な土木技術が駆使された。
オルガ城の建設と並行して帝都の建設も同時に行った。
アリス・スプリングスを『アルザス』と改称した、この前代未聞の帝都建設の大工事には、何十万人という人々が掻き集められた。これらの建設の際、カールは、積極的に亡国ビクトリアの文化を取り入れ吸収したのだった。
作業は困難を極め、多くの人夫の命が奪われた。世界の人々に対して、蛮族異民として、また異端者として対立しているザルツ民族は、壮大なオルガ城を築くことで人々を威圧し、その威光を世界中の人々に示そうとしたのである。
カール皇帝は、東西の統合軍の中から二万人の精鋭を集め、皇帝直属の親衛隊とした。その兵士は、信仰する南十字星をかたどった『十字の紋章』の甲胄を身に付けた。
黒一色に染められた親衛隊を十字軍と呼び、これに加えて兵力十五万の帝国軍は、世界最強を誇る軍隊となった。
この強力な軍事力を背景にして、ザルツ帝国は世界を支配して行くのである。
それまで関与しなかった七王諸国の政治にも直接介入し、その豊かな資源と富までも手に入れようとした。
カール・カイザーは、反帝国勢力に対して徹底的に弾圧を加えた。
同盟国だったビクトリア市民に対しても、容赦なく弾圧を加えた。
真に帝国の安泰を願う彼は、ビクトリア人を迫害し始めたのである。
国を追われたビクトリア人は、世界中に落ち延びる流浪の民となった。
広大なビクトリア領を手に入れ版図を拡大したザルツ帝国は、更に強力な力を持った。その頂点に立つ皇帝の権威は絶対で、政治的権力も無限である。
カール・カイザーはこの時、権力者の誰もが夢に見た永遠の支配を求めた。ビクトリアに代わって千年王国を築こうとしたのだった。
古より民族を尊重し、対等な立場で接してきたビクトリア王国に代わって、七王諸国を臣下として支配し、各国の政治に介入するザルツ帝国は、世界中の許さざる敵となった。
ザルツ帝国の恐怖政治に苦しめられた人々は、この時代を『暗黒の世紀』と呼んだ。