新世界誕生
暗黒に包まれていた世界に、やがて、一筋の光が差し込んで来た。
その光は別世界を映し出していた。
そこは、焦土と化した不毛の地。人類が長年築き上げてきた文明が跡形も無く消え去っていた。
夜が終わり、優しい朝の光が一日の始まりを告げようとしていた。
朝焼けの美しさは例えようもなく、変わることのない月日の中にあってすら、この大地を幾度となく照らし続けてきた。
こうして核の冬は終わり、長い間、大気を覆っていた分厚い雲が次第に薄れ、大地は光と共に極寒の世界から解き放たれたのだった。
核戦争後、生き残った人々は廃虚と化した故郷を捨て、安住の地を求めて放浪の旅に出た。
被害の少ない場所を見付けると、人々はこの地に根を下ろし、復興に力を注いだ。
人々は協力して家を建て、町を造り、豊かな生活を取り戻すべく努力を惜しまなかった。
人類の復興へのエネルギーは凄まじく、徐々にではあるが生活力を回復させ、崩壊する前の文明を取り戻そうとしていた。
だが、そんな彼らにも限界があり、努力では解決出来ない問題があった。それは他ならぬ放射能だった。
彼らにとって放射能は、未知の領域だったのである。
大地を汚染した放射能は、知らずのうちに人類をむしばんでいた。
汚染大地から発せられる、大量の放射線によって細胞の遺伝子が傷付けられ、生態系そのものを大きく狂わせる。目や手、足の無い奇形児が多く生まれ、生命力の低下した子供達は次々に死んで行った。
繁殖能力を失った人類は、消滅へと向かって行く。
こうして、百数十年のうちに、人類は地上から姿を消した……。
見渡す限りの廃虚の中、たくましく生きる人々の姿があった。
彼らは、消滅へと追いやる放射能によって、突然変異という形で生まれ変わり、放射能に対する抵抗力を身に付けた人間である。
まさに神に選ばれた、奇跡の人々であった。
こうして失われた文明を取り戻し、継承すべく産声を挙げて間もない新人類によって、新しい時代の幕が開かれたのだった。
かつて、人類の九割が暮らした北半球は、世界大戦によって破壊尽くされていた。
新人類は、被害の少なかった南半球を目指して移動した。
太平洋の南西部にある孤高の大陸、オーストラリア。こここそ、彼らが苦難の末にたどり着いた最終の地であり、安住の地であった。
四方を海で囲まれたオーストラリア大陸は、避難民である彼ら新人類を優しく迎え入れた。
彼らは、この広大で、しかも優しい大地を母なる大地と尊び、『サルフ』と呼んだ。
このサルフ世界を舞台にして、新人類は新しい時代を創造して行くのである。
数千年の月日が流れ、絶望的状況からかろうじて逃れた新人類によって、新しい文明が生まれようとしていた。
と同時に、過去の出来事を振り返り、百年の歴史を築いた人達を、自分達新人類の祖先であるという意味を込めて、『祖人』(旧人)と呼び、また、優れた文明を持ちながら滅んで行った人々を、愚か者という意味を込めて、『愚人』(ぐじん)と呼び軽蔑した。
成熟期を迎えたサルフ世界は、人口爆発によって、より一層繁栄することになる。
今から三百年以上前に、サルフ中央の広大な地(ノーザンテリトリーと南オーストラリア州)に王国が生まれた。その名をビクトリア王国と言う。
ビクトリア王国は、原住民とされるアボリジニを先祖とした(権威付けのために先住民族の名が利用される)アーサー王が打ち建てた王国とされ、元々この地に住んでいたオーストラリア民族による国家である。
ビクトリア王国は、自然と調和した文化と、彼らの知恵によって発展し、人口は二千万人を超えた。王都セルサスには、当時の技術の粋を集めて造営した、荘厳なバロック様式のセント・メアリー宮殿が建つ。
歴代の王は太陽を崇拝したため、代々、太陽王と呼ばれた。よって、アーサー王が即位し建国した年を元年とし、太陽暦一年とした。王家の紋章には太陽をかたどった、『太陽の紋章』を、国旗には雄大な空の青と、母なる大地の赤の二色を用い王国の象徴とした。
また、ビクトリア王国の他に、幾つもの民族による王国が生まれた。
サルフ七王国と呼ばれる国々である。
七つの国々は、ビクトリア王国を宗国として忠節を誓った。
彼らはその昔、自分達の祖先がこの大陸に渡って来た時、先住民であるビクトリア人に優しく迎え入れられ、広大な領土まで分け与えられた。
今も心の奥底に、感謝と尊敬の念を抱きながら宗国ビクトリア王国と共存した。
ビクトリア王即位の際、七王国の王達はセント・メアリー宮殿に集まり、大広間の玉座の間で大王(ビクトリア王の尊称)即位式を祝う。その時、新王の意思によって列席順が決められた。
その国の文化や、伝統の高さによって席順が決められるのである。
序列第一位 ノルマン王国
旧、イギリス・アイルランドを中心とした民族の国家である。西オーストラリア州の中東部に位置するノルマン王国は、王都をリーズとし、リーズ城を中心にスペンサー家の統治する国である。人口五百万人の小国ではあるが、ノルマン王国は、ビクトリア王国と同じく三百年の歴史と伝統を持ち、宗国ビクトリアの兄弟国として不動の地位を築いていた。
序列第二位 ネバダ王国
旧、アメリカ・カナダを中心とした民族の国家である。西オーストラリア州の南東部に位置するネバダ王国は、王都リーノを中心に、商業の発展した経済大国である。人口八百万人、多くの商人は利益を求めて世界中に進出している。
序列第三位 メシカ王国
旧、中南米の国々を中心とした国家である。 西オーストラリア州の中西部に位置するメシカ王国は、王都をレオンとし、人口五百五十万人の小国ではあるが、自然に恵まれ農産物が豊かな王国として繁栄している。インド洋に沈む夕日が見られる西海岸は絶景で、歴代の王達はこの海を一望出来る場所に離宮を建て、この地をこよなく愛した。
序列第四位 大漢王国
旧、中国を中心としたアジア民族による国家である。クイーンズランド州一帯に位置した大漢王国は、ロプノール地方の長安に王都を置き、人口二千万人を誇る七王国中最大の国で、王都長安は最も人口密度の高い都市である。長安城を象徴する大極殿は世界最大の木造建築として知られ、城下には国特有の瓦を乗せた家々が連なり、茶褐色の世界が広がっている。東海岸には、2000キロに渡って連なるサンゴ礁群・グレートバリアリーフが、海洋汚染によって死滅した珊瑚礁も、今ではかっての姿を取り戻しつつある。
百年前の群雄割拠の中、のちの大漢王となる劉氏と、それと並んで称されていた豪族・周氏とが対立し、二大勢力がぶつかり合い一大決戦を行った。この戦いに勝った劉氏が王朝を開き、国号を大漢とした。漢とは漢民族のことである。一方、敗れた周氏は一族を引き連れて、東方、華山の奥地にあるシャンガン(香港)へと落ち延びた。
こうして天下を取った劉一族ではあったが、大漢王朝は常に外敵からの侵攻に脅かされていた。北部には、漢民族の支配に抵抗する、異民族の強力な騎馬民族が大漢を狙っている。それに、敗れたとはいえ、今なお勢力を保ち続けている周一族の存在があり、総兵力八万という大軍を有しながら、その大半を防衛に当らせなければならず、大漢は不安定な状態が続いている。
序列第五位 アトラス王国
旧、アフリカ・アラブ諸国を中心とした国家で、西オースロラリア州の南西部に位置した王国である。王都をラバドとし、人口四百五十万人で七王国中最小の国であるが、最も資源に恵まれた王国で、歴代の王達はこの資源を守るために、独自の強力な警備隊を組織するなどして心血を注いできた。
序列第六位 ガザフ王国
旧、ロシア、東欧諸国を中心とした国家である。ビクトリア州と、ニューサウスウエールズ東部に位置するガザフ王国は、王都をエノバに置く、人口一千万人の大国で、兵力三万八千人を有する七王国中最強の国である。
伝統と、独自の文化を持つ大国ガザフが序列第六位に甘んじているのは、中央ビクトリアとの確執が生じたためである。真紅に蠍をかたどった国旗に象徴されるように、常に強国として中央から謀反の疑いを掛けられていた。そんな中、建国間もないガザフが王都に選んだのがセベルスクであった。オーストラリア・アルプス山脈を背にした難攻不落のグリフィス城のあるセベルスクは、当時のビクトリア王の疑心を抱くものであり、強く反対され、中央ビクトリアに近いエノバへの遷都を余儀なくされた。ガザフにとって、宗国ビクトリアといえども内政干渉されたことは耐えがたい屈辱で、何より、ガザフ民族が中央に持つ疑い、七王国中最も荒れ果てた土地(かつてのシドニーやキャンベラ、メルボルンといった太古の都市のあった、放射能に汚染され不毛の地)を領土として分け与えられたこと。そのことをガザフ国民は長く疑念として持ち続けていた。次第に、歴代の王達は中央世界に対して閉鎖的となり、恐れられる存在となっていた。
序列第七位 ローマ王国
旧、ヨーロッパ諸国による国家で、ニューサウスウエールズ州西部に位置する王国である。典型的な多民族国家であり、人口一千五百万人を有する大国ではあるが、絶えず争いが続いていたために七王国中最も貧しい国となった。
多民族国家であるローマは民族対立による内戦が続いていが、今から十年前に、都市国家に過ぎなかったローマが内戦を鎮め、周辺諸国を従えて一つにまとめた。そして、異民族同士の反発を無くすため、諸候の代表者が王を選んだ。この時に選ばれた王が幼いシルビア女王である。争いを止めるためだけに選ばれた女王ではあったが、その治世は今なお続いている。
これら七王国のうち、ノルマン・ネバダ・メシカ・アトラスの西方世界は先進国とされ、ガザフ・大漢・ローマの東方世界が後進国とされた。
インド洋から吹く風が雨を運び、西オーストラリアの平原を見渡す限りの花畑にする。
豊かな大地が西方世界に富をもたらしていたのだが、中央ビクトリアが東方世界を後進国と呼んだのは、中央と東方諸国との間に巨大な砂漠が両国を隔てていて、交通の便に恵まれていなかったからである。
だが、二つの世界を隔てていた砂漠に、『砂漠の道』と呼ばれる行路が出来た。
この東西を結ぶ陸上交通の発達に伴って人々の往来も多くなり、東方諸国の発展を後押しすることになった。
こうして中央ビクトリアを中心に、サルフ世界は繁栄を謳歌した。
この新世界サルフは、まさに旧世界を縮図した世界であり、愚人達によって崩壊させられた文明、民族による習慣や伝統、文化を継承した新人類に、神が与えた小さな世界であった。
国名や人物名がたくさん出てきますが、こだわりはありません。日本人以外の名付けのセンスが無いので、
気にせずに、読んでいただければと思います。