メシアの出現
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そして、戦争は終わった。
長く続いた戦争の結末はあっけなく、人類は全面核戦争によってそれまで続いた、いがみ合いを止めたのである。
一方、その代償として人類の活動までも止めつつあった。
死体は累々として街や道路を埋め尽くし、生き残った市民の中には、絶望にあまり自殺する者がいて、無秩序の中、略奪集団が殺戮を繰り返した。
各所に発生した火災は消す術もないほど燃え盛り、放射能を含んだ灰が空から降り注いだ。
大量の燃焼放出物が空を覆い尽くし、太陽光線の九〇パーセントが遮られた。
地上は暗黒の世界と化し、『核の冬』が人類を死の淵へと追いやった。
核戦争に、勝者はないといわれる所以である。
いつまでも太陽の出ない閉ざされた世界を、人々は神の怒りだと恐れおののいた。
大都会には放射性物質が、底に溜ったヘドロのようにベットリと付いて離れず、伝染病の発生により生きて行く条件が損なわれていく。
人々は死と隣り合わせの世界から抜け出せず、もがき苦しむ日々が続いた。
放射能を浴びて体の免疫力が低下しているうえ、食料不足からの栄養失調で倒れて行く者も多く、またオゾン層の破壊によって、太陽の紫外線が地上に直射することで皮膚ガンや盲目になる者が続出した。
人々は傷付き倒れながらも生きるために、被害の少ない安住の地を目指すことになり、長年住んだ町に最後の分かれをすべく、その光景を胸に焼き付けるために山を登り始めた。
山を登るに連れ、町の全容が見えてきた。
地中に埋め隠していた廃棄物が空に舞い、ススやチリ、マイクロプラスチックが濃く立ち込めている暗黒の隙間から、徹底的に破壊尽くされた町が見えた。
それまでの、生まれ育った懐かしい記憶を思い浮かべていた彼らは、目の前の悲惨な光景を見た瞬間、悪夢のよう現実から逃れようと、今までの思い出を閉じ込め、忘れ去ろうとせずにはいられなかった。
戦争を始めた指導者達は、この惨状を見て、どう思っているのか? 何万、いや、何十万もの命を奪った指導者達の、戦争に突き進んだ決断を……。
世界を一瞬にして破滅させた核兵器。使用すれば報復の連鎖が起こり、悲惨な状況に追い込まれることは、小さな子供でも分かっていたのに。何故、保有し続けたのか。
「あんな滅茶苦茶な世界にしゃがって! 核保有国から、賠償金を」
「そうだ! 全ての核保有国に制裁を!」
と若者達が声を上げるが、
「……」
すでに、その国々は存在していない。
どこに怒りをぶつけていいのか、若者は怒りを通り越して、虚しくなった。
彼らは振り返ることなく、更に登って行くと、遠くにシカの群れがいるのを発見した。
その時、彼らはなんともいえない安堵感を覚えた。人間の他に生きている動物がいたのかと思うと嬉しくなった。
しかし、シカは彼らを見て怯えるように逃げ出した。
これを見て彼らは、同じ人間が罪のない動物達に、口では言い表せないほどの仕打ちをしていたことに愕然とした。
シカの群れを追うように進んで行くと、朽ち果てた大木に座り、涙を流している一人の老人がいた。
その老人は古びた杖を持ち、長く生えた白い髭が、何か言い知れぬ偉大さを感じさせていた。
「悲痛な叫びが、耳に残って離れません。あと、どれだけの命を奪えば、御許しになるのですか? どうか、怒りを御鎮め下さい。もう、人類の罪は解かれたのではないのですか。この惨事を見ても満足されず、この上、まだ命を奪おうというのですか」
と、老人は天を仰ぎながら独り言を言っていた。
「家族を、亡くされたのですね。お気の毒に」
同情の声を掛けると、老人は人々が登って来ることを知っていたかのように涙を拭いて、彼らを見た。
年輪を感じさせる深いシワの奥に光る瞳は、なんだかこの世の全ての出来事を見通せるように鋭く、そして澄み切っていた。
その老人が、今度は人々に向かって話し出した。
「この戦争は、いわば大地が引き起こした戦争だったのかも知れません。神が創りし母なる大地から、我々が豊かな生活を求め大量の資源をむやみに吸い尽くしてしまったことに大地が怒り、人類の吸い取った分だけの量の血を欲したのでしょう。大地は人類に争いを起こさせるため、時には領土として、時には資源として魅力を付け自らを着飾った。我々が資源をむさぼればむさぼるほど、大地は多くの人間の血が必要となり、大きな戦争を引き起こさせたのです。その大地が襲い掛かって来た。まさに、大地による報復だったのです」
「――そんな! 大地に意思があるなんて」
「この戦争は、大地の怒りをかったったがために、引き起こされた戦争だったのか?」
「この大地が生き物だなんて、馬鹿げている」
人々は驚きと共に、老人を嘲笑うように言った。
老人はその場にあった小石を拾うと、嘲笑う彼らに言った。
「形ある全ての物には命があります。これらは、生きている証拠を残さんがために形を保ち続けているのです。この石とて、遥か長い年月を掛けて我々に生きている証拠を残そうと、こうして石として存在しているのです。生きる大地もまた、誕生したままの姿を残そうと努力している。にもかかわらず、人類は大自然の造形美を大きく変え傷付けてきた。当然、報復もしよう。ましてや、意思ある生命はなおのこと、何かを残そうとするはずなのです。そう、意思ある生命は何かを残してきた。かつて繁栄を誇った恐竜達は、次の世代である我々人類に貴重な資源を残してくれた。この資源により今日の優れた文明を築くことが出来たのでしょう。だが、我々人類は次の世代に何を残したのでしょうか」
と人々に問い掛けた。
「……」
彼らには、その答えがなんであるのか分からなかった。
老人は暗黒の地上を指差しながら言った。
「長い歴史の中で、人類はなにも学んではいなかった。だだ、自滅の道を歩んできたに過ぎず、我々人類が次の世代に残したもの、それは単にゴミではないでしょうか。あんなに優れた文明を持ち、万物の霊長だと自負して疑わなかった人類の残したものは、なんの役にも立たないゴミだったのです」
「――そ、そんな……」
老人の言葉に、信じられないといった様子でいたが、
「そうだな。資源の無い今、テレビや車なんて物は、無用の長物。なんの役にも立たない」
「後世に残したものが、ゴミだけだなんて……」
「愚かな人間」
と、口々に言って、誰もが納得した。
「人間には誰しも、欲があります。生きるための欲、幸福を満たすための欲など様々欲があります。だが、自分が幸せになることは決して悪くはない。自分が不幸でいて、なんで他人の幸せを願うことが出来ましょうか。むしろ、自分が幸せでいて初めて他人のことを真剣に考えられるのです。それ故、人々は幸せを求めようとするのでしょう。人間の優しさの中に欲が生まれ、その欲が戦争を導いているのです」
と老人が言うと、
「私には欲などありません」
一人の青年が自信を持ってハッキリと言った。
老人はその青年に対して、
「貴方が一生懸命に働いて溜めたお金を、他人に渡すことが出来ますか? 自分の家に見ず知らずの人が勝手に上がり込んで来て、ここは私の家ですと言って住み着いたらどうしますか? 貴方はその人と仲良く暮らして行くことが出来ますか? 他人のために自ら危険な仕事を引き受けることが出来ますか?」
矢継ぎ早に質問するが、
「そ、それは……」
青年は、この老人の言葉に対して、どれも言い返すことが出来なかった。
「小数の人間がそんな気持ちである以上、これらの人々が多く集まり国家を形成した場合、もっと複雑になってくるでしょう。異なる歴史と異なる文化を持つ民族が集まれば、それぞれの欲の下で対立が起き、戦争は起きてくるものなのです。私は貴方に欲があるからといって責めているのではありません。この地上に欲を持たない人間など存在しないし、誰もが最低限の欲を持って生きているのです。むしろ、欲があるからこそ人間なのです。欲とは、生きる者全てに課せられた宿命と言えるでしょう。この戦争も、今までに起こった、たった一つの戦争に過ぎなかったはず。人々を豊かにしてきた科学技術の発展が、皮肉にも人類を滅亡の淵へと追いやったのです。何故、こうなる前に気付かなかったのでしょうか、繰り返し行われてきた戦争に、早く飽きるべきだったのです。数え切れない戦争をしながら、未だ飽きずに続けている。すでに神は、殺戮を繰り返して来た人類を見捨てられたのかも知れない。神が創られた自然を、破壊し尽くした人類を」
「我々は、見捨てられたのか……」
老人の話を誰もが真剣に聞いていた。
「神はきっと、こうおっしゃるだろう。他者を殺すために知能を与えたのではない。か弱き人類が、長らく生き抜くため、困難を乗り越えるために知能を授けたのだと。そして、人間は全ての生命の霊長として共存して行くためのみ、人間としての特権を与えたのだと」
「そうだとしたら、神は、我々人間を見捨ててしまったのだろうか」
「人の手は、銃などの武器を作るためのものではなく、困っている人に、救いを差しのべるものであったなら、こんな悲劇は起らなかったはず。今までに人類は、何万種という掛け替えのない生命を絶滅へと追いやってきた。それなのに、たった一種に過ぎない人類を神が滅ぼそうとしても責めることなど出来ません。そもそも、人類にそれを言う資格は無いのですから」
「では、我々は、滅びる運命なのですか?」
と不安を隠しきれない人々に、この時初めて老人は笑顔で答えた。
「いいや、神は我々を見捨てたりはしない。こうして、清らかな者達が生き残っていのが、その証ではないのですか。そうでなければ、人類はこの地上から完全に姿を消し去っていたはずです。何故なら、我々人間は神の子なのだから」
「神の子……」
「そうだ、我々はこうして生きているじゃないか」
「まだ、人類は滅んじゃいない」
こうして淡々と話をしている老人の姿を見て、誰もが気付かなかった本当の人間の姿を知っているこの老人こそ、我々を救ってくれる救世主だと思った。
そして、もっと早く彼が現れていたなら、こんな結末にはならなかったであろうとも思った。
だが、繁栄を極め、おごり高ぶっていた時代に現れていたとしても、誰もこの老人の言葉を信じようとはしなかっただろう。人間は落ちるところまで落ち、そこで初めて人間の本質を知ることになったのだと、人々はようやく気付いたのである。
「この先、平和は訪れるでしょうか?」
老人を覗き込むように不安そうに聞くと、彼は大きく首を振った。
「かの者がいる限り、まだ、平和は訪れないでしょう」
と言って彼方を杖で指した。
老人が指した方を見ると、そこからは到底見えるはずのない海が、チリとホコリのスクリーンに映像として映し出された。
それは何年も前の過去の映像、核戦争後の世界だった。
皆が注視しているその海から突如、大きな波を起こして浮上する何十隻もの原子力潜水艦群が、その異様な姿を現した。
軍人達は、あの忌まわしい核戦争中、その身を海中の奥深くに沈め、数カ月もの間放射能を避け続けていたのだ。
原潜群はゆっくりと陸地に着け、そして放射能の測定をした後、軍人達が大地に降りたった。艦内から多くの水や食糧を取り出し、既に死んで行った者達を嘲笑うかのように上陸を果たしたのである。
老人は軍人達を指さしながら、
「かの者がいる限り、地上に争いは無くならず、平和は訪れないでしょう。神は、こんな悲惨な代償を払ってやっと分かり合えた人類を、まだ許してはくれなかったようです……。人類に新たな試練を与えるべく、かの者達をこの地上に送り込んだのでしょう。恐らく、争いは、この先も続くでしょう」
鎮痛の面持ちで彼らに語った。
「では、人類は今までなんのために生き続けてきたのですか? この地上に争いを引き起こすための存在であり、自然を破壊するための存在でしかなかったのですか? そもそも、人類は何一つとして生み出すことが出来なかった。この地上にある物だけを使って作り出すことはしたが、自ら創り出した物など、何一つとして無かった。その結果がゴミだけだなんて、なんと嘆かわしいことなのだろう」
「いいや、我々人類はこの地上に、たった一つの『大いなる遺産』を残しています。自ら創り出した太陽は、今もこの地上を浄化再生している。我々人類にとって、唯一の誇りとも言えるでしょう」
「本当ですか!」
「我らは神の子。神は、その子である我らを、決して見捨てたりはしません」
そう言って老人は天の方を見詰め、人類を褒め称えた。
この言葉によって人々の心の奥にあった罪の意識が薄れ、可能性を秘めた喜びへと変わった。
人々は老人の元へ集まり、そしていつまでも閉ざされた世界を見詰めながら、償いのために力のある限り生きようと思った。
そして、世界の苦しみを自分の苦しみとして、一人一人がお互いの幸せのために、出来得る限りの努力を尽くして生きることを誓った。
「さあ、行きましょう。この地獄の世界から抜け出し、理想の世界を築こうではありませんか」
と老人が言ったあと、
「はい!」
「必ず!」
力強く彼らは答えた。
人々は老人に導かれるように付いて行った。
老人の持つ知恵と勇気を借りて山を下って行った彼らは、安住の地を求めて旅出たのだった
この後、人類には想像を絶するほどの試練が待ち構えていることだろう。
何故なら、大地の報復は始まったばかりなのだから。
次週から二章になり、あらすじ通りの展開になります。作風がガラリと変わるのですが、引き続き読んでもらえると幸いです。