奪われた自由
再戦に突入し、て三年の月日が流れた。
世界中に飛び火し拡大した戦争は、大都市をも巻き込み、美しい姿を戦場へと変えていった。
無惨な戦争の傷跡が至る所で見られ、殺戮が繰り返されている。
国土が瓦礫の山となっても各国の主導者は、自国民の辛苦を顧みることなく戦争を続けた。
戦争の長期化で深刻な兵員不足に陥っていた。
人員の不足を補うため、若者の多くがその意思に関係なく徴兵され、戦場へと送り込まれていた。
戦争によって自由を奪われただけでなく、夢や希望に向かって努力し築き上げてきた全てのものが、一瞬にして消えてしまうのである。
二〇六五年・一二月二十五日、アメリカ合衆国・カリフォルニア州・サンディエゴ。
海軍航空隊に徴兵され、軍事訓練を受けているトニー・ライトが一時帰宅した。
「お帰り」
と喜ぶ母親に、
「……出撃命令が出た。明日、空母に乗って戦地に向かうことになったんだ」
言い難そうにトニーは言った。
いつか来るものと思いながらも、
「明日、出撃だなんて、早過ぎるじゃない」
突然のことに驚きを隠せない。
「緊急を要するってことは、それだけ追い込まれているんだろう」
「まだ先のことだと思っていたのに……。戦場へなんかに行かなくてもいいんだよ。ずっと、ここにいればいいんだ。行かないで、お願いだから。母さんを一人にしないでおくれ。お父さんも戦死して、お前が行ってしまったら、母さんはどうやって生きて行けばいいの、お前だけが生き甲斐なんだよ」
「俺は、国のために戦うんだ。俺だけじゃない。俺よりも、もっと若い者達が戦場に行っていることを母さんも知っているだろう。自分一人だけが逃げたりは出来ないよ。心配しないで、きっと生きて帰って来る。だから、俺を笑顔で見送って欲しいんだ」
「そんな……」
町の誰もが知っていた。
戦場に行けば生きて帰れるという保証はなく、多くの者が死んでいったということを。
十八年間、大事に育ててきた我が子が死のうとしている。
だが、救いを求めても誰も助けてはくれない。
戦場に送り込もうとするのが、それまで国民の味方だったはずの政府だと思うとやり切れず、死に行く息子に何もしてやれない悔しさが同時に沸き起こって、我を忘れて泣いた。
悲しむ息子の顔を見て、ふと我に返った母親は、
「ごめんね、母さんがこんなことでは……これから戦場に行こうとしているお前に、勇気付けてやらなければならないのに……まだ、死ぬと決まったわけじゃないのに……。本当に、ごめんね」
と自分に言い聞かせながら落着きを取り戻した。
それを見てトニーは言った。
「今日一日、母さんのそばにいてあげたいんだけど、俺には行く所があるんだ」
「エレナの所かい」
「うん」
と、少し照れながらトニーは返事した。
「会いたいんだろう。母さんはもう大丈夫、気が済むまで泣けたから。行きなさい、エレナの所へ」
大きく頷いたトニーは、僅かな荷物を持って、恋人であるエレナの所へ向かった。
遠く離れた道程を一気に自転車で駆け抜け、エレナの家に着くと息を切らして倒れ込んだ。
『ガタン』
外で何かの物音がするのに気付いたエレナは、窓を開け暗闇の中をのぞき込んだ。
「誰かいるの? そこに」
「俺だよ、トニーだ。開けてくれ」
「どうしたの、こんな時間に……まさか!」
「出撃命令が出た。明日の朝、俺は戦場に行くことになったんだ」
「そんな、急に……」
戸惑うエレナをトニーは見詰めながら、
「急に会いたくなって……今日で最後になるだろうから……」
理由を告げた。
「……」
その後、二人は何も言えなくなってしまった。
沈黙を破るようにトニーは言った。
「初めて会った日のことを覚えているかい。俺は君に好きだと言うことがなかなか言い出せなかった。だけど、あの時のエレナの気持ちが分かっていれば、あんなに悩むことは無かったのに……。人の気持ちが、お互いの気持ちが分かり合えば戦争など起こりはしないだろう。人を愛すること、人を信じること、人を尊ぶこと、戦争は絶えず続いているが、この気持ちも少しは生き続けているんだろうな」
「人は何故、愛し合うの? 遅かれ早かれ分かれは来るものなのに……。愛することがなければ、こんなに辛い思いはしなくて済むのに、一体、何故?」
「愛とは、お互いの良きパートナーを見付けるために、二人の間に突然生れる引力みたいなもの。そう、二人を引き付けるために。愛とは、子孫を残すために欠かすことが出来ない重要なものであり、人が持って生まれた本能なのかも知れない。愛を無くした国は、やがて滅びるだろう、確実に。愛が生き続けていたからこそ俺達がいる。だからこそ、人は愛し合うんだろう。こんな簡単なことが、今になってやっと分かったよ」
「ほんとに、そう。簡単なことだったのね」
二人はベッドに横になった後も見詰め合い、お互いの愛を確かめるように抱き合った。
部屋には、時計の針の進んで行く音がむなしく聞こえるだけで、静かに時間だけが過ぎていった。
一睡も出来ぬまま朝を迎え、カーテンの隙間から強い日差しが入って来た。
晴れ渡った空をこんなに憎らしいと思ったことはなかった。
「そろそろ、行かなくちゃ」
トニーが言うと、
「行かないで! いつまでも、私のそばにいて欲しい。私を愛しているのなら」
エレナが引き留めた。
「国の命令には背けないよ」
「逃げましょう、二人一緒に」
「逃げるって、どこへ」
「少しのお金ならある。国外へ、逃げるのよ」
「今の時代、安全な場所なんて、どこにも無いよ。だからこそ、俺は君を守るために戦いに行くんだ」
「でも……」
「一緒に逃げようって言ってくれて、嬉しかった。二人が共にした夜を最後の思い出として、俺は行くよ。たぶん、この戦いで死ぬことになるだろうが、いいや! 今日、トニー・ライトは死んだんだ。死んだ人間に見送りなどいらない。来るな!」
無理に冷たくしあしらうトニーは、彼女を拒絶するように振り払った。
だが、その気持ちが分かっているだけにエレナは泣いた。
初めて見せる彼女の涙を見て、この時初めて戦争への怒りをぶちまけた。
「この戦いは、自由を勝ち取るためと言っているが、上の者は何一つとして分かっちゃいない! 戦争に勝ったとして、何が残るというんだ。廃虚となり、何もかも無くなってしまった地上に何を求めればいいんだ。そこには、上の者が言っているような自由は無く、ただ、絶望しか残らないではないか。そして、愛する君はいないかも知れない。この戦争のために、愛という自分にとって一番大切な、幸せと感じる、そういった心の世界を失うことになる。感情も捨て、愛情も捨て、残った人間は抜け殻となり上の者に従うただのロボットになってしまう……。そう、俺達は上の者に良いように操られた、ロボットなんだ」
「そうね。私達は、人間として扱われない、ただのロボットなんだわ」
「誰もが、こんな馬鹿馬鹿しい戦争が終わることを望んでいるはず。ごく小数の政治家らの意地の張り合いのために、なんで俺達が犠牲にならなければならないんだ、チキショー!」
言ってトニーは唇を噛み締めた。
「もうよそう、こんな話。俺は自由を奪われたロボット。ただ、プログラムされた指令に、従順に従うまで。反対は出来ないんだから。君は俺の死への旅立ちを静かに見守ってくれ」
「待って。この手紙を私だと思って、持って行って欲しいの」
とエレナは言って、去り行くトニーに一枚の手紙を渡した。
「この手紙には私の気持ちが入っているわ。いつか渡そうと思っていた物なんだけれど、まさか、こんな形で渡すことになるなんて……。何かあった時、その手紙を見て欲しい。そして私を思い出して欲しいの。その時、貴方の心の中に私も入って行けるはずだから」
「……分かった。必ず読むよ」
手紙をポケットに入れると、トニーはサンディエゴ海軍基地に向かった。
港には、老朽化したミニッツ級・航空母艦が停泊していた。
ミニッツ級は既に退役していて、博物艦船として保存されていたが、戦力補強のためにオーバーホールされた後、現役復帰を果していた。
二基の機関部の原子炉に火がともる。機関部のタービンが動き、出港の時を待っていた。
老朽艦に若い兵士達が続々と乗り込んでいた。
この巨大な空母を目の前にしてトニーは、戦いへの実感が込み上げ足がすくんでしまった。
だが、拒絶することは出来ない。敷かれたレールの上をただ進んで行くしかないのである。
自分の意思に反し、半ば押されながら最上部の飛行甲板に上がって来た。
全長332m。幅77mの広大な場所から、軍事色の濃い環境構造物を見上げると、否応なしに戦いに参加するんだと思えてくる。
そこからは、見送りに集まっている人々が小さく見え、誰もが悲しみに包まれているよう様子が分かった。彼らもまた兵士達の親なり、恋人なり、大事に思ってくれる人達なのだと思い、別れは自分一人だけじゃないんだと自分に言い聞かせ、別れの辛さをグッと抑えて紛らわせた。
ほどなくして出航の合図が高らかに鳴り響き、四千六百人の乗員を乗せた巨大な船体がゆっくりと動き出した。
港を離れるに連れて甲板上の兵士がどっと後方へ押し寄せ、トニーはその中にまぎれながら船尾へと追いやられた。
周りの者が泣き叫んでいる中、彼は取り残されたように岸壁を見詰めていた。
その群集の中に、
――エレナ?
エレナがいた。
彼を追って駆け付けて来たエレナが、息を切らしながら自分を探しているのを見た時、堪えていたはずの悲しみが胸を突いて沸き起こり、トニーは彼女の名を叫んだ。
「エレナぁ!」
エレナは応えるように手を振り上げて言った。
その声は聞こえなかったが、『生きて帰って来て!』と言っているのがはっきり分かった。
港を離れるに連れてエレナの姿は小さくなり、やがて消えて行った。
トニーはその後もずっと見詰め、涙を拭うことなくその景色を焼き付けていた。
空母の護衛のために随伴する数隻の巡洋艦、駆逐艦やフリゲート艦、その後方に補給艦が続き、海面下には攻撃型原子力潜水艦二隻が共に戦場に向かった。
この空母打撃軍は南下し、物資の補給のために同盟国であるオーストラリアへ寄港することになっていた。
トニーは、とうに見えなくなったサンディエゴの方をずっと見ていた。
太陽の反射する海面が全てをさえぎり、大海原に取り残されたような激しい孤独が彼を襲った。
落ち込んでいるトニーを見兼ね、一人の老兵士が声を掛けてきた。
「若いの、辛いのは分かるが、そうしょげてばかりはいられまい。この現実から誰も逃げ出すことなど出来ないんだからな。覚悟を決めな、俺達は生きて帰るんだ! そうだろう」
老兵士の勇気付けの言葉にトニーは応えられなかった。
もう誰も彼を救うことは出来ない。
広い太平洋の海上で、トニーは未だ味わったことのない孤独にうちひしがれていたのだった。