回顧レトロメモリー。
雪柳愛と市民プールに行ったとき、彼女はデカすぎるシャチの浮き輪にビビって泣いていた。
あの子は泣き虫だった。
田舎は遊ぶ場所が少なくて、どこに行くにも交通手段を要した。
自分はド田舎育ちということもあり、引っ越す前は時々近所のじーさんの畑仕事とかを手伝ったりしていたから、基礎体力が高かったんだと思う。
だから俺は泳げて、彼女は泳げなかった。
雪柳はプールサイドで退屈そうにセミの声を聞いている。唐揚げとポテトはあまり美味しくなかったようで、手付かずのまま放置されている。
首にはいつも「けろけろけろっぴのポシェット」をぶら下げていて、そこから取り出した500円玉硬貨をお守り代わりにギュッと握りしめていた。
これは今朝パパからもらったお小遣いらしい。
彼女は子供の頃から大のパパっ子だった。
授業参観になると積極的に発表するようになるし、将来の夢の作文には『パパの二番目のお嫁さんになる!』と書いていた。それが不可能だと知る年齢に達すると、今度は『パパみたいな人と結婚する!』という妙な妥協案を唱え始めた。
俺の出る幕はなかった。
何故なら自分は単なる仲良しの男友達で──彼女の言う「パパみたいな人」とは程遠い存在だったから。
そういう経緯もあり、俺と雪柳は恋愛関係に発展することはなかった。
だけど、本当はずっとずーっと好きだった。
寂しさを紛らすために、“泥だんご売り”に扮した俺に話しかけて最初の友達になってくれたのが、彼女だったから。
ゆきやなぎあい、と書かれた名札を今でも大切に保管してある。それは夜神月が机の引き出しにデスノートを厳重に閉まっていたように、誰にも見せないように置いてある。
虫が怖くて、お化けが怖くて、甘えん坊で、甘いものが大好きで、どこか妹みたいで、唐揚げとポテトが大好きで、だけど何よりもパパが大好きで、子供っぽいところもあるけれど、純粋で優しい女の子。
どうして「好き」と言えなかったんだろう。
どこかに、遠慮があったのかもしれない。
雪柳愛はパパが好きで、だから俺に興味なんてなくて、俺は彼女が泳げないのに遊びたいからという理由で無理やり誘ってしまって、泳ぐ練習も「やだ」と断られ、プールサイドで体操座りをしながら食べるも泳ぐもせず、退屈そうにセミの声を聞いている姿を見て、心がギリッと痛んだ。ただただ悔んでしまった。
そして、いつしか、考えるのをやめてしまった。
※ ※ ※
『徹平、私──東田辺高校を目指すことにしたっ! だからお願い! 一緒に受験してっ!!』
『…………え、ガチで??』
中学三年のとき、唐突にそんなお願いをされた。
ワガママだと思ったし、最初は戸惑った。
思春期を迎えて、別々のクラスになって、遊ぶことも少なくなり、お互いに別の友達グループに属して、互いの進路すら知らない状態で、そのまま別の高校に入学してゆき、幼馴染みとして関係がフィードアウトしてゆくとばかり思っていたからだ。
正直にいうと雪柳も俺もアホだった。
ちゃんと勉強をしてこなかった。
目標の高校はそれなりに偏差値が高くて、今から本気で頑張ってギリ射程圏内に入るかどうかのランクだった。理由を聞くと、彼女は覚悟を見せた。
『パパの母校なのっ! だからどうしても行きたいっ!』
そんなことだとは思っていた。
彼女は昔からそうだ。反対しても聞く耳なんか持っちゃいない。自分の決めたことを曲げない妙な頑固さがある。それは芯の強さとも形容できるが、なんにせよ彼女は本気だった。
俺はつくづく雪柳は仲良しの女友達たちと一緒の高校に行くとばかり思っていた。でも安易な同調で進路を選ばなかった。だからやんわりと断って、俺という共犯者を作ろうとした。俺は否定しないから。絶対的な味方だから。一番の理解者だから。
じゃあ、俺は安易な同調で進路を決めろと?
お前のためにランクの高い高校を受験するために必死になって勉強して、目線も歩幅を合わせろと?
そんなのはずるいだろ……雪柳。
お前は一緒に頑張る仲間が欲しいから、俺に縋ってきたのかもしれないけど、それが他人の人生を左右させる選択だって理解してるのか?
かなりワガママなことを言ってんぞ、一人っ子。
でも、断る理由はなかった。
俺は彼女と一緒にいたかったし、彼女に恩返しをしたかったし、離れ離れになんかなりたくなかったし、やっぱり好きだった。頑張ろうとする人を後押ししてやりたかった。願いを叶えてやりたかった。
『ったく………しょうがねえなあ』




