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ただの日常に潜む災難

作者: ダック

僕の名前は多田仁ただひとし

自分で言うのも悲しいが特別なものなんて何一つ持っていないありふれた人間の一人だ。

普通に会社員をして、小さな事に幸せを見出すのが精一杯な人生を送っている。

そんな僕の平凡な人生の中で数少ない不思議な体験の1つをこれから話そうと思う。

最初のポケモンではヒトカゲを選び、外で買うならお茶はおーいお茶、小学生の頃に購読していた漫画雑誌は少年ジャンプ、関東に生まれた事もあり巨人とヴェルディを応援するような、まさにかき氷のシロップのような存在だった僕だが、唯一望まれる事なく人と変わった事をしてしまった。

それが今の仕事だ。どういう訳か小説の中でしか触れた事が無い、そして悪役でしか無い仕事だが、気づいたら不思議な縁で辿り着いてしまった。

そこで出会った不思議な出会いの1つを紹介をしよう。


僕の1日は憂鬱な気分で電車に乗り、下を向き会社に向かう事から始まる。

普段は視力が0.1も無い為、眼鏡をしているが、通勤中だけは必ず外して歩く。

危険だと言われる事もあるが、基本的には歩き慣れた道だし、人や物があるのはぼんやりと見えている。

スマホや携帯を覗き込みながら歩いている人達よりは余程安全だと自負している。


何故、危険が増すと分かっていながら眼鏡を外すかと言えば、1つは職場に向かうのが気が滅入ってしまう為、ぼんやりとした世界を見ていたいというのが1つ。

もう1つが周囲は僕が眼が悪るい事を知っていて、なおかつ眼鏡を外して通勤している事を知っている。

その為、遠目で見えても挨拶をしたり、待ったりしなくても言い訳がたつ、といっても苦しい言い訳だと自覚もしている。

そして最大の理由が、眼鏡を合図にしている事が一番大きい。

眼鏡をした後は仕事モードに入る事が出来るのだ。

僕は自分の仕事が大嫌いだ。

誇りも持てなければ、やりがいも無い。

ただただ自分に適性があっただけで、今の仕事をしているだけだ。


そんな僕がいつものようにぼんやりとした視界を便りに会社に向かう。

何一つ変わらない日常だった。

カードキーをかざしてオフィスに入ると、大体僕が3番目くらいになる事が多い。

大体他部署の方が2名は居る事が多いので、一言挨拶だけはする。

向こうも気づいたのか会釈を返してくれるのを確認し、デスクに向かった。

出社して机に座るとまずはパソコンの電源を立ち上げる。

立ち上がりを待っている間に鞄から家から持ってきているお気に入りのお茶が入った水筒と手帳とペン、そして眼鏡ケースを机に出す。

僕の仕事を開始する合図として眼鏡をかける所から始める。

僕は眼鏡を取り、レンズの汚れ具合を問わず、まずはレンズを拭く、一息つくと眼鏡をかける。

視界がはっきりしていく、この瞬間に目も覚めていく。

自分でも不思議なのだが、どれだけ疲れていようが、寝ぼけていても眼鏡をつけた瞬間からは意識がはっきりするのだ。

その後はメールのチェックや今日の予定を確認する。

毎日慌ただしいが代り映えのしない日々に嫌気がさしながらも、習慣として馴染んできた為、何も考えなくても作業は進む。

今日もまずは重要なメールと不必要なメールを選別し、朝からのスケジュールを頭の中で組み立てる。

暫くすると皆が出社をしてくる時間になってくる、僕の所属する部署は主に4名で構成されている。

机も丁度2つずつ向き合う形で設置されている、今日はまだ誰も来ていないが、そろそろ来る頃かと考えていたら、丁度1人姿が見えた。

「おはようございます」

僕が気づき、声をかけようとした所、先手を打たれてしまった。

「おはようございます」

「多田さん、入り口を見ていましたが何かありましたか?」

「いや、そろそろ誰か出社してくる頃かなと思って見ていたら八巻やまきさんが見えただけだよ」

彼女は八巻愛やまきめぐみ僕の同僚で一応上司と部下という関係だ。仕事を2人1組でおこなう為、大体は彼女と仕事をする事が多い。

綺麗好きな彼女は机を片づけ始める。

何時も出社をするとアルコール消毒された布巾で机を拭く事から始めるのが日課のようだ。

僕が業務に集中できず、彼女が掃除している様子を眺めていると、再度目が合った。

「どうかしました」

「いや、特に何も」

「何か今日は特に変ですね」

彼女は笑って、再度自分の作業に戻った。

僕もあまり見てばかりいては失礼かと思い、パソコンの画面に再度集中する。

その過程で一つ思い出す、今日は1人休みであった事を失念していた。

僕らの仕事は土曜日も出社する関係で平日が休みになる事も多い、特に今日のように月曜日は誰かしら休みになる事が多いのだ。


今日が9月の前半で煩わしい仕事も多かったので、少し気が滅入る。

僕の仕事は債権の回収業務だ。

簡単に言ってしまうと高利貸しの末端である。

借りたは良いが返せなくなってしまった人を相手にするのが僕の役目で、期日を守れない、遅れている訳ではなく、返せない、返さないお客さんを相手にしている。

その中でも特に悪質な顧客を対象にするのが僕らの部署だ。

普通の会社なら30代半ばくらいから40代くらいのベテランの社員がおこなう業務である。

若かったとしても社歴が長い社員がおこなう事が多いのだが、僕らの会社は歪な事にまだ2年程度の社歴で29歳の僕ともう一人同様の社歴で僕よりも年齢的にひと周り上の高木という男と女性2人という構造になっている。

その為、僕か高木が休むと負荷が一気に増えるのだ。

特に高木はお互い中途入社で時期は同じくらいだが、業界歴が僕よりも遥かに長く、僕よりも解決能力が高く業務中は頼る事も少なくない。

僕は再度、溜息をついた。

「もしかして高木さんが休みな事に今、気づきました?」

僕は苦笑いを浮かべ、彼女を見る。

「まあ、そんな感じです。気づいたというより思い出したのだけどね。今日はよろしくね」

「本当に自分の事以外は興味薄いですよね」

こういう風にストレートに言ってくれる部分が僕は好きだし、相性はいいのかもしれない。

八巻さんの教育係を命じられた時は憂鬱になった事は記憶に新しい。

まず、女性というのが理由の1つ。

僕は年齢的にも独身で特定の相手もいないので警戒されるだろうというのが一つだ。

相手が結婚でもしていれば別だが、彼女も未婚だった。

異性から寄ってくるようなスペックがあるわけでもないのに消極的な僕とは異なり、彼女の場合は選択肢が多すぎて年齢を重ねてしまったパターンだろう。

業務上の会話以外をすると嫌がられるかもしれないなと考えていた。

八巻さんは写真で見ても綺麗だったが、実物も綺麗な人だった。

背はそれほど高くないが、姿勢も良く、髪もショートカットが似合い、化粧が薄すぎる事を除けば自分のタイプだったので、ついつい見惚れてしまう事も多かったのだ。

そして何より嫌だったのが、年齢的に1つとはいえ年上だった事が苦手意識を強めた。

僕自身は年下に教わる事に抵抗はないが、教える立場となれば別だ。

どうしても距離感が掴めず、当初は困り果てていた。


しかし時間が経つと人柄もつかめるもので、お互い思った事は口に出しやすい性格という事もあり、遠慮なく不平不満は口に出しても問題ない事が分かってからは、業務上では良い人間関係を築けていると僕は思っている。

仕事面でもお互いにそそっかしい所はあるが、人の欠点は良く気づく、そしてスピードを重視するという所も似ていた為、スムーズに業務の習得も進んだ。

半年経った今では、事務仕事ならお互いにミスが発生しやすいポイントを把握しているので、どちらが作業しても相互確認を行う事で、彼女が入社する前よりも業務の質は格段に向上していると評価もされている。


暫くお互いに無言で画面と向き合っていたが、一向に前のデスクに人が来ない。

時計を見てみるとそろそろ朝礼が始まる時間だ。

何か連絡が来ていないか携帯を見てみるが、何も無いと思っていたら、急に電話の着信が入る。

画面を見てみると来ないと思っていた佐々木遥香ささきはるかの名前が表示されている。

僕は嫌な予感を感じながらも、通話ボタンを押し耳に当てる。

「お疲れ様。どうかしました?」

「お疲れ様です。すみません少し体調が悪くて」

「大丈夫?」

「はい、少し熱が高いのと頭痛が酷いだけなので、病院行って1日休ませて頂ければ大丈夫だと思うのですが」

「うん、分かった。ゆっくり休みなね。総務には言っておくからゆっくり休んでください。明日も難しいようなら無理しないで、LINEでも送ってくれればいいよ」

「ありがとうございます」

「じゃあお大事に」

僕は暫く間を置いてから切断し、溜息を一息ついた。

忙しい時期でないので業務は回るが3人と2人では業務の負担が大きく異なる。

特に実質チームを2つに分けて作業をしているので、高木と佐々木が対応している業務について対応が必要になった際には経緯が分からず、負担が大きくなる事がある。

今日は中々不運なスタートになりそうだ。

こういった日は何か幸運なことでも後々起きないかと気持ちを切り替えて対応していなかないと悪い事が続きかねない。

「佐々木さん休みですか?」

「うん、声からも体調悪そうだったから、明日も怪しいかもね」

「じゃあ今日は2人ですね、何か予定入っていましたか?」

「ううん、僕も今見ているけど、特に佐々木さん関係の予定はなさそう」

「じゃあ最低限仕事して早めに上がりましょう」

「うん、その方針でいこう」

僕らは話しを終えると画面に集中し、お互いの仕事を進めていく。

といってもお客さんの入金状況の確認だけなので、それほど集中していく仕事でもない。

期限を超えたお客さんのリストを眺め、通知を送るリストを作成している。

集団生活が始まった頃から気づき始める事だと思うが、人間はかなりずぼらな生き物だと思う。

どんなにしっかりしている人でも、ある一面では忘れやすい部分があったりする。

この仕事をしているとそういう人間によくあたる。

お金を借りる時点でお金が無い人ばかりだと思っていたが、意外とそうでも無い。

もちろん有り余っている訳では無いが年間を通すとある程度お金が回っている人間なんかも意外といて始めのうちは驚いたものだ。

無い状態が続く事もあると思えば能力だけはあるのか、すぐに生活を立て直し、借りた分はすぐに追いついてしまう人もざらにいる。

僕らの一番の仕事はその見極めなのかもしれない。

こういう人間は遅れるだけ遅れても後で回収すれば会社としての収益としてみれば悪くない。

利息は膨らむし、延滞料金も加算される事になる。

何故支払いが途中でこける事が分かっていても、貸すのかと言えば最終的に回収できる見込みがある事と、とにかく分母を増やさないと収益とリスクのバランスを維持する為だ。

うちのような中小規模の会社では特に規模の拡大は望まれる。


支払いが無く連絡が取れない、もしくは支払い能力にかけるお客さんのリストをまとめていると見知った名前が出てきた。

西野奈々(にしのなな)、丁度自分が審査を担当した案件だった。

飲食店のアルバイトで勤務は半年、使用目的は生活費で10万円の希望だった。

20歳になったばかりという事もあり、事故歴は無かったが、まず間違いなく事故を起こすタイプの顧客だなと思いつつ、審査の決裁をした記憶がある。

あれから3か月くらいが経った頃だったので、まさに予想通りの事故があがってきた。

恐らく当時在籍していたお店も辞めている可能性が高いだろう。

希望額の5倍の設定額である50万円の枠を全て使い切っている。

生活費と申告してくる20代前半の女性に多いのだが、枠があったら自分の預金残高と勘違いをして必要以上に使ってしまう。

この子も確か一人暮しだったので、親の目もなければすぐに物欲に負けてしまうのは目に見えていた。

そして会社の方針として、こういった案件はほぼ確実に決裁を下さなければならない。

今回も通例なら30万の枠で下りる案件だった。

僕が何故、それよりも枠を多少ではあるが多めにとったのかというと提出された身分証が運転免許証だった事もあり、容姿が見えたからだ。

20歳で容姿が整っていれば、ある程度の所まで追い込まれればお金を作ってくるすべがある事。

そして何よりの理由が転居したのが1カ月前という事もあり、免許証には実家の住所が記載されている。

自宅の謄本を取ると父親名義の綺麗な持家だった。

一般的な家庭なら最終的には両親が出てくる可能性が高い為、どちらかのケースで回収が出来る見込みがあったからだ。

多分この調子なら今住んでいるアパートは追い出される日も近いだろう。

アパートなら保証人を立てていれば父親だろうし、そこで支払いも滞れば自然と他の債務の話にもなる。

早ければそこで延滞金も含めた支払いがされるかもしれないと考えた。


その日に西野さんも含めた顧客宛に通知の発送の準備をした。

お昼を少し過ぎた時間になってしまったが、とりあえず今日こなさなければいけない仕事は全て終わった。

今日は審査の依頼も少なかった事もあり、中々順調だった。

「お昼はどうしますか?」

午後は長期化している顧客の訴状を作成していこうかとぼんやり考えていると、横から声をかけられる。

「先にいいよ、何かお腹空かなくて」

「何か溜まっている仕事ありましたっけ?」

「うん、とりあえず終わらせておきたい作業もあるからね」

僕は顧客の契約書を見せるように手にもつ。

彼女は頷き、机の下に置いていた鞄を漁る。

先にお昼に行ってくれるのかなと思っていると、鞄からスマートフォンを取り出し、操作する。

暫く呆けて見ていると、僕に向けて画面を向けてくる。

覗き込むと最近できたパンケーキのお店だった。

オムレツとパンケーキをメインで取り扱っていて、一度は行ってみたいなと考えていたが、出来たばかりで中々30近い男一人では行きづらいと思い、落ち着いたタイミングで行こうと計画していた。

「前に多田さんがお店眺めているの見つけたんですよね」

「恥しいです」

「甘党ですもんね」

「バレていましたか?」

「普段からどら焼きとか大福とかばかり食べてるじゃないですか」

「どうも頭使うと糖分とると冴えるような気がしてですね」

「それ便利な言い訳ですね。でも和菓子だけかと思っていましたけど、パンケーキとかも好きなのですね」

「一応仕事中に食べるから見た目的に落ち着いたものがいいかなと思っているだけど、和洋どっちも好きですよ」

「やっぱりただ好きなだけじゃないですか。でも和菓子も十分浮いていますよ」

「そうかな」

僕は苦笑いを浮かべつつ、メールが届いたのを横目で見えた為、パソコンの画面に目を移す。

届いたメールはお客さんからの支払いが遅れてしまうという相談のメールだった。

内容として許容範囲だった為、再設定後の期日までの入金を依頼するメールを即座に返信作成する。

「今、届いたメールは僕が対応するから」

「分かりました」

「お昼はそこに行くの?」

「今日は天気的にもチャンスかなと思うので」

「じゃあ、気をつけてね」

「はい?」

何か不思議なものを見つけたかのような驚きの表情で見られる。

メールを打ちながらも、気になってしまい集中できない。

とりあえず社内ルールとしてメールが届いたら原則1時間以内の返信、30分以内が望ましいというルールがある為、タイピングに集中する。

文面が出来上がり、再度内容を確認して送信を押す。

横目で見ると、今度は少し考え込んだ表情をしている。

「どうしたの?」

「いや話しの流れ的に一緒に行きませんか?という誘いの意味もあったのですが、あっさり振られてしまったので、気づいてきた信頼関係が一方的だったのかなとショックを受けていた所です」

僕は頭が真っ白になった。

誘いたくても絶対に誘えない高嶺の花だと思っていた彼女からのお誘いだったようだ。

以前、別部署も交えたランチミーティングや会社自体の飲み会などでは食事する機会もあったが、個別に行ったことなど一度もない。

彼女から誘いがあるなんてあるわけがないと思っていたので、とにかく驚いてしまった。

「いや、一緒に行って良いの?」

「何言っているのですか?話の流れくらい読んでください」

「じゃあ、後1時間くらいしたらで大丈夫?区切りの良い所まで作業してから行きたいので」

「良いですよ」

僕は早速朝の不幸分が返ってきた。

それどころか人生でも上位に数えるほどの幸運だ。

これからどんな不幸が発生しても幸せな人生だったという印象で終わるだろうなんて考えてしまっていたから、この後起こる不思議な体験に巻き込まれたのかもしれない。


お互いに仕事に戻る。

僕は毎月のように訴状を作る事になっているが、何度作っても慣れない。

訴状だけはまだ八巻さんにも教えられていなく、高木と僕とでそれぞれ作成している業務になる。

細かい所でミスが多く、裁判所では訂正を受ける事が多々ある。

後輩を含めて、教えていかなければならない立場なのに自分も勉強中である為、中々上手くいかない。

今日も1時間と言ったが予定通りに作業が進まない。

途中で切り上げるべきか考えがよぎったので、一度区切る事にした。

横を見ると時間を余り気にした様子が見えず、画面に集中していた。

「そろそろ大丈夫?」

「私はいつでも大丈夫ですよ」

「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

「はい」

僕は電話の設定を転送に切り替える。

念のためプライベート用の携帯から電話をかけ、仕事用の携帯に着信が入る事を確認する。

メールも再度、確認を終え、お客さんの契約書等を鍵付きの引き出しにしまう。

忘れものが完全に無い事を確認した後に、隣の部署の人に1時間ほど完全に空ける事を伝え、外に向かう。

彼女は準備を終え、外のフロアで待っていた。

よく考えると2人で外に出るのは初めてだった。

3人ないしは4人で出る事はあっても2人きりというのが初めてだったので、少し緊張してくる。

その場の勢いで一緒に行こうと誘ったというよりも誘ってもらったのに乗ってしまったが、場違いな気がしてきた。

何度横を見ても美人と言って差し支えないだろう。

それに比べて自分を見ると、顔はお世辞にも格好良い部類ではなく、背は標準、体重も甘党な上、運動不足な為、年々増えていっていき、学生の頃ほど締りがない。

仕事の同僚とはいえ、一緒に出歩くのは少し後ろめたさがでてくる。

一方的に話しをしてくれているのに、よく考えずに聞き相槌を打つ形で時間が進み、お店までの距離だけが縮まっていく。

お店の前に入ると、開店当初よりは空いていたが、若干は待たなければいけないようだ。

周りを見ると女性率が高かったが、男性の姿も見えた。

店内を見てみると特に1人で来ている男性の姿も見えた事で少し落ち着く。

暫くすると呼ばれ席につきメニューを見る。

シンプルな物にするかチョコバナナにするか悩んでいると視線に気づき、目を合わせる。

「やっと嬉しそうな顔してますね」

「そうかな?」

「そうですよ。行くまで何か心ここにあらずな感じで、あまり乗り気じゃなかったのかなって思いましたよ」

「ああ、何か八巻さんと並んで歩くと卑屈になっちゃって」

「何でですか」

「いや、何か弱みにつけこんで一緒にお昼取らせてたり、嫌な上司がセクハラしてそうに見えてないかなと思って」

「普段の仕事の方がよっぽどイメージ悪いのに、堂々としているのに、そういう小さな事は気にするのですね」

「まあ仕事はある程度割り切れるからね」

結局僕は誘惑に負け、チョコバナナの物を頼んだ。

頼んでから時間が15分程かかった事もあり、食べ終わった頃には休憩時間が終わりが見える頃だった。

思っていたよりも好みの味だった為、午後から途中で挫折してきた仕事に取り掛かる気力がうまれた。

帰りは僕が薬局に寄りたかったので、別々に戻る事にしてお店の前で別れる事になり、少し気楽になった。


会社に戻ると僕の方が先に戻ってきたようだ。

電話の転送を解除しメールを確認するも何もない。

今日は本当に良いタイミングで暇な1日のようだった。

一通りチェックを終えると八巻さんが戻ってきた。

お互いに目が合ったので会釈をして、それぞれ仕事に戻る。

僕は途中で入ってくる審査を片づけながら、午前中の仕事に取り組む。この部署に配属されて1年程経ったが、まだまだ知識不足が否めない。

僕は大学でも法学部という訳ではなかったし、最初の就職先も金融業界とは無縁の業界だった。

転職をした際に月収の良さに惹かれてこの業界に飛び込んだ。それでも初めは営業だった。

成績が上手く伸びず、回収の部署に都落ちする事になってしまった。

だが意外と向いていたようで、初期の回収で結果を出していき、長期、困難な案件を取り扱う部署に転属となったのだが、ここで求められるのはお客さんへのマメな連絡や交渉能力だけでなく、法的な知識も求められる。

過去に部署内で不祥事があって一度焼け野原になってしまった部署であった為、教えてくれる先輩もいなかったので、自分で調べたり、法務室に確認を行いつつどうにか業務をこなしている。

その結果提出後の訂正は大分減ったが、新しいケースが出れば分からない事だらけになる。

今回も分からない事が多くて頭が痛くなってきた。


裁判というものに僕は興味は無かった。ドラマで合言葉は勇気やリーガル・ハイなどのコメディ物でくらいしか見たことがなかった。だが、覚えてみると好きになれそうだった。

白黒がはっきりつくというのが何より分かり易いし、何より自分がしている事が正しいと証明されているようで嬉しい。

友人何かに仕事を説明するときにウシジマ君みたいな仕事でしょ?と聞かれる事が多く、面倒なので概ね間違っていない事を伝える事が多い。

そうなると悪人扱いされる。これが冗談だと分かっていても堪えてしまう。

仕事中もヤクザだ、ろくでなしだと言われてしまい、お客さん相手では動揺を隠して交渉を続けるが、裁判所が支払いが必要である事を認め、差押の権利を認めてくれるという事は払わない相手が間違っていると認めてくれる。

日本は法治国家である為、自分が正しい事をしていると唯一認められている気がする瞬間だ。

僕が仕事に充実感や達成感、満足感を得られるのは債務名義が送られてきた瞬間と給料日くらいなものだ。

今回もお客さんには散々言われた事を糧に今までの物を参考にどうにか完成させようと訴状づくりに勤しんだ。


ようやく完成した頃には夕方になっていて他部署は外回りから戻ってくる人も多く、オフィスは少しざわついている。

僕は今日やるべき仕事は全て終わった。訴状も会社の印鑑を押す為の申請まで回しているので後は待つしかない状況だ。

入ってきた審査をこなしつつ定時で帰ろうと考えていた。

もし仕事を抱えていそうだったら手伝おうかと横を向くと、彼女もさほど仕事は溜まっていなそうだった。

今日の最終の入金データを入力している様子を見ると、順調に仕事は進んでいるようだ。

「そういえば前に高木さんと話していた西野さんは入金無かったですよ」

「うん、もう通知発送しといた」

「分かっていても審査通すのですね」

少し非難めいた雰囲気を感じる。

「ある程度回収できない事も前提だよ。西野さんは見込みがあるから通しているけどね」

「通知で入金があるって事ですか?」

「今回は入るかもね。2回目では入ると思うよ」

というよりも入ってもらわなければ2人そろって見込み違いで、いきなり回収不可案件になりかねない。

恐らく勤務先も近々辞めるだろうし、親に早々に頼るのを祈るだけだ。

「入らなかったらある程度長々と督促して、遅延損害金がある程度溜まったら実家に住民票を戻したタイミングで通知でも送るよ」

「嫌な予定ですね」

「うん」


翌日も変わらない1日が待っていた。

借入の審査をおこない、期日から1カ月過ぎて、連絡がつかない顧客を対象に督促をおこなう。

こんな仕事を1年間変わらずにおこなっている。

今日は昨日と違い、高木と佐々木が出てきている為、昨日よりも楽だった。

通した審査の9割以上は最低限、自分たちの前に初期通知と週に1回別部署でおこなってくれる電話で回収してくれる。

承認率を求められるから西野さんのような案件を拾っているが、それで回収率が落ちては、また文句を言われてしまうが、そのバランスを保つのが一番の仕事だ。

高木とは西野さんの件で、想定の範囲ではあるが、僕らが送る法的予告にもあたる通知を見ても入らなかった際は面倒だなという予想通りの打ち合わせをして、佐々木さんとは体調の事を触れたくらいで、淡々と仕事を進めた。


通知期日を過ぎたが、西野さんの入金が無かったので勤務先に連絡をしてみると案の定退職しているようだ。

電話をすると「現在使われておりません」のアナウンスが流れる。

予想よりも悪い状態だったが、最近はこれくらいで動じなくなってきた。

この仕事を始めた頃は回収の見込みが減ってくれば、どんどん胃が痛くなり、仕事に行くのが嫌になってきて落ち着きがなくなっていた。

今では悪い意味で慣れが出てきて、最終的には何とかなると思えてきた。

実際に武器が増えていき、自己破産や任意整理でもされない限り最終的には回収が出来たという実績が自分に余裕を持たせてくれる。

正直な所、増えすぎない限りは自己破産や個人再生も会社に言い訳が立つので一定数ならしてもらった方が楽な部分もある。

今現在に何もなくてもしっかり追いかけていけば支払わざるを得ない機会が出来る事を知っている。

今回はいつもよりも条件が良いので、まだ余裕がある。


通知期限を3日超えたあたりで、予想外に20万円の入金があった事で僕は驚いた。

入金した支店を見ると鳩ケ谷支店と住んでいるアパートの近くだったので、本人の可能性が高い。

「西野さん入金有ったよ」

僕が考えていると高木が声をかけてくる。

「ええ、本人ですかね?」

「本人だろうね」

お互いに腑に落ちないようだ。高木は苦笑いを浮かべている。

「高木さん、制限かけますか?」

「この案件は多田君に任せるよ。俺だったら全額回収していないから様子を見るかな」

「そうですよね。金額が20万というのが、中途半端過ぎて何とも言えないですよね」


2週間程様子を見てみたが、動きは無かった。

引き落とされた様子もなく、入金も無い為、再度通知をアパート宛に送って見る。


1週間後の期日には残りの金額が全て入金になった。使用した銀行は前回と同じである。

僅か3週間で30万以上のお金を作ってきたことから予想していた展開のうち、高時給の夜の仕事に進んだ可能性が高いかなと考えていた。

このまま適度に使っては支払ってくれるのが一番理想の展開だ。

ある程度使ってもらった段階で支払いが終えた所で止めればある程度の収益にもなり、自分の実績にもなるだろう。

大手なら会社によっては即止める案件だが、僕らのような小さな会社ではここで止めてしまったら上から何を言われるか分からない。

小さい所は隙間をついてこそ、大手と戦うチャンスだと口酸っぱく言われているので、自分の中にも馴染んできてしまった。

それでも小さな抵抗として限度額の縮小だけは申請してしっかり通してもらった。


回収しきった事で少し誇らしげにいた所、背後に高木が画面を見ている事に気づく。

高木は僕の肩に手をかけてくる。いつも人の実績を自分の事のように喜んでくれる所が大好きだった。

だから僕はこの会社で信用できる、何か助けようと思える数少ない人だと思えている。

「西野さん回収終えました」

「審査の時も自信ありそうだったから任せたけど、流石だね」

「ありがとうございます。何も実感ないまま回収してしまいましたけどね」

僕は大げさに肩をすくめる。

「とりあえずこのまま停止させないで様子はみようと思っています」

「大丈夫?」

「使ってくれるかは分からないですけど、使うならある程度長く使ってくれるのかなとは思っています」

「そうだね。最近停止率も議題に上がっていて、見極めが早すぎるんじゃないかって言われているからね」

「こっちは会社のリスクの為にやっているんですけどね」

雰囲気的には高木さんは止めたがっているようだ。最近は僕を信頼してくれているのか、僕が今年昇格した事で一応同格になったからか、僕の意見には積極的な反対の姿勢は見せないが、何となくは分かるようになってきた。

「高木さんだったら、この案件はどうします?」

「止めたいけど、様子見かな」

「どうしてですか?」

「とりあえず2か月弱で生活しながら60万もうちに支払っているからね。恐らく水か風だろうけど仕事もしている可能性が高いからね」

「派手に使って利息を払ってくれればいいって事ですか?」

「そうだね。ただ今までもこういう仕事の子はどうしても途中で力尽きる事が多いからね。トータルで考えると損をする事が多いんだよな」

「最後と見極め時が大事って事ですね。そこを意識して今後あがってきたら対応します」

「任せたよ」


こうして自分の考えだけで終わらず、相談できるのは良い環境だ。

高木が居なかったら僕はもっと慎重に仕事をして、回収の専門としてのマイナス評価だけを避ける仕事で終わっていたと思う。

基本的な考えが一致している事が確認できた。

何らかのナイトワークで働いているのだと思う。

会社としてはフリーターや主婦相手には貸し出すが、基本はNGの業種だ。

無職を除けば唯一断る相手だ。怖い所が全国を平気で転々とされる部分がある。

どういうネットワークなのか埼玉に居た相手が平気で山梨や群馬、果ては福岡に行っていた事もある。

全国規模の会社なら現地の社員が対応できるが、うちのような規模では関東圏内が限界で対応出来ない。

住民票も移さないので、本当に探し辛い。今はまだSNSなどを探っていくうちに発見する事もあるが、昔はどうやって対応していたのだろうか?

それともネットが発達したことによって、全国規模に移動するようになったのか、真実は分からないが、とにかく一度行方をくらますと捕まえるのが困難になる為、というのがMGの理由になる。


今回もこの理由をあげれば恐らく止める事について文句は誰も言わないだろう。

それに数多くあるお客さんのうちの1人だ。それ程理由まで深く追及される事は無い。

高木はそれを伝えたいのだと思う。最後の言葉は何となく何かあったら僕の責任だよって言われたような気がしてならない。

確証は無いが状況証拠で十分通る案件なのだから、やれよと言われている気もする。

こういう時にマイナス思考になってしまう、だがどうしても引っかかる。

正直お客さんの人生なんてどうでもいいと思うが、この案件だけは引っかかってしまう。

好奇心は猫を殺すというが、致命傷になる可能性もある。しかし、どうしても爪を切った際に微妙にバランスが悪くて切り続け、結局深爪をしてしまうのと同じで我慢が出来ないのだ。


翌日お昼休みを終えて席に戻ると、稟議の申請書が置いてあった。

中を確認すると西野さんの停止案件だった。

3か月間の事故以外での停止は申請が必要なのが、会社のルールなのだが、誰が用意したのだろうか。

今日は僕が一番に抜けたので、3人のうち誰もが可能性があるが、恐らく八巻さんだろう。

とりあえず、後に回して他の仕事に手をつけていると、八巻さんが戻ってきた。

「これ作ってくれたの八巻さん」

席に座るタイミングで声をかけてしまい、微妙に空気椅子のような体勢で止まってしまった。

僕は少し笑ってしまう。

「凄い瞬間を見てしまいました」

「狙われてしまいました。今度やり返そうと思います」

「それはそうと、稟議の申請書作ってくれたの八巻さん?」

僕はクリアファイルに入った容姿を両手で持ち、顔の前に少し突き出す形で見せる。

何となく子どもっぽい動きだと思われたのか、彼女は少し笑う。

「無理にお返ししなくていいですよ」

そんなつもりは無かったのだが、良い風に捉えてくれたので、流す事にした。

「そうです。多分必要だろうなと思って作っておきました」

「ありがとう。でも今回は少し見送ろうと思っていて・・・」

「大丈夫なんですか?」

少し小首をかしげる仕草を見せる。何となく好きな仕草だなと見とれつつ、やはり皆、今回の僕の判断は悪手だと思っている事が分かった。

「多分、少し様子みたいんだよね」

「分かりました。必要な時はすぐ言ってくださいね。これを流用すればすぐ作り直せるので」

「ありがとう。ごめんなさいね」

僕は両手を顔の前に合わせる。

「でも、本当に助かるわ。最近必要かなと思ったら何時でも机の上にあるからね」

「煽てても何も出ないですよ」

「いや、本当に助かっているよ」

僕はせっかく作ってくれた書類なので、すぐにシュレッダーにかけるのがもったいなく、眺めていると、やはり理由に現在勤務先が不明だが、支払状況から風俗勤務可能性高い為という文言が確認できた。

やはり八巻さんも同じ事を考えている。

3人が3人とも同じ考えにいきつき、歴が浅く先入観の薄い八巻さんも同じ結論になったという事は間違いないだろう。


暫くするとまたキャッシングの利用があった、金額としてはさほど大きくは無かった事に違和感を感じる。

1カ月間で4回使用され合わせても10万程で計算すると家賃と生活費くらいにしか思えない。

住所を改めて調べると乗り換え1つくらいで行ける距離だった。

僕は休みの日を利用して西野さんのアパートを見に行ってみる事にした。

僕が使った駅からはバスで15分、徒歩だと40分程度かかるが、他に10分圏内の駅がある。

築10年弱の2階建て木造アパートで、都内へのアクセスこそ良いが周りの治安はあまり良くない。

特に僕が降りた駅はかつての風俗街でもあり、埼玉では名をはせたエリアのようだ。

僕が産まれた頃が全盛のようで、業界について知識を得た頃には摘発され大分縮小していっていたようだが、普段暮らしているエリアとはやはり様子が違う。

今日歩いているとその空き家には飲食店が多いがよく見ると中国人なのか、日本語以外の言語も聞こえる。

この辺りで1Kの間取りであれば総額で5万から6万くらいの家賃だろう。

ガスはプロパンのようなので、少し高いだろうが光熱費や生活費くらいで間違いなさそうだ。

前職では不動産関係の仕事をしていたので、大きくは外していない自信がある。


せっかくなので生活の様子を覗いてみる事にする。

郵便受けはチラシや通知で溢れかえっていて、別の部署が送った通知もまだ見られていないようだ。

電気、ガス、水道は正常に動いているようで、シリンダーやレバーハンドルに埃がかかっていない所を見るとそれなりに出入りはあるようだ。

外から部屋の様子は見えないが、あまりジロジロしていると怪しまれる為、物件を離れる事にした。

裏から回ってみたが、地味なベージュのカーテンがかかっており、中を見る事が出来なかった。


今回も西野さんは初期通知の期限では入金されず、こちらに回ってきた。

僕は通知を早々に発送した。すると期限を前に全額入金があった。

遅延損害金を入れれば多少は負担の大きい額だが、何故すぐに入れないのだろうか?

入金時期も前回と異なり、給料日が一定である一般の仕事とは考えにくい。

気にしてもしょうがない、むしろ必要が無い事ではあるが自分の中で引っかかってしまい我慢が出来ない。

今回は早期入金もあった事で、当然止める話は一切出なかった。


そして、また1週間もすると同じく10万円の引き出しがあった。

そして入金が入らずこちらに回ってきて、通知を発送した所、すぐに入金が入る。

もしかしたらハガキでは気づかず、封筒に入れた通知を送ればすぐに入るのではないかと仮説を立ててみる。

僕は初期管理の部署に連絡を入れ、西野さんに関しては初期からこちらの部署で督促をおこなう事を伝えた。督促に関してはある程度の裁量権を貰っているので、申請も必要なく案が通った。


同じくらいの時期に10万円の借入が入る。大体25日前後に借りていく事が多い。

これは家賃に使われているような気がしてしょうがない。

個人の大家さんや町の古い不動産屋さんが管理している物件以外では通常は管理会社がついているケースでは27日の口座引き落としで家賃を支払うのが一般的だ。

恐らくどうしても家賃が工面できず、うちで借り入れをしているとしか思えない。

何か高収入の仕事で働いているのなら、何故10万円を借入するなのだろうか?

僕にはそこが疑問に思えて仕方がない。

このまま枠を残したままでも大丈夫なのだろうか?

僕ら回収の仕事をする上で、支払いの原資が見えない事ほど怖いものは無いが、今回は支払者すら見えない気がしてきた。

このまま不確定な物を頼って貸し続けて大丈夫なのだろうか?

まだ、現時点では枠が全て使い切ってしまった場合は元を取るだけの利益は得ていない。

今切れば、周りの案よりは利益が出て、最低限の利益は生み出す事にはなる。

誰に相談するでも無く、一人で悶々と考え込んでしまうのは僕の悪い癖だ。

一度周りに逆らい、決定した融資の続行なだけに自分で決着をつけなければならないと考えてしまう。

実際に決断を下すのが自分でも相談一つ出来ないのが情けなさ過ぎる。

結局決断を下せないまま次月の24日にまた10万円の借入があった。

翌月に通知を発送すると20日は入金が入る。

これを1年程、繰り返してしまった。

もはや止め所が全く分からなくなってしまった。

他の優良なお客さんとの違いが全く無く、ただ支払い原資が分からないというだけだ。


他の3人が西野さんについて忘れている頃に、新しく審査の依頼がきた。

22歳の女性で、職業は本屋でアルバイト、副業で多少の収入有りと記載がある。

用途は冠婚葬祭が続いた事による一時的な使用が記載がある。

身分証は免許証が無く、国保のみで、記載住所と相違が無いかは確認し辛い。

ただし実家ではないようで、家賃負担もある。

正直審査を通したくないが、会社の方針ではこの程度ならおろさなければいけないだろう。

最低限の枠で承認印を押した。

溜息を思わずついてしまう。

「そんなに難しい案件だったのですか?」

「八巻さんだったら、アルバイトで賃貸住みの人にお金を貸す?」

「貸さないですね」

「だよね。本来は自分のお金をこの人に貸しても大丈夫かというのが審査基準だって僕はこの業界に入った時に教わったのだけど、最近は臭いのも積極的に取りにいかないと上から煩いからね。広告部からも苦情が多いし」

僕は情報が載っている容姿を全て八巻さんの机の上に置く。

「こんな感じだけど、今の審査基準だと通しちゃうんだよね」

彼女は容姿を手に取り、真剣に見ていく。

「副業ってあたりが、何か怪しいですよね」

「そうかな?最近ならWワークくらい普通じゃない?」

「わざわざアルバイトで本屋で働くような子はあまりしない気がしますけどね、時給も安いわりに重労働ですし」

「なるほど」

元々勘がいい人だなと思っていたが、1年も経つと頼もしくもある。僕は少し相談をしてから決裁をあげれば良かったと後悔する。

「そういえば去年もいませんでしたっけ?何か決裁に悩んだあげく通して仕事すぐやめてた人」

「ああ、西野さん?今でも毎月10万借り手は20日前後にはしっかり支払ってくれていますよ」

「そうです。まだ続いていたんですね。すっかり忘れていました」

「通知くらいしか手間はないからね」

「今回もそうなれば楽ですね」

「借りるのを止めてくれるのが一番ですけどね」


その月の20日の事だった。

いつも通り入金処理をしていた八巻さんが、少し困惑している様子だった。

銀行からの入金データを見ては首を傾げている。

「どうかしたの?」

向こうから質問がなかったが、余りに気になってしまい声をかけてしまった。

「この前、西野さんの話題になったじゃないですか?」

「うん」

「ちょっと頭に残っていて、何時もなら今日だよなと思って、普通の人よりよく見てみたのですが」

僕はパソコンの画面を覗き込む。入金データにはしっかり名前が載っている。

入金が無かった訳ではなさそうだ。

「それで?」

「見て分かりませんか?」

僕は再度覗き込む。

画面にはニシノナナ UFJ銀行 仙台支店と記載がある。

「あれ?」

「そうなんですよ。支店が仙台何ですよ」

「今回から?」

「それで調べてみたら、前回は西川口支店で、その前も同じです。今、過去のデータを見てみたのですが、そもそも西川口支店以外が初めてなんですよ」

何か不気味な予感がする。

「しかもそれだけじゃないんですよ」

「まだ何か不安要素があるの?」

「金額が一致しないんですよ」

「足りないの?」

「逆です。少しだけ多いんです」

「確か西野さんって最初の謎の20万以降は毎回請求額丁度の入金だった気がしたけど」

「その通りです。だからちょっと怪しいなって思って」

僕も同じ事を思うだろう。だけど、考えられる可能性としては出稼ぎに行っているのだろうと考えるのが当然だろう。

だが、出稼ぎにいくくらい真面目に稼いでいるなら何故うちでお金を借りるのだろうか。

僕はこのお客さんが何か夜の仕事をしているとは思えなくなってきた。

支払日が20日という事は真面目に仕事を見つけた可能性が高いと思われる。

「出稼ぎにでも行っているのですかね?」

「いや、どうだろうね」

僕は立ち上がり、住民票を取る為に契約書の保管室へ向かった。

契約書を改めて確認すると、文字は凄く綺麗な字で書かれている。

字の綺麗さは性格を表すと僕は考えている。僕の字は本当に汚くて、読み辛い。

それが肝心な所で詰めが甘く雑な性格を表している気がする。

また、親の教育も表している気がする。自分の親に失礼だが、僕は親から勉強をするように言われた記憶が無い。

子どもの頃は運動ばかりしていたし、親もそれで良いと思っていたのか、高校選び以外では口出しをされた事がなかった。

また、学力に関しては必要最低限は常に満たしていた事も口出し辛かったのかもしれない。

お金を借りる事を軽く見ている人は殴り書きをするし、字に癖が出やすい。

だが、彼女の字は凄く綺麗で癖が無い。

一般的な教育はしっかり受け、真面目な性格をしていると思われる。

もしかしたら1年前の僕はそういった部分もあって、あのステータスでも承認をしたのかもしれない。

契約書のコピーと自分自身の免許証のコピーを取り机に戻る。

クリアファイルに一緒にしまい、八巻さんに渡す。

「住民票をお願いしてもいい?」

「もう押捺の申請書は準備しています」

「流石です」

僕は申請書に印鑑を押し、彼女に渡す。

彼女も書類を準備しているという事は、僕と同様に何かこの案件の不思議さを感じているのかもしれない。


そして5日後にはしっかり借入があった。

その後、通知を送るのが毎月の流れだったが、今回は特定記録郵便で送る事にした。

郵便を送った4日後に配達記録を見ると、登録住所である川口のアパートに届いていた。

この様子なら住民票も変わっていないだろう。

そしてその後届いた住民票では予想通り川口の住所から動いていなかった。

まともな仕事をしているなら、住民票を移さない訳が無い為、八巻さんの中ではナイトワーク説で確定したようだ。


20日になると今回も仙台から前月と同じ金額で入金があった。

調べるとこの金額は毎月20日に支払い始めてから一番大きかった金額のようだ。

こうして過去の履歴を調べると凄い真面目な顧客にも見える。

契約書の字は非常に綺麗で、支払日はこちらで通知を送り始めてからは一度も遅れず、金額も1円の狂いなく入金する。

そして通知が見えなくなったら過去の入金額を調べて、最も高い金額を入れてくるなんて、今までのお客さんの中では間違いなく上位の几帳面さが分かる。

その反面、アパートの郵便ポストはチラシや郵便物で溢れ、郵便物の転送届はしておらず、住民票も移していない。そして何よりリボ払いなのに毎回借入残高を完済した後に、毎月10万円の借金を続けている事が疑問に思えて仕方がない。

僕は契約者と使用者が別の人間ではないか、代理で契約をしにきたのではないかと仮説を建ててみた。

もし、この説があっているとしたら、借入をしている人間にこちらは請求を一切出来ないので、面倒な事が起きる気がしてきた。

20日に完済後に止めるべきな気もしてきた。


暫くすると仙台からでなく、西川口からの入金に戻った。

これを理由に高木さんはやはり出稼ぎに行っていた説を唱えていた。

これ以上勘ぐるのは少し下賤な行動になってしまうかもしれない。

延滞と僕らではどちらも世間一般的には評判は悪いが、普通に考えたら世間に認められているのは一応一般的な会社員である僕らだろう。

だが、僕の中ではどうしても自分の仕事を好きになれない部分がある。

それが感謝されたいという部分だ。

仕事として長い歴史があるという部分は共通していると思う。どちらも必要性があったから続いているのだと思う。

貸すだけなら感謝もされるが、僕らはメインが回収だ。

恨み言を言われる事は日常茶飯事だが、感謝された事は記憶の中では一度も無い。

どれだけ後ろ暗くても、感謝の有無は気持ちの中では大きいと、偶に思ってしまう。


入金場所が戻った事で、休みを利用してまたアパートの様子を見に行ってみる事にした。

アパートに着くと依然と何ら変わらない状態だった。

ライフラインは全て生きていて、郵便受けは溢れかえる寸前で満杯状態。

周囲を見渡した所、誰も居なかった為、郵便受けからいくつか手紙を見てみると契約者本人が住んでいる事で間違いなさそうだ。

下の方まで漁って見ると、1カ月近く前の郵便も残っているが、僕らが送った通知は残っていないようだ。

必要な書類だけを抜き取るって余計に手間なような気がするが、十人十色と人によって考え方は違うものだと思うしかないのだろう。


僕は家に帰るとパソコンと向き合う事にした。

今日の件を踏まえて、融資を止める為に調査報告書を作成する。

規定上では僕の権限だけでは止める事が出来ないが、止めなければいけない気がする。

タイミングとして可笑しいと言われてしまう事は重々承知だが、自分の勘が止めるべきだと何度も言うのだ。

自分で言うのも何だが、重要な案件こそ勘で動いた方が成功率が高いと自負している。

客観的な数字も何もない話だが、自分が後悔しない為にベストな選択をしたいのだ。


翌日、いつも通り一番に出社して、プライベート用のアドレスから仕事用のアドレスに送っていた報告書を印刷する。

申請書を作ろうと思っていた所で、八巻さんが出社してくる。

挨拶をすませると机を拭き始める。僕の机との境目を拭いていたのか、報告書が目に入ったようだ。

「これ誰のですか?」

クリアファイルを手に取り、中身を読みだす。

一応形式上だけでも上司の書類を許可なく読むというのは、普通はありえないと思うが、こういう臆せず行動に移す部分が僕は気に入っていたので、特に何も言わない。

「西野さんの、昨日休みだったから様子を見てきた。去年も同じように行ったからその分と合わせて作ってみた」

「ストーカーみたいですね。長期で遅れていないのに」

「どうも、ここ何カ月か焦げ臭い予感が拭えなくて」

「行った感想はどうでした?」

「焦げ臭さが増した。だからこれと一緒に融資の停止する稟議書だすから、作成お願いしてもいい?」

「実はほとんど作っています。休み前に随分気にしていたから、そろそろ来るかなと思っていました」

「本当に最近は仕事が早いですね」

申請はあっさりと通った。上はほとんど中身は読んでいないのかもしれない。

現場を信用しているのか、重視していないのかは分からないが、何の質問も無く停止の承認が降りた。

新しく借入がある前に止めれた事、20日に予定通り最後の利用分の入金があった事で現状の未収は無く、利益だけが残ったお客さんとなった。

これでこのお客さんと関わる事は無くなったと思っていたのだが、僕が予想だにしていない展開に巻き込まれる事になった。


それは翌月の中旬を迎えた頃だった。

僕らの部署は長期案件をメインに扱っている為、社内の多拠点、他部署と裁判所からは電話がよく鳴るが、顧客からの電話はほとんど鳴らない。

月に5回鳴れば多い方だが、今日はその内の1回が鳴ってしまう。

4人が4人とも事務作業に追われていて余裕が無く、朝の早い時間に不意打ちのようになった電話をとったのは八巻さんだった。

面倒な相手が多いので基本は僕か高木で対応する事になるので、様子を見ているとやはり困惑していた。

僕の方を2度ほど見てきたので、僕はメモに電話に代わる旨を記載して、彼女の机の上に置いた。

電話を取り次ぐタイミングが難しいのか、その後も相槌のみを打つ形で電話が続いている。

表示されている番号は登録外なので、社内の人間でなく、携帯電話だった為、お客さんである可能性は高い。

ここの所で厄介な相手がいたか、頭を巡らせていると、丁度横から担当に代わりますという声が聞こえた。

「多田さん、お願いしてもいいですか?」

「うん。誰からでした?」

「西野さんの父親を名乗る方なのですが・・・」

「お父さん!?」

「はい、ただ確証も何もないので、どうしたらいいものかと思っていまして」

「分かった。とりあえず話を聞いてみますね」

「お願いします」

僕は予想外な事に混乱しながらも、深呼吸を一度して、受話器を取る。

何時も面倒な相手であったり、気を引き締めなければいけない相手の時は一度深呼吸をする事で落ち着きを得られるのだが、今回は予想外過ぎて頭は整理出来なかった。

「すみません。大変お待たせいたしました。お電話代わりました多田と申します」

「お世話になっております。西野奈々の父親で西野直之と申します」

電話だと分からないが、声から察するに50代くらいの男性だと思われるので、彼氏や友人ではなさそうだ。

「お世話になっております。今日はどのようなご用件でしょうか?」

「娘がいつも利用させて頂いていたのですが、今回何と言ったらいいでしょうか・・・」

以前送った通知の一つでも見つけて債務状況を知りたいのか、それとも停止になっている事が分かっているという事なのか、用件がはっきりしない事には対応できない。

普段なら身内の電話何て、個人情報の関係で契約者様以外には答えられる範囲が決まっているので、お答えしかねますと答え、未払いがあれば支払いたいので残額と支払い先を教えて下さいと言われるまでは、機械のように繰り返すのだが、個人的な探求心が勝ってしまい、用件を聞きたい為に、答えを待ってしまう。

「基本的には契約に関わる事でしたら、個人情報に関わる事になりますので、ご契約者様以外にはお答えできかねるのですが、どのようなお問い合わせでしょうか?」

次の言葉が出てこない為、痺れを切らせて言ってはいけないと思っていた牽制の言葉が出てしまった。

後悔しつつも引き返せないと考え、僕は答えを待つ事にした。

「実はですね。娘がこちらでお金を借りている事は知っていたのですね」

「はい」

「返済が出来ないが、生活費が無い事も知っていたんです」

「はい」

「こんな事を言っても何になるか分からないですが、支払っていたのは私なんですよ」

先ほどのように条件反射で答えないように、少し時間を置く。

「そうだったのですね」

「はい。それで聞いても答えて頂けるかは分かりませんが、今月の返済額が足りていなかったのか伺いたくて連絡をさせて頂きまして」

僕は予想だにしなかった回答が出た事で言葉に詰まってしまった。

「先ほども申し上げたように個人情報のからみがあるので、私からお答えは出来かねてしまうのですよ。ただ事情が何かおありだと思うので、一度直接お会いできませんか?」

「分かりました。どうしたら良いですか?」

「お父様は本日はお休みになられるのですか?」

「ええ」

「夕方頃にお時間がありましたら、いかがでしょうか?」

「大丈夫です」

「それでは場所と時間になりますが、西川口駅の近くにあるラボという喫茶店で17時でいかがですか?」

「問題ありません」

「私も社員証と名刺はお持ちしますので、身分証、お持ちでしたら運転免許証を持ってきて頂いてもよろしいですようか?」

「分かりました」

「それでは、よろしくお願いします」

相手からの返答を混乱した頭で聞き終えると、受話器を置いた。


勢いで決めてしまったが、今日の予定は大丈夫だっただろうかと、スケジュールを確認したが、特に何も入っておらず一安心する。

とりあえずスケジュールに外出の予定を入れる。

電話では聞かれていると思うが、詳細を話すと面倒なので、特に他の人には伝えないようにしようと思っていた所で、周りの視線が集まっている事に気づく。

「すみません。少し夕方でますね」

「大丈夫?」

高木の声掛けは僕には心配というよりも、必要あるのかと呼び掛けているように捉えられてしまうのは、僕がネガティブ過ぎるからなのだろうか?それとも後ろめたいからなのだろうか?ただひたすら自問自答を繰り返しても答えは出ない。

僕は答えが分からないまま、とりあえず頷き、ハイと声を出す事は出来た。

誰も追及しない為、僕は仕事に戻る意思表示として、パソコンの画面に視線を戻した。

どことなく、視線は感じるが無視をして気持ちの入っていないまま仕事を続けた。


僕は基本ズボラな性格なのだが、時間だけは少し五月蠅いと言われてしまう。

どうも待つのも待たされるのも苦手だが、特に待たせるのだけは避けたい為、余裕を持って出たい。

今日は仕事もそれほど抱えていないので、多少は余裕を持って出る事にした。

準備をしていた所、隣でも同様に八巻さんが出る準備を始めた。

基本外で仕事があるのは僕か高木になるので、珍しいなと思いつつ、確認して余計な時間を使いたくなかったので、気にせずに自分の準備を進めた。

個人情報関係は持ちだすのが面倒だし、このお客さん相手なら基本的には体一つあれば問題ないのだが、年には念を入れてボイスレコーダーだけは持っていく事にした。

後は電車の時間を調べていた所で、八巻さんも用意が出来たらしい。

だが、何時までも立ち上がる様子は見られなかったので、気になり欲望に負けてしまった。

「珍しいけど、どこに行くの?」

「多田さんに着いていく予定ですけど」

「はい?」

「高木さんから着いていくように言われたのですが、聞いていませんか?」

お互いに困惑した表情になっていた。

「お目付け役?」

「いえ、勉強してこいとだけ声をかけられました」

「食えないな」

僕は苦笑いを浮かべてしまう。

信用はしているが、後輩の前ならある程度ブレーキがかかるから保険といった所だろう。

こういう部分は読まれてしまい、悔しいような気もするが、行くなと言われないだけ信用されている部分を喜ぶべきだろう。


普段は一緒に外に出た際は仕事外の話も含めて会話が止まらない事が多いのだが、今回はどうも弾まない。

普段会話が途切れないように話を振り続ける僕が空返事である事が原因なのだが、僕はどうしても会話をする気にならなかった。

八巻さんも途中で諦めたのか、ほぼ無言でついてくる。

西川口までは京浜東北線で一本なので、座れたら楽だと考えていたら丁度2人分空いていた。

僕は端を八巻さんに譲り席に座り、一息ついたタイミングで僕は眼鏡を外してケースにしまう。

横から視線を感じる。彼女は首を傾げて僕を見上げる。

「どうしたの?」

「気になっていたので聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「朝とか眼鏡を外していますが、どういう時に外すのですか」

今日の仕事に関する質問だと思っていたので、少し構えていたので少し気が抜ける。

「ちょっと中二病っぽいけど笑わないでね」

「もうその言葉だけで笑ってますけど、どうぞ」

彼女は少し笑いながらも続きを促してくる。

「現実逃避したくなる時」

「今は何から逃げているんですか?」

「好奇心に負けてしまった自分」

「このお客さんの何が気になったのですか?別によくいるお客さんの一人だと思うのですが」

自分でも理解できていない質問を受ける。自分でも全く分からないのだ。

気になってしまい頭から離れないので、何度も自分で自分に問いかけた質問であるのだ。

「どこなんだろうね?」

「相変わらず謎ですね」

「ごめんなさいね。こんな訳の分からない理由で付き合わせてしまって」

「でも、回収が絡むと多田さんの勘って馬鹿に出来ないんですよね。主に悪い方にですけど」

「今日は暴走しないように見張っててね」

仕事絡みとはいえ会話を始めるとその後はいつもの調子に戻る事ができた。

徐々に雑談に脱線し、気づけば漫画の話しに移っていた。

話しをしている内に頭は落ち着きを取り戻し、父親と対面する事への不安が和らいでいった。


近いもので30分も掛からずに到着した。

時間帯からそれ程人も多くなかったので、電車を降りると慣れない土地なのでまずは降り口を確認する。

事前に検索してからきたが、慣れない土地だった為、再度確認する。

西口方面で間違いない事を確認して歩き出そうとするが、既に八巻さんが歩き出していた。

場所が分かっているのか不安になるが、僕はグーグルマップを起動して方向を確認しつつとりあえず後を追う。

初めて降りたがイメージよりも綺麗な印象を受けた。

僕が学生の頃は廃れた町という印象が強かったが、最近では外国人街になっていると話は聞いていたが、想像よりも良かった。

駅前はよくある駅前という感じだった。

少し周囲を見ていると、確かに外国籍の人らしき人を見かける事もあるが、イメージよりも少なかった。

何となく外国人だらけの町を勝手に思い描いていたが、全然違った。

よく考えると大学の頃に友人が隣町の蕨に住んでいたので、それほど馴染みがない場所でも無い。また隣町で大きく変わるという事もないので、当然と言えば当然なのかもしれない。

よくニュースや物語の中で知らない町を見かけるとついつい過剰にイメージを膨らませてしまう事が多い。

やはり人間は自分の目で見て、耳で聞く事で正しい判断が出来るのだと改めて実感した。

道案内を完全に八巻さんに任せて風景を眺めていたら、ポケットにしまっていたスマートフォンが何度か振動を鳴らす。

電話でもメールでも無い、通知によるバイブレーションだったが、何故こんなにも鳴るのだろうと思って手に取ると道を大きく誤っていたようだった。

「ごめん、道が違うみたいだから一度確認しよう」

僕らはとりあえず立ち止り、方角を確認する。

大きくは外れていないようだが、方角が微妙にずれた方向に進んでいたようだ。

駅から10分も掛からない場所に着くのに道を間違うという貴重な経験をする事になってしまった。

マップを頼りに次は間違いなく着く、時間を確認すると約束の15分前だった。

少し道を間違えた事で時間帯は丁度良い時間に着く事が出来た。

大胆なようで臆病な性格の為、どうしても遅れる事が不安になってしまい、必要以上に早く着いてしまうのが、僕の悪い癖だ。

その臆病さを出発時間でなく道の予習に使えば良いのにといつも思ってしまう。

道だけでなく下調べがいつも足りていない為、余計な時間を使ってしまう事が多いのだが、どうしてもがさつでいい加減な性格は治らないようだ。

三つ子の魂百までもといった所で、私生活では顕著に出てしまう。

仕事では必要な部分は用意できるようになってきたが、私生活は仕事に繋がってしまうようで、大事な物ほど抜けがある事が多い。

僕が悪い方へ思考を働かせている間に八巻さんは店内に勢いよく入っていった為、慌てて後を追う。

店員さんと会話を終え、席に向かっていく。

僕は周囲を見渡しつつ、それらしき人が見当たらなかったので、大人しく席に向かう。

彼女が手前の席に座った為、僕は奥に向かおうと思ったのだが、途中で足を止める。

「どうしたんですか?中途半端な所で足を止めて」

「いや」

「どうせ、すぐにお客さんが来るのだから、こっち側に座った方が良いと思いますよ」

「ですよね」

僕は向きを変え、彼女の隣に座った。

「いつも通り珈琲でいいですか?」

「うん」

彼女はすぐに近くにいた店員さんを呼び止めて、アイスコーヒーを2人分注文する。

「ありがとう」

「いえ、そういえばまだ西野さんは来られていないみたいですよ」

「どうして分かるの?」

「店員さんに聞きました。待ち合わせしているって人いますかって」

彼女はいつもそつがなく、こういった部分で大人を感じる。

「ああ」

「居ないって言われたので、50代くらいの男性が来たら、待ち合わせ相手は来てるって伝えてくださいって言ってあります」

「ありがとう」

本当に物怖じせずに人と関わっていくのがいつも羨ましく思ってしまう。

会社に入ったのは僕の方が1年以上早いが、ある意味では僕よりも顔が広いかもしれない。

僕は仕事で関わる部署が彼女よりも多い為、総合的には社内の人とは顔見知りになっている事があるが、彼女は仕事と関係なくても繋がってしまう。

必要以上の遠慮も無く、自分が関わりたいと思った相手には遠慮なく関わっていく姿は尊敬していまう。


注文したアイスコーヒーが届く頃には待ち合わせの時間になっていた。

店内に人が入る度に、といっても1度しかなかったが入り口に目を向けるがそれらしき人は来ない。

会社に送れる旨の連絡が入っていないかスマートフォンを覗いてみるが、特に連絡は来ていなかった。

待ち合わせ時間に連絡無く遅れるというだけで、僕の印象はとてつもなく悪くなっていった。

この仕事をしているとだらしのない人の特徴というのは見えてくる。

お金にだらしない人間はお金以上に時間にだらしない事が多い。

期日を守れなかったり、事前に遅れる連絡をするという最低限の事もしない人間は長期延滞者になりやすいという印象があった。

この人も信用は出来ない人なのかもしれないと少し思い始めていた。

待ち合わせの時間から15分程過ぎた頃に、50代半ばくらいの男性の姿が見えた。

下はスラックスで上はポロシャツを小奇麗に着ている。

肩にはショルダーバッグをかけ、髪は年齢の割にしっかりと生えそろえ黒々としている。

周りを少し見渡しており店員さんを待つ間に何度も時計を見ていた事で、彼が間違いなく西野さんだと確信する。

遅れた事に悪気が無かった訳では無かったようで、少し安心をする。

店員さんから説明を受けたのか、空席が沢山ある中、こちらのテーブルに向かってくる。

席の構図上、僕らは背を向けていた為、通り過ぎたタイミングで目を合わせる事になった。

目が合った後に僕は立ち上がり、八巻さんもそれに合わせる。

「西野さんですか?」

「はい」

「私はお電話で話をさせて頂いた佐藤です。隣にいるのは同じ部署の同僚で八巻と言います」

「八巻です。よろしくお願いします」

僕らは名刺を渡した。

彼はそれを礼儀正しく受け取り、席に着いた。

席に座った後も僕らを見たり、名刺に視線を落としたりと落ち着きが無い。

予想以上に年齢にそぐわない印象から話しの切り出し口に迷っていた所、八巻さんが店員さんを呼び止めて西野さんに確認しつつアイスコーヒーを注文した。

「質問を頂いた件になるのですが」

少し落ち着いてきたと思い声をかけてみたが、落ち着きを再度失ってしまう。

手元にあるお手拭きを手放さず手遊びを始め視線もこちらに向けようとしない。

「結論から言いますと、貸付停止措置を取らせていただきました」

「どういう事ですか?」

「簡単に言うと新たな借り入れができないようにしています」

「それは返済期日が過ぎたりしているからですか?」

「複合的な理由です。一般的には支払い能力が低下している時に取られる事が多いようですね。勤務先が変わったり、収入が低下するなど、借入の時と条件が変わった時におこります」

「でも何故、急になのですか?ここの所は私が支払っていたので、大きな遅れもなかった筈なのに」

「実は今回の停止を決めて会社に申請をあげたのは私なんですね」

少し息を吐き、僕は続ける。

「契約時から家族が最後に支払うのは想定していたのです。本人に返済能力が欠ける事が分かっていたので、間違いなく最後は頼るだろうと」

何を言われてしまうか怖かった事もあり、僕は相手が何か言ってこないように言葉を続けた。

「だから西野さんに支払って頂くのは予想していたのですね。ただ直近までは確信が持てなかったのと、借入が続く事から本人が何か別の高収入の仕事でも始めたのかとも思っていたのです」

「じゃあ何が今回あったのですか?」

ずっと黙っていた西野さんが口を開く。落ち着きを取り戻した声だった。僕もその声を聞き少し落ち着きを取り戻す。

「本人以外だと確信したのです。僕は何度か家の様子を訪問して知っていました。だから仙台からの入金になったり、西川口に戻った際に本人からの入金でないと自分の中で確信しました。だから怖かったのです。何故、娘の借金を返し続けるのか?いつまで続くのか?」

「それは・・・」

「だから僕はここに来たんです。教えて頂けないですか?何か手伝える事があれば協力します」

僕の言葉を聞き、一番驚いていたのは西野さんよりも八巻さんだった。

僕を向く視線が怖い。

暫くは沈黙が続く。それは当然だ。何の関係も無い唯の借金取り相手に自分の身の上を話す人はいない。

「それでは質問には答えられたと思いますので、今までのご協力ありがとうございました」

「実は娘は連れ子でして」

僕が伝票を手に取ろうとしたタイミングで声をかけられる。

自分で聞いておいてなんだが面倒な予感もしていた為、少し帰りたいと思っていたので複雑な心境だった。

「娘との関係は上手くいっていないのですね」

「だからといって何で借金の返済を毎月?」

「家賃が遅れだしたようでして」

「連帯保証人か何かで?」

「はい」

「であれば家賃だけ支払っていけば良かったのではないですか?」

理由が全く繋がらない事から僕はより西野さんに警戒心を持ってしまう。

「きっかけは安否確認の為に部屋に入った時でした。半年程、私が家賃を支払っていた事に不憫に思ったのか管理会社の方が提案をしてくれました。私も家賃を半年も払えず、連絡すらつかない状況だったので不安に思っていたので提案を受けてみました。」

半年とさらっと言うがまともな状況じゃない。

学生でもないのに連帯保証人が半年も払うというのは管理会社や保証会社の人間は毎月不安でしょうがなかっただろう。

「部屋の中は悲惨でした。電気にガス、水道まで止まっていて、人の住める環境では無かったです。仕事もしているのか全く分からなかったです」

「それはどのくらいの時期だったのですか?」

「昨年末です」

「うちで借入をされる少し前ですね」

「その時にお金を少し置いていったんですよ。仕事を探すにせよ、今の環境では探せない。私とは上手くいってないので素直に戻ってくるとも思えなかったので。ただ、それも裏目に出てしまったようでお金が全部封筒に入れられたまま家のポストに入れられてしまったようです」

「家賃は支払ってもらっていてお金は受け取れないというのも凄い話ですね」

「直接受け取るのが心理的にどうしても許せなかったのかもしれないです」

お互いに少し無言になる。僕はどこまで踏み込んでいいのか分からないが、聞きたい事は聞けた。

知りたいという欲求だけは既に満たした。これ以上は蛇足だと頭では分かっている。

「それでうちから借りた後は家賃と同じように対応していたって事なんですね」

「娘がそのお金を使って生活を立て直してくれればと思って」

完全に逆効果だろう。普通に考えたら働かずともとりあえず生活できるお金が入れば誰も働こうと思わない。

家賃も親が払って、生活費に10万円あれば多少の贅沢すらできるだろう。

「それで借入が止まって困っているという事ですか。他の会社からは借入は無いのですか?結果的に事故歴が無いので、アルバイトでもしていれば借入くらいは出来ると思いますよ」

「それが不思議としていないようなんですよ」

仕事をしていないのだろうと予想できた。出なければ大抵の金融屋は貸すだろう。

最悪銀行カードローンなんかは最近では消費者金融以上に審査が緩いので確実に借りれる。

行動力が無いのか、アルバイトをしてすらいないのかどちらかだろう。

僕は落としどころを考え、次の言葉を探す。

「西野さんは最終的にどうしたいのですか?」

今までずっと黙っていた八巻さんが急に声をあげる。

僕らは少し驚き、声の出どころに二人そろって目を向ける。

行動に意図が見えず、何がしたいのだろうと僕は思っていたがここまで直接的には聞けない。

「娘には一度家に戻って生活と人生を立て直してもらいたいと考えてはいるんです」

「でしたら話しをする機会をつくればいいじゃないですか?」

僕が口を挟めなくなった。誰もが次の言葉を探している。

暫くはストローを吸う音しか聞こえなかった。

「少し非道な事かもしれないですけど、一度負荷をかけてあげた方が良いのかもしれないですね」

沈黙に耐えかねてしまったのは僕だった。

こうなったら知っている知識と経験を伝え、切り上げる事に決めた。

「一般的に管理会社は2か月滞納してくると解約も視野に入れてくると思います。西野さんのケースなら早期に管理会社に解約が入るまでは支払い意思が無い事を先に伝えれば、相談に乗ってくれると思いますよ。まあ、それでも支払い督促がきた場合は無視を決めこんで、訴訟になるまでは対応しなければ解決すると思いますよ」

「訴訟って大丈夫なのですか?」

「大丈夫ですよ。一般的には訴えていても期日までに支払えば取り下げします。というよりせざるを得ないです。かかった費用だけ請求するのも労力考えたらしませんよ」

「追い出されたら戻ってきますかね?」

「今の話しだけを聞いたらまず戻ってこないでしょうね」

「なら」

乗り気な様子だったのが少し引いていくのが見て取れる。

「でも住む場所が無くなったらどうするでしょうか?実家に帰れる人は実家に帰るでしょうし、帰れない人は今のネットに情報があふれている世の中なら大半が役所に生活保護の申請をしにいく人が多いでしょうね」

「通ったら戻ってこないじゃないですか。私は自分の負担を減らしたいわけじゃないんです」

「生活保護の申請中は仮宿を充てられるから戻ってこないでしょうね。でも実際に支給となると絶対に申請が通らないから大丈夫です。貴方が何か問題を起こしていない限りは」

「私がですか?」

「はい、まず身内の方に保護できないか話がきます。義理とはいえ父親であれば間違いなく話がくるでしょう。そこで引き受ければ保護は打ち切られて戻ってくるしかない状況になりますよ。まあ、貴方が小さい頃に虐待などしていて通報歴でもあれば別ですけど」

「それはもちろん大丈夫です」

「であれば、今伝えた手順をおこなえば戻ってくる可能性は今よりは上がると思いますよ。どちらにせようちの会社で融資を再開する事は絶対に出来ないので、お金を渡す手段は作れないと思いますよ」

この部分が今回の目的だと気づいていたので、そこはしっかり伝えないといけないと思っていた。

「でも失礼な言い方をさせて頂くのですが娘といっても義理ですよね。どうしてそこまで関われるのですか?奥様に何か言われての事ですか」

「いえ、実は妻は随分前に亡くなっていまして」

沈黙を嫌うように言葉を続ける。少し言葉に熱がこもってくる。

「女の子なのに母親似でして、面影があってついつい甘やかせてしまうんですよね」

少し照れている様子が見られるが、今までで一番素の反応に思えた。

僕らは話をまとめ、こちらとしては打ち止めを伝えきれ、なおかつ解決のきっかけの一つになれたのなら少しは自己充足する事ができた。

西野さんは何度か頭を下げ、先に店を出た。

「良い人そうでしたね」

「八巻さんもそう思った?」

「はい」

僕も人柄は悪くなさそうだし、嘘も言っていないと感じた。

恐らくあの人が支払っていたのだろうし、本当に娘の為に支払っていたのだろう。

そこにどんな感情があったのかまでは分からないが、そこだけは間違いない。


勘定を済ませて僕らも店を後にする。

行く時は道に迷ったが帰りに関しては方角も大体分かる為、行き以上に周囲を見渡す余裕が出来た。

夕方というよりも夜に近づいてきた時間の為、帰り途中のような人もいれば、これから飲みにでも行くのか上機嫌な人も多い。

自分の気持ちの問題なのか明るい印象を受けた。

今まではあまり知る事が無かった町だが凄く魅力的に見え、機会があればまた訪れてみようと思う。

少し晴れやかな気持ちで足取りも軽くなっている。

行きとは逆に僕が先導してい進んでいく。

駅まではお互いに無言で進んでいくが、電車に乗ると行き同様に並んで座れてしまった。

僕は何か話題も見つけづらく、珍しく仕事に喜びを覚えていた為、会話よりも自分の中で今日の出来事を振り返っていた。


仕事の中で自分の知識や経験が人の役に立ったのが初めてだった事もあり、僕は満足感に浸っていた。

正確に言うとお客さんに対してという事だろう。僕が回収する事で営業は強気に案件を拾ってくるし、会社の利益になる。

僕が回収出来なければ、今よりも縮小した規模での営業になってしまう。

分母が大事な世界である程度貸し倒れを見込んでいるとはいえ、回収出来なければ会社が倒れてしまうのは目に見えている。

昔のような利率で出来ない以上、確実に返してもらえるお客さんをどれだけ拾えるかが大事になる。

その見極めを任されているのだから社内では充足感も褒めてもらえる言葉も何度か聞いているが、お客さんからは初めてなのかもしれない。

直接のお客さんじゃなかったし、別に何かをしたわけではない。

けれど、自己満足に浸れるくらいには悪い状況を続けるよりかは、良い方向に向かえる手助けができたと自負はしている。


「嬉しそうですね」

僕は自分の中で自己満足な思考を繰り広げていた為、聞き逃してしまったが、何かを言われた事は分かった為、顔を向ける。

「少し嬉しそうです」

「そうかな?」

「はい。この間の大きな債権を全額回収した時よりも嬉しそうです」

そういえば先月に長期債券を引き受けて上手く回収に漕ぎつけた時は部署内で喜びを分かち合ったが、それよりも僕は満足しているようだ。

「そうかもね」

「珍しく認めてくれますね」

「うん。今回は自分でもこんなに飢えていたんだなって驚いている」

「物凄い飢えてますもんね」

「そんなに飢えていそうに見える?」

「はい」

自分では外には見せてはいないつもりだったが、こういうものは自分以上に周りの人の方が理解している事もあるのだと思う。

「どういう所で分かっちゃう?」

「私の場合はそもそも面接から少し気づいちゃいました」

「面接?」

「はい」

「八巻さんのだよね」

「多田さんの面接を私が知るわけないじゃないですか」

笑われてしまうも、流石に面接というのは予想外過ぎる答えで困惑してしまう。

「ちなみにどんな所が?」

「面接の時って部長と多田さんが面接官だったじゃないですか」

普段の面接は部長と高木が担当する事が多いのだが、八巻さんの日は確か高木が用事が入っていて、僕が代わりに出たが、特に何も言った記憶は無い。

「私って今年で30になりますけど、ここで5社目じゃないですか」

「確かそう言っていたね」

「流石に2,3社なら業界的にも慣れてそうでしたが、5社ってどうして辞めたのって部長が聞かれた時に人間関係って答えたの覚えていますか?」

「なんとなく程度には」

「その時に部長が突っ込んで全部?って質問されて、全部ですって答えた瞬間に無いなって顔されたんですよ」

少し思い出してきた。

その後に部長は質問を止めてしまい、僕に振られたのをよく覚えている。

面接なんて何を判断すれば良いのか分からなかった僕は、とにかく狼狽えてしまったのを覚えている。

「それって僕が物凄いあたふたしてたやつ?」

「はい」

凄い良い表情をされてしまった。

余程僕が情けなかったのだろう。

「必死に何か聞かなきゃと思っていたのか、出てきた質問が職種に抵抗はありますか?って採用する気がこの人はあるのかなって思っちゃいました」

僕は八巻さんの言葉を聞き、思い返していく。

確かに部長は見切りをつけていそうだったが、僕は周囲が駄目と言われると逆の意見を言いたくなる天邪鬼な性格と「少しありましたが、勧められた時に拒絶感は無かったです」と正直に言い切る姿に魅力を感じたのを思い出す。

「ちなみにあの舞台裏って聞いてもいいですか?」

僕は少し思い出し、記憶を引き出していく。

「でもよく考えると部長は八巻さんの印象程、反対はしてなかったよ」

「そうなんですか?」

「うん。思い出してきたけど、面接終わった後にどうする?って聞かれたので、採用お願いしますと伝えたら、分かったってすぐに言ってくれたし」

「そうなんですね」

少し意外だったのか、首をかしげつつも僕を覗き込む。

何か品定めをされている気分だ。

「てっきり多田さんが強く推してくれたのかと思って勝手に感謝していました」

「そうなんだ。それなら言わなければ良かったな」

「採用権は現場にあるのですか?」

「いや、ケースによるみたい。どうしても駄目な場合は聞かれないらしいし、逆の場合は確認されるくらいみたいですよ」

「私はどっちでも良いパターンだったのですね」

「うん。僕もこのパターンは初めてだったから驚きました。こんなスムーズに決まるのかって思いました」

「ちなみに採用の決め手は?」

言われるまで考えていなかった。

理由を適当に考えればいくらでもあったが、これだとしっくりくる理由が無い。

「駄目じゃなかったというのが一番の理由かも」

「え、そんな理由なんですね。がっかりです」

「そんな事を言われても・・・」

「てっきり容姿が好みだったとか言ってくれると思っていたのですけど」

「いやいや、流石にセクハラ過ぎて言えないですよ」

「この際だから言っちゃいますけど、結構視線は感じてますよ」

「僕ってそんなに分かり易い?」

「はい」

笑顔な所をみるとアウトではないようだ。

「自分ではポーカーフェイスなつもりだったのだけどな」

「程遠いですよ」

「酷いな」

僕は拗ねたふりをして横を向く。

確かに容姿を見るといつも綺麗だなとは思っていた。

学生の頃は30代の女性を見ておばさんとしか思えなかったが、自分が30に近づくと10代は当然ながら20代前半よりも後半以降の方が何故か良いと思えてしまう。

感性が変わってくるのか原因は分からないが不思議に思う。

特に八巻さんはその中でも整っているせいか見ている分には綺麗だと確かに思ってしまう。

確証はないが、部長が採用に反対しなかったのも下心があった事は僕は確信している。

僕も初めは無かったかと言うと否定は出来ない。

「あ、でも」

僕は拗ねたふりをして背けていた顔を向き直す。

「だから打たれ弱い私に凄い気を使ってくれているのは分かりますよ」

「そんなつもりは無いですけどね」

「そういう事にしておきます。ちなみに高木さんも同じ事、言ってましたよ」

そんなに自分は分かり易いのかと恥ずかしくなるが、だからやましい事もないので開き直る事にしよう。

残りの時間も僕の分かり易いエピソードをひたすら弄られてしまうも、そこまで分かっていて接してくれていたり受け入れてくれている事に少し喜びを感じる。

先ほど西野さんに感謝された事よりも嬉しかった事に少し驚く。自分は本当に単純なのかもしれない。

今日は色々と考えさせられた1日だったなと考え、会社に向かう電車を過ごした。



ただし、事の顛末は非常に残酷で後味が悪いものになった。

千葉県に住む男性会社役員 西野 誠(55)が娘に対して暴行を働き、逮捕されたようだ。

以前から8年間暴行おこなわれてきたようだ。

娘は一度家を出て生活を取り戻すも、仕事を転々としてしまい家賃が支払えず実家に戻る事になってしまった。

精神的にも鬱になってしまい仕事も出来ない状況になる。

当初は生活保護を申請するも身内が補助に名乗りを上げてしまった事で認められず、娘自身が拒否するも父親の普段外で見せている人柄からまともに取り扱ってもらえず、実家に戻る事になってしまった。

その際に保護課の人に債務の話をしたようで、僕らにも話が回ってきた。

父親の元に戻るのが最善だと話しつつも、本人が強く嫌がっているという話を聞き、感謝された事に充実感を感じつつも違和感があった1年間の事もあったので、何か特殊な事情があるのかもしれないと一言だけ伝えておいた。

それから暫くした際に、本人が役所に再度駆け込む。

父親との関係に備考として注意が必要とのみ記載があったので、本格的な調査がおこなわれて発覚。

容疑に対して全面的に認めており、母親の面影が残っていて、どうしても思い出してしまい辛くなって壊したくなってしまったと供述している。

歪んだ愛情が形として表れてしまったようだ。

僕は結末を地方欄で知る事となった。


感謝された事で嬉しい気持ちになったが、相手が良い人間か悪い人間かでここまで印象が変わるとは思わなかった。

よく考えた人間の本質なんて分からないし、分かってたまるかと思う。

自分の事すら理解できないのに他人を理解できるわけがない。

今回の事で少し責任の一端を感じながらも、やはり金貸し程度では人を良い方向になんて持っていけないし、ましては正義の味方に何てなれない。感謝された所でろくでもない結果にしかならない。

結果的に最悪の事態だけは逃れられたのだから、この機会に子どもの頃に少し憧れた夢はしまい、自分の仕事に向き合った方が余程誠実な気がした。

とりあえず自分に出来る事なんて限られているのだから、悪い仕事だと認識しているなりに最悪にならないようにだけ向き合おうと考えた。

今までは流されて辿りついたと思っていたものだけど、改めて考えると選んだものだとようやく思えるようになってきた気がする。

かなり久しぶりに書いてみましたが、楽しかったです。

かなり拙いですが、最後まで読んでいただけた方には感謝したいです。

また、近いうちに書きたいテーマがあるので、挑戦してみたいです。

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