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38.穀物袋は軽くても

「何してんだい、さっさとおいで。食器が片付かないんだよ」


 ようやく使用人の部屋を探し当てた私を、リーダー格の女性が引っ張るようにしてテーブルに座らせる。机の上には野菜らしきものが浮いたスープと黒いパンが置かれていた。


「あんた、何か珍妙な服を着ているね。もとは芸人さんか宣伝屋さんかね?」


 その言葉に、ぞろぞろと女達が寄ってきた。

 好奇の目。私は身体を強ばらせる。

 この感じは嫌いだ、過剰な興味は徐々に嘲りに変わっていくから……。

 染みついた恐怖が、心の底を震わせる。


「これ、先祖代々の着物なんです。これしかなくて」


 苦しい言い訳でなんとか押し通す。ここにハサニゲルがいるなら、戦わないといけない局面が来るかも知れない。できるだけこのセーラー服は着ておきたかった。


「先祖代々のねえ」

「でもあそこじゃ汚れるよね」


 女達は口々にしゃべり始めた。


「なにか上から着る作業着のようなものがあればいいのにね」


 思ったより好意的な会話が繰り広げられて、私はほっとする。


「何か代用になる物が無いか、ちょっとさがしてみようかね」


 リゴンと呼ばれている恰幅の良い中年の女性が立ち上がった。


「これでもどうだい。次に使うために洗ってある奴だからきれいだよ」


 しばらくして彼女は穀物を入れていたとおぼしき人が入るほど大きな布袋を持ってきてくれた。はさみを借りて、三カ所丸く穴を開けて上から被る。リゴンが持ってきてくれた紐で腰を締める。

 見かけは布袋のお化けのようだが、余裕があってセーラー服の腕をたくしあげれば、汚れなくてなかなか良い。


「ありがとうございます」

「いいんだよ、困ったときはお互い様だ」


 リゴンはにっこり笑う。倉庫まで行ってくれたのか、せっかくの入浴後なのに肩に埃が付いている。

 何の見返りも求めない親切が、心に染みた。




 翌朝。洗濯物はすっかり乾いていた。気温は温かいし、イスパニエルは湿度が低いから、カラリといい具合に仕上がっている。


「わあ、綺麗になってる」

「香りもいいねえ」


 皆口々に褒めてくれる。


「まるで魔法のようだね。どうやって洗濯したんだい」


 私はリュックから洗剤を取り出した。濃縮タイプだから少々使ってもなくなりはしない。


「これを少しだけ入れて、水で薄めるんです」


 私は実演して見せた。


「すごいねえ、今日私が当番なんだけど、使ってみてもいいかい」

「ええ、私も一緒にやってみましょう」


 洗剤のおかげでみなと仲良くなれそうだ。

 昨日の穀物袋がきっかけで、かじかんでいた心が緩んでいく。自分が口を開けば、相手も呼応してくれる。イスパニエルの人たちは、ぶっきらぼうな時もあるが、基本的に優しい。閉じていた私の心のドアの鍵が外れた。





「それにしても変だねえ、今日の排出物は緑色だねえ」


 昨日とは違い、今日の排出物は昨日より形がなくて匂いも強かった。

 ウギャアアアアアっ。

 昨日より咆哮がずいぶん大きい。叫びが大きいと他の音が何一つ聞こえないのが困る。

 こいつ、不機嫌というか、なにかに強く苛立っている。


「えらく熱いねえ」


 今日は昨日よりも壁を通して暑さが伝わってくるため、皆手でパタパタと顔を扇ぐ。

 その時、フードを被った導師風の男達が二人、甲冑兵を従えて現われた。幸いハサニゲルではない。私は目立たないように顔を伏せた。


「おい。お前らの中で一番仕事ができない奴は誰だ」


 もしかして……。昨日の会話が私の頭の中で蘇る。

 他の人々は皆、きょとんとして顔を見合わせている。


「別にこんな仕事、誰がやっても同じだからねえ」


 布袋を持ってきてくれたリゴンが笑う。


「そうか、誰でもいいんだな。じゃあ、お前だ」


 導師の命令で、二体の甲冑兵がリゴンの両脇を抱えた。


「え、何するんだよ、あんたたち」


 リゴンは真っ青になったまま足を踏ん張るが、抵抗むなしくずるずると引きずられる。

 皆ざわめいて後ずさりした。


「いや、ちょっと役に立って貰おうと思ってな」


 導師が顎で連れて行くように甲冑兵に命じる。


「やだよ、放しとくれ」不穏な雰囲気を感じたのか、リゴンは激しく抵抗し始めた。

「どこに連れて行くつもりだい」「リゴンさんはよく働いてくれるいい人だよ」


 皆が口々に抗議し始めた。

 と、その時。

 隣との境をしている大きな陶板の壁にヒビが入り、そこが黒く焦げ始めた。


「しまった、火を吹き始めたぞ」


 二人の導師はうろたえるように辺りを見回した。


「ハサニゲル様は? ハサニゲル様ならなんとか鎮められるかも」

「朝早く、例の磨音丈の件で出て行かれました」甲冑兵が答える。

「ええい、いつものようにその女をさっさと食わせろ。腹を空かしているに違いない」


 導師の言葉に、皆が悲鳴を上げる。


「いやだよう、何か知らないけど食われるのはいやだよう」


 リゴンは泣きわめき始める。しかし、甲冑兵たちは無理矢理彼女を引っ張っていこうとした。

『ダメですよ、激情に任せては。姫は人がいいから本当に心配です』

 別れ際の飾西君の忠告が脳裏に蘇る。


 ええ、重々わかってます。

 ここで暴れたら、王子の所まで行き着けないかもしれないもんね。

 でも、見ず知らずの者のために一生懸命探してきてくれた穀物袋の恩義。

 ずっとのけ者にされていた私には、そのありがたさが痛いほどわかるんです。

 穀物袋は軽くても――――恩義は重いんですっ!


「たすけてええええっ」おばさんが金切り声を上げた。


 待ってて。今、行くからっ。

 我慢の限界、とともに穀物袋が四散する。


 キャアアアアーッ。


 女性達からつんざくような悲鳴が上がる。

 え?

 彼女たちの視線が私に釘づけ……。もしかして、その悲鳴は私宛ですか?

 とりあえず、応援と解釈しますっ。


 悲鳴を背に受け、獣脚が床を蹴る。

 ヒラリと舞い上がった私は腕に付いた羽をコントロールして、甲冑兵の前に降り立つ。そのまま身構えた甲冑兵たちを左右の手で同時に下から上に殴り上げる。彼らは、十メートルも後方の壁にたたき付けられて消えた。


「リゴン、逃げて」


 おばさんは声にならない声を上げて床に這いつくばるようにして、逃げていく。

 次は導師どもだ。

 私の全身に怒りのオーラを見たのか、導師達が後ずさりながら杖を掲げて何か唱え始めた。

 詠唱だ。科学では解明できないけど、何かが起る。

 突然、私の身体が突然紐で縛られたかのように硬直した。


 王子が理科室で捕まった、あれか!

 見回すが、周囲に水が吹き出るような所はない。

 だが。

 身体の締め付けには強弱があった。それは――


 ウギャアアアアアっ。


 隣の生物の発する大きな吠え音に詠唱がかき消されている時間と同期していた。

 術の完成度が低い。こいつらはきっと導師としては未熟者だ。


「観念しろ、この恐竜女」


 導師達が、詠唱を唱える声を大きくする。

 私は導師達のほうにズルズルと引きずられていった。

 ここで、捕まってたまるものか。私は王子を助けに来たんだからっ。


 造竜の声が止んで、導師の力が強くなった。が、同時に隣の部屋から、息を吸うグヴォォオオオオという低い音が聞こえていた。

 次だ、来るぞ。

 吸気時間が長かった。きっと、これは長い。


 ウウウウウウウギギャアアアアアッ。


 鳴き声に詠唱がかき消される。と、同時に私は渾身の力で飛び上がった。

 何かに引っ張られるように宙で一瞬止る。しまった跳躍力が足らなかったか。

 だが、咆哮の長さが幸いした。


 ブチッ。

 次の瞬間、私を拘束していた力が切れて、私は四肢の拘束を逃れて床に転がる。

 隣からの咆哮はますます長くなる。

 詠唱がかき消され、とうとう杖を投げ捨てた二人の導師が剣を振り上げて向かって来た。チラリと見えた腕の筋肉がたくましい。斬りかかってくる太刀筋は甲冑兵より鋭かった。

 魔術よりも剣術が得意、彼らは元戦士くずれか。


「みんな、逃げるのよ」


 振り返って叫ぶ。

 はっと我に返ったように女達は我先に別塔を出て行った。


 いくら超絶の反射神経と鬼足を手に入れたからと言って、剣術のプロ二人相手は辛い。

 彼らは入れ替わり立ち替わり斬りかかり、私が疲れるのを待っているようだ。


 一瞬の油断。

 左肩を剣がかすめて、血が噴き出す。セーラー服が真っ赤に染まる。

 動揺を見逃さず、相手は二人同時に斬りかかってきた。

 避けた瞬間、血で足が滑り、私は床にたたき付けられる。かろうじて獣脚丸で導師達の剣を跳ね上げるが、立つ余裕がない。

 二方向から剣が振ってきた。何度か身体を左右に転がして避けるが、限界だ。

 次の攻撃で、死ぬっ。


 王子、来世で会いましょう。

 恐竜乙女、穀物袋の恩に殉じます。

 目の前に、花畑が――――


 と、思った瞬間、隣の壁が盛り上がり、陶板が砕け散った。

 目の前で剣を振り上げていた二人の導師が、ゆっくりと私の頭上に上がっていく。彼らの身体はかぎ爪に掴まれて、それは真っ赤に燃えた恐竜の口の中に入っていった。


 いや恐竜、ではない。口の中から炎が上がっている。

 あれは、作られた生物だ。おそらくハサニゲルが中心となってこの実験塔で造竜とやらを作り上げたのだろう。

 鋭くて長い歯に先ほど飲み込まれていった導師のマントの切れ端が引っかかり、オレンジ色に燃えていた。


 造竜は私のほうを向いた。

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