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28.ヘタレ女、旅立ちます

 キャンプ場には飾西君の父親がワゴン車で迎えに来てくれた。


「大丈夫か、ハーミ」


 飾西君のお父さんは服にべっとりと血が付いている羽光君を見て顔色を失う。

 すぐに片方の座席の一部を倒してフルフラットにするとぐったりしている羽光君を横たえた。


「こんな特別座席、病人みたいじゃないですか」


 真っ青な顔だが、羽光君は軽口を言えるほどには快復しているようだ。 

 しかし、室内は重い空気で満たされている。


「そうか、王子とマヌーレ様が連れ去られてしまったのだな」


 飾西氏は動揺しているのだろうが、顔はピクリとも変わらない。息子さんとそっくりだ。


梨音(リオン)、もう王宮に連絡は取ったか? 今日は接日(せつじつ)だからつながるだろう」


 そう言えば飾西君の名前は梨音だった。エスランディアの発音に当て字をしたのだろうか。混乱した頭の中で私はぼんやりとたわいもないことを考える。


「はい、お父さんと同時に王宮の国王補佐にも通信しました」

「国王の意向はどうあれ、さすがにもう動いていただかないと困る。お前もすぐ王子を追うのだ」


 この前息子が拉致され危険な目にあったにもかかわらず、父親は当たり前のように命じる。

 飾西家はエスランディアの王家に仕える古くからの廷臣の家柄らしい。身をなげうって主君に仕えるという信念が代々受け継がれているのだろう。


「お嬢さん、ええっと黒田さんとおっしゃったかな」


 飾西氏はバックミラーで私のほうを見る。


「私はマヌーレ様の下女の獣人で、多分マヌーレ様がこちらに転生させられたとき、同時にこちらに飛ばされたようです」

「お嬢さんは王子の想い人とのことだが、もう王子のことは忘れてここで平穏に暮らしなさい」


 それは私のために言ってくれているのだと痛いほどわかる。

 しかし、私は飾西氏の言葉に従うつもりは全く無かった。


 飾西氏はまず私を車で自宅に送り届けてくれた。携帯で遅くなることは伝えていたが、礼儀正しい飾西親子がわざわざドアの所にまで来て、私の親に遅くなったことを何度もあやまったため、かえってうちの親のほうが恐縮していた。


 ベランダから、飾西氏のワゴンが去るのをぼんやりと見送る。今から羽光君のホームステイ先に向かうのだろう。テールランプの光が滲んで幾本もの赤色の筋を引く。だが、すぐに視界は散乱した光の洪水となり、何も見えなくなった。


「姉ちゃん、大丈夫か」


 おずおずと背後から仁志が声をかけてくる。


「なんかあったのか? 兄貴がドアの所まで上がってこないって、変だよ」


 仁志にこの顔を見せられない。だが、身体が震えだしてどうしても止らなくなった。


「姉ちゃん、どうしたんだよ」


 仁志が駆け寄ってくる。もう限界だった。

 私は弟にすがりついて、声を出して泣き始めた。



 何かあれば連絡してください。飾西君が別れ際に連絡先を渡してくれた。私も自分の携帯のアドレスを渡す。

 獣脚丸に念じてみても、小塚君の姿は見えなかった。捕まった彼がどんな目に会わされているのか、もしかして命を取られているのではないか、まんじりともできずに夜を過ごすと、私は翌朝すぐ彼にメールを送った。もちろんエスランディアに同行したいという内容である。最初は渋った返事であったが、しつこく送り続けると、次の渡航日時と出発場所を知らせてくれた。


――時空を隔てているので獣脚丸を介しての画像通信はできません。王子の命はすぐにはとられないと思います。彼を生け捕っておくことはエスランディアへのけん制となりますから。


 気の回る飾西君は、私が怖くて聞けなかった内容を書いてきてくれた。

 そして驚いたことにその日の夕方には羽光君から全快したとのメールが届いた。

 渡航日時は3日後。

 それまでに私はすべきことがあった。



 家族への手紙を書き終えて、それを机の奥に隠す。戻ってくることができたらすぐ処分しないといけない。簡単に見つかる場所には置きたくなかった。


 身の回りのもの……私はあまり持ち物に執着がないので着替えと災害用持ち出し袋の中から笛とライトくらい。それと、エスランディア特注のセーラー服は必ず着ていかないといけない。洗濯することも考えて洗剤も入れた。固形栄養剤一つ、ペットボトルの水一つ。空きがあったので恐竜図鑑も。私の身の回りのものは小さなバックパック一つにおさまった。


「お母さん、お父さん。私、お願いがあるの」


 口に出したのは出発日の夕食の時だった。ぎりぎりにしたのは、止められるのがわかっているから。家から出られなくなって彼らに置いて行かれたら私は一生後悔する。


「何?」


 ステーキとスープを置きながらお母さんが首をかしげる。最近は日勤ばかりで、夜勤にはあたっていないようだ。


「こりゃ、いい匂いだな」お父さんが鼻をくんくんさせた。「この前買った鉄のフライパンで焼いたの?」

「わかる? お肉もちょっといいランクを選んだんだのよ」


 今日は何かの記念日だったかしら。ステーキが食卓に上るなんて、うちでは滅多に無い。私の好物だから、私の誕生日には必ずステーキにしてくれるけど。

 SEのお父さんも今日は帰りが早い。変ね、まるで……。


「デザートにはケーキもあるから。これね、スーパーの全国うまいもの市で売ってた噂のチーズケーキなの。なかなか――」

「姉ちゃん、言いたいことがあるんだろ」仁志がぶっきらぼうに母の会話を遮る。

「お願いなんて後でいいじゃない、このケーキはね」


 いつもより母は饒舌だった。まるで私の言葉を聞きたくないように。

 私は意を決して口を開く。


「聞いて、お母さん、お父さん。私ね、小塚君を追って遠くに行きたいの」


 両親の顔が強ばる。


「どういうこと?」母が私に詰め寄った。「小塚君転校なの?」

「じゃなくて、異世界に行ってしまって……」

「は? 何言っているの? 夢でも見ているの」


 修羅場の予感。しまった、せっかくの最後の晩餐。和気藹々(わきあいあい)と食べてから話せば良かった。


「この世界とはちがう世界があってね、そこはエスランディアっていうの。実は、小塚君はそこの王子様で。でも、彼は訳あってこの世界に来ていたの。彼が帰ってしまって……私は彼を追ってそこにいきたいの」


 母と父の顔がぽかーんとしている。まあ予想していた、この反応。


「小塚君はなにかまずい団体の人ではないのか?」父親が顔を引きつらせながら言う。「未成年の女性をたぶらかして連れ出そうというのは、下手したら警察案件だぞ」

「お父さん……」

「私も許しませんよ」母の手がぶるぶると震えている。「エ、エスランディアなんて聞いたことがない。詐欺の手口じゃないの?」


「姉ちゃんの言うことは本当だよ」


 背後からの声に思わず振り向く。


「勉強を教えて貰ったときに聞いたんだ。兄貴が僕は異世界のエスランディアから来たってね。僕だって信じなかったさ――あれを見るまでね」


 仁志が勉強を教わるために小塚君を呼んだ日、そういえばなにか訳ありの雰囲気が漂っていた。


「あれ、って」母が怪訝そうに仁志を見る。

「大きな翼竜さ。夜中に兄貴が翼竜に乗って姉ちゃんを連れに来たんだよ。俺も夢だと思ったさ、でも、夜明け前にまた翼竜が姉ちゃんを送ってきたんだよ」


 仁志は大きく眉を上げて首をかしげる。


「あれを見たら、信じないわけにはいかないだろ。空飛ぶ怪獣騒ぎの時、僕はピーンと来たよ。姉ちゃん達に何か起ったのかなって」


 母がぺたんと椅子に座り込む。「本当なの? 仁志」


 私より仁志の言葉のほうが説得力があるのは姉として若干のモヤモヤを感じるが、なんだか両親が会話のテーブルに座ってくれたようでほっとする。


「まあ、話は食べてからにしようよ、せっかくのステーキが冷めるよ」


 弟よ、やはりお前は私の弟だ。考えることが一緒……。


「いい子達だと思っていたのにね」ぼやく母。「こんなことになるなんて」

「まさか、こんなにはやく娘を嫁にだすとは」


 父もむっつりした表情でステーキを口に運ぶ。いや、お父さんまだそういう段階じゃないから。


「母さんも父さんも、なんか薄々感じていたんだろ」


 仁志がテーブルを見渡す。


「今日が姉ちゃんの旅立ちの日だって」

「そうね、夢に見たわ。あなたがどこか遠くの国に行ってしまうような夢をね」母がうなずく。「正確に言えば、あなたが私のお腹の中にいた頃から、ね」

「お前まで何を言い出すんだ。竜子は欺されているんだよ」


 父はまだ信じられないとばかりに首を振る。


「彼らはいつお前を迎えに来るんだ? 許さんぞ、私は絶対に」

「深夜2時」


 気分はかぐや姫。

 外見はともあれ、気分だけは。彼女も辛かったろうな。



 決着はすぐついた。

 ベランダからカーテン越しに差し込むケツァルコアトルスの黄金色の瞳で母は腰を抜かしてしまい、父は言葉を失った。CGやドローンじゃないかと翼竜に触ったりのぞき込んだりした父だが、いきなり羽光君に姿を変えたところで白旗を揚げた。


「エスランディアの話は本当なんだな。それにしても小塚君は……」

「彼はあちらで待っています」飾西君が説明する。「王子なので、いろいろ仕事があるんです」

「連絡は取れるのか?」

「その時の二つの世界の座標が重なった接日には――」

「いつ帰ってくるんだ?」父親は私にすがりつくようにしてたずねる。

「ん、まあ、夏休みが終わるまでには、かな」


 わからないから、適当に答えるしかない。


「これ、持って行きなさい」ようやく立ち上がれるようになった母がお弁当らしきものを持ってきた。「嫌になったらすぐ戻ってくるのよ」


 嫁に行くんじゃなくて、本当は戦いに行くんだけどね。私は曖昧な笑顔でうなずいた。


「まあ、後は任せとけ。幸せになれよ」仁志が私の背中をぽん、と押した。


 家族に見送られながら、私はケツァルコアトルスに乗る。

 恐竜乙女十七歳、恋にすべてを捧げます。

 暗い闇の中から飛び出して、ヘタレ女、旅立ちます。

 まさかこんな波瀾万丈な生き方、できるとは思ってなかった……。


「今から、二つの世界の接点を越えます。ちょっと揺れるかもしれませんからしっかり手綱を持っていてください」


 後ろに乗った飾西君が私の左肩にそっと手を添える。


「王子が知ったら、また何か突っ込まれそうだな……」


 飾西君が寂しそうにつぶやく。

 本当は文句でいいから聞きたいんだよね、元気な声が。



 ケツァルコアトルスが一声鳴いてスピードを上げる。チラリと振り返ったベランダでは小さくなった家族がまだ手を振ってくれていた。私もふりかえす。

 次の瞬間周りの景色が消え、がくりと大きな揺れに襲われた。

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