第08話 ランプの精霊
そんなこんなで、沙汰が下りるまでと言い渡されたヴィラでの謹慎は、もう九日目である。いつも決断が早いはずの陛下が、これほどまでに引っ張るなんて……他にやることもなくこれまでの行いの反省ばかりしてしまうのは、この謹慎自体が処分の一環であるということだろうか。
とはいえ、ヴィラは牢獄でもなんでもなく、今日も快適そのものだ。太陽の真下にあると言われる大陸中央部……そこに広がるバームダード帝国は、国土の大半を乾いた砂の大地で覆われている。ところがこの『砂漠』というものは厄介で、昼の酷暑から一変、夜は急激に冷え込むのだ。
だが現皇帝の治世となってから急速に文明開化が進んでいるこの宮殿では、西方人の技師が開発したのだという空気調和の魔道具が常時稼働している。昼はほどよく室内を冷却しつつ、さらに肌寒い夜は暖房へと切り替えてくれるのだ。
魔道具の動力として使われる魔籠石は、西方の人々にとっては希少で高価な資源らしい。でもこの砂漠の地下からは豊富に産出するので、使い放題なのである。
そんな超快適な引きこもり生活が続いたおかげで、あの痛いほどの真っ赤な日焼けは、この頃すっかり落ち着いてくれていた。元の肌はこんなに白かったのかと、我ながら驚いているほどだ。
「こんなに皆優しいし快適で良いところなのに、呪われた後宮だなんて噂が流れるのはなんでだろ。もしかして……やっぱり陛下に取って代わろうとする大宰相の陰謀とか!?」
私はクッションを抱いたままそう独り言をもらすと、フカフカと毛足の長い絨毯の上を、ごろりとひとつ転がった。謹慎中なのに態度が悪いと思われるかもしれないが、ここ後宮で友人に会えないという状況は、とにかくヒマなのだ。
いつも綺麗に整えてもらっている居室は、二部屋とも掃除し直す隙もないくらいピカピカだ。それにいくら公式に許可が下りたとはいっても、さすがに今は『物語』を書く気もおきない。寝転がったままぼんやり部屋の中を眺めていると、ふと、棚に飾りっぱなしになっていた例の油燈が目にとまった。
「そういやこれ、結局おばあさまの言ってた本当の使い方って、なんだったんだろう……」
以前じっくり観察してみたけれど、結局何が特別なのかは分からなかった。元の色は金色みたいだけれど、純金製ならこんなにくすむことはない。おそらく一般的に使われている、黄銅製か何かだろう。
――なんだか普通のランプみたいだし、とりあえず使ってみる……前に、ちょっとお手入れでもしておこうかな。
私は部屋付きの侍女を呼んで磨き布を借りると、棚からランプを持ち上げる。そしてくすみを取ろうと外面を強めに擦った――その瞬間。
ランプから細長く伸びた芯穴を通ってモクモクと白い煙が立ちのぼったかと思うと、やがて煙はぎゅっと凝縮して小さな塊になった。驚いた私がポカンと眺めていると、そのまま煙は白いトラ猫の姿を造る。だがまるで子猫のようなフワフワの外見にも関わらず、その大きさは一抱えほどもありそうだ。
やがて実体化したトラ猫は、手近なクッションの上にぴょんと飛び降りる。そのまま腰を下ろしてふんぞり返ると、偉そうにヒゲをピクピクさせつつ、口を開いた。
「賢者フーシュアールの子孫、アーファリーン!」
「は、はいっ!」
フーシュナントカ? は、ちょっとよく分からないけれど、知らせていないはずの名を呼ばれ、私はとっさに身構えた。
「キミの願い事を、一つだけ叶えてあげる。言ってごらん? ボクの力でできることなら、何でも叶えてあげるから」
「ていうか猫が、しゃべってる!」
思わず驚きを口にすると、猫(?)は不機嫌そうに顔を歪めて叫んだ。
「ボクは猫じゃない、虎だってば! そしてその正体は、偉大なる精霊、バァブル様さ!」
虎って、東方にいるという恐ろしい肉食獣のことだっけ。いちおう本で見て知ってはいるけど、実物は見たことないからなぁ……。そもそも猫だろうと虎だろうと動物がしゃべるなんて聞いたことがないから、伝承の精霊様だというのならうなずける。とはいえ急に現れて願いを言えだなんて言われても、正直困ってしまうというものだ。
「ええと、ちょっと話が見えないんですけど……」
「なんでもいいからさ、早く願い事を言ってほしいんだけど!」
なぜかソワソワと願い事を急かそうとする自称精霊様を前に、私はしばし首を捻って考えを巡らせ……そして、言った。
「願い事は……今のところ、特にないかな」
「ええっ! キミは、欲しい物とかないの!?」
「別に、ここにいたら衣食住は満足だもの。大好きな麝香瓜や糖蜜菓子だって、一昨日もらってお腹いっぱい食べたばかりだし……」
こぢんまりとした建物に居室が二つと物置部屋、そして小さな水屋があるのみだけど、清潔で快適な自分だけのヴィラがある。どんなに豪華に着飾ったってどうせ見せる相手はいないし、『物語』のお礼だと言って、美味しいお菓子や果物を差し入れてくれるお姉さま方は多いのだ。
「じゃあさじゃあさ、権力は!? ほかのヤツらを蹴落として、キミを一番のお妃さまにしてあげる!」
「別に、一番になりたいとかは思わないもの。今のままがいい」
権力を握ったところで、私には贔屓したい実家なんてものはない。正妃なんかになってしまったら、それこそあの伯父一家とまた関わらなければならなくなってしまうだろう。それはどう考えても、面倒だ。
「じゃあさ、邪魔なヤツとか、嫌いなヤツくらいはいるでしょ? キミが望むなら、そいつをこの世から消してあげるよ?」
そう言って自称精霊様はニヤリと悪そうな顔で笑ったが、だが私は困ったように首をひねって見せた。
「そりゃあ嫌いな人くらいは普通にいるけど……別に、殺したいほどじゃないかな」
『嫌い』で一瞬浮かんだ顔はあるけれど、殺したいほどかと問われると、そうでもない。むしろ今の状況を譲ってくれたことには、感謝したいくらいだ。
「はああああ!? ちょっと困るよ! 一度呼び出された以上、もうキミとは契約が結ばれちゃったんだから。百の願いを叶えなきゃ、ボクは自由になれないんだよ!?」
「そうなの? 大変だね」
私が目を丸めつつ言うと、子トラはちょっと怒ったような声を上げた。
「他人事みたいに言うけどさ、元はと言えばキミのひいひいひいひいひいおじいさんがこのボクを油燈なんかに封印してくれちゃったせいなんだよ!? ちょっとイタズラしただけなのに、百人の子孫から一つずつ願いを叶え終えるまで解けない呪いをかけられたんだから!!」
「そうだったんだ……でもごめん、それを聞いたらなおさらお願い出来なくなっちゃった」
「どういうこと!?」