第07話 ある意味、平和
――だが、その数日後。私たちがいつものようにレイリのヴィラに溜まって、ダラダラしていたときのことである。レイリ付きの侍女から上級妃のお姉さま方が訪ねて来たと告げられて、私たちは顔を見合わせた。
通常であれば呼び出しの使いがやってきて、下級妃であるこちらから伺うべきところである。それがわざわざ向こうからいらっしゃるなんて……一体どんなご用件なのだろう。
私たちがビクビクしながら応対に出ると、そこにいたのは第二妃マハスティ様と、第七妃ゴルバハール様である。マハスティ様はニッコリと良い笑顔を浮かべると、自らの頬にゆるく利き手を当てながら言った。
『ねぇ、例の冊子のようなもの、他にはないの?』
『ちょ、ちょっと何のことだか……』
『分かっているのでしょう? あの、皇帝陛下を題材とした物語よ』
『お、恐れながら、あの件はどうかお忘れください!』
『どうして? とっても素敵なお話だったのに』
『しかし、もし陛下ご本人の目に触れてしまったら……』
身を竦めて震える私たちと対照的に、マハスティ様は婉然と微笑んでみせる。
『大丈夫、貴女たちのことはわたくしが絶対に守ってあげるわ。だから安心して、新作を作ってきてちょうだい。他の皆も、協力は惜しまないと言っているのよ?』
『で、でももう、ネタも尽きたと申しますか……』
レイリとアーラは完全に萎縮してしまったようで、さっきからずっと盾のように私の腕を左右からつかんだまま、ガチガチに固まっている。そんな彼女たちを庇うように前に出て、私はなんとかお断りするよう試みた。だが。
『ねぇ、アーファリーン。もし他のお話が読めないというのなら……わたくし、寂しくて陛下に実演をお願いしてしまいそうだわ』
小首を傾げてちょっと困ったような顔をするマハスティ様は、この後宮随一の美貌の持ち主と言われている。だがその月夜に咲く大輪の月下香のように華やかな笑みが、今は悪魔の微笑みのようにも見えて……私たちは、戦慄した。
なんか、ものすごく脅されているっぽいんだけれど……。いつも慈悲深そうな笑みを浮かべている裏側が、本当はこんなに黒い感じの方だとは思いもしなかった。こうして私たちは、公然の秘密として活動を続けることになったのである。
とはいえ――この後宮という特殊な環境下で、これほどまでにあの『物語』に需要がある理由には、薄々思い当たるものがあった。なんだかんだ言って顔が良すぎるあの陛下が、本気で誰かを愛している姿を見てみたい。でも架空のお話とはいえ、自分以外の女に陛下が愛を囁くところは見たくない。ではその相手が、見目麗しい男であれば――あら不思議。
陛下を偶像化して崇拝し、女同士で盛り上がる……こうして、かつては陛下の訪れる回数があの人は多いだとか少ないだとかで常時ギスギスしていた後宮に、急速に妃同士の和気あいあいとした交流が広がって行ったのである。
なにはともあれ、自分の所属するコミュニティが平和なのは良いことだ。調子に乗った私たちはリクエストの募集も始め、少し長めのストーリー重視の話を書き始めた頃――。私たちのヴィラに再びマハスティ様たちが現れて、言った。
『わたくしの要望をもとに書いてもらった、あの大宰相の陰謀を乗り越えて愛を確かめる二人の話……ハラハラドキドキさせられて、とっても読み応えがあったわ! ただね、ちょっと政務の描写に誤っているところが多かったのよ。貴女たちは外廷をほとんど知らないだろうから想像で書くのは無理もないけれど……ねぇ、陛下が外廷で政務を執っていらっしゃる御姿、拝見してみたいとは思わない? とおっても、格好良くていらっしゃるのよ?』
『それは……創作の幅が広がりそうですが。しかし下位とはいえ、まがりなりにも妃である私たちが正当な理由なく後宮の敷地から出ることは……』
『大丈夫、わたくしがこっそり出してあげるわ。わたくし付の小姓として、外廷までおつかいに行かせてあげる。だから外廷で起こる陰謀劇なんかをもっと絡めて、危機を乗り越え深まる愛! ……的な物語、書いてみない?』
マハスティ様は簡単に言うけれど、妃が後宮から抜け出したなどと知れたら大問題になるだろう。……でも正直に言うと、後宮での生活は楽しいけれど、どこか刺激に欠けていた。以前みたいに朝から晩まで働かずともよくなったのは本当にありがたいことだけど、日々の楽しみといえば女同士で集まりお茶を飲みながら、外出もろくに出来ずに同じような内容のおしゃべりをずっと繰り返しているだけである。
この同じ宮殿内にありながら、全く違う世界である外廷には、前々からとっても興味があった。そこにはどんな世界が広がっているのだろうか。ちょっぴりソワソワし始めた私とは対照的に、だがレイリとアーラは『絶対にムリ!!』と千切れんばかりに首を横に振っている。こうして、私が男装して外に出ることになったのだった。
そして、いざ外出決行の日。私は小姓に変装するためマハスティ様のヴィラを訪ねていた。ほかに集まってきたメンバーは、マハスティ様と仲の良いゴルバハール様、そしていつもの友人二人である。
特に大きくも小さくもないサイズの胸に晒木綿の反物をぐるぐる巻いて押しつぶし、妃付きの小姓が着るお仕着せに身を包む。だがそこで行き詰ったのは、少年にしては長くて目立ちすぎるであろう黒髪を、どう隠すかという問題だった。
『しまった、髪のことは考えてなかったわね。まさか切るわけにもいかないし……』
考え込んでしまった皆を前にして、私はとうとうカツラをカミングアウトすることにした。髪に挿していた固定用のピンを抜き、長く波打つ黒髪を脱ぎ去って見せると……案の定、皆驚きが隠せないようである。矢継ぎ早に次々と質問攻めにされた結果、これまでの事情を軽くかい摘んで説明するハメになったのだった。
とはいえこの短い髪のおかげで想像以上に自然に仕上がったのは、ケガの功名だろうか。以来、私はたまに取材と称して外廷に出かけるようになったのである。
――このように。最初は細心の注意を払っていた外出だが、『慣れ』とは本当に恐ろしいものだ。冷静に考えると、妃ではなく本物の小姓だったとしても……あんな場所にこっそり潜んで話を聞いているところなんかを見咎められたら、処罰されるに決まってる。
私はこれまでの自らの行いを反省すると、深くため息をついた。




